• 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一人

たまには俺の弱いところも見せようと思います。
ツイッターで私の発言を読んでいる人は、なんかすごそうな常人離れした人と思っているかもしれませんね。

私の強みはいつも一点突破なので、バランス感覚は極端です。
あるジャンルについて強烈に興味を覚えれば、他のことを犠牲にしてでも徹底的に調べます。
あることに優位性を見出せば、リソースをたくさん割いてそれを実証しようとします。
そして持続可能性を見いだせなくなった事は、臆することなく損切りします。

今日は仕事で茨城県に行ったんですけど、茨城ってのはまあ自分のルーツに近いんです。
今は東京に生活の拠点を置かせてもらってますが、20年近く茨城と千葉の境目みたいな所で生活をしていました。

私が都会的側面と、田舎の側面の両方を兼ね備えているのはそれが原因です。
都会のいいところも、田舎のいいところも両方見てきました。
そして両者の良くないところもたくさん見てきています。

私は誰かから、あれせいこれせいと指示をされるのが苦手です。
答えがあることに対して、テンプレート化された保証付きのアプローチで取り組むことに情熱を見いだせないんですね。

だから学校だとか組織。
こういった場所とは相容れない存在だと自分でも理解しています。

そんな人間が社会で生きていくためには、自らのビジネスを所有するしか選択肢はありませんでした。

よく大学在学時からすでに起業していたという話をすると。「すごいですね!」みたいな反応をもらうことがある。
真実は真逆である。

そうせざるを得ない事情があって、止むを得ずに私は起業をしたのだ。
そして自分の居場所を最初に作った会社では定義できずにドロップアウトしている。
はみ出し者なんですね。

子供の頃は、自分はとても優秀な人間で、努力などしなくても良い結果を得られるのは当然と、疑いなく信じていました。
私は中学時代から、高校、大学(最初は短大に行った)、編入学と4回受験を経験しているわけですが、受験で努力した記憶というのがない。

普通のアプローチでは辿りつけない学校に推薦だとか、面接という、ハイリスクハイリターンな手法を使って無理やり入学することでインチキ突破してきたのです。

だから入学できても、自分の身の丈よりも高い知的レベルを持った人間ばかりが周りにいるから、ついていくのは大変でした。

昔の私の日記を読んでもらえれば、どこかで必ず書いていると思うんですけど、最終学歴が4年生大学卒業であればどこでもいいと本気で思ってました。

だから飯田橋にある有名な理系の夜間部に推薦を使って入学するのがベストだと高校の時に思って、実行しようと思ったけど教師と親に反対されて、短大に嫌々進学しました。

このことだけは、未だに不満で、短大行くぐらいなら、最終学歴が有名大学になる夜間部行ったほうが絶対得だったと思います。

まあ短大に行ったお陰で、屈辱を知って、別の大学に編入学して、アメリカ合衆国に短期間ながらも行くことができたので結果的にはオーライだったのですがね。

随分と遠回りをしてしまったわけです。

大学を卒業した時にすでに25歳だったので、最短で大学を卒業した人からは3年遅れ、高校卒業して速攻で働き出した人からは7年ぐらいの遅れ、専門学校をストレートで卒業した人からは5年ぐらいの遅れがあるわけです。

本当に時間をたくさん浪費して今まで来ています。

ただ物心ついた時からずっと一人で戦ってきたという自負が私にはあります。

もちろん望んでそうした訳じゃない。

俺だって同世代の女の子と仲良くなりたかったし、同じような目標を持って一緒に励める仲間がたくさん欲しかった。
でも学校やサークルの中じゃそういった存在を見いだせなかった。
様々な事情があって、心を開けなかったり、他人との間に強い乖離を感じていたのですね。

俺も同じだよって感覚。
あれが未だに理解できない。

「普通な人はそう感じるのか、だけど俺は。」
これが物心ついた時からいつもデフォルトでした。

昼間、ビュッフェ形式のファミレスで昼食をとったんですけど、今の仕事スタイルは基本一人での活動なんで、食事もいつも一人で食べるんです。

で、ファミレスとか行っても一人で4人がけの席とか陣取って食べるんです。

意識するわけじゃないんだけど、他のお客さんは一人であんまフェミレスなんて来ないから、他人の生活感がちょっとだけ垣間見えて、友達や仲間がいるのっていいなって思います。

工事現場で肉体労働に従事している人たちが、皆で集まって楽しそうに食事をしている姿。
すでに引退をしたであろう、老夫婦が仲良く食事をしている姿。
その横で、俺は一人。

自惚れと言えば、自惚れがずっとあったのかもしれない。
俺はしかるべき敬意を放っておいても得られる存在なのだと。
自分から動かなくても、誰かが自分との時間の共有を常に望むのだと。
自分は選ばれた存在なのだから、それが当然なのだと。

ずっとそう思って生きてたから、ある日を境にその前提条件が通らないことに強い戸惑いを感じるわけです。
何かがおかしいと。

どうしてこんな事になっちゃたのかなって思う時が今でもあります。

金儲けしてても、心が許せる人がいないという状況。
虚しいなって思ったりします。

俺の友達はお金だけなのかと。
こんな事するために生まれてきのかと。

否、少ないながらも心を許せる人はいた。
その存在の全てを俺は自らの選択で切り捨ててきたのだ。
高名な自分にはもっと適切な相手がいるのだと。

だからそのことに対して不満を言うことは許されないことなのだ。
自らがそう望み、実行してきた結果なのだから。

記憶の底にある、優しい思い出がまだ片隅に残っていて、それが俺に憧れを見せる。
自然体で振る舞って、誰かが自分を求めてくれて、誰かが自分を受け入れてくれる。
そして理解をされている状態。

それを手にするために俺がやらなければいけないこと。
答えはもうわかっている。
関連記事

コメント

コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

月別アーカイブ
カテゴリー別
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。