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旧態依然へのささやかな抵抗

”普遍的なもの”という表現はいい面で使われる事もあるが、悪い側面もあると思う。
変える必要があった事があるのと同時に、変化の必要性を拒絶しているシーンもあると考えるからだ。

僕は個人的に型にはめたがるヒエラルキーや多様性のないコミュニティを心の底から憎んでいる。
年輩の自分が生まれ育った地域しか知らないような良くも悪くも古い人達から何万回と同じような質問をされるのに疲れてしまった。

最初は彼らがたまたまそういう話題に興味があるからそうしているのかと思って、僕の考え方に共感を示してくれる人も中にはいるのだろうとずっと思っていたのだが、最近はそういった期待は一切捨てる事にした。
多分彼らとは死ぬまで平行線だと思うし、理解しあえた先にお互いの幸せが存在するとも思えないから。

僕はこのまま口を閉じて、彼らから異端者扱いされる身分に甘んじていこうと思う。
そしてそんな旧態依然へのささやかな僕の抵抗を限られたリソースを使って表現できればいいと思ってる。

僕の人生のテーマはナギ節を作る事なのかなと最近思ってる。
それもできれば永遠のナギ節を作りたいと思ってる。

ナギ節っていうのは、ゲームの中に存在する概念なので詳しくは説明を省くが、真の平安みたいな感じかな。

貧困の時代から現代に至るまでに繰り返されてきた事。
子供をたくさん作る。戦争や餓死が当たり前で、成人するまでに生き残れるか不確実だったから一人や二人ではだめだった。
大人達にとって子供は労働力だった。子供が大きくなり働きまた同じように子供を作る。
人口が増えて労働力が安定をして、国は繁栄をする。
ずっとそうやってきた。結果とても豊かな国が出来た。

かつては職業の選択はできなかった。
産まれた時から身分も将来の仕事も決まっていた。
だからある意味、多様性という概念がなくても平気だった。
ただ将来の労働力を確保すればいい。そのためには子供が必要だ。
途中で戦争に行って死んでしまうかもしれないし、病気や犯罪に巻き込まれるかもしれない。
だから複数人の子供を持つ事がリスクヘッジだった。

時代は変わって、豊かになりすぎた僕らの国はかつての成功体験のような経済成長を再び経験するのが難しくなった。
職業の選択は自由になり、身分制もすでにない。インターネットも普及をした。

この大きな変化を感じているのと同時に、なんとも息苦しさを感じてしまう、昔の価値観を現代に適用しようと考える人達。

僕はよくこんな質問をされてその度にどうやって彼らに理解してもらうかを考えて悩む。

その質問とは「なんで結婚しないの?」とか「一人で寂しくないの?」とかまあその手の質問。

なんで結婚しないの?って逆になぜ結婚しなければいけないのですか?と聞きたいし、一人で寂しくないの?って聞かれれば人付き合いがとても苦手なんですって苦笑をしながら答える。

そうするとゲイなんじゃないのか?とか、どこかおかしいみたいな、異端者扱いをすぐにされる。
なんでも型にはめたがるのが好きな人が多くてとても困惑する。

僕は価値観が一致する人とでないと酒を飲んでいようが、長い時間を共有しようが違和感や苦痛しか感じない。
僕の幸福感は人との付き合いや出会いからはあまり生まれない。もちろん好きな人には好きって言うし、時間を共有したい人がいれば電話もする。

そもそも結婚をしている人達に話を聞いても、たまたま学校が一緒だったとか、職場で出会ってとか、小さな世界での偶然性でそのままなんとなく結婚した感じの人が多い。
んで、彼らは俺の目にはあまり幸せに見えない。残念だけどそう感じています。

なぜ彼らが幸福に見えないのかを考える時にいつも最終結論として見いだすのが、方向性と幸福感の定義が曖昧なまま惰性で一緒になってしまったからというもの。

他人と付き合って、その人と結婚をするってことは、超ハイリスクハイリターン(場合によってはハイリスクローリターンだったりする)な投資に等しくて、じゃあ本当に納得できるまで精査して、完全に納得できてからでいいじゃないって思うんだけど、現実的にはなかなか厳しいんだよな。(でも俺はこれを徹底的に腑に落ちるまで取り組みたいと思ってます。)

今まで考えてきた対策としては、

婚前前契約を結ぶ → 日本には契約遵守みたいな考えはあまりなくて、なあなあ的な曖昧さが横行しているので風土的に定着しにくい

3年ぐらい一緒に生活をして納得したら籍を入れればいい → 同居している間に子供が出来ちゃってそのまま仕方がなく結婚みたいなケースが多い

就職活動の考え方を結婚に適用する → いわゆる結活なんだけど、これも金鉱掘りみたいな人が出てきちゃって、理想的なマッチングは難しい

と考えては、現実的に適用が難しかったり、そんなことやったら女は逃げるみたいなこと言われて、でも無理して結婚したくないし、価値観の合わない人と無理して一緒になっても不幸になるだけだよなぁといつもそういう考え方に至ります。

そうすると、「理想が高すぎる」とか「妥協できないのはダメだ」とか言われるんだけど、別にモデルみたいな人と結婚したいって言ってるわけじゃないし、妥協はすればするほど不幸になると思ってるので嫌だと言ってるだけなんだけどなぁ。

フットインザドアテクニック的な、Aという要求を通す → 断られる → Bというアプローチで妥協をさせる → やむを得ず受け入れる みたいなことをやると、どんどんエスカレートしていって、じゃあこれもいいでしょ、これも受け入れてくれるよねって主導権が完全に相手に取られて対等な関係を維持する事は困難になると思うんだよね。

パートーナーは厳しい人間のほうがいいだとか、パートーナーが怖いから外で頑張って褒めてもらえるようにひーひーやってるみたいな話を聞くけど、それってなんか本末転倒なんじゃない?って感じる。
本人達がそれが自分の幸せなんです!って断言できるならいいけど、俺にはそれは幸せに感じないなぁ。

だから今の所そういった価値観を受け入れて生きていくつもりはありませんよって、それが俺の主張なんだけど、わかってくれる人ほぼ皆無w
わかってくれる事を今までどこかで期待していたんだけど、もうそういうのもやめようと思う。

いいじゃんわかってくれなくても。
俺の考え方と彼らの考え方がただ違うだけって、言い方は悪いけど割り切る事にした。
それで俺が一生独身で死んでいくのを笑いたければ笑えばいいさ。
でも逆に俺がイメージしている、実現させたいと心の片隅においているようなライフスタイルを手に入れた時は逆に笑わせてもらいますw

就職活動で出会った会社の中には、理想を持って、何度も何度も挫折や失敗をしながら、最終的にビジョナリーカンパニーのような存在になった会社があった。
その人達のウェブサイトやブログを定期的に読んで、自分も妥協をしなければ、自分が本当に望んでいる事、実現させたい世界を作る事ができるって再認識をするようにしています。

周りから、そんな事はあり得ない、できっこない、宗教だとか言われてもいい。
自分が望み、それを実現させた、そして理想を手に入れ、心の底から満ち足りた生活を送る。
それはオリジナルであっていいと思ってます。
人と同じじゃなくていいし、時代の変化とともに変えていってもいいし、自由なものであっていい。
古い世界の人達が定義している幸福の中に僕の居場所はない。

僕は僕の定義した理想を実現させるために自分の一生を費やして生きていきたい。
そんな風に思ってる。

自分の考えを発信して、理解してもらおうって考えはやめたw
わかってくれなくてもいいじゃん。ちょっとだけ息苦しくてしんどいだけのことさ。

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組織や会社だけではなくて理想を実現させるための考え方を学ぶ上でも良書と言えるビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則
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