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俺はこんなすごい音楽を聴いていてすごい そんな風に思っていた時期が俺にもありました

高校を卒業して最初の大学(短大)に行ってできた友達が音楽が好きな奴で、かつ俺が当時好きだった音楽の事も評価していてすぐに意気投合したのを覚えている。

その子は、神奈川から千葉県の習志野市(大学が習志野市にありました)に引っ越してきて、アパート暮らしだった+大学から徒歩5分ぐらいの場所にいた事もあって、講義の合間の時間をその子の部屋でよく過ごした。

んで、ロックの話で盛り上がってたら彼が「このCDを今聞いているんだ」と紹介してくれたのがソナタアークティカだったかな。
当時出たばかりのサイレンスっていうアルバムを「お前も聞いてみろ」って貸してくれたのを覚えてる。



それで聞いてみて思ったのは、世界にはどうやらどんでもない演奏技術を持っている人達がいるんだなぁということ。
ありきたりな感想だけどホントそれを感じて、ハードロックというかヘビィメタルの世界に夢中になった。

なったといってもいくつかの好きなアーティストの曲を聞き込んだだけだがw

そいで気がついたらタイトルの通り、自分が聞いている曲は何かすごいもので、それを聞いている自分もすごいという意味不明な思考回路になってた。
普通の気軽に聞けるような作品を聞いている人をバカにして、そういった行動を馬鹿げた事と勝手に評価している自分がいた。

それで大学をようやく人よりもだいぶ時間をかけて卒業して、世の中に出ようと思った時に気がついた事。

”普通に見える事を普通にこなすことはなんと難しい事か”。

そして”普通に見える事さえ流暢にできない自分の非力さ”、”自分には何もできない”ということをようやく理解する。

それでも自分がかわいいから、自分を保ちたいから、小さな小さな世界の小さな虚栄心でなんとか生きていこうと、人をバカにすることで自我を保っていた。

今思う。
なぜもっと他人を理解しようとする姿勢を持てなかったのかと。なぜ周りの人に対する尊敬の念を確保できなかったのかと。

批判をする能力ばかりが流暢になって、自分では何も出来ないくせに、もっといい事はないか?もっと楽しいことはないか?って完全に満たされる事のない欲望に忠実に生きてきた。

それでどれだけその欲望を追っかけても心の中に穴があいているというか、何かとても大事な事を見落としているのではないかという不安のようなものが常に僕の頭と心に存在している事に気がついた。

世界と対峙するということは何かトレードオフの連続に思う。
自分という存在を知ってもらう。知った人が何かを感じる。それはポジティブな印象も、ネガティブな印象もあるだろう。そしてもちろん何も感じないという感情もあるだろう。

今僕はかつて自分が馬鹿にしていた気軽に聞けるわかりやすい音楽を聴いて涙を流す。
(その曲のPVを紹介したいのだが、著作権的にアウトらしく公開できるサービスが見当たらないのが残念だ。)

大切に思っていた友達。今振り返ればとんでもなく理不尽な仕打ちを与えてきた周りの付き合いがあった人達。
自分の怒りを正当化し、自分だけが何をやっても許されると勘違いをして、乱暴に狂気を振りかざし、善なる人達を地獄に突き落としてきた。

”地獄への道は善意で舗装されている”

僕はこの言葉にガツンと頭を殴られたような強烈な印象を覚える。

僕が正しいと思ってやってきた事、僕が子供の頃に大人達が正しいと思ってやっていたこと、やってきたこと。
僕にはもうわからない。何が正義なのか今ではわからない。

何がわからないのかわからない。
だから道筋を立てて思考を整理しようとしたのに。
出てきたのはこの乱文。
そして僕は一人になる。
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