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良エントリー ニート2.0

やっぱこの人すげーわ。
僕が尊敬しているカリスマニートのhirusaiさんののブログにまたもや良い記事が載ってるので紹介。

社会人だから、働いているから偉いというのは、戦後の古い価値観の押し付けにすぎない。
尊敬されるべきは、既存のヒエラルキーを打破して新しい世界を創造したとか、高い付加価値を提供し既存のサービスが追従できないレベルまでその質を高めたとか、建設的な行いにこそ与えられるべきだと僕は思う。

働くことが向いていない人がいる。確かにそうだよね。
勉強が向いている人とそうでない人がいるように、働くことが向いている人、向いていない人。大手企業が向いている人、ベンチャーが向いている人。営業に向いている人、R&Dで成果を上げる人。

人生いろいろ。働き方、生き方もいろいろ。

自己防衛に映るかもしれないけれど、アフェリエイトだって、チケットの転売だって付加価値の提供になっている。

広告主は広いウェブの世界から自社の製品やサービスを紹介する手段を、それを介する広告代理店はユーザーとの仲介によって収益を、そして僕のようなブロガーは広告主からわずかながら報酬を受け取ることができる。(もし僕の書いた記事と広告が”本当にマッチング”しているなら)

チケットの転売は、チケットをどうしても買いたい人と、どうしても高値で売りたい人をマッチングしている。それを仲介するであろうインターネットの仲介業者は手数料を貰って利益を上げることができる。
もちろんその先には投資家がいるし、市場があるし、世界がある。
一見、グレー視される行為でも実は立派な社会活動になっているのです。


今までは、少なくとも僕が感じているのは、大学を卒業したら就職をするという暗黙のルールがあって、そのルールに従えない人は、はみ出しものであり、負け犬であるとか、劣悪な労働環境を強いられる(派遣、アルバイトなど)のに甘んじなければならなかったと思う。

だけどこれからは多様な価値観、多様な生き方がもっともっと日本でも生まれて、今その変革期にあると思う。
hirusaiさんはそんな今までの声を発することを積極的にはしなかった(できなかった)ニートからニート2.0として声を発する人だ。
テレビにも何度も出演されているので見たことのある人も多いのではないでしょうか。

今までは既存の権力によって叩きつぶされた(そしてそうすることを大衆(マジョリティ)は喜んだ)存在であるニート。
だが格言が言うように「働いたら負け」という新たなパンドラの箱が解放された今、彼のような人間が評価をされ応援されてもいいと僕は思う。

diversityとは本来そういったものであり、いい子ちゃんがマジョリティとして権力を握り、支配する今の日本においてはそれからはほど遠いものである。

independentな個人として、日本の人はもちろん世界中の人が、働きたい時に働いてしかもそれは自分の好きなこと、生産性や才能が最も発揮できる仕事で楽しく働いている世界が実現してほしいと僕はいつも願う。(そしてそういった世の中の形成のために尽力したいと僕は今考えている。)

だけどあまりにもそういった理想とはかけ離れた世界で、”完璧な会社、組織などないのだから”という”排他的な納得”のもと、多くの人が疑問を感じながらも特定の環境に無理矢理自分を合わせている。

自分を殺すというと大げさかもしれないが、我慢をしすぎることっていつか限界点が来ると思うし、何よりも辛いよね。
辛いことから逃げるのは防衛機能が正常に働くからで恥ずかしいことではないと僕は思う。人間として何ら不思議でない行動です。

だけど本当にそれが必要な過程でマドルスルーをしなければいけない時、そんな時を僕らは見逃してはいけなくてチャンレジしていかなくてはいけないのではないか。

逃げてはいけない時がいつかを見極めるのも人生における大切なライフワークだと思う。
逃げていい時というのは響きが良くないから引き際をわきまえろと書けば理解してもらえるでしょうか。

そしてもしマドルスルーをするべき時、自分の能力と才能が最大限に発揮できると確信できた時、その時は強気に勝負していいと思います。

それが個人による起業なのか、組織への所属なのか、あるいはニートという形態なのか、人それぞれでいいのではないではないかと。

つまり僕が言いたいのはいつだってdiversityを日本でも世界でももっと受け入れて、普及させて、人々がcommonsenseとして受け入れるようになって欲しいということなのです。
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