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スペースシャトルの打ち上げ成功 世界と自分の接点について考える

手にしたものは自由とわずかなお金。それが今の自分であり、これからさきずーっと続いていく(であろう)先の事もまた、ただそれを追求するだけの生活なのかなと思うと少し寂しさがあるのも事実です。

今朝の8時45分と言えば電車に乗っていた人が大半かもしれませんが、私は朝食を取りながらTV見てましたよー。無事を祈りながら。

若田さん笑っていたね、乗る前の映像がちょっと出たけれど。
不安やストレスは普通の生活をしている人からしたら想像もできないレベルだろうけれど、あるいはそれすらも楽しさに変えていけるほどのパワーを身につけているのかもしれないが、裏では積み重ねたものがきっとあるのだと思う。

自分はこうしてネットの片隅で偉そうな事を書いて、読んでいる人は自分の事を何もしらないおばかな人と思っているのかもしれませんが、自分自身は真剣に感じている事を書いているつもりです。

組織に属す事、そのことについて真剣に考えた結果、とても短い時間であったが結局の所、周りの人とうまくやっていく能力、協調性だとか忍耐力そういったものが世間レベルで身に付いていないと厳しいという結論に至り、自分はその要求を満たしてない欠陥品のような存在との認識から今に至っていますが、どの道を選んでも何かを得て何かを失っていたとは思います。

同僚と話を合わすのも大変だなぁと思いつつも一人では仕事ってできないでしょうと、自分も仕事仲間から大いに刺激を受けて今に至っているわけですが、それ=自分は組織に属さないでやっている人間なのかは、自分は断定できないと考えています。

確かに運営は全て自分の判断で決めるわけで、のたれ死にしような誰も救ってくれないし、成果を出した所で褒めてくれる人もいない。
働くことってのは結局何なのでしょうね?

生きる事であり、自己の実現であり、社会との接点であり、出会い、別れである。
そんな理解を自分はしています。

言い訳になってしまいますが、自分もそうなんだよ!と言っても信じてもらえないと思いますが、楽しくない事もたくさんありますね。働いていると。自分の場合はそういう仕事を通じて出会う、楽しくはないが経験としては貴重な何かを後で振り返るとあの時ああなってよかったと考える人なのですが、その当時は真剣にキツイと思うような事もあるわけです。

何か言葉にうまくできませんが、学生時代にネットで出会った人たちが社会人になってそれで、毎晩のように仕事から帰ってくると鬱だ、死にたいと、それは結構シリアスに言うんですね。
でも数年するとそういう状況を受け入れるというか、仕事に慣れるというのが適切な表現なんでしょうけれど、会社を自分の家の延長のように捉えていたり、転職もせずにそのまま続けている人が私が見ている中では多かった。
不満はあるけれど、今の自分がやることはこれだというそういう姿勢のような。自分に対する自信のなさというのもそれはもちろんあると思いますが。

キャリアという教科書的な考え方で捉えれば今の彼らは確実に市場価値のある人材で、就職活動の時には多いに相談にのってもらいましたけど、今の自分と彼らを比較して、当時の彼らと自分の違いは何で今後その違いがどう作用していくのかというのが興味があります。

もっとわかりやすくいうと私は新卒でどこかに就職したわけではなく、就職というものはしましたが、目立った貢献もせずに、見切りをつけて辞めてしまった私は彼らと同じような未来を歩む事はできないわけです。
派遣になってそこから正社員だーみたいな方法もありですが、現実レベルで考えてみて下さい。本当に希なケースですねそういうのは。

ただここからが言い訳なんですけど、仕事に出来そうな何かがサイドにあったからそういうあえて組織じゃなくてもやっていく決断ができた。
今は食べる事はできて、仕事のやりがいも感じています。
外から見れば勘違いなのかもしれませんが、達成していると思える瞬間や要素もある。

でもそれと同時に、人並みに結婚をしたり、家庭を持ちたいとも思うわけです。私でもねw
でもこのまま社会との接点が極めて限定的なこの仕事を続けているだけではその可能性は弱いなぁと思います。

社会との接点をもう少し広げようとも思いますが、ボランティアでもそうでしたが、グループでやるとどうしても居心地悪いなぁって思ってしまって、自分一人で出来る道を探してしまう。
最終的に学生時代のボランティアというのはその延長で、一人で出来る事に完結したわけですけれども、どうだったんだろう。

自分をある程度押さえる大切さというものがあって、組織で身に付けるべき事がそれで、社会においても概ね大事な要素であるならば、そこからはみ出た自分はどこに身を置くべきなのか。
自分はそんな人間にも居場所はあるし、そういう趣向の人が必ずいると思って、この日記を書き続けていますが、居場所のないかもしれない人間が、居場所を持って、それで社会と適度な接点を増やせたなら、僕らなりのやり方でアプローチが取れるならいいと思いませんか?

それでも教科書的な善良な人のみを、社会が求めていて、自分達のような存在を排他するならば、そんなことはないと思うのですが、このままずーっとこういう生活が続くのかな。。。

それはそれで他人が得なかった人生であり、私オリジナルなドラマなわけですが、でも最近になってまたきっと後悔するんだろうけれど、そういう普通のまっとうな人との接点が欲しくなっています。
別に会社勤めしている人も自分は同じだと思うんだけど、彼らだって社会に出たら、学生の時みたいに友達が出来なくて、ある日子供の運動会で知り合ったクラスの別の子のお父さんと意気投合して一緒に釣りに行きましたーみたいのはあると思うんだが。。。ない?どうせ私は世間知らずですw

ああ、何を書きたいのかまた論点がずれてわからなくなってますね。
自分の事は否定するつもりはないし、むしろ自分の事は好きですけれど、それで周りの人が満たされるなら自分の扱いはダメ人間でもいいと。そう思います。

ただ同じような趣向を持っていて、もしその人が苦しんでいるならば、私は今の生活をとても楽しんでいるので勇気づけてあげたいと思う。そんなに自分を責めるなよって、多様な時代の中で発生した多くの事象の一部に過ぎないと。肩の力を抜いてみろと。そう伝えたい。
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