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ここ一年の良かった事と、良くなかった事

9月という季節は自分にとっての一年の始まりようなものである。
それはなぜかというと大学を卒業延期して9月に卒業したので僕にとっての卒業後の生活のスタートはこの季節だからだ。

今まであまり過去を振り返らずにひたすら走ってきたが、働くようになってはじめて休暇を先日取った事や、自分の中で様々な価値観や考え方が変化しているように感じるのでその辺の思考を整理してみたいと思う。

学生時代の自分と今の決定的な違い

学生時代ー。随分と遠回りをして自分の方向性を探っていた期間だと思う。
自分にとっての適正と思っていた事が実は嫌いな事だったり、良くも悪くも周りに期待しすぎて自分自身の位置づけが曖昧な時期だった。
そして何よりも良くなかったのは常に自分の身に起きる事を他人事のように扱ってきた事だ。
自分自身の今の姿と言うのうは全て過去の自分の決断の延長でしかない。

つまらないと思っている学校生活を選んだのも、自分と価値観が合う人と付き合えないのも、全て自分自身が選んできた結果でしかない。
それを良い事、悪い事という短絡的なやり方で評価をすると不幸になってしまうと思う。
”ただそれだけのこと”と考え、自分自身の良くない所も含めて受け入れるー。

こういった考え方ができるようになったのがここ数ヶ月であり、学生時代の自分と決定的に違う点だと思う。

考えてみれば何かを選択をするという行為でさえ、自分自身が解釈をした枠組みの中での出来事でしかない。
xxを選考したからそこで学んだ事を活かせるだとか、yという業界ではz社が一番勢力を持っているから第一志望にしようだとか、勝手に自分の中で小さな世界を作り出して意思決定をしてきた。

自分自身ができないと思い込んでいる事。私はこれができない、なぜならば、、という考えも心の中で勝手に作り上げた幻想でさえある。

僕らは僕ら自身が作り出した目に見えない牢獄に囚われている。
その牢獄というのが僕にとって学校だった。
もちろん学校にいた事で役に立った事もあるのだが、学校という場所を介して間接的に身につけてきた何かや、経験群というのが圧倒的に今の自分に繋がっている。

あまり真剣に学問に打ち込まなかったというのももちろんあるのだろうが、僕の場合はそんな感じで、サークルであったり、プチ留学経験だったり、ボランティアだったり、自らそうする必要があると強く感じた意思決定の先にあるものが特に強く今に生きている。

それは僕自身の本質、自分自身の中で腑に落ちてかつそうすることが正しいと納得したことにしか注力できない点にもよく現れている。

卒業後の世界で良かった事

そんな僕であるが、ここ一年いい事ももちろんあった。
何よりも自分自身を生きていると実感できる毎日になったこと。
これは自分自身の幸福の定義ができたことと強く関係している。

自分の感じる幸せって何なのだろう。
お金なのか?やりがいのある仕事なのか?それとも別の何か?
この定義は人によって違うし、僕は別に他人の幸福感を否定するつもりなんてない。
ただ自分はどう思うのか?それを考え続けた。

そして自分なりの幸福感に向かって今は前進をしている。
これから先どうなるかはわからないけれど、今は毎日の自分が気に入っているし、朝起きた時に”職場に行きたくない”だとか”学校が嫌だ”とか、”同僚や上司と会うのが億劫だ”という気分には全くならない。

今までの自分は上記に挙げたような感情を毎朝毎朝感じて満ち足りた何かを感じる事はほとんどなかったように思う。
それが今では朝起きた時に、自分が生かされている事に感謝をし、未来を前向きに捉える事ができるようになっている。

そういった考えができるようになった今の自分が好きだし、それはとてもいいことだと思ってる。

卒業後の世界で良くなかった事

これはたくさんある。
学生時代に世話になった人に会いに行けるような、彼らが思っているであろう”立派な人”に僕はならなかったわけだし、僕自身は残念ながら学生時代を自分の暗黒面と言うか、挫折とネガティブな思考の連続と思ってしまっている。
過去をあまりいいものとして評価をしていないのだ。
それはもったいない過ごし方をしたと言えるし、何かに打ち込むでもなく、何をしても中途半端で、何に対しても秀でることができなかったコンプレックスの塊だったのだろう。

しかしあの屈辱的な毎日が、叫んでも叫んでも見つからない自分の居場所が、過去の自分があったおかげで手に入ったとも言える。
つまり良くなかった事というのは、裏返せば良くなりうる要素を含んでいる。

僕は多分他の人が就職面接でPRするような、協調性であるとか、高い忍耐力といったものは持ちあわせていない。
いや持ち合わせるためのチャンスは何万回とあったけれど、それを破棄してきた人間だ。
自分でそうすることが自分にはいいことだと、そう思って喜んで破棄をしてきた。

僕は時々羨ましいと思う。
誰かと力を合わせて、それはもしかしたら自分と合わない、付き合うのが億劫かもしれない人達とでさえ一緒になって、共通のゴールに向かって突き進み達成する喜びを知っている人を。

僕はまた時々嫉妬をする。
自分自身を評価し、理解し、励ましてくれる存在がいる人達の事を。
もちろん僕にもそういった人はいることにはいるのだが、なんと言うか宗教臭いが魂で繋がる事の出来る何か、会った瞬間にはじめてあった気がしないアレを感じられる人が圧倒的に少ないように思うのだ。

だからそういった経験群が豊富な人はとても羨ましいと思うし、これは別にもちろん異性だけの話ではなくて、友人関係であっても本気で本音でぶつかりあえる人がいる人達には僕はいつも嫉妬する。
そういった人達にはそれがもしかしたら当たり前なのかもしれないけれど、今の僕の幸福感は人との付き合いよりも自分自身との対話に重きが置かれているのでそういう関係は当面の間僕は持てないだろう。

でもそれでいいんだと思う。
それが僕の今の決断なんだから。

自分自身が本気で実現したい何かがあるなら、ノイズを排除して心で感じるままに行動を起こすといいんじゃないかと思う。
僕はここ1年、心で感じたままに生きてきた。
自分自身を騙さないで生きてきた。
長期的に付き合えない人達との関係を減らし、長期で付き合える人や仕組みを求め続けた。

この旅にも似た生活はこれからも続く。

そしてこれを読んでいるあなたの物語も素敵なものになりますように。
そう願いながら筆を置きたい。
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