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何かを続けられる事、続けられると思えるきっかけ、続けられる環境が最も重要な事ではないかと最近思う

自分に嘘をついてはいけないというあまりにも賢明な指摘に対して、目の前の事を処理する事、既存の価値観から外れる事への恐怖から身動きができない人がいる。
それは長い間、協調という言葉の元に僕らの心が支配されてきた副作用ではないかと思う。

僕は今このように考えている。
学校で教えてくれる事は組織に属していく上で効率よくそれを続けられる技術の素ではないかと。
周りの人うまくやっていく協調性、やりたくない事に対しても取り組める力(試験など)、他人と競り勝つ事で得られる優位性。
僕はこういった教育に対してほぼ全力で拒否モードで今までやってきたのでこれらの能力は他の人よりも低いのではないかと思う。
が、それが低い事を今は嘆くつもりはない。むしろそれでいいと思っている。僕はそれが心地いいと思って拒否してきたわけで、自分でそうすることを選んできたのだから。

生きる事、ここでは働く事を主に置いて考えてみた時に、既存の日本の労働に対する価値観は以下の通りだと思う。

•仕事優先
•長時間労働
•上記を美徳にできる人への高い評価

バイトでもインターンでも派遣でも正社員でも同じではないかと思ってる。
例えば仕事が終わりそうな時に、監督者から別の仕事を振られても断りにくい風潮、仮にその日が結婚記念日だったり、子供が生まれる日であっても仕事を優先するようなカルチャーが多くの場所で見られるように感じる。
これって仕方がない事って思ってる人が多いようだけど、明らかにおかしいと思う。
仕事がどうでもいいのではなくて、それと同じか、それ以上に大事な何かが人生にはあるのではないか。
先進国で仕事への優先度が偏って高すぎるのが日本で、働くという行為を続ける上での敷居が高すぎるのではないかと思う。
もちろん仕事に打ち込めるぐらいの魅力やそれに見合った報酬があるのであれば、仕事を優先するだけの価値があるだろう。

しかし現実を見るに、低賃金、長時間労働というのが基本であり、その割には低い生産性。
なぜなんだろう?って思った。特に生産性が実は低いというのは先進国の日本に住んでいる一人の人間としてショックだったほどだ。

ある時、組織を辞める人というのが優秀な人から順に辞めていくという話を聞いた。
そしてその話とこの疑問や違和感に対する思いが繋がったのを覚えている。

組織で評価される人ってどんな人だろうって考えた時に、学生の頃は優れたパフォーマンスを出せば評価される。つまり学校で良い成績を取るのと同じでしょ?って思ってた。

でも現実は、効率的に仕事をこなして定時に帰る人よりも、生産性が低いけれど長時間労働をする人が評価されやすい事を知った。
また仕事を、ここでは仕事を会社で働く事と考えるが、あくまでもお金を稼ぐ場所と考える人間をあまり評価しないことを知った。
飲み会であるとか、会社のイベント、それに付随する会社との付き合いに積極的、前向きな人が評価されやすい事を知った。

ショックだった。これが理想と現実のギャップってやつなのかという感じだった。
僕にはこれらの価値観を美徳とする世界には耐えられそうになかった。
英語で言えば pain という言葉がまさに適切な表現に思えた。それは僕にとって”耐える事の出来ない苦しみ”以外の何者でもなかったから。

僕はなぜ働くのか?と聞かれた時に迷う事なく以下のように回答をしてしまう人だ。
•会社はお金を稼ぐ場所。仕事は労働に対する糧を得る為の経済活動の一つ。それ以上でもそれ以下でもない

そして、あくまでも会社と自分は切り分けて考えるべきであり、であるがゆえに以下のように考える。

•仕事の中で楽しさや、やりがいといった付加価値があるにはbetterだが、それらよりももっと重要な事は、その仕事を続けられるという事である
•世の中の大半の組織で前述のような価値観が美徳とされ、そうすることをそこで働く人にも強要をするのであれば、僕にとって世の中の大半の組織が極めて居心地の悪い場所である

長い間、何をやってもしっくりこない疑問に対する答えが、気持ちいいぐらい明確に解けた瞬間だった。
彼らが望む事と僕が望む事、彼らの価値観と僕の価値観が一致していないだけだったんだって。
そう思えた時にとても気分が楽になった。
ただ、単純に目指しているものが違うだけなんですね、と。何が良くて、何が悪いとかそういう次元の話じゃないって。

僕が学校を嫌うのは結局学校で重視して教育してきたのは既存の組織でうまくやるための能力の底上げだから。
僕は既存の組織でうまくやりたくなんかなかった。

もっと多様性のある、それでいて重たい責任も負う、自分で自分のやる事に責任を持ち、自分の行動に対する評価を得る活動を望んでいた。
だからいつもこう考えていた。既存のルール、規則というのは破られる為に存在する、それを破ったり、それ以外のアプローチを見いだせた時に僕は満たされるのだと。

要するに既存のやり方を無視してインチキする能力を長い年月をかけて高めていたのだった。でもそれがどうした?僕は今の自分の生き方を満足しているよ。
僕は今の生き方と働き方は続けることができる事、続ける事でそれに見合った結果が得られると感じている。そう思えなくなったらそれ以外の道をインチキしながら探す。
僕にとって重要な事は、「会社(仕事)はお金を稼ぐ場所。仕事は労働に対する糧を得る為の経済活動の一つ。それ以上でもそれ以下でもない」というのを、率直にまず認めて、その上でその活動を続けていく為にどうすればいいかを模索する事だった。
やりがいや楽しさは最優先課題ではなかった。
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