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実現可能か、そうでないかは別にして今やり直すなら自分ならこうやる

もっかい学校生活をやり直せるならって話。
実際に可能な範囲ってことでやっぱりなんとなく考えていた通りにやり直せると思う。

すなわち日本の高校は行かない。(仮にどうしても行くなら工業高校か商業高校に行きます)
中学は公立でも私立でもどっちでもいいと思う。中途半端に私立行くとそのままぬるま湯でエスカレータ式に進学してしまうだろうから、絶対に受験か就職かそれ以外かという選択をしなければならない公立の方が今はいいのかなとさえ思う。ただ公立は公立で問題児がいても隔離できない、退学させられない等問題もある。私立でも問題児がうまく生き残っているケースもあるがw

んで、中学卒業後、自分なら香港かオーストラリアかニュージーランドか米国かイギリスかスイスの中でシリアスに優秀でなくても受け入れてくれる大学付属の語学学校を探すだろう。で、そこに進学して1年半かけて、ホームステイか寮で生活しながら本当の英語を学びます。これは相当にキツイ経験になるだろうが、10代の自我が発展途上の時ならきっと乗り越えられる。これが30、40とかになって守りに入りだすと難しいと思う。家族なんかいたりしたら相当に実現は厳しそう。。。。

目論みが成功すれば1年半で語学の勉強は完成をすると思うので、それらと併用して大学進学に必要な資格取得を目指す。。多少遠回りでも確実なら、現地の高校進学でもいいと思うし、必要なら日本帰国。。。
この辺はまだしっかり考えていないが、要するに日本で普通に高校に進学して、多分に浪費する3年間を使って、きちんと何かをやった、得たという3年間に変えてしまえという考えである。

それでここでも目論み通り大学進学のためのパスを得ることができたなら、大学に行く。
今まで様々な人に会ったがやっぱり大学には行った方がいいと考えている。もちろんそこで何をするのかが重要なわけだが、理系なのか文系なのかってのは自分なら文系に入り直すと思うが、ここでは大事ではない。

大学で習った事が実社会であんま直接役に立たないのは知っている。でも教養レベルというか、総合的な思考の深さという観点で見ると大学に行くとそれなりの底上げはできるように感じる。
もちろん大学に行かなくても自分で本を読んだり、自分なりにテーマを作って考えていく事で思考の深さを高める事は可能だろう。

自分は人から習った方がてっとり速い事とそうでないことが世の中に存在すると思う。
パソコンの使い方は自分でやったほうがおそらく吸収は速いが、プログラミングの考え方は習わないとどうも自分はできなさそうだなど人によってそれは違う。そして大学では自分で何を学ぶか選ぶ事ができる。ならば選択をして学んでいくというスタイルには格好の場所ではないか、と思うのである。

就職か起業かあるいはニートなのかという選択を見ても、それぞれに関係なく大学行く事で得られる恩恵はとても大きいと思っている。真っ当に人付き合いもしてりゃ生涯の友もできるだろうし、高校ぐらいから海外サバイバルしてりゃそれこそ戦友と呼べる存在ができるだろう。そしてそういった人たちこそが真の意味で友と呼べる存在になり得ると考えている。

前も書いたが、特定のテーマでのみ話が出来る人は全て”仲間”というジャンルに分類される、だが”友達”というジャンルに入る人は特定の話題である必要はない。仮にゲームの話をしていて、その直後にキャリアの話に切り替わっても違和感なく本音で話し合える関係。それが友達と呼べる存在である。仲間はゲームの話題では盛り上がれるが、他の話題ではお茶を濁すような感じになってしまう。別に仲間という存在が悪いわけではない、ただ両者の根本的な位置づけが異なっているというだけだ。

友がいればどのような選択を取ろうとも、自分の選択に覚悟を持ち、相談を出来る相手として生きていく事が可能になる。広く浅く仲間を作っている人は以外とこうはいかないのではないか。真剣な悩みを話せる相手がきっと少ない。それなりに周りからうまく世渡りが出来る存在として認識をされるが実は孤独なのかもしれない。

僕は友と呼べる人がなんとか数人いる。ここ数年会ってない人もその中に入るが、明日街で会ってもすぐに打ち解けられる仲だ。だからどれぐらいの頻度で会ってないとか、話してないとかそんな期間は問題じゃない。
そういう存在を獲得できたのは、例外なく厳しい環境に身を置いた時だった。ぬるま湯につかった時自分は堕落をしていった。ものすごい勢いで志を失い、堕ちていった。

もう一度やり直せるなら、良い刺激や学びを得られる場所にどうせ学校に行かなければいけないなら、行くという選択をするなら納得して選択をしたいと考えるのである。
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