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NHKのエリート教育のドキュメンタリーを見て思ったこと

NHKで放送されるドキュメンタリーは好きでよく見るんだが、タイトルの通り、エリート教育についての多分再放送だけどやってたんで見た。
前もざっと見たんだが、2回見ると理解も印象も変わってくる。

印象に残っているのは、代償って言葉。
今の自分、これを書いている私と読んでいるあなたがあるのは過去の自分で選んだことの延長でしかない、
あるやつは東大に進学をして投資銀行に就職をする一方で、ある人は大学に進学しないですぐに働く、そして私のように大学行ったけどあんま役立てられず就職できるほど根性もなくて(皮肉で書いてます)能力もない人間。

でも私がこうしてあるのは、能力がない(皮肉ですよ)おかげであり、そのことにたいして、環境が良くなかったとか、周りの人に恵まれなかったとか、そういうことを言うつもりはない。

表面的な所で真似をすれば成果が出ること。いい成果と悪い成果があるけれど、いい成果ならみんなが真似をする。。。でも真似をしても完全には同じにならない。オリジナルの人がそうであるのは運ではなくて、そうなるべくしてなっているってことに気がついた。

んでエリート教育の番組で見たことと、なんかパチンと重なって、フームみたいに思ったのでこうして日記を書いている。

線をどこで引くのかというのが難しい、これはできるけれどこれはできない。あるいは自分に適している、適していない。全てを完全にこなすことはできないから、自分の出来る範囲あるいは無理してでもいける範囲を見つけてそこを目指す。
目標設定ってやつだ。これが自分は苦手だ。ベストエフォートで常にやってきた。できるなりやるし、できないなら途中でやめればいいみたいな考え方。それでも通ってしまったし、不便もそれほどなかった。

だけどそれで納得できたこととできなかったことがある。英語もっとやりゃよかったとか、数学もっとやりゃ良かったとか、そういう後悔は役に立たねーと思ってもやっぱりある。

そしてやらなかったことをやるために払わなければいけない「代償」って言葉。
その代償が許容できる物なのか、できなくても続けられるのか、そんなのやってみないとわからないが、今時分は仕事で多少壁を感じている。

食べていけるちゃ、食べていけるが、本当に自分はプロと胸を張って言えるレベルじゃない今は。そこがやっぱり素人でもなくプロでもなく、中途半端な後味の悪さとしてどうしてもひっかかる。

誰でも出来ること、他人に出来ないこと。他人に出来ないことできりゃ最高だけど、そうするために積み重ねが必要。
その積み重ねもどうやってやりゃいいのか、アプローチの取り方みたいな所で詰まっている。

自分がどうなりたいのか正直最近よくわからない。
仕事は生み出せた。住む家も今の所大丈夫。友達はいないがまあそれなりに楽しんでやってる。同僚もあんまいないけどまあそれもオッケー。
このままずっと行くのかなぁと思うとなんかそれもそれであんま歓迎なことに思えない。

自分は代償を取ることなくなんとなくお茶を濁してるだけなのか?そんなことはない、積み重ねた(意識はしていないが)結果、得たことだってもちろんある。ただ今のままで全部オッケーかというとなんか違う。。。

代償という言葉について自分なりにこれから解釈をしていきたい。
自分の目指している所はどんなことなのか、見えないけれど、考えることは出来るから考えてみたい。
そんなこと思った。
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