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自信を見失いそうです

厳しい経験や辛い環境から逃れて一時的な安楽を手に入れる生活をずっと続けてきてしまった代償を今痛感しています。
生存力を高めるために取り組むチャンスは今まで何十万回とあった。
だけど俺はそれを全て破棄してしまった。

もはやその積もり重なった偏りを正すことはできないけれど、偏りの中から生まれる強みを生かして生存する方法を模索するしかない。

”人生は何度でもやり直せる”という言葉がある。
今が本当に最後の最後のチャンスと思いもがいていきたい。

今俺個人がちょっとだけ後悔していることをいくつか紹介。

1,学問の世界で興味の持てることを見つけられなかったこと。あるいは見つけてもそれにチャレンジしなかったこと。

高校の時に進路を決める時に、まあ文系の学部に行っても良かったんですけど、なんとなく名前が通っている大学でかつ入学難易度がそれほど高くない夜学がいいんじゃないかと思いました。
実社会との関わりとアカデミックな世界のバランスが取れている分野がいいと思い、経営工学なんていいんじゃないかと考えました。
そしてそれを担任の先生に話したら、夜学なんてダメだの一言でかたされて、そこでどうしても行きたい意思を親にも先生にも表明すれば良かったのにしなかった。

結果、付属の大学で自分が入学を許可された所に行きたくもないのに入学をしてだらだら過ごして半年卒業延期。卒業はできたものの、この時点で大学で学ぶモチベーションみたいのはかなり欠如してしまっていた。
高校で物理学を学ばなかったことや、数学に真剣に取り組まなかったことからシリアスな理系の世界は自分には厳しいと自覚し始める。

当時は人間工学に興味がありそれを学べてかつ短大から編入学出来る大学ってことで探していたんだけれど、本当に真剣に探したわけではなく、コンピュータが好きであることと入学難易度がそれほど高くないという条件で情報系の学部を選択。
試験を受けたら入学難易度は高くない大学だから合格してしまう。

結果論だが編入先の大学に行ったことは自分にはとても良い経験。
学問への情熱はそれほど高めることが出来なかったが、この大学のおかげでアメリカにも行けたし、語学だけは反応値を少しだけあげることができた。
それを実務の世界でも使いたいと思って就職活動をしたけれども、結果は自分の思った通りには運ばず、今に至ってる。

もう一度やり直せるなら高校ぐらいまで戻って、少なくとも一つの教科だけは真剣に取り組んで結果を出したいと思う。それは数学でも英語でも国語でも何でもいいのだが、1つだけでも秀でるような経験を持つことが出来ればそれを自分の中で自信に昇華していくことができると思うのだ。

今の自分は自分に自信を持てない人間になっている。
これでも少しは昔に比べるとマシにはなってきているのだが、挑戦をしなさすぎたこと、楽をしすぎたことがアダになって響いてきている。

働くようになってからはそれなりに挑戦をして自分を高めたいと思ってやってきたが、気がつけば今の生活がこれからも続いていけばいいのかな、生活には困らない範囲で身の丈にあったことをやっていこうなどと保守的な考えに戻って同じようなことを繰り返している自分がいる。


2,恋愛に積極的でなかったこと

結婚なんてしなくてもいいや、見合いがあるしぐらいに思っていました。
素晴らしい人達は何十人、何百人といたはずだが彼女らに自らアプローチをする努力を全て破棄してしまった。
恋愛経験が少ないことを自分は草食系だからと正当化することができないと思う。
少なくとも結婚をするためには女性と付き合わなければいけないのであり、恋愛をしたくなくても結婚をしたいと思うのなら女性との付き合いは何かしらの形で必要というものだ。

身も蓋もない書き方をしてしまうと、人もモノもサービスも良いものから売れていくわけであり、結婚をしたいと思っているのに結婚できていないということは何かしらの品質的なところに問題があるわけである。
俺はまあ客観的に見ても素人向けではない、自虐的に見ても玄人向けの人間だと思うので、まあ売れ残りやすい男なんだろう。
それで売残ってしまった人間同士を強制的に接点を作って結婚させようとする試みが見合いなわけなんだけど、これは嫌がる理由がわかる気がする。

無論見合いで幸せになれるケースも多々あると思うが、入り口の所でこの人ちょっとなぁみたいな者どうし、少なくとも男性に限って言えば自分で女の人を見つけられない人間が出てくるわけだから抵抗感を持つのは自然な反応だろう。

俺もこのままだらだら歳だけ取って見合いをすれば結婚できるのかもしれないけれど、今のままじゃ相手がかわいそうだ。
金も稼げない自立してないおっさんと誰が結婚したがるだろうか。

3,本当の意味で友人をあまり大事に扱ってこなかったこと

友人というのは放っておいても自分の相手をしてくれる存在という勘違いが幼少時代に築かれていました。
幼少期に育った地域は本当にいい奴らばかりで陰湿ないじめの話も聞いた覚えがない。
皆仲が良く、過ちや苦手なことがあってもそれに理解を示した助けあうような風土が自然にあった。
それが当たり前だと勘違いをしてしまった。

そういった素晴らしい環境があったのは彼女、彼らが慈しみの心で他者と接してくれていたからであり、それは自分の人間性だとか実力によってもたらされたものではない。

それを知らずに中学に進学をして、他人との付き合いで苦しみ、逃げるように高校受験をして高校に進学をしたけれど友達はそれほどできなかった。
それを周りのせいにしてしまい、自分が彼らに歩み寄り理解されるための努力をしなければいけないという当たり前すぎるステップを破棄してしまった。

その代償は今孤独という形で払っている。
もちろんこんな状況になっても理解をしてくれる人や友人はいるのだが、それでも交友関係は極めて限定的と言わざるを得ない。

4,自分を好きになれる努力、愛すための経験、自信をもつためのプロセスを避けたこと

上記3点に共通することは、こうありたいという姿があってそれに対してアクションを起こす機会は何度もあったということです。
しかし俺はそれらを全て破棄してしまった。
結果として今の自分がある。それを誰かのせいにすることはできない。自分でこうなることを選んだのだから。

これから俺は少なからず なりたい自分になるためにどうすればいいのだろうか。
少なくともまだ俺は自分を諦めてはいない。
ひどく落ち込んで入るが人生を破棄したわけじゃない。
まだ何かできることがあるはずだ。まだもがけるはずだ。ドアを叩いて中に入れてもらうことが出来るはずだ。
そう信じてる。
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大丈夫、俺は味方だから。お互い頑張ろう
ありがとう。
腐らないで取り組んで行きましょう!

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