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世の中との乖離を感じる時、僕は僕らしさを取り戻したと感じている

日本という国が大好きであると同時に、何でも型にはめようとする洗脳教育的な流れに違和感をずっと感じてきた。

朝は早く起きなければならないに始まり、理系を卒業したらメーカーに就職だとか、商学部出て商社とか、経済学を学んで銀行に就職とか、そういったわかりやすいものから、そもそも上位構造に存在している事が有利だからそれを目指そうみたいな競争社会にも違和感を感じていた。

僕はこう思う。
一人一人が違うのはおかしいことじゃないし、それぞれが自分の能力と才能を最大化できることに取り組めばいいのではないかと。
そしてそれが既存の価値観の中になくてもいいじゃないかと。

思うんだけど、日曜日の夜にブルーな気分になる人とか、朝起きて会社(学校)に行くのが嫌って感情はもったいないと思う。
その感情を真逆の方向に持っていけるようになれたらどれだけ素晴らしい毎日になるだろうって。

だけど時として社会のヒエラルキーやら理解を得られない状況に陥る事を人は恐れるから、”マシなほう”を選んでそういった状況から逃避するのだと思う。

それは限定的な平和(平穏)でしかない。
その場しのぎなんだと思う。

いつかまた嵐が訪れて全てを破壊してしまうような儚さを持っている。

自分の選択と行動に主体性を持って責任を負うようになってから感じたことがある。
僕という存在はきっと異端者で、近所付き合いがあったら陰であの人は何か変な人って言われるような人間なのだろうなという自覚だ。

その事に対して一瞬居心地の悪さを感じるが、自分が選んだ選択というものに高い満足感、充足感を強く感じるのだ。

普通の就職という道を選ばない事を親族に話した時、彼らはとても悲しんだ。
「何のために大学まで行ったのだ?」と。

僕の答えはずっと出てた。

「僕は大学なんて別にどうでも良かった。大学に行った事は後悔してないし、現在の自分を形成するために必要な事も多々あった。その点では感謝をしている。だけど僕は別に学術的なものを求めていたわけでもない。履歴書の一番下に四年制大学卒業って書きたかっただけなんだ。」

生きていく事、働く事がどういう事なのか知らなかった時、僕が漠然と感じていた事は大学を卒業しなければ仕事を得るチャンスを得られないというものだった。

それは半分正しく、半分間違っていた。

今こんな風にそれを僕は表現できる。

既存の価値観に生きるのならば大学に行く必要がある。それも名が通った所に。それは貴方自身のチャンスを最大化するというメリットと、学生生活を通じて経験し出会うかけがえのないナニカを含んでいる。

では既存の価値観に生きない人はどうなのか?
これは正直わからないw

大学は行けるなら行ったほうがいいと思うし、教養も素養もあったほうがいいと今の所思ってる。
でも頭でっかちになる必要もないと思ってる。

理想的として、学校は役に立つ側面もあるが長くいる場所じゃない、と言えたらいいなと思ってる。(根拠がないので断定はできない)

今、ここに迷い生きる人達に質問をしようと思う。

-日本で生まれたからって日本で働いて日本で誰もが死んでいかなければならないの?

-そもそも仕事って誰かから与えられるもの、誰かによって創造されたものでないといけないの?

-あなたにとっての幸せや生き甲斐は何か?

-就職して結婚して、家や車を(ローンを組んで)買って、それらに追われながら生きている生活を自立と呼べるのか?それは本当に幸福と言えるのか?

-あなたが本当に心の底から望んでいる事は本来何なのか?

答えは貴方の中に既にある。貴方はきっと既に知っている。後はそれに向けて行動を起こすだけじゃないか。失敗もするけれどそれも含めてもがくのは楽しいし、今までの世界では得られない体験や学びが得られるよ。
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