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日本の田舎と海外の田舎の違い

なんか最近つくづく俺は日本の田舎が好きになれそうにないと思うようになった。
引退して田舎でゆっくりと暮らすみたいなことを聞くが正気か?って思う。
冒頭からネガティブで恐縮だがその辺りのことを考えていたら記事にしたくなった。

そいで俺が行った米国の田舎町と、日本の田舎町の違いなんかをちょっと今日は考えてみたい。

日本の田舎町の定義は、関東圏でもベットタウンみたいなところで何もありませんって所も田舎って定義します。
変化や流動性に乏しく、よくも悪くものどかな場所って呼ばれるようなところ。

俺が見てきた日本の田舎
-いい人が多い。根っからの悪人みたいな人は少ない。
-コミュニティのイベントへの参加を促される。それに対して断るという選択肢が用意されていないケースが多い。
-隣人との距離がよくも悪くも近い。監視しているような人がいる。
-他人の事情に干渉してくる人がいる。それを正義だと思っているのでちょっとタチが良くない。
-話題に多様性が乏しいように自分は感じた。他人の噂話、誰が何でいくら儲けた、どんな車にのっている、子供がどこの大学に行った、誰がどの女と寝たとかお下品な話が多い気がする。
-時間の流れがゆっくりで静か。
-タバコ人口が多い気がする。
-娯楽が物理的に少ない。コモディ化してるような娯楽しかないのでマイノリティには結構キツイ。
-上昇志向が強い人は都会に出ていってしまうので、結果として上昇志向が強くない人が残りやすい。
-実は物価が高い。
-治安が良くない。
-水が美味しい。空気がきれい。

俺が見た海外の田舎町
-娯楽は日本以上にない。大学のキャンパスとかそうなんだが勉強以外にやること皆無。それが良かったりするわけだが、本当に娯楽ありません。自然が豊富なところだと、ロッククライミング、自転車、冬はスキーみたいのが出来ます。そういった娯楽を楽しむための道具類も売ってます。俺は自転車が好きなんで米国の自転車専用道路が標準で公園に用意されているのはかなり感動した覚えがある。
-物価は普通。大量消費大量生産社会が浸透。日本よりは高いように俺が行ったときは感じた。
-治安は格差が激しく、家賃で決まる。スラム街ってのが本当にある。日本にもスラムっぽい所が都会や田舎に関係なくあるがそういうのとはちょっと次元が違う。立ち入るのがシリアスに危険な感じ。
-田舎だから不利という側面が日本と比べると少ないように思う。田舎だから仕事がないとか、多少はそういう傾向があるけれど仕事の選択肢も多くて転職も当たり前。流動性が田舎でもちゃんとある。
-コミュニティへの参加をしたければすればいいし、嫌ならばしなくてもいい。選べる。
-隣人との距離をきちんと調整できる。親しくしたければ家に招いて食事を一緒にする。

海外の田舎町ってのはまあ米国なんで他の国よりも多様性があるのは当たり前かも。
あの国は移民の国で外国人であることを許さないという特殊な風土があります。
街を歩いていても今何時?とか現地人じゃない俺でも平気で聞かれます。
図書館はどこだ?と車を止めて聞かれたことあります。ごめんわからないって答えたけれどあれにはびびった。アジア人である俺を地元人として他のアメリカ人と完全に同等に捉えている。それは嬉しくもあり、戸惑いもある。

こういった印象を持った上で海外の都会ってどんな所かってのを論じられるといいんだが、海外の都会って行ったことないんだよなぁ。
あえていうならシンガポールとか香港か。
ただ子供の時の話で10年以上前だから今とだいぶ事情も違うだろう。
夜のネオンがやたら綺麗だったことぐらいしか記憶がないw

日本の都会に限っていうと、これは関東だけの話じゃないんだがアメリカの田舎町のいい所プラスαで多様性は日本は単一民族なんで負けるけれどそれ以外はかなりいい感じだと思う。

来る前に思っていた、物価が高くて治安が悪いってイメージは住んでみて180度転換した。
高い店もあるがどこの店がどういった商品に強いとか特徴が分かってくると田舎よりも安い物価水準で生活が出来る。

治安も田舎にいたときは自転車が盗まれたり自家用車にへんないたずらをされたりってことが何度もあったが、東京に越してきてからそういうの一度もない。
隣町の地元よりかは治安レベルがやや落ちるところに自転車を置き忘れたときに翌日に取りに行ったらパンクしてたってことがあったがそれぐらい。

人付き合いは田舎特有の密度の高い付き合いがどうしてもダメだった俺からすると都会の人付き合いはかなり安心感がある。
大学に行ったことのある人は気の合う仲間と付き合う時間が増えていくのを実感したと思いますが、大学以降のコミュニティみたいな感じです。
好きな人と付き合って苦手な人とは無理に付き合わなくてもいい。選べる自由があります。

話題も嫌いな人に無理に合わせてわかりやすい話題(他人の噂話やら、テレビの話とか)みたいのをしなくていいんでかなり気が楽。
政治の話したければ政治の話するし、歴史の話をしたければ歴史の話をする。
もちろん自分や話し相手が望めば他人の噂話ってもやるんだが、田舎のネチネチした噂話とはちょっと違う。
「この間会ったときは相変わらずトレーニングに打ち込んでいるみたいだったよ。」「へーあいつ相変わらず向上心高いんだなぁ俺も負けてられんなー。」みたいな前向きな噂話が多い気がする。

個々人の中には都会的なセンスみたいのがあるのかなぁと思っていて、それは田舎に住んでいてもそれを兼ね備えている人とそうでない人に分類されるのではないかと感じてます。
これは結構都合のいい解釈だけど、俺は都会的なセンスに惹かれるところがあって、もちろんそれはコンプレックスもあるんだろうけれどすごい好き。

もちろん都会にはいい人もいれば悪い人もたくさんいるわけで、都会の良くないところに疲れて田舎に戻って行く人もいるのも事実。
俺は都会的センスを持っている人といい感じに少数ながらも付き合えて、彼らとの付き合いがすごい心地良く思えたのでこれからも都会で生きていきたいと思ってる。

今の仕事にしても田舎にいたら多分やってないと思う。
周りから何をやっているかよくわからんあやしい人みたいな監視がついて田舎だとすごいやりにくかったと思うんだ。

田舎だと既存の価値観みたいのは絶対的で新しい価値観は認められにくいし、脅威的にさえ扱われるのではないか。
これは田舎をかなりネガティブに捉えているけれど大げさではないと思ってる。異質に対する寛容さ、遊びの要素がとにかく田舎は低すぎると思う。
(だからすぐに過疎るし、特定の産業や業種に依存をする流れみたいのができてしまうのだと俺は思うな。)

都会だと新しいことや珍しいことに対する抵抗は少なくて、そもそもよくも悪くも自分の打ち込んでいることに全力投球みたいな人が多いんで他人が何をやっているかにまで干渉するほど暇な人もいない。
なので各々がやりたいことに全力で取り組めるし、そのことに対してゴチャゴチャ言ってきてやりづらいってのがない。少なくとも俺はそう感じてる。

経済的な事情で地元がたまたま田舎でそこに留まらざるをえないって人もいると思う。
あらゆるつてを使って都会に一度出てみて生活してみたら救われた!って人もたくさんいると思う。
俺はそう。
都会で生きる喜び、自然体で付き合える人と出会うことができた。

田舎で生きながらにしてぬるま湯でじわじわと煮こまれて緩やかな下落曲線を描くよりも、都会の可能性と多様性に賭けてみるのはどうだろう。
なんか田舎をボロクソに書いてしまっているが、もちろんいい所もあると思っています。
俺自身が田舎出身、田舎育ちなんで両方見て経験した上で話しています。

俺が言いたいのはなんか仕事はないわ、娯楽はないわ、多様性はないわでしんどい思いしているんだったら都会に出てきたら?って提案なんです。
それで都会もだめったら地元に帰ればいいじゃないかと。
田舎だけしか知らないで死んでいく人生よりも都会も知った上でどちらかを自分の趣向にあわせて選んでやったほうが結局のところHAPPYになれるんじゃないかって思う。
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