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右傾化?ナショナリズム?

今日は僕のアジアへの見解を明確にしておこうと思う。そうすることで僕が売国奴になろうとしているわけでないことがわかってもらえると思うからだ。

僕は特定アジア三ヶ国が嫌いだ。とりわけ最近では韓国のやり方「他人の文化を盗み、それを自分のものだと主張する」のには呆れ返っている。

剣道、茶道などが彼らが盗んだものとして有名だと思うが、最近では漢字が韓国起源だと主張しだしたらしい。そんなバカな。漢字を使うことをやめて過去の文献、文化を学ぶことができなくなった人たちがなぜそんなことに執着するのか?

まずはこのビデオを見てほしい。

http://www.youtube.com/watch?v=g67dTWBjVv4

ビデオの最後にもあるように、コンプレックスが多い国なんだと思う。

例えば日本の一般的な人は、オリンピックやワールドカップで自国を応援するのはもちろんのこと、他国の健闘にも拍手をするのが一般的である。日本の唯一のコンプレックスというのは戦争に負けて白人の国々に属さなければならなくなったことであろう。これは政治を見ると鮮明にわかるのだが、日本のとりわけ外交は会議でも積極的に発言することなく、保守的に米国をはじめとする他国の顔色ばかりをうかがっている。

国を好きになることはもちろんいいことである。自分の国の良さを発信して多くの人が訪れるようになれば、経済効果も大きいし、多くのことを人々は学べるだろう。

しかしながら特定アジアの国々と、日本の違いに着目する時、そこにあまりにも大きな格差。はっきり言ってしまえば民度の違いというのが大きすぎて、なぜ同じ黄色人種で見た目もほとんど同じにも関わらずこうも違うのかと思ってしまう。

その原因が教育による影響だと知ったのはもう少しあとだったのだけれども、自分の経験、受けてきた教育に限って言えば、他国を悪く言う、自国を過剰にもり立てた表現というのは今のところ受けたことがない。むしろ控えめに日本を主張し、他国のいいところを紹介する話をいままで多く聞いてきた。そしてそういった別の様式、スタイルに対して僕自身が啓発を受けて影響されたことも多々ある。

僕は理解できない。中国、韓国が日本を完全になめきっていて、金を出せ、謝罪をしろといえばいつか日本が屈すると信じていることが。過去にそういったことに日本の政治が屈したことがあるようで、それが引き金になっているのだろうが、ここ数年特にここ2年に限って言わせてもらえば、国民の目が開いてきたと思う。

政治、経済、外交にいたるまで興味がそれまでとは明らかに変わってきている。そして一部の闇、とりわけ特定アジアの犯罪、日本に来て秩序を乱す存在を報じないマスメディアに知的な人々は信頼性が置けないと気がつき始めている。

なぜかマスメディアの人々はインターネットを過剰に嫌う。この理由が昨日買ってきた一冊の本で理解できた。




それは「今まで個人が発する情報、文章というものには価値が見いだされなかった流れが、ここ数年ブログの登場で覆されてしまったから」だ。
世論は一般的に割合に影響される。割合、どれだけ多くの人がその考えを共有しているか、どれだけの人が同じ見解を持っているのか、そして最後に重要なのが、どれだけの人がそれを発したか。

ここに嫌韓というムーブメントがある。これは決して少数の意見ではない。多くの人が気がついてきた。何かがおかしい、なぜ韓国はこのようなことをするのか。なぜわかりあえないのか?

バカの壁がここにも存在している。お互いが正しいと思ったことを主張して、その主張は180度違う内容だ。

韓国が感情論で動くのに対して、日本は具体的な情報を開示し、論理的に話を進めようとする。まるで女と男がいつまでたってもわかり合えないのとそっくりだ。

僕自身は日本を好きなのか、嫌いなのかよくわからない。日本の中で直して欲しいところはたくさんあるのだけど。これだけは絶対というのが今はまだわからない。

僕はここにある共通点を見いだす。日本の良さを指摘する人の中でもとりわけ書籍においては、著者の人たちは海外生活があるということだ。

これはまさしく僕が感じていることと同じなのではないか?つまり日本の良さというのは海の外に出てはじめてわかる。外に出ないとわからない。とりわけ、日本で生活をしているとそれらが当たり前すぎて気がつかないこと。

日本の治安の良さ、食事のおいしさ、清潔さ、移動手段の充実さ、知的レベルの高さ(例えば識字率)は日本で当たり前でも外国では日本の足下にも及ばないことが珍しくない。

米国を見てみればわかる。どこにいくにも車がないと生きていけない。14歳から免許が取れる州もある。

時々、便利って何だろう?と真剣に僕は考える。日本においては便利はどれだけ人との付き合いをせずに目的を果たすかに終止している気がする。電車の切符、道案内、コンビニエンスストアでの端末を利用した各種サービス。日本は機械化を積極的に導入して、人間と人間の付き合いがなくても生活できるように配慮してきたと思う。

これは本音、建前システムへの自分たちなりの反抗だと僕は評価している。人付きはしんどい、日本人には極めて親しい人、極めて親しい友人でさえ、話せないことがある。話したくても、本音、建前システムがあるから話せない。

これは他人に大してはより躊躇である。コンビニでチケットを買う。そこに店員とのコミュニケーションは期待しない。ただ目的を金を払うことですませたいだけだ。差別化、区別化とはいうが、結局のところ自分の必要なサービスがそこにしかなければ人はそこを利用するものだ。コンビニのサービス充実はソフト面では意義があるが、どれだけ経費をかけたところで店員の質はまちまちで、アルバイト体系で人を雇う限り、充実などありえない。仮に充実を得てもそれは一時的なもので永続ではないのだ。

日本は仕事をする場所、安全に観光を楽しむ場所としては、インフラの充実が大きく影響しかなり快適な国だと思う。しかしながら人との付き合い、生活の場としては?というのが僕の見解だ。

やはり僕はそう遠くない未来にこの国を離れて異国で生活をするのかなと思うのである。
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