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学生時代に感じていた事と実際に働くようになって感じる事

俺の学生時代というのは就職活動をするまではほとんど中身がないようなものだった。
就職活動を結果的に2回やって、本を読むようになったり、働くこととはどういう事なのか、生きていくとはどういうことなのかを真剣に考えるようになったし、結果として就職はしなかったもののその時の経験が今も生きている。

俺がいつも感じるのは、就職活動をやってみてなんとなく違和感を感じて活動を止めてしまうケースはもったいなんじゃないかということ。
別に選考を受ける企業だけじゃなくていい、会社の中に入れて見せてもらえるような体感型説明会やら社員の人と話せる時間が設定されているセミナーなどに参加して質問を投げるだけでも感じられることがあるというものだ。

その後の未来で全く興味がないと思っていても、ある日学生時代の就職活動で得られた気づきや経験から繋がる可能性というのは俺は多々感じていて、であるがゆえに、とりあえず就職しないにしても就職活動はやっておいたほうがいいと主張をしたい。

そんな就職活動だが、昨今は俺の時と違って超絶氷河期で、内定を取るために現役大学生はもちろん、大学院まで進学した学生や、既卒や第二新卒とまで空いてるポジションを奪い合わなければならず、まさに血で血を洗う戦いが繰り広げられていると言えると思う。

俺が何を書こうが、当事者でない人間、つまりは他人事なわけで響かないかもしれないが、俺自身が大学時代に感じていたことと働くようになった今感じること、今学生の人たちに伝えたいと個人的に思っていることを今日は書いてみたい。 1,ブラック企業を避けてホワイト企業に入る努力を全力でする罠

就職活動を始めて、OB訪問もそこそこにやって感じられるのは、どうやら働くというのは自分が思っていた以上に大変なことのようだというなんとも表現しがたい現実の痛感だと思う。
台風が来ても、地震が来ても出社して与えられた任務を会社の利益のために遂行しなければならない思い重圧。

自信の両親や祖父の代から繰り返されてきたこの犠牲に倣い、自らも社会人としてこれから取り組んでいく覚悟を決めなければらない焦りを覚えた人もいるだろう。

そしてこんな事を考え出す。
「既存の人たちがこんなにも大変そうで、しんどそうなのはそういった社風の会社を選んでしまったからだ。自分は彼らのようなブラック企業に入社しないようにしよう。ホワイト企業に入社出来れば少なくともバランスの取れた生活ができるだろう。」

この考えは他ならぬ俺自身が感じていたことなんですw
それでもっとここから踏み込んで、
「世の中の大半の仕事は意味が無い虚業のようなものなのだから、どうせやるなら稼げる業種、稼げる仕事に従事したほうが仕事が同じだけキツイなら幾分マシ。」
と考える人もいるかもしれません。
これも俺が考えたことですw

しかしこれには罠がある。
それは”キツイ仕事だろうが、楽な仕事だろうが自分に向いてなければ続けられない”という事です。

朝から晩まで同じ仕事を淡々と続ける、給料や安いが100%定時に帰れる仕事があったとします。
そしてあなたは拘束時間や就業時間が可能な限り短い事を重視して会社を選んでいるとします。
上記の仕事はカタログスペックだけ見ればあなたにマッチングしていますが、同じことをずっと何年間も続けることに抵抗がある場合は続けるのが困難になる可能性が高い。

入社してはみたが数ヶ月、数年もしないで辞めてしまうケースというのはこういうパターンが多いのではないかと推測をします。

ブラック企業の定義が、拘束時間が長くて、仕事がキツクて、昇給や給与それに付随する条件が良くない会社となっている以上、それの反対に位置する企業をホワイト企業と定義してヘッジせざるを得ない。

ところが自身の趣向、価値観といったモノサシがここでは抜け落ちて、ホワイト企業の中から自分が好きになれる企業を無理やり創りだして納得するという作業に注力をしてしまうため、ホワイト企業に入社できても何か満たされない状況が生まれてしまう。

働くようになるとすぐにわかると思います。
ブラック企業という特定の組織が存在しているのではなく、日本の労働環境そのものが著しく劣悪なのだということを。
この風土を自身で時間をかけて解決していくか、自らゼロから創り上げる以外に本当のブラック企業のヘッジというのは有り得ないと今俺は感じています。

2,いかに稼げるか、収益性が高いか?をモノサシにする罠

俺が就職活動をしていた頃は、東大だとか有名私立大学の人たちは並んで外資系の企業からの内定を目指していました。それは俺が就職活動をやっていた2年間概ね変わらないトレンドだったのが、大学を卒業するちょっと前の2008年の秋。リーマンショックが起きて、彼らが競って狙っていた外資系の企業は日本から撤退したり、リーマン・ブラザーズみたいに倒産してしまう会社もあったわけです。

あんなに優秀な人達の中から厳選された人が厳しい選考を経て入社してみたら、こんなハズではなかったと。

この罠は偏差値競争の弊害ではないかと俺は見ていて、すなわち、

-皆が行きたい会社、学校は良い所
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-そしてそういった所には自分と同じようなエリート層がたくさん居る
     ↓
-人は自分と同じようなレベル、境遇を持っている人と付き合うことを快適とする
     ↓
-無名大学や三流大学からの学生を採用するような会社は眼中になし

ここでも自分はどんな事を重んじていて、どんな価値観で物事を識別するのかという視点が抜け落ちている。

こんな偉そうなこと書いて本当に恐縮なんだけど、俺自身も全く世の中のこと知らなかったのでこういった背景に気がつけたのは働いてから2年から3年程度経ったつい最近の事なんです。

俺自身が起業しても、会社を仲間と立ち上げてもうまくいかなかった理由ってのがこの自分は何を重んじるのか?という価値観という要素の欠如に収束されていたんです。

3,リクナビなどの大手媒体を活動の中心に置く罠

これも俺がやっていて失敗したと思ったこと。
すでにベンチャーや小規模な会社の説明会で話を聞いたことがある人もいるかもしれませんね。

大手媒体に掲載するには莫大な経費がかかる。健全な経営をしていてもそこまでの予算を採用活動という枠組みで割くことのでできない会社もたくさんある。

俺自身は気がつかなかったのだが、こういった大手媒体に出てこないような会社の中に他の人が目をつけない超おいしいホワイト企業がわんさかある。
その探し方は俺もわからないんで教えて欲しいほどなんだが、この項目で伝えたいのは、大手媒体が全てじゃなくて、採用活動を表立ってしていなくても興味がある会社に対しては採用をして欲しい旨をどんどん伝えたほうがいいという事。

アンダーグランドではこういったケースでの採用というのが実際に存在しているみたいですよ。
ただし研修やらメンター制度やら既存の大きめの組織が作っているようなきめ細かい指導みたいのは期待できず、自分で必要な事を探して、必要な情報を集めて、行動に繋げるという、入社数年から部下を持つようになった先輩が苦労して取り組むことを入社後あるいはインターンの時から生き残りをかけてやっていくことになる。
そういった環境を楽しいと思える人でないと多分キツイ。

いつも言うことだけどすべての物事には良い面もあればそうでない部分も存在する。それらの相関関係、トレードオフを知った上で自分の価値観と照らし合わせて受け入れることができるのかを考えてみたほうがいいと思う。

4,優秀な人と一緒に働きたいという罠

俺自身が大学時代から感じていたのは、なんで周りの人達はこんなに難しい話をスイスイと理解できる頭の良さを兼ね備えているのだろう?という事でした。
そりゃあんたの頭が悪いだけだよと指摘をされて糸冬でもいいんだが、それにしてはかつて優秀だった彼らのその後はあまりいい話を聞かない。

仕事や会社に対する不満点を聞くことが出来ても、いかに自分が充実した仕事や生活を送っていて、それがどれだけ素晴らしいのかという類の話が聞こえてこないのですよ。
たまたまそういう人ばかりが周りにいるから、だけでは片付けない問題に感じます。

それで最近になってようやく一つの仮説にたどり着いたのですけど、既存の組織ってはレッドオーシャンなのではないか?という事です。
優秀な人達がお互いに競って生き残りをかける争い。それはまさしくレッドオーシャンの言葉が定義する所の”競争が激しく成長性、収益性に乏しい分野”そのものではないかと。

組織とは何か?
この問いかけに対する答えは人によってそれぞれと考えますが、俺は「究極的に誰がやっても同じ結果を出すことを実現した仕組み」であると考えています。

経営者や経営陣が多くの犠牲を払って創り上げた収益を生み出す仕組み。
それを突き詰めて誰がやっても同じ結果を出せる再現性を年月をかけながら創りあげた集合体。
それが組織に他ならないと思うのです。

そういった組織にこれから入る人というのは、生き残りや次の世代、会社の未来のための仕組みを創り上げていくことなのではないか。かつての自分たちの上司や先輩がそうであったように。

逆に言えば組織はそれが出来る人、出来るであろうことを期待して他人を採用するのだと思う。
気がつく人は気がついたかもしれませんが、別に企業はあなたでなくてもいいと思ってる。
自社に貢献できる人なら誰でもいいんだ。代わりの候補はいくらでも今は居る。

真にindependentな世界を目指すのであれば既存の世界にそれを定義するのではなく、自らそれを創り上げる、あるいは仲間とそれを創り上げるしかないと俺は考えています。
よく言われる、役職や給与が頭打ちになってきたところで解雇されたり、関連会社に飛ばされるというのはこの仕組の外に漏れた人に他ならない。

そういった人も学生時代は本当に優秀で、そんな人だからこそ選ばれて入社した一人だったはず。
長い年月の中で組織の中でしか機能しない存在になり、その組織からも割高な存在と判断されて解雇される、7割は課長にさえなれません ってのはまさにこの事ではないのだろうか?

安泰、安定、普通の生活。
誰もがこういったナギ節を渇望してそれを手に入れてゆく。
でもそれは束の間のこと。

右肩上がりの成長でのみナギ節は持続できるし、どんなにしんどくても新しいことへの挑戦、行動を続けていかなければ生き残れない。
成長したいという思いは就職活動を通じて誰もが抱くことかと思う。
そんな成長という言葉、たかが成長という言葉。されど成長なのである。
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