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共感は100%でなくてもいいと思う。部分的にでも良いと思えるものを集めるのはどうか。

生きていくってのは宝探しというか、日々暮らしていける、当たり前に行きている事の幸せさから始まり、思わぬ所での誰かとの出会い、そして現代に生きる人なら避けられないストレス、それもたくさんのストレス。
そんな生活の中にもキラリと光る瞬間、人はそれをワクワクするとよんだりするが、時がある。

僕が今まで知り合った人たちの中にも、その人と出会えてとても良かったと思う人がいても、その人に100%賛同かというとそうでもない。
プレジデントロイターの記事を読んでいても、金はあるが価値観の不一致で苦しむ夫婦はたくさんいても、金はなくても価値観が完全に一致(ないしは相手の価値観を受け入れる、きちんと理解している)夫婦ってのは少ないように感じる。

完全に相手と同じようになるというのは難しい。そうなってしまえば世界から個性という概念は消えてしまうだろう。
社会的に悪と言われる存在でさえ、個性と捉えることができる。
僕らは幼い頃から、特に義務教育の間にそういった社会的に悪な個性は幼いうちに摘み取られるケースが多いので、大人になる頃には普通に社会で生きていけるようになる人がほとんどだけど、そうでない人も少数いる。

人生のゴールなんてものがあるのか知らんが、少なくとも10代の頃は大学を卒業して就職する事こそがゴールであった。
そのために高校にも大学にも嫌々行った。だって大学でないと明らかに就職は不利になるって知ってたから。

僕は就職活動という椅子取りゲームのルールを知った上で、ふてくされながらそいつに参加をしていた。
ルールを知っていたのに受験戦争はあんま努力しないで、大卒の肩書きと言う罠にはまって惰性で進学をしてしまった。
結果として大学はまあまあ役に立ったけれど、それまでの過程ですごい非効率な事をしたように今は感じている。

高校って別に行かなくても大学は入れる。そしてそういう選択をしているマイノリティはごく一部に存在するし。そのカテゴリーに当てはまる人に会った事もある。あまり友達になれそうな感じはしなかったけれど。

今100%の評価を出来る人が世の中に何人居るだろうか。自分の両親にも、もちろん自分にも欠点はある。
友人にもある。友人とよべる存在でさえ一部に受け入れられない価値観を持っている人も居る。

でもそれでいいと僕は思う。それでも付き合える存在が居るってのはありがたい。
人間不信に陥って、友達とさえ会話ができない状況は嫌だ。
僕はなんとか人間不信というレベルではない状態でいる。ただちょっと人付き合いがしんどいと感じているだけだ。

僕はネット空間に自分の居場所を探した。割と簡単に自分と同じようなコトをやっている人は見つかった。でも同じ価値観を持つ人はまだ見つかっていない。
別に同性でも異性でもいいと思ってる。
同じような価値観、同じような所に重きを置く人と、このブログを通じていつか出逢えると信じて、更新をしてきた。

僕が死んでもFC2のサービスが消えない限りこのブログは存在し続ける。だが僕は願う。生きている間に僕が望んでいるその人(人たち)に出会える事を。
夢の中ではそれっぽい人が最近登場するが、目をさめてそれが現実でない事を悲しむ。

現実を悲しみたくない。現実を僕は喜んでいたい。これこそが生きているということだと感じていたい。
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