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28歳になった

今日付け(15日)で28歳になりました。
30歳になるまでもう俺には時間がありません。
残された時間で劇的な成長を遂げ、成りたい自分、変えたい自分を克服しなければ一生ダメ人間として生きていくことになります。

俺の中での強迫観念として、

1,30になると性格はもう治らない。成長速度も20代と比べて著しく鈍化する
2,田舎で生活し続けると人としての成長速度が一定時期を堺に止まる

というのがあります。

なぜ?根拠は?って聞かれても、ありませんとしか答えられません。
極めて個人的な考えであり、断定的な範囲で感じている統計的な感覚です。

田舎というのは日本と置き換えるとわかりやすいのかもしれません。
日本はいい国なのですが、なぜいい国なのかを日本でしか生活した経験しかないと理解出来ないと思います。
もちろん本や人から聞いた話で日本がいかに素晴らしい国なのかというのを感じることはできるのですが、自分の目と体で体感した経験がないと心のそこから腑に落ちて、日本はいい国だと確信はできないと思うんです。

ここでもう一度、日本を田舎に置き換えてみます。
生まれ育った地域に愛着を持ち、そこで一生を過ごしたいと思う事。表面的に見れば何かとても素晴らしいことに思えます。
でもその地域のことしか知らなければ、その地域がどんなオリジナルの特性を持っていて、あるいはどんな強みがあって、弱いところはどこなのかを理解することが出来ないと思います。

それと成長にどのような相関があるのか?という話ですが、つまりこういうことです。

ひとつの場所や観点から物事を見ることができなくなる → よくも悪くも偏る、あるいは時代の流れや変化から乖離しやすくなる → 多様性に富んだ今の時代ではそれは逆ざやになりやすい → それを知らずに生活を続ける = 現状維持 は緩やかな衰退を意味する → 田舎で生活し続けると成長が鈍化、あるいは止まる

かなり無理やりなこじ付論なのはわかってる。

でも俺にはあれだけ優秀だった友達や先輩の活躍が聞こえてこないのが不思議でしょうがないんだ。
あんなに成績が良くて、スポーツも出来て、女の子にも人気があったのに、実社会に出た途端にかつての活躍や栄光が止まるのはなぜなんだろう?とずっと思ってきました。

人間30にもなればそろそろケジメをつけなければという思いから結婚をする人も増えてきます。
でも確かなビジョンも持たずに結婚に走り、離婚をする人もたくさんいるのは知っている人も多いと思います。
そして離婚には精神的苦痛だけではなく、金銭的な苦痛も伴います。
現実的すぎて申し訳ないのだが、結婚はハイリスク・ハイリターンなトレードだと思ってます。

それで現実に気がついたときにはガチガチに利害関係に固められていて身動きが取れなくなっていたなんてことになればシャレになりません。

どんな時でも自分の可能性を最大化していたいと俺は思っています。
日本で生まれたからと言って別に日本で働かなくてもいいと思うし、日本で死んでいかなくてもいいと思ってる。

誰もあなたに日本で生活してくれと頼んでいないですよね。誰もあなたに日本で働いてくれと頼んでいません。
でもこれを読んでいるあなたは日本で働いて生活をしている人が多いと思います。
当たり前すぎて考えたこともなかったかもしれませんが、一度なぜ日本なのか?なぜこの国で働くのか?というのを考えてみてもいいのかもしれません。

俺は明日自分の能力と可能性を最大化出来る場所が、外国の聞いたこともない場所にあると知ったなら飛び込んでいきたい。
日本が好きで、日本で今は働くことに喜びのようなものを見出していますが、それに固執をする必要はないと思ってるんです。

誰も俺に日本で働いてくれなんて頼んでいない。誰も俺に日本で生活してくれなんて頼んでいない。誰も俺に東京で暮らしてくれなんて頼んでいない。
でも俺はここにいる。なぜなんだろう?

この問いかけは4年前ぐらいから言葉は違えど表現し続けてきました。
手前味噌で恐縮ですがこの問いかけ、個人的に100万ドルの問いかけだと思っています、に30になる前に気がつけた自分は幸運だと思っています。

この100万ドルの問い掛けを自分に投げかけたときに思考はガチガチに固まり、パターン化とも言うべきルーチンに同化してしまったようなメンタル状況では手遅れです。
あるいはマイルストーンのような頭にガツンとくる経験があればまだ変化も可能かもしれませんが、利害が複雑にでもなっていようものならば、フットワークも錘をつけた象のようになってしまうでしょう。
俺はそういった状況になっていたくないと強く思っています。

生意気な書き方ですいません。
でも数年前からこういったことを表現し続けて蓋を空けてみたらかつての自分が成りたいと思っていた自分、ありたいと思っていた姿は全て現実化していました。
そして今俺は自分の可能性を最大化して、マキシマイズされたレバレッジをかけて有りたい未来を追求しています。

うさんくさい宗教みたいになってまいりましたw

少年の頃抱いていた怒り、子供の頃軽蔑をしていた大人。
そんな経験があなたにもあるのではないのでしょうか。

俺は周りを憎み、自分の境遇を憎み、全てを怒りの対象にすることでエネルギーをまき散らしてある時まで生きてきました。

それに伴う代償は現在進行形で払っていますが、ある日を境にこのパターンを辞めようと決めました。
周りを愛し、自分の境遇を受け入れ、全てのエネルギーを前進方向に向けることに決めました。

かつての自分が今の自分を見たときに何を感じるのかちょっとドキドキしながら考えたりします。
でも俺は軽蔑していた、他人にルールを強いるが自分はそのルールを破る人間ではないと思ってるし、舗装された道に善意の名の基で塗り固めた嘘も撒き散らしてもいない。

心のそこから実現したいと思った事、心のそこから成し遂げたいと思えたこと、他人が反対をしていても確信を持って貫き通せる覚悟が持てる信念は必ず現実化する。
誰も信じてくれなくたっていい。でも俺はこれを今、一瞬も迷うことなく信じられています。
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