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行為に対する批判と人格に対する批判は何が違うか、それを知る事は断る事を知るのと同じぐらいに大事ではないか

学生だった頃の自分と、今の自分の何が一番違うかというと、今日のタイトルに書いた事が明確に識別できるようになった。

行為に対する批判、これは仕事でのミスであったり、仕事の過程での改善が必要と思われる指摘が当たる。
人格の批判というのは、その人の生き方であるとか、変える事のできない事(ルックスだとか、生まれや育ちなど)を否定する事と今は理解している。

僕はこの違いに対する認識を持てなかった頃、何かに対して指摘されることがとっても嫌な事だと思っていた。
何か指摘されてはおもしろくなくなり、ふてくされ、物事を投げ出す事が多かった。

社会に出ると学生の頃に抱えていた悩み、大きな事だと思っていたのは、じつにちっぽけなことだったなぁと気がつき、社会の中で生き残っていくという悩みのほうが遥かにシリアスだし、重たいものだと今は感じている。

朝起きて、コーヒーを飲む時に僕はこう感じる。
こうやって普通に生活できる事が当たり前のようで当たり前じゃない。きっと誰もが悩み、迷い、時に行き場のない絶望のような思いに直面しているのだと。

小さな幸せを積み重ねる事が、ある意味、生きていくという事を続ける上で最も大事な事なのではないかと最近思う。
家がある幸せ、帰る場所がある幸せ、話をできる人がいる幸せ、、、当たり前の事を当たり前と片付けずに感謝する気持ちを持ち続けていたい。

インフルエンザの苦しみを知って、健康のありがたさを知るのと同じように、そうなる前から当たり前の生活に幸せを見いだし、生きていきたい。

学校や仕事で何か壁に当たっている人、特に人間関係というあまりにもしんどい問題に打ち当たっている人。
周りのあなたに対する振る舞いはあなたの行為に対するものでしょうか?それともあなたの人格に対するものでしょうか?

人格に対する批判が続いているなら、その環境にいても生産的な未来は生まれないと僕は思います。時に諦める事、撤退する事もまた勇気なんだと、大学の事務の人に昔言われましたが、結構的を得た指摘だと思います。

僕らは悩みを何かしら持ち、それが大きな悩みで誰にも理解してもらえない、自分は不幸の王様(王女様)だみたいに大げさに考えてしまうけれど、生きている限りそこまでシリアスな問題ってないんじゃないかなーと今は思います。
長期的に見た時に、あの頃なんでこんなことで悩んでいたんだと思う日がきっと来る。僕はそう思ってます。

それから問題も細分化していく事で解決への道標を見いだせると今は信じています。
どんな大きな問題も細かく分けて一つ一つ対応していけば何か道を見いだせる。うまくいかないのは一気にそれをやろうとするから。

長期で考えろってのは本や雑誌だとかでもよく目にすると思いますが、いざやろうと思うと短絡的な思考に陥りやすく難しいものです。
だから短絡的に何でもさっさと解決できる安易な道ばかりを選ぶのではなくて、こういうふうになりたいという未来を定義してそこから逆算していくことで長期的に自分の持つ課題に取り組んでいきたい。
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