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生きる事の敷居の高さについて

まだ学生だった時、周りの人で専門学校や大学を卒業して就職をしていく人達がいた。
それで新しい彼らの生活が始まって、なんだかとてもつもなく大変そうなのが伝わってきた。
毎日のようにつぶやかれる「鬱」や「死」という言葉。

最初彼らが大袈裟に事を表現しているだけなのではと思っていたが、今ではわかる。
彼らが至って正常で、今の世の中が異常だということを。

物心もつくころには大きさの程度こそあれ発生する「いじめ」。
立場的に抵抗する事が許されず無条件に従う事しかできない組織。

我慢をして乗り越えて、一瞬の開放感や達成感を繰り返し続ける生活。
それも尊い事なのかもしれない。

しかし俺はあえて主張したい。
続かなきゃ意味ねーだろと。

自らに負担がかかり続ける生活を続けて、働くために生きているような日常。
そこに余裕という概念はない。

いつから普通に生活するのがこんなに敷居が高くなった?
いつからこんなにしんどい方法でしか生き残れないのが当たり前になった?

人は豊かさを求めて進化を続けてきた。
便利な道具も、高度な医療も全部そう。

俺たちは便利な道具を使い、高度な医療を受けられるようになった。
長生きできるようにもなった。
ちょっと前までは治療することができない病気が治療できるようになった。

でもそれは幸せなのか?と時々思う。
長く生きる事=幸福なのか?という素朴な疑問だ。

生きている事に喜びを感じられない生活。
それが何十年も続くとしたら、それはその人に取って牢獄で拷問を受けている生活に等しいのではないか。

俺の友達にとって生きる事は苦しみにも似た地獄だった。
地獄から解放されるための手段が命の破棄ならば、そうする行為を非難する事が俺たちに許されただろうか?

生きていれば希望がある。諦めてはダメだ。
確かに響きはいい。
だけど、どうにも変える事のできない悪循環に陥ってしまった人にはきっと響かない。
生きていたいとさえ望めない状況になっているのだから。

大人になって知った事がある。
子供の頃、俺たちが大人から受けてきた扱いには正しくない事もたくさんあったことを。

大人になって自分の意志で様々なことができるようになって、それは何か特別な力を手に入れた事だと思ってた。
でもこうも思う。
何も知らないほうがよかったのかな?と。気がつかなければ良かったのかなと。

俺は日本が好きだよ。
だけど今の日本はこんなにも生きる事が大変な時代になっていて、何かに追われるように、誰も彼ももがいているんだ。

俺たちはなぜ生きる?
なぜ生かされている?


まことの安らぎはこの世にはなく

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