• 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

連休前に考えていたこと

今日も重めのテーマです。
読みたい方だけお付き合い下さいませ。
俺の中での危機感や価値観というのが相乗をしてここ数年はこういったことばっかり考えている。

小手先のテクニック的なことはグーグルの検索で今はもう概ね解決をされている。
俺達の世代が強いられた、あるいは甘んじて受け入れてきた詰め込み型の記憶偏重の知識には今はあまり価値はないと思っています。

他人が築きあげてきたもので解決されている分野があるならば俺はその枠組の外を考察しよう。俺が最近書いていることはもっぱらそんな感じのコンセプトです。 忙しさは善、労働量は多ければ多いほど良いという価値観。

俺の青春時代ってのは90年代前半から中期にかけてなんだけど、今振り返ると当時も不況とか景気が悪いとか言われてたんだよね。
今の若い人は信じらられないかも知れないけれど、そんな時代でもCDが200万枚とか売れてました。
今はネットの普及もあって個々人の趣向が分散をして多様化したせいもあって音楽が唯一絶対の趣味ではない人も多いと思います。

そいでこの時代はまあ俺の親なんか本当にそうなんだけど家庭を省みずに仕事に自分の人生のリソースをマックスでつぎ込む人が多かった。
仕事が趣味とか信じられない人もいると思うけれど、それぐらい仕事に注力をしている人がたくさんいました。
それで結果が出て給料も上がって出世もして、皆がそれなりの豊かさを得られていたのがこの時代でした。
なのでモチベーションも維持しやすかったと思う。

ところが経済的な成功の側面には負の側面といって犠牲にしてきた歪が発生するようになっています。
家族崩壊であったり、子供の非行であったり、病気であったり、これらは偶然のように思われているかもしれませんが、かなりの精度で経済的な成功と相関があって起きている事象です。

で最近はじめて知ったんだけど、この時代ですらすでに日本は成熟社会みたいに捉えられていたらしい。
らしいと書くのはyoutubeで動画をダラダラ見ていたら偶然以下の動画を発見したからです。



動画見て思うのはこれって今の時代に撮影されても全く違和感ないし、むしろ今の日本ではこういうケースが多発しているのではないかって感じがする。

誤解しないで欲しいんだが、自分が情熱を注ぐことのできる仕事に従事すれば仕事は楽しむことは充分に可能です。
動画で出てくる人もむしろ仕事は楽しくてしょうがなくてかなり打ち込んだ感じの人だと思う。

おもしろい事にもっと注力をしたいという欲望、現実レベルでの体の反応が追いつかない問題。
これの解決策はただ一つ。何事もバランスと考えほどほどにしておけってことだ。
このほどほどって感覚が難しい。。。私も一時期仕事がおもしろすぎてかなりのめり込んでやっていたがある日このペースだと年令を重ねると続けられなくなることに気が付き、別の形での持続可能性を今は模索している。

豊かさを手に入れた人は次に注力すべき分野というのは何のか。
これが今から15年以上前からすでに問題提起されていたのならば未だにその答えは見出されていないことになる。

学生時代にこんな思いを持っていたのを思い出します。
”生きるために働く、働くために生きる。そんな生活は嫌だ”。

俺はこの答えなきテーマを死ぬまで問い続けていたい。
なぜ生きるのか?
なぜ働くのか?

そしてこれからの未来で、なぜ他人を愛すのか?というテーマも考察できる立場になれればいいなぁとここ2週間ぐらいで考えるようにもなりました。

そいでまた別の動画の紹介でっす。



微妙に俺の世代の曲じゃない。
俺より一回り上の人達の世代かな。
けどいいですね、この曲。

勝ち続けなければいけないってのは弱肉強食の資本主義の本質でもある。
勝ち続けて生き残ったものが次の世代に何かを残せる。
弱いものは淘汰をされ、居場所を失い妨げられる立場に甘んじる。

であるならば俺もまた勝ち続けなければいけないのか?あるいは別のアプローチがあるだろうか?

勝たなくたっていいじゃないか、競争なんてしなくたっていいじゃないかって考え方もあると思う。
だけど資本主義の世界では勝ち続けなければ持続できないし、競争するから明日も生きていける力が生み出されていきます。

このなんともやるせない気持にさせられる側面。
重たくてしんどい側面。でも時に美しい一面。

俺は資本主義の仕組みを利用してご飯を食べている立場に生きている。
だから資本主義を支持しているし、それによって自分の幸福が満たされているというのを毎日感じています。
同時に俺は知っている。俺の幸福の実現に誰かの犠牲があることを。

すべての人が笑って生活できるという世界は残念ながら存在しないと思っています。
そうなれば最高だけど現実がそれを許せない。
幸福というのはおそらく稀少価値があるもので、簡単には手に入れることは出来ないものだからこそ幸福なのだと思います。
もちろん日常の何気ない一面が幸福というのも事実なのだが、それだけでは人は生きていけないのも事実かと思います。

もう気がついている人もいるかと思いますが、
挑戦、(嫌いな言葉だけれど)努力、忍耐、論理性って概念は全て資本主義で生き残っていく上で重要な要素でしかない。
そして今の日本は、ここ20年の日本は資本主義へのシフトがどんどん進んでいってアメリカみたいになってきているのだと思う。
だからこそ格差がどんどん大きくなって上位10%の人が富の90%を独占するなんてのが現実になってきている。
いわゆる勝ち組、負け組ってやつです。
この言葉は嫌いなんだが、表現としてわかりやすいのであえてここで使います。

こういう世界になると人はその生存のために勝ち組に入るためにどうすればいいか、あるいは負け組にならないためにどうすればいいかを考えるようになるのではないか?というのが俺が今持っている仮説です。

このグループに分けて自分の立ち位置を比較するということは、俺がいつも言う”他人と自分の比較””で、この思考の流れにはまるとかなりの確率で不幸に陥ると俺は思っています。

俺は言いたい。実現が難しくても勝ち組という枠組みに固執しなくてもいいじゃないかと。
自分が納得していること、取り組みたいこと、取り組むべきことをやればいいじゃないかと。

それでご飯食べられますか?って聞かれると返答に困るんだけど、少なくとも死ぬ時に何を感じるか?は随分と変わってくるのではないかと俺は思う。

俺はここ3年でやりたいと考えていことを次々と実現してきました。
正直この速度で自分の思い描いてきたことが実現するってのは考えてなかった。
だからそれに驚くとともに感謝をするし、時流が良かったんだろうなぁって思う。

たまに勘違いされるんだけど、俺が優秀だから思い描いてきたことが実現できたんじゃない。
たまたま時代が良くてその流れに乗って自分の取り組むべきことに取り組んだら成果が出たってだけで、これが10年前だったら無理だし、逆に10年後でも無理。
俺の境遇と環境、俺の年代であったからこそ可能な側面も多い。
つまりは様々な偶然が重なって現実になっただけであり、端的に言ってまぐれだと言う事。
ここを勘違いしてはいけない。

そいでこれから先の未来をどうしたいかってのも次々と考えていかないと明日へのエネルギーが生まれないもんで、嬉しいような寂しいような、贅沢な悩みを持っています。

最近のもっぱらの関心は、心の拠り所というか、走り続けるのはしんどいから精神的な側面だけでも安らぎを感じられる場所、関係を築けるようになりたいって事かな。
もっとわかりやすく書くと、それはやっぱり家族って存在なんだと思う。

ひとりで暮らすのは最高に気楽でやりたい放題で、若い今はそれを楽しんでいるけれど、一定の時が来たら俺も孤独に今以上に苦しむのかな?って恐怖が実はある。
それから逃れるためには孤独に苦しまない精神的な支えになる存在というのが必要になると考えています。
現時点の俺はそれに伴う犠牲を受け入れる覚悟が持てないので当面は現状維持だろうけれど、一定の時期、それはいつかわからないけれど意識しなければいけない時が来るのは間違いない。

他人と付き合う苦痛、他人と付き合う術、それがこれから先の重ための研究テーマだな。
やりたくないけど生き残っていくために必要なスキルなので、じっくりと取り組んでいきたい。
20年以上にわたって解決できなかった課題だから一筋縄に行かないのはわかってるよ。
でもこれに俺は挑戦しなければいけない。

こんなことをここ1週間は考えておりました。
関連記事

コメント

コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

月別アーカイブ
カテゴリー別
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。