• 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

夢の分析

相変わらず過去が僕の夢を支配して離さない。
今日は現代文の試験を受けている夢だった。
解答用紙が配られて、気がつくと周りの人間は問題を解き始めるのだが、自分は問題用紙がなく解く事が出来ない。
でも声を出せずにただうつむき、イライラしている。
そこにいるのはまぎれもない学生の自分。
自分に苛つき、周りに苛ついていたあの当時の自分だ。

そこで目が覚める。
あのイライラ、声に出せない、声を出せば居場所を失ってしまうあの閉鎖感。
学校という、組織という、ドメスティックな、多様性がない場所は人を凡人にしてしまうプレス工場のよう。

学校に行かないと教養が身に付かないなんて言うけど、学校なんていくよりも、毎日図書館に行って1日一冊の本を読了した方がはるかに教養はつくだろう。
漫画でもいいと思う。
歴史の漫画を読んでみよう。楽しみながら歴史の勉強ができる。
それも何度も読めば頭に入って、全く関係ない場所でも使える教養へとそれは姿を変えるだろう。

学校の存在意義って何?
大人は何か特別なのか。特別ではない。ダメな人はたくさんいる。
教師は特別なのか。彼らも一人の人間に過ぎない。迷い、悩みながら生きている存在だ。

学校で身に付くのは、他人に評価される技術=会社での出世=大半の人が思う生きていく事。
あるいは協調性。組織の魅力が一人で出来ない事の実現ならば、協調性がそこには必要とされる。
運動会でやる組体操や、踊り、あれの練習に何か意味があったのか。
どなりつけられ、反抗する事さえも出来ずにパターンを何度も何度もやらされる。
授業時間を潰し、運動会の準備と言う時間が確保をされる。
当時は何も思わなかったけれど、本当の所、あれに意味などない。

ただ、イベントとしては楽しく、特に本番では普段会う事のない友達の家族や、転校していった友達が遊びにきたりと悪いものではなかった。
何か、よくわからないけれどワクワクするイベント。
終わった後に、その足で友達の家に行くのが楽しみで仕方がなかった。
今日は何のゲームをやろうかなんて。

あの頃には戻れない。
戻りたいと思う気持ちと、意味のない事はやりたくないという気持ちがぶつかる。
そして夢がそれを具体化してそれを僕に見せているのだろうか。
関連記事

コメント

コメントを投稿する

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

月別アーカイブ
カテゴリー別
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。