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29歳、最後の覚悟
本日、2012年4月15日付で29歳になりました。
とうとう20代最後の時が俺にもやってきた。
もうあと1年しか時間がないのかという思いと、ここまで追い詰められたからこそもうやるしかないという2つの気持ちでこの時を迎えました。
私はこの1年がラストチャンスだと思ってます。
敵を作りそうな表現をしょっぱなからしますが、人間一度30歳になってしまうと、もはや20代の頃のような爆発的な成長力、正しいことに耳を傾ける真摯な態度、ミニマイズされた利害関係、これらを全て失うと思ってます。
真に望む人生を手に入れたいならば、10代や20代から徹底的にもがいて、失敗もたくさんやって、損切りもたくさんやって、何度も何度も倒れて、潰されて、底辺まで落とされてどん底を経験して、それでも立ち上がる。
それを経験した人間だけがジワタネホに辿り着けると思ってます。
逆に超リスク高いのが、学校もまあまあ、サークルもまあまあ、会社でもまあまあ、結婚もできて、まああまの家借金して買って、まあまあ子供にも恵まれた、
だけど、
失敗経験や挫折、どん底を見た経験は皆無で、周りからはちやほやされて、放っておいても満たされてきた、リア充の象徴みたいな人です。
これは嫉妬と思いたいならそれでもいいけど、満たされ続けてきた人は現場に疑問を持ったり、不満を感じたりすることなんてないでしょう。
不満を持たなくなれば、今の自分を否定して新しいことになんて挑戦しないでしょう。
会社でもまあまあうまくいってるんだから、転職なんて考えないし、独立して自分のビジネスをやろうなんてまず考えないでしょう。
そうですよね?
だってすでに満たされちゃっているんだから。
それに対して非リア充。負け組は現状に不満を持っています。
こんなのは本当の自分じゃない。
毎日が悪夢。
不幸な学校生活。
不幸な結婚生活。
不幸な会社生活。
不幸な家庭生活。
乏しい交友範囲。
働いても働いても豊かさを感じられないラットレースみたいな生活。
もしかしたら異性からも相手をされないかもしれません。
あまりネガティブな言葉を乱用したくないけど、こういう現状があると思います。
なんでそんなことが言えるの?と申しますと、他ならぬ私が上記を象徴するような存在だからです。
まあ結婚とかはしてないなら一部は当てはまらないけどね。。。
私は現状にめっちゃ不満を持ってます。
29年も生きてきて、なんで特筆に値する結果が残せてないんだろうと思ってます。
なんで未だに労働に従事していて、いつでも引退できるぐらいの余裕がないんだろうと思います。
どうして中途半端な実績ばかりで自分を胸はって誇れないんだろうと思います。
どうして努力する機会を与えられながら、これほどまでにそれを破棄し続けてしまうのだろうと思います。
同時に、めっちゃ良かったなと思います。
こんなに不満を感じることが出来る自分が大好きなわけです。
矛盾してんのかこいつ?と思うかもですがマジです。
なぜならば、不満を感じるからこそ、何かの対策を取らなければいけないと思うし、対策を取るから失敗かもしれないけど結果が出るし、結果が出るからこそ学習ができるのです。
そして実体験から学習できる人間は成長をするはずです。
中途半端な人は、特別な意識をしなくても、まあまあ何事も通って、まあまあ満たされて、それでおしまいです。
そこから発展の余地がないと思います。
だってすでに出来上がっちゃってるんだから。
それはそれで羨ましいと思いますが、打たれる経験が得られないのは儚いなって思います。
ある日、周りの人から見たらそれほど大きな失敗じゃないけど、失敗経験がないがゆえに、ひどく打ち砕かれて、そこで終わりみたいな人がエリートには多いと聞きます。
そりゃそうだよなって思う。
今まで満たされて、リア充で、自分のやってきたことが通ってきた人に、失敗なんて概念は無縁でしょう。
疎外感、挫折感、喪失感、虚無感は全部未経験なんだから、初めてそれを経験したら戸惑うなんてレベルじゃないと思います。
だからこそリスクが高いと思うのです。
今、現状に強い不満を持っている人。
一緒にもがきましょう。
私で良ければ話聞きますよ。
就活やって苦しい人は、ES通るように指導するし、面接練習も受けてます。
OB訪問する人がいないぐらい孤独なら私がOB訪問の相手になりましょう。
同世代の人は、会社辞めたいとか、家族の悩みとか、あれば話してください。
私は母親を失い、友人が自殺をして、家族が崩壊し、心の拠り所とするものは全てを失いました。
正直、生きててもしょうがないかなって思ってた時期もあります。
でも今は生きたいなって思います。
必死に死ぬか、必死に生きるか。
俺は必死に生きていたい。
他人の人生を生きて、大衆の価値観に右往左往して、気がついたら歳だけ取って、何もできなくなってましたみたいのは嫌だ。
俺に1ミクロンでも共感してついてくる人がいるなら、その人達に何かを発信し、全てをさらけ出し、彼ら、彼女らが可能性をマキシマイズできるように一緒にもがこうと思う。
そしてその人達の人生に貢献をし、共に苦難喜びを共有し、俺達なりのジワタネホを目指していたい。
さらにそんな素敵な状態がずっと持続的に続いていればいいなと思う。
こんな私でも今年になって得た成功体験が一つだけある。
Twitterだ。
今私をフォローしてくれている人が安定4000人以上います。
Twitterで飾らない自分をさらけ出して、良くないところも全部見せて、それでもついてきてくれている4000人の人たちです。
その1割が私のTwitterを読んでいると仮定しても、400人を超える濃い人達と繋がれたことになる。
この人達は、誰かに強制されて私をフォローしたのではありません。
私のツイートやプロフィールを見て、自らの意思でフォローをしたのです。
これってすごいことだって思います。
だって俺は今まで、学校でもサークルでも、組織でもろくに相手をされて来なかった存在だから。
どこにいってもはみ出して、中途半端で、自分に自信を持てなくて、誰にも何も与えることができない人間だったわけです。
その自分が、今は影響力を発揮しているんです。
私がツイートしようものなら、リツイートがかなりの頻度でされます。
読んでいる人がいなければリツイートなんてありえないから、最初はビビりました。
もしかして俺、いけんのかと?
それで調子に乗って、自分をもう少し表現すると、やっぱりリツイートされたりお気に入りに登録をされます。
コメントはまだ少ないけど、読んでくれている人はそれなりにいるんだなーって思います。
この奇跡的な活動をもっと精力的にやりたい。
フォローしてくれる人を増やして、その人達に新しい世界を見せて、それが信じられるようにfactも見せていく。
factとは私ですね。
私という存在が大きく、美しく成功し、結果を出すことでそれが証明できると思います。
そうすれば私をフォローしてくれている人たちも夢が持てるはずです。
ああ、スティーブ・ジョブズが言ってたことは、アメリカの話だけではなくて、日本でも通じることなんだって信じられるようになるでしょう。
それがこの1年だと思うわけです。
29歳という最後のチャンスだと考えるわけです。
非リア充とは悲しいことでもなんでもない。
居場所がないのも悲しいことじゃない。
他人に認められないことも悲しいことじゃない。
今はまだ世界にそういう価値観がないだけ。
それを作れば、究極的に自分にとって持続可能な世界を創造できるはずです。
永遠のナギ節を作り出すことができるはずです。
何もないことこそが、最も可能性に満ちていて、ワクワク感があることではないかと思ってます。
全てがあればそこでおしまい。
別にこれはお金の問題だけじゃないです。
自分がどう感じるか?
これに尽きると思ってます。
キャリアも同じですよね?
内定が出なくて苦しい。
そうかもしれません。
でもなぜ就職するのかを考えたことはありますか?
別に就職をしなくてもいいわけです。
そういう選択もあります。
私は就職せずに起業をするという選択を選びました。
就職したほうが良かったかな?と思うこともありますが、自分にはできないことだし、何よりも持続可能じゃないことは絶対にやりたくないので、何度シュミレートしても、自分にはそれができない事情があったという結論に至ります。
まあ人間は過去の自分を色々と理由をつけて肯定したがるものだから、これは話半分ぐらいに聞いておいてくれていいです。
これから結果を見せて、証明すれば信じてもらえるはずですから。
結果出せんのか?って話ですが、私にもわかりません。
いけるんじゃないか?という仮説は持ってますが、それは検証してみないとわからないことです。
このブログやTwitterからも多くのことが派生していく可能性を感じるしね。
そのためにも、もっといい表現ができるように、文章力を高めないとダメですね。
文章力を高めるために、センスのいい文章にいっぱい触れます。
読書ですね。
本を沢山読めば読むほど、これが実現できる。
そう思ってます。
で、せっかく読んでそのまま、みたいなことが今までは多かったけど、これからはレビューってことで、感想文をブログにアップしていこうと思います。
レビューを書くためにはやっぱり考えるし、考えるってことは頭使うから、良い訓練になるかなーって思ってます。
そしてそれと並行して、本業も力を入れてやっていきます。
やりたいことや実現したいことは定義出てきているから、あとは実装化するだけです。
ここをもがきます。
ここまで書いてきて、結果がついてきてくれるといいなって思ってます。
旧態依然とした古い価値観の世界に生きているような人たちが文句言えない結果ですね。
ここまで書いちゃって何も結果が出せなかったら正直恥ずかしいから、良い意味でも追い込まれると思ってる。
結構、楽観的に今を見てたりします。
いけるんじゃないのーぐらいのノリだったりします。
一年後に、この記事を見る自分が何を感じるか。
どんな状態でその日を迎えるのか。
30歳の日を。
楽しみです。
とうとう20代最後の時が俺にもやってきた。
もうあと1年しか時間がないのかという思いと、ここまで追い詰められたからこそもうやるしかないという2つの気持ちでこの時を迎えました。
私はこの1年がラストチャンスだと思ってます。
敵を作りそうな表現をしょっぱなからしますが、人間一度30歳になってしまうと、もはや20代の頃のような爆発的な成長力、正しいことに耳を傾ける真摯な態度、ミニマイズされた利害関係、これらを全て失うと思ってます。
真に望む人生を手に入れたいならば、10代や20代から徹底的にもがいて、失敗もたくさんやって、損切りもたくさんやって、何度も何度も倒れて、潰されて、底辺まで落とされてどん底を経験して、それでも立ち上がる。
それを経験した人間だけがジワタネホに辿り着けると思ってます。
逆に超リスク高いのが、学校もまあまあ、サークルもまあまあ、会社でもまあまあ、結婚もできて、まああまの家借金して買って、まあまあ子供にも恵まれた、
だけど、
失敗経験や挫折、どん底を見た経験は皆無で、周りからはちやほやされて、放っておいても満たされてきた、リア充の象徴みたいな人です。
これは嫉妬と思いたいならそれでもいいけど、満たされ続けてきた人は現場に疑問を持ったり、不満を感じたりすることなんてないでしょう。
不満を持たなくなれば、今の自分を否定して新しいことになんて挑戦しないでしょう。
会社でもまあまあうまくいってるんだから、転職なんて考えないし、独立して自分のビジネスをやろうなんてまず考えないでしょう。
そうですよね?
だってすでに満たされちゃっているんだから。
それに対して非リア充。負け組は現状に不満を持っています。
こんなのは本当の自分じゃない。
毎日が悪夢。
不幸な学校生活。
不幸な結婚生活。
不幸な会社生活。
不幸な家庭生活。
乏しい交友範囲。
働いても働いても豊かさを感じられないラットレースみたいな生活。
もしかしたら異性からも相手をされないかもしれません。
あまりネガティブな言葉を乱用したくないけど、こういう現状があると思います。
なんでそんなことが言えるの?と申しますと、他ならぬ私が上記を象徴するような存在だからです。
まあ結婚とかはしてないなら一部は当てはまらないけどね。。。
私は現状にめっちゃ不満を持ってます。
29年も生きてきて、なんで特筆に値する結果が残せてないんだろうと思ってます。
なんで未だに労働に従事していて、いつでも引退できるぐらいの余裕がないんだろうと思います。
どうして中途半端な実績ばかりで自分を胸はって誇れないんだろうと思います。
どうして努力する機会を与えられながら、これほどまでにそれを破棄し続けてしまうのだろうと思います。
同時に、めっちゃ良かったなと思います。
こんなに不満を感じることが出来る自分が大好きなわけです。
矛盾してんのかこいつ?と思うかもですがマジです。
なぜならば、不満を感じるからこそ、何かの対策を取らなければいけないと思うし、対策を取るから失敗かもしれないけど結果が出るし、結果が出るからこそ学習ができるのです。
そして実体験から学習できる人間は成長をするはずです。
中途半端な人は、特別な意識をしなくても、まあまあ何事も通って、まあまあ満たされて、それでおしまいです。
そこから発展の余地がないと思います。
だってすでに出来上がっちゃってるんだから。
それはそれで羨ましいと思いますが、打たれる経験が得られないのは儚いなって思います。
ある日、周りの人から見たらそれほど大きな失敗じゃないけど、失敗経験がないがゆえに、ひどく打ち砕かれて、そこで終わりみたいな人がエリートには多いと聞きます。
そりゃそうだよなって思う。
今まで満たされて、リア充で、自分のやってきたことが通ってきた人に、失敗なんて概念は無縁でしょう。
疎外感、挫折感、喪失感、虚無感は全部未経験なんだから、初めてそれを経験したら戸惑うなんてレベルじゃないと思います。
だからこそリスクが高いと思うのです。
今、現状に強い不満を持っている人。
一緒にもがきましょう。
私で良ければ話聞きますよ。
就活やって苦しい人は、ES通るように指導するし、面接練習も受けてます。
OB訪問する人がいないぐらい孤独なら私がOB訪問の相手になりましょう。
同世代の人は、会社辞めたいとか、家族の悩みとか、あれば話してください。
私は母親を失い、友人が自殺をして、家族が崩壊し、心の拠り所とするものは全てを失いました。
正直、生きててもしょうがないかなって思ってた時期もあります。
でも今は生きたいなって思います。
必死に死ぬか、必死に生きるか。
俺は必死に生きていたい。
他人の人生を生きて、大衆の価値観に右往左往して、気がついたら歳だけ取って、何もできなくなってましたみたいのは嫌だ。
俺に1ミクロンでも共感してついてくる人がいるなら、その人達に何かを発信し、全てをさらけ出し、彼ら、彼女らが可能性をマキシマイズできるように一緒にもがこうと思う。
そしてその人達の人生に貢献をし、共に苦難喜びを共有し、俺達なりのジワタネホを目指していたい。
さらにそんな素敵な状態がずっと持続的に続いていればいいなと思う。
こんな私でも今年になって得た成功体験が一つだけある。
Twitterだ。
今私をフォローしてくれている人が安定4000人以上います。
Twitterで飾らない自分をさらけ出して、良くないところも全部見せて、それでもついてきてくれている4000人の人たちです。
その1割が私のTwitterを読んでいると仮定しても、400人を超える濃い人達と繋がれたことになる。
この人達は、誰かに強制されて私をフォローしたのではありません。
私のツイートやプロフィールを見て、自らの意思でフォローをしたのです。
これってすごいことだって思います。
だって俺は今まで、学校でもサークルでも、組織でもろくに相手をされて来なかった存在だから。
どこにいってもはみ出して、中途半端で、自分に自信を持てなくて、誰にも何も与えることができない人間だったわけです。
その自分が、今は影響力を発揮しているんです。
私がツイートしようものなら、リツイートがかなりの頻度でされます。
読んでいる人がいなければリツイートなんてありえないから、最初はビビりました。
もしかして俺、いけんのかと?
それで調子に乗って、自分をもう少し表現すると、やっぱりリツイートされたりお気に入りに登録をされます。
コメントはまだ少ないけど、読んでくれている人はそれなりにいるんだなーって思います。
この奇跡的な活動をもっと精力的にやりたい。
フォローしてくれる人を増やして、その人達に新しい世界を見せて、それが信じられるようにfactも見せていく。
factとは私ですね。
私という存在が大きく、美しく成功し、結果を出すことでそれが証明できると思います。
そうすれば私をフォローしてくれている人たちも夢が持てるはずです。
ああ、スティーブ・ジョブズが言ってたことは、アメリカの話だけではなくて、日本でも通じることなんだって信じられるようになるでしょう。
それがこの1年だと思うわけです。
29歳という最後のチャンスだと考えるわけです。
非リア充とは悲しいことでもなんでもない。
居場所がないのも悲しいことじゃない。
他人に認められないことも悲しいことじゃない。
今はまだ世界にそういう価値観がないだけ。
それを作れば、究極的に自分にとって持続可能な世界を創造できるはずです。
永遠のナギ節を作り出すことができるはずです。
何もないことこそが、最も可能性に満ちていて、ワクワク感があることではないかと思ってます。
全てがあればそこでおしまい。
別にこれはお金の問題だけじゃないです。
自分がどう感じるか?
これに尽きると思ってます。
キャリアも同じですよね?
内定が出なくて苦しい。
そうかもしれません。
でもなぜ就職するのかを考えたことはありますか?
別に就職をしなくてもいいわけです。
そういう選択もあります。
私は就職せずに起業をするという選択を選びました。
就職したほうが良かったかな?と思うこともありますが、自分にはできないことだし、何よりも持続可能じゃないことは絶対にやりたくないので、何度シュミレートしても、自分にはそれができない事情があったという結論に至ります。
まあ人間は過去の自分を色々と理由をつけて肯定したがるものだから、これは話半分ぐらいに聞いておいてくれていいです。
これから結果を見せて、証明すれば信じてもらえるはずですから。
結果出せんのか?って話ですが、私にもわかりません。
いけるんじゃないか?という仮説は持ってますが、それは検証してみないとわからないことです。
このブログやTwitterからも多くのことが派生していく可能性を感じるしね。
そのためにも、もっといい表現ができるように、文章力を高めないとダメですね。
文章力を高めるために、センスのいい文章にいっぱい触れます。
読書ですね。
本を沢山読めば読むほど、これが実現できる。
そう思ってます。
で、せっかく読んでそのまま、みたいなことが今までは多かったけど、これからはレビューってことで、感想文をブログにアップしていこうと思います。
レビューを書くためにはやっぱり考えるし、考えるってことは頭使うから、良い訓練になるかなーって思ってます。
そしてそれと並行して、本業も力を入れてやっていきます。
やりたいことや実現したいことは定義出てきているから、あとは実装化するだけです。
ここをもがきます。
ここまで書いてきて、結果がついてきてくれるといいなって思ってます。
旧態依然とした古い価値観の世界に生きているような人たちが文句言えない結果ですね。
ここまで書いちゃって何も結果が出せなかったら正直恥ずかしいから、良い意味でも追い込まれると思ってる。
結構、楽観的に今を見てたりします。
いけるんじゃないのーぐらいのノリだったりします。
一年後に、この記事を見る自分が何を感じるか。
どんな状態でその日を迎えるのか。
30歳の日を。
楽しみです。
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