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この矛盾をどう説明するか 自己愛と他人からの理解のバランス

例えば僕がそろそろ結婚をしたいと思うとする。
相手が必要だから、その前にきっかけを作って出会いを求めないといけない。
僕は今のライフスタイルがまあまあ気に入って、気ままに生活できるのがいいと思っている。

干渉されるのは好きではない。何でも自分でできることは自分でやりたい。
価値観曲げてまで無理して人と付き合いたくない。
この考えは頑固に守って、時々妥協をしては大きく後悔をして、やっぱり原則を守らねばと考え直している。

自己愛に偏ったマスターベーション野郎と指摘をされればきっと僕はそういう人間なんだろう。
でもその横で他人への興味も持っている。
それもできれば、プライドであるとか見栄の比べ物をする同性同士ではなくて、安心感を得られるような異性の存在が最近特に必要なのではないかと思う。
別にセックスがしたいとかそういう意味じゃない。それも多少あるかもしれないが、求めているのは魂レベルでの繋がりを感じられる何か。。。それは同性でもたまにある。。。

利害関係さえなければ、仕事上で出会う客でもいいなぁと思う人は何人も見てきた。
その度に感じたのは自分とはバランスが合わない。社会的に見れば異端者の自分を理解してくれるかという不安。そして拒絶される事へのあまりにも大きな恐怖。

理解をされたいのだと思う。。。部分的にでもいい、ができれば、コアになっている自分の考え方となる価値観を共有できる存在が必要だと感じる。
それなしには生き続けられない。宗教の話じゃない。
何か信じ続けられる、確信を持ってこれだ!と感じられる何か。

人間関係にも人生にもそういうものが必要だと思う。
今は何か、生きるために働いて、生きるために生きる意味を探して、、なんかしんどい感じがある。
そして違和感がすごい大きい。これが本当に自分がやりたかったことなのかっていう疑問。

自由が欲しいってのは本当だろうか。自由時間の使い方もわからないのに。
こういった矛盾に最近気がつく。

心の底ではきっと気がついているんだろう。こんな生活がいつまでも続くわけがないって。
孤独と虚無感を埋めるためには、忙しさと、虚栄心を使うしかない。。。

今はそうせざるをえないから、そうしている。26年間も生きて、僕は自分がやりたいことが何かわからないんだ。。。
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