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就職活動を考えなければならない時期にきた

就職するために入学した大学。全てはステータスのため。わかるだろう、どれだけ優秀な経験を積んでいても、もはや終身雇用が崩壊した今日の日本では一定のステータスがないと一人前と認めてもらえないということだ。

例えば僕がコンピューターに今より精通していて、プログラミングはC言語をはじめとしてJAVAにいたるまで自在に操ることができるとする。しかし大学を卒業していなければ、これらの専門知識を求める業種の限られた場所でしか活躍できないだろう。面接さえも受けさせてもらえないのが現実だ。そこでその時、大学を卒業していない人の多くが、妥協をしてしまう。いや、せざるを得ない。自分を求める場所がなければ、自分の理想をまげて職探しをするしかないだろう。

結果、今の日本の雇用体制はどうなったか。非正社員が増大して、十分な保証を受けずに過酷な環境で使い捨てされている。特に就職氷河期に就職に失敗した人たちはこの影響をもっとも受けた人たちだ。彼らは僕らと同じように大学時代を楽しみ、それなりに単位を取って卒業見込みを片手に企業の門をたたいた。そこから先はわかるだろう、彼らにとって当時新しい人材が必要なかったので、企業はごく限られた優秀な人しか招き入れなかった。極めつけは学歴による差別。つまりは一流あるいはそれに順ずる大学名というステータスがないと就職説明会の予約を手配することさえできなかった。

このような時代、ある種の犠牲を経て、今僕がはじめる就職活動の状況はバブル期を越える売り手市場といわれている。理由はあなたも知っているように団塊世代と呼ばれる人たちの大量退職だ。これの恩恵を受けるわけだが、はたしてそれがうまく動くのかというと、就職説明会を聞いた限りではそうでもないようだ。つまりかつての売り手市場のバブル期はとにかく人を取れというスタンスで学歴に関係なく人も重視せず企業は採用をしまくった。だけれども、それは失敗に終わった、多くのケースにおいて。ただ人を取ればいいというものではないのだ。そしてわかるだろう、一度人を採用すると企業は簡単にはその人間を解雇できない。法が彼、彼女を過剰に守るからだ。こうして平等という名の基に、無能な人間の負担を優秀な人たちまでもがしなくてはならなくなってしまった。

企業は考える。もうこんなばかげたことはやめよう。自分たちの採用基準は間違っていた。人物を重視して、自社の社風に合う学生を採用しようと。説明会では人物重視が一層強まるので人気企業はより競争過多になるといっていた。まるで少子化の影響を受けた大学受験のようだ。

だが、それが今だ。今の現実で、06年だ。

僕はまだどの業界に行くか、どの企業がいいかという特定の分野を決めていない。入学直後に決めたことはIT系以外の分野でその考えは今も変わらない。もはや将来性がないし、日本人である僕がやる必要性がある仕事ではないからだ。つまり質問はなぜ企業は途上国の人間を僕に払う給料の半分以下で採用できるのに日本人である僕をわざわざ雇うのかということだ。そして僕の大学の先生の言うとおり、IT系の学部を卒業してもなおレベルの低い人間が多い。この僕もその一人になりうる人間だが、マネージメントにかけては他には負けないつもりだ。これだけは数多くの経験を通じて徹底的に磨いてきた。つまり完全にモラトリアムとして大学を卒業した人と少しだけ僕は違うということだ。

さて、まずは説明会の参加と就職サイトと呼ばれる場所のチェックから入っているが、どうもピンとくるものがない。説明会にだけは可能な限り業種に関係なく出席するつもりだ。幸いなことに多くの説明会は東京で開催される。大学帰りに行くことが僕にとって容易だ。こんなところでも格差が発生する今の日本社会は狂っていると指摘さざるをえない。

僕は負けたくない・・・。やりがいも大事だけれど、まずは最初の3年間はとにかくキャリア形成の基本となる、フィールドがしっかりとした分野で仕事をしたいと考えている。そうなると必然的に大手志向になってしまうのも、この国の雇用体制が会社本位であることのあらわれか。(大企業でないと労働者本意で労働環境を考える余裕がない。)
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