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住めば都はもう古い

7日の日経にあった記事より。
自治体の提供する支援サービスと家族に必要な(有利な)サービスを照らし合わせて、引っ越す人、住む場所を選ぶ人が出てきた。

これはすごくいいことだと思う。ついに今までの受け身の形でなんとなく間取りを見て、なんとなく決めていた住む場所が自主的、家族主権の選び方にシフトしてきたことを意味している。

そういえばこんなことを覚えている。前回の自己紹介で書いたように僕はボランティアに所属していて、そこには家族ぐるみでの付き合いをする機会があった。具体的には結婚をして子供を持っている家庭があり、一緒に食事をするときに、奥さんと子供さんも参加して皆で楽しんだことがある。その時にある奥さんが言っていたことを今思い出した。「今度近くにできるxxは子供を預かってくれる施設が建物の中にあって、支援がxx(今住んでいる場所)よりも充実しているんです。若いお母さん達の間ではまとめて引っ越そうかと考える人も結構いるんですよ」

意識してみると、見方って変わってくる。そうか、これが「考えること」なのかって思った。今までの自分は行き当たりばったりで計画を立てずに目の前の課題をこなすことに全力を注じていた。

計画、戦略、プラン。基本的には同じ意味だよね。目的へのクリティカルパスを出すために事前に考えること。

これからは収入だけでなく、住む場所にも格差が生まれてくるだろう。もう一部の場所がそうなりつつあるようにスラムが生まれてきている。税の使い方を今までと異なった生活者主体の観点で考えてサービスを提供できない場所は今後は負けていくだろう。

例えば僕が昔住んでいた場所は、都市計画もそこそこにいきつまり間があり、そこで働いている公務員は何をしてたって言ったら、税金を使って立派な市役所を建てたことしか覚えてない。そこに生活者が主権な行政はなかったような気がする。もっともそうなってしまうのはそこで働いている人間だけでなく、選挙であまり考えずに投票者を選んだ有権者にも大きな責任がある。

人は見た目が9割という本を読んだ。その本では住んでいる場所からでさえその人のことがわかると書いている。例えば僕が昔住んでいた場所は郷土愛がワースト1で、犯罪率も高いことから「住みたくない場所」として認知され、「東京コンプレックス」の元にベットタウンとして住む人が大半である要因もあって、筆者はそこが好きになれない理由がわかると書いていた。僕もそれがよくわかる。だってそこに住んでいたから(笑)。住めば都ってのは現実逃避だと思う。そうやって思考を停止させることでその場所への納得を自分の中で得ることができる。



だけどそれで終わったらだめなんだってわかった。アメリカの大学のシステムから学べることがこんなところにもある。

つまり、weekdayは職場(大学)の近くに住み、週末は実家、あるいは別荘でリラックスすることのできる生活の場に住むという使い分け。

これも指摘されるまで考えたことすらなかった。別荘なんてものは金持ちの道楽としか考えなかったのだ。想像してみると明解だ。なぜ軽井沢をはじめとする長野県の別荘ビジネスが僕が幼い頃から今まで生き残っているのか。それはこのように考える人がいたからに他ならない。

日本の常識は非常識。意識していても実践できていない自分に気がついた。もっと、もっと頭を使って周りの現象を再度検証することを今後は繰り返したい。
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