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敷居の高さ

人生経験が豊富な人から見れば何を言っているんだろうと思うのもしれないけれど自分が感じていることを今日は書きます。

この国では普通に生きることがとても敷居が高いのではないか?という問いかけを今日は書いてきます。

俺たちは生まれて普通に育てば中学までは義務教育ということで普通に生活をして学校に通っていればいいけれど、高校の進学あたりから受験をして他人と競うわなければいけない生活になる。
早い人はこれを小学校だとか中学校で受験をして競争社会に入っていく。

俺の場合は中学からそういった生活が続いていたんだけれど、この競争システムでは負けることが許されない。
負けてもチャレンジすればいいというのはあるんだが、それができるのは実質的に大学以降で、希望の中学や高校に進学出来なかった者は妥協を強いられ、不満を少なからず感じながら競争社会に身をおく身分に甘んじなければならない。

それでも普通に通って、最低限の勉強をしていれば高校ぐらいまでは卒業できなくはないと思います。
仮に出来なくても高卒と同等の資格というのがあるわけで、これを取得すればいい。

問題は大学以降。
無名の大学や有名な大学に進学をしても、学問への取り組みはもちろんの事、インターンだの、アルバイトだの、サークル活動だの、留学だのやって成果を上げなければいけない。

それでようやっと卒業も迫ってきたかなと思えば就職活動で超絶的な椅子取り合戦を強いられる。
これに敗れたものは劣悪な労働環境や劣悪な雇用関係、アルバイトや無職といった身分に甘んじなければならない。

無論そういった道を避けて起業をするという選択肢もある。
しかし起業をして長期的に成功して生き残っていける確率は1000分の1と極めて低い統計がある。

そしてこういった環境で敗れた者に社会の目線は冷たい。
負け犬、身の丈に合ってないことをした勘違い人間などと烙印を押し再起不能にする。

普通に真っ当な会社に就職するだけでも大変なのに、そこから溢れないための努力やら、就職した後もキャリアアップ、出世と心が休まる隙がない。

いったいいつになったら余裕を持って他人に優しさの一つも見せられるようになるんだろう?
そんな思いを感じている人が今は増えているんじゃないか?

人は余裕がなければピリピリしてしまい、他人に優しさや慈しみを振る舞えなくなってしまうと思う。
今の時代は誰も彼もが余裕がなくて苦しんでいる側面が増えているように見える。

それで仕事をするようになってキャリアも積んだ頃には、結婚しろだの、子供を作れだの周りからのプレッシャーがのしかかる。
悪いことにはこれは生物学的に見て一定年齢までに結婚をして子供を作らないとリスクが高まるという統計が出ているために反論しにくい圧力なのだ。

そこで家族はいつか築きたいと思う人ならば誰かと付き合って、結婚しようとも思うのだが、ここでも競争。
いい女から売れていって年齢が経過すればするほど、いい女の母数は減り、ますます結婚しにくくなる。
若い女の人を狙おうとも思えば少子化でこっちも母数が減る有様。
一体どうしろというのだ?

資本主義の本質が椅子取りゲームとするならば後出の者ほど不利になるという図式が成立をする。
そうだろう。
いい椅子からどんどんなくなっていくんだから、後から出てくる人程、優位性を強くしないとマシな椅子を奪えない。

でも誰も彼もが優秀で自己練磨に長けている人間ばかりじゃないだろう?
中にはもう少しゆっくりとしたペースで歩きたい人だっているよね?
他人と同じ時期に同じようなことを誰も彼もがするのが幸せと定義されたらたまったもんじゃないよ。

だけど現実がそれを許さない。
夢を持って前向きにチャレンジングをいつだってしていたいと思うが、時々この事を考えてなんともいえない閉塞感と言うか重たさを僕は感じる。

日本の仕組み事態はそれほど悪くないのに、そこで普通に生活をすることはやたら敷居が高い。
特定の地域に仕事が集中しすぎているし、家は狭くて車2台とか3台とかなかなか持てないし、プールなんてついてないし、庭もおまけ程度な広さだし、ガレージはないわで住居環境もイマイチだ。

失われた10年だか20年だか知らんがもううんざりだ。
政治のせいにも国のせいにもするつもりはないが、そろそろ誰もが希望を持って生きられる社会になってもいいんじゃないか?

尊厳を持って生きていたいんだ。
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