• 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PSP タクティクスオウガ 運命の輪 クリアしました



久しぶりに最後まで進めたゲームがあるので紹介。
SFCで今から10年以上前に発売されて、その後セガサターンとPS1にも移植された作品。

俺自身はオリジナル版は難しくて解けなくてやや敬遠していた。
なので今作は前提知識は序盤以外はほとんどない真っ白な状態でプレイをしたことになる。
オリジナルが難しい!と感じた要因に、

-キャラが倒された3ターン以内に復活させないと死亡。その後二度と使えない。

というルールがあってこいつに何度も泣かされてオリジナル版ではプレイを断念してしまった。

PSP版ではこれが、

-3回までは死亡してもOK。エリクサーというアイテムを使えば帳消しにすることも可能。

というのに変わってかなりやりやすくなった。
これのおかげで、オリジナル版で何度も泣かされた、固定キャラをストーリーを先にすすめるために泣く泣く手放すという状況に陥らなくまった。

クリアまでの時間は自分は23時間ぐらい。レベルは21ぐらいでクリア。
インチキしてアイテムMAXとお金MAXのセーブデータを使いました。

その割には難しいと感じるところもあったので、インチキなしでプレイするにはかなりの難易度のゲームと言えるだろう。
それでもオリジナル版よりはプレイしやすくなっているんで、今作で初めてタクティクスオウガやるって人にもとっつきやすいと思う。

ストーリーの方はすでに語りつくされているというか、しっかりとした世界観の上に、それぞれの背景を持ったキャラクターが理想と現実の間で揺れる姿が多すぎず、少なすぎずバランスよく描けている。

そして序盤の選択によって物語の進行が大きく分かれる作りになっているのも知っている人は多いだろう。

自分が選んだのは理想追求のシナリオで、簡単に説明すると以下のような感じ。

-虐殺はやらない
-ヴァイスは処刑される
-カチュア救済

理想の追求ってのはゲームとは関係ないんだが、ある意味俺自身とも重なるところを感じたので選びました。

理想と現実の間で揺れて妥協する人もいる中、あえて俺は理想を追求する生き方を選んだ。
その代償として多くのものを犠牲にしたが、俺は今のところ自分自身を生きていると思えているし、これからも等身大の自分で在り続けること、自然体で振る舞える事に注力をしてやっていくつもり。

そんな生活を続けてもう3年になるんだけど、世の中からはどんどん乖離していくし、自分の周りの生活の間隔が世間の感覚にさえ見えてきて、時々世の中の常識ってやつを見失いそうになる。

タクティクスオウガで描かれるのは民族紛争なわけだが、これは民族間に生じる価値観の乖離や、下克上で成り上がった者が既得権を守ろうとしてあるべき姿とは別の方向に物事を走らせてしまうことから起因をしていると、作品の中で主人公は指摘する。

これって現代社会でも全く同じなんだよな。
俺が感じていること、俺があたりまえだと思っていることは、これを読んでいる誰かには非常識なことかもしれない。

自分と他人が異なるという当たり前なことを油断すると忘れてしまう。
そして自分を正当化するために自分の正義を他人に振りかざしてしまう。
それが戦争だったり紛争なんだよな。

日本は戦争や紛争は表立ってやってないけど、表面からは見えにくいところではある意味毎日戦争やってるようなものだよね。
年間5万人を越える自殺者はそんな戦争の犠牲になった人なのかもしれないと俺は思う。

誤解されているかもしれないが、いつも俺が発しているメッセージ、個々の人が自分の能力と才能を最大化できることをやればいい ってのは別に誰にも彼にも共感して欲しい、受け入れろって思ってるわけじゃないんだ。

俺は個人的にそうするのがいいんじゃないかなって思って表現しているのであって、それ以外の価値観でHAPPYだって思えてるならそれをぜひ継続したほうがいいと思う。

だって俺にとってのHAPPYと別の誰かのHAPPYの定義ってきっと異なるものだよね。
別にどっちがいいとか、悪いとかそういうモノサシで計るものじゃないよね。

俺はこう思うんだ。なぜならば、、、っていう一連の思考の流れがあるだけ。

今の特に先進国で起きている心の病は、目指すべきGOALが定義できなかったり、目標にしたいと思えることをそもそも渇望できなかったり、原因は色々あると思うのだが俺自身が個人的に思っているのは、

-自分だけの居場所みたいのを見出しにくい
-個性と協調はトレードオフ
-幼少期から受け取り続けるネガティブなメッセージ

が多すぎるんじゃないかなって感じてる。

なんか自然体でやろう、存在(い)ようって思ってやると異端者みたいな扱いをされるんだよなこの国では。
これはやりたい放題身勝手にやるってことじゃないよ。
自分が感じたことを自然体で表現をしたり、自分が取り組むべきでないことを放棄しようとすると、なぜか社会のルールとかいうのを持ち出して否定される。

”苦しくても耐えろ”、”努力すればその先に素晴らしい世界が待っている”

とか言ってね。

それで「社会にでるためには云々、、、」とすごい上から目線で語りかけてくる。
この人達とは一生分かり合えないのだろうなと物心付いた頃から感じ続けてたよ。
俺はずっとこういった価値観と真逆で生きようともがいて、ついに真逆に生きることで本来の自分自身を取り戻すことが出来た。

俺の哲学みたいのを語るなら、

”苦しいならやめろ”、”報われない努力なんてするな”

というのがある。

このブログ読み続けてくれてる人ならそのあたりを感じている人もいるんじゃないかな?

もう一度言うが別にそれを受け入れろとか、理解しろって意味じゃない。
そういうふうに考える人もいるんだって感覚で触れてくれればいいんだ。

それでもし何人かでも共感できるって思える人がいるなら、そういう人と俺は長期的に付き合っていけるだろう。

このゲームやってたらそんな哲学チックなことを何度も考えてしまって、クリアして良いゲームだったなーというか、頭をつかうゲームだったなーという印象。

わかりやすい言葉で言うと骨太なゲームって感じかな。
関連記事

コメント

コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

月別アーカイブ
カテゴリー別
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。