• 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29

器のでかい人間になりたい その事について考察をする

スケールの小さな事だとか、せこいことをやって生きていくのはそれは奴隷と同レベルのかっこわるい事だと思ってまして、でもじゃあスケールのでかい事がいい事かというとそういうわけでもない。

僕の言うスケールってのは規模じゃなくて、人間としてどれだけ成熟して、余裕を持って堂々と生きていられるか、それを器のでかさと呼んでいるんだが、器のでかさを自分にも兼ね備えたい。

脂っこいものを食べ過ぎて胃がもたれて目が覚めてしまったのでこれを今書いているが、昨日の夜はてんぷらを食べに行ったんだ。

久しぶりの外食で、父は僕より一日遅れて帰宅をしているので、自炊はしんどいよねってことで行ったのね。

で、他にもお客さんが来ていて、彼らが注文をするスタイルと僕の父が注文するスタイルは明らかに違う。

他のお客さんは一品料理を頼んで、2人で4千円を払って帰っていく人が多いけれど、父はお任せコースを躊躇なく頼む。

一番安いコースでも3500円。
下手すると他のお客さんが2人で食べる額と一緒だ。

最初に刺身が出てきて、揚げ物が数種類、最後は天丼にお茶をかけて食べる天茶というのが出てくるんだが、これがとてもおいしい。

そんなコースをためらう事なく注文して、お酒も頼んでいるから会計は当然1万円を余裕で超える。
でも父がそれで「高かったなぁ」とか財布の事を気にしているのを僕は今まで生きてきて見た事がない。

でも家では倹約家でエアコンを入れると「窓を開ければいいだろう」といって窓を開けて節約をしていたり金銭感覚がよくわからないこともある。

銭湯に行って「他の客が100円を忘れていったのを拾ったんだ」とか言っている事もあるしね^^;

PCは僕と同じで24h走らせているけれど、それは電源の切り方を覚えるのがかったるいので切らないという合理的な思考が彼にあるからだ^^;


留学した時に受け入れてもらったHost family についても懐のでかさを感じる事がたくさんあった。

まず絶対に”どうしてわからないんだ?”という発想をしない。
多様性を常に尊重をして、僕が理解できるまで正しいと思った事を説明し続ける。

できないことがあっても同じように”どうしてできないんだ?”という指摘を絶対にしない。
そういう素振りすら見せないんだ!
「君はとても大変な環境で挑戦をし続けているんだ」といって勇気づけてくれた。

一介の東洋人に対して彼が取ったその行動がどれだけ僕を支えていたかわからない。
彼と出会えた事を僕は誇りに思うし、そんな懐のでかい人が他にもたくさんいた、あのアメリカ合衆国という国が僕は好きなんだ。

あなたの事は生涯忘れない。
死んだ後の事わからないけれど、寿命のレベルで考えると僕の方が長く生きると思うんで、いずれ死後の世界があるならまた会いたいですね。
というか生前に何度も会いにいくよ!

友達もたくさん紹介してもらった。
若い人から年配の人まで、器がでかいから当然交遊範囲も広く、誰とでもコミュニケーションを上手にできて「なんてこの人はすごいんだ」といつも思ってました。

僕は自分の好きな人と好きな事しか話さないから、そういったコミュニケーションは僕にはないもので、僕と正反対の存在だった。

自分の器の大きさを見たときに、まだまだ”どうしてできないんだ?”とか”こいつ成績はいいみたいだけど、この程度の考え方しかできないなんてバカだな”っ思っていて、僕が目指している人たちとはだいぶかけ離れている事に気がつく。

飲食店に行ったときに、5千円のコースを躊躇なく注文できるだろうか。
そりゃ何かの記念日であればできるだろうけれど、特別でもない日にそういったことができるからはわからない。

「俺の稼ぎを知っているだろう?インセンティブが目的で働いているわけではないんだ」って自分のかみさんに言うのだろうか。

引き寄せたいのは、なりたい自分は”必要なときに必要なお金をためらう事なく動かせる存在になる事”だ。

子供が興味を持って欲しいと言っているのに「それは高いから買えません」なんて言うケチなレベルの親になりたくない。

子供の好奇心を奪ってしまえば、子供は何に対して満足感を見いだすのだろうか。
あるいはそれで彼らが何かに対して没頭をする事ができるようになるとでも?

僕は自分の子供が例えばウルトラマンの本が欲しいと言ったら「新品では高いかもしれないけれど古本ならば安いかもしれない。帰ってネットで見てみよう。もし半額で購入できたら浮いたお金でもう一冊本を買おう」って言いたい。

家族に見栄を張ってもしょうがない。
ここであるべき姿は子供の好奇心を満たす解決策で、それは新品で本を買う事ではない。
しかもそうやってお金をうまく使って目的を達成する事を子供に自分自身が見せれば、今の教育に足りないフィナンシャルリテラシーを小さい頃から学ばせる事ができる。

そしてそれは確実に彼らの役に立つ。

コンピュータも携帯電話も彼らがそれでコンピュータの構造や携帯電話の仕組み、あるいはイラストやCGをコンピュータで学ぶ楽しさを身につける可能性を含んでいるのだから、買い与えればいい。

有害サイト云々なんてのは僕に言わせれば、そういったものを利用したくなるような不満を子供が抱えていて、でもそれを見て見ぬ振りをしている環境にこそ問題があると思う。

ちなみに僕がコンピュータを買ったのは高校二年の時で、建前は「大学のホームページを見て志望校を選定するため」だったが本音は「ポルノビデオを借りに行くのが恥ずかしいので、ネットで躊躇する事なく存分にアダルトコンテンツを楽しみたい」からでした^^;

学校がどうしても嫌なら行かなければいい。
中学程度の内容なら自習で十分補える。
大学生を雇って勉強を見てもらったっていい。
自分と年齢の近い存在から何かを感じて、生き方を変えるかもしれない。

年齢の離れた存在が偉くもないのに「あれをしろ。これはだめ。」と縛りをかけるから創造性が失われてしまう。僕はそう思ってる。

もともと人間には創造性が備わっているはずなんだ。
それはいつも外に出たがっていて、でも周りに認めて欲しいという願望がそれを躊躇させて支配している。

自分の書いた絵や作文を発表したり、他人に見せるのが恥ずかしいのはその支配下にあるからではないか?

教師なんて偉くない。親も偉くない。周りの大人も偉くない。
というか優秀な人間なんていない。IQレベルで語ってもほとんど誤差のレベルで、差があるとするならば考え方、つまりメンタルの持ち方が大きく左右するのではないか。

ならば器のでかい考え方をできるメンタルを持っている人間と出会い、肥だめから引き上げてくれる存在(それをある社長から教えてもらったんだが言葉を忘れてしまった!なんてことだ!)と出会う事。
出会えるまでアクションを起こしてみる事。
求め続ける事。
それこそが大事だと思うんだ。

僕は今の所そういった存在に出会えています。
教師よりも、先輩よりもそういった人から学んだ事が今の自分の考え方には影響を強くしていて、それはきっといい効果を僕にもたらしていると思ってる。
(僕は生まれてこのかた、教師を尊敬した事がない。彼らは人の自尊心を傷つけて、創造性を奪って、凡人という模型を作り出す生産機だと思っているんでね。そうしたくなる理由もわかるが、今の、この国の教育には値打ちはないと僕は思う)

僕は器のでかい人間になって、後生の人たちを引き上げるような存在にいずれはなりたい。
またそう思われるような存在になって死んでいきたい。

無償の愛で、与える事を躊躇わない。
多様性を尊重して、持続性を考慮することができる大人でいたい。

関連記事

コメント

コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

月別アーカイブ
カテゴリー別
リンク