• 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雑記

最近書く事がなくなってきて更新が少なくなってきています。
前だとこんな本を読んだとか、こんな会社を見てきたとか、こんな映画がいいんだとか、色々書けたと思うのですが、映画も同じのを何度も見ていたり、本も気に入ったのを何度も読んでいたりして、なかなか新しい何かを見つけられていません。

もちろんきっかけを作ろうという事で映画も最新作を含めてチェックしているのですが、皆さんも気がついていると思いますが、いつの時代も新しい=良いではないですからね。
JPOPのヒットチャートだけ追っかけてりゃ幸せみたいな時期が僕にもありましたが、今は音楽なら何度も繰り返し聞けるような音楽、聞く度に発見がある音楽、聞いていて楽しい音楽、自分なりのエピソードがある音楽が好きです。

映画のほうはcg作品のアバターを見ましたが、開始30分ぐらいで見るのが苦痛になりました。なんと言うか、最近のファイナルファンタジーみたいな感じで、すごいcgとすごい役者を揃えれば売れるんだろうみたいな、中身が伴っていない印象を受けました。しっかりと何度も見れば良さがある作品なのかもしれませんが。。。

映画は別にアクションでなくても、コメディでもいいなぁと思う作品はありますし、ドキュメンタリー系やテーマ性のある作品はエンターテインメントという概念を超えて観たい!と思わせられるものがあります。

本は、漫画でもいいんですけど、置き場所の問題もあって多読は難しいのでテーマを決めて絞り込みをかけて読んでいます。それでも何度も読み返したいと思う本は100冊読んで1冊もあればいいほうでしょうか。
他人がおすすめしている本、他人の中でも自分がこの人は!と思うような方の推薦本を読むようにしているのですが、それでも自分的には知っている事だったり、あまり自分には参考にならなかったり、翻訳本で読むのが途中で苦痛になったり(このケースはとても多い)なかなか自分にとっての良い本が見つかりません。

これは別に悲観論ではなくて、個々人のフィーリングにマッチする何かって本来そういうものなんじゃないかなーと。
それで時間的制約がある人は別だけど、趣味としての読書なら時間がかかってもいいやって構える事ができるわけです。
自分にとってのこの本っていいなぁ、また読みたいなぁって本に出会えるまで色々 try and error をすればいいのではないでしょうか。
私はこの本!というのを見つけるために血眼になるつもりもないし、フォトリーディングを身につけて効率化をするつもりもあまりないし、多読!多読!ってインプットを重視する事も考えていません。
自分にとっての1冊というのを増やすために、図書館や書店に何度も足を運ぶ事は苦痛に感じない。
最近は書店でも米国みたいに座って読むスペースを確保してくれる書店さんが増えてきて僕のようなじっくりと中身を確認して納得をしてから買いたいと思う人間にはありがたい環境になってきました。

何度も何度も読みたいと思える本なら、掛け値なしに新品で買っていいと思うし、そういう作品が増えるように制作者や出版社の人に対価を払いたいと自分は考えていますよ。
これは本だけでなく音楽も映画も全ての create される作品に対する尊敬の意味合いです。

若い時(20歳よりも前)はシリアスにお金がなかったので友達から貸してもらったり、レンタルショップを多用しました。
今は制作者の人に敬意を払う余裕はなんとかありますし、そうすることで経済活動に寄与ができる=大人みたいな感じで考えています。
もちろん大人=偉いという意味ではもちろんありませんが、子供に出来ない何かが出来る存在が大人ではないでしょうか。もちろん逆に子供にしか出来ない何かがあることも事実です。

若いときはmdだとかカセットテープだとかcdrにコピーをする事で、自分が普通に生活していては手に入れる事の出来ない作品と好きなだけ触れ合うことができる喜びがありました。
制約も多かったが、その制約の中で joy を見つける 楽しさがあった。

今は選択と集中という感じで、今まで感じてきた事の延長線、あるいはそこから近い所にあるナニカに楽しさを見いだしています。
それは悪い意味で表現をすれば視野が狭くなってきていると表現する事も出来るのですが、何かをたくさん知る必要があった若いときと比べて、何かを知った今はショートカットがたくさんできるようになっていますので、こういったコト(モノ)は自分の感覚に fit しないなと感じるのが短い時間で判断ができるようになってます。

「無知は犯罪である」という言葉がありますが、無知だからこそ取れるリスク、時にそれを勇気と表現する事ができると思うのですが、もまたあると思います。
例えば若くして起業をする事。知らない事がたくさんあるから途中にどんな落とし穴があるかシュミレーションも出来ない。そもそもひらめきベースでアイディアやアクションがどんどん発展していくからシュミレーションという概念があまり存在しない。
でも知らないが故に結果としてうまくいくケースも多かったり、そもそも知らない=余計な前提条件がないためにうまくいくというケースもあるわけです。

知らない事を楽しめるかどうか。そもそも知らない状態から知る状態への過程を楽しめるか。
たくさん知れば知るほど、知らなかった事から知った事への過程で体験する興奮は少なくなってきます。
歳を取ると様々な事が効率的にこなせるようになり、知識もどんどん増えていきますが、その反面として知りすぎているがために平凡な日常が続きやすいケースに陥ってしまう risk が多くなるように感じています。

そうならいためには常に学習姿勢を keep しないといけない。
つまり、学びながら生きるという考え方を持ち続けられるか。
知るという事は、知っている立場になる=知らない人よりも上の立場にいると勘違いをしてしまいがちになり、自分も勘違いをしているケースがたまにありますが、それは部分的に知っているに過ぎない、上には上がどんな事でもあるものです。
一部を知って、まるで全てを知ったかのように奢り高ぶったり、知らない人を下の身分の人のように扱ってしまう人にならないようにしたいと思っています。

知らない人から学ぶというケースが、新しい学びを生むケースを今までも何度も経験してきたし、前提条件が中途半端に確立されて見えにくくなっている自分の視野を適度にリセットしてくれる要素を彼らは持っている。

このblogを書き続けているのは、以前書いたように自分と同じような価値観を持っている人や、自分に共感をしてくれるマイノリティと出会いたいと思っているからです。
そういった人が僕よりも博学なのか、高学歴なのか(私のほうが低学歴なケースが圧倒的に多いがw)は重要じゃない。
こういった雑記も積み重ねていけば長期的には大きな力となって何かおもしろい出会いのきっかけになると信じています。

数は多くなくてもいい、そういった出会い、気付きを増やしていきたいと最近考えています。
関連記事

コメント

コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

月別アーカイブ
カテゴリー別
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。