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大学に卒業証書を送ってくれと言ったら着払いになった件 私の学生生活、勝ち組が実は負け組

表題の通り、大学に今日電話をして卒業証書を送ってくれと頼みました。
金があるのかないのかわからん大学ですが、着払いで発送するとの事。

卒業証書自体には価値がないというか、どうでもいいのですがそれがないと生協に出資した金額を返金してもらえないみたいなので取り寄せました。

私にとって大学生活が何かと言えば、経験だと言えます。
そこでしか得られなかった経験に価値がありました。
学んだ事には全くと言っていいほど価値はありませんでした。
それは私の学問に対する姿勢に問題があるのはもちろんの事、実際働くようになって大学で学んだ事が役に立つ事がないからそう感じています。(本当は何か価値があるのかもしれませんw)

あえて言うならば、何の役に立つのかわからん事に我慢する能力は身についたのかもしれません。

最近は私のブログにアクセスしてくる方も増えてきたので、私の経歴を簡単に紹介すると、私は中学受験をして全寮制の中学に入学をしました。
以来ずっと大学まで私立一本で進学をしました。

全寮制の中学では毎日が生きるか殺されるかという厳しい生活でしたが、良い友人ができ、現在でも交流が続いている物も何人かいます。
実は私の同僚は中学時代に知り合った仲で、10年以上の付き合いになります。

中学はいわゆる中高一貫教育だったのでそのままエスカレーターで高校に進学も出来たのですが、寮での生活に疲れた事、普通の学校生活というのを経験してみたかった事があり、外部受験をして今度は別の大学付属の高校に進学しました。

このブログにたまに書き込んでくれる私の友人がいますが、彼とはそこで一年生の時に一緒のクラスになり3年間ずっと登下校をともにした仲です。
この頃から私の勉強嫌いと、それに伴うコンプレックスが加速したような気がしますw
生きている理由がわからなくなったり、全ての事が無意味に思えたり、自分の好きな事を自由に表現できない窮屈さに毎日嫌気を感じながら生活していたのを覚えています。

結局、高校では2年生になった頃から落ちこぼれで、毎回追試になるからならないかの成績で、化学のクラスに至っては下位10%の成績の者が集められるクラスに入れられるというなかなか不名誉な経験もしましたw

当然そんな成績なので一般受験で受かる大学などありません。
私は勉強が嫌いだったので、そのままエスカレーターで付属の大学に進学する事を決め、実際進学は許可されました。

大学の付属の高校なので、全国に姉妹校があり、試験をして成績の良い物から人気の学部を選んで行く事が出来ます。
私は誰も行きたがらない短大に進学。
専攻は建築学でした。
試験の成績はひどいもので、数学や国語はまあまあでしたが、化学は学年最下位だったらしく、私の担任が化学の教諭ということもあり叱られた事を覚えています。

そんな感じで大学(短大)に進学をしますが、ここでは良くない友人とつるんでました。
いわゆる付属高校上がりどうして傷を舐め合う生活をしていました。
付属上がりの学生というのは基本的に努力をしないで実力以上の学科に進学するケースがほとんどなので、私を含め基本アフォが多い。

ましてや誰も行きたがらない短大に行く付属上がりなぞ、そんな集団の中の最たるものでした。
講義をさぼって下宿をしている友人の家でゲームをしたり、そもそも大学をさぼって秋葉原に行ってみたり、とにかく最悪な生活でした。

ただこの頃から、リアル世界で自分の事を理解してくれる人を見つけるのを諦め、それをネットにシフトさせた事が功をなし、何人か友人が出来ました。
ブログにも何回か書いていますが、地元の名産品を交換したり、結婚式に呼んでもらったりととても良くしてもらっています。
ネットがなければ今の私はないというほど、この当時に起こした行動が自分の地盤のようなものを作りました。

最悪な生活に近い物をした事で、いわゆる負け組と言われる人たちの気持ちがわかるようになってきたのも10代の頃の特徴です。
私は高校からずっと落ちこぼれだったので、いわゆる居場所のないような虚無感というのをいつも味わっていました。

毎日会う人たちの話題と、自分の持つ話題が噛み合ないから、話す事がなくなる。
結果自分の存在はどこか浮いたものになる。
特に高校2年生になって理系クラスに進学してからはクラスメイト達の事は人の痛みがわからない奴らばかりだといつもむかついていました。
たまに夏休みなどを利用して中学時代の友人達とゲームをしたり、あるいは電話で話したりするのが楽しみだったのを覚えています。

今でもこれは大切に思っている事なのですが、何かに一生懸命になっている人の事をバカにしたり、笑ったりする輩が私は大嫌いです。
それを態度に出す事は大人げない事なのかもしれませんが、そういうことをする人たちとは付き合いたくありません。
そういう人というのは大抵の場合、人によって態度をころころ変えるタイプで、生涯こういうタイプの人とは理解し合えないと思っています。

前述の通り、高校時代から勉強が嫌いで、大学に進学したからと言ってそれが変わるはずもなく、試験の勉強は1秒もせずに臨むのが当たり前でした。
自らの自滅を願ってさえいたのかもしれません。
どうにでもなれと思っていたら、どうにでもなって留年しましたw
短大は2年で卒業するものなのですが、私は半年延長で9月卒業。

そう今と同じなんですw
その時に今の大学が編入を受け付けている事を知り、ここらでしっかり何か自分の腕になるものを身につけようと決意し、今の大学に入学。
特徴的な教育プログラム(特に必修がない事!)が気に入り憧れて入りますが、調子がいいのは最初だけで、やはり勉強がおもしろくなくマンネリ化した生活を過ごします。

ただ英語の勉強だけは真面目にやろうと思い、研修に参加。
これが私の人生を変えました。
米国のコロラドという場所に行ったのですが、天国に一番近い場所と言われるだけあって、とても平和でおだやかな生活がそこにはありました。

当時の日記にも書いたような気がしますが、そこで今までの自分が目に見える事ばかりを気にして、本質的な事に目を向けなかった事に気がつきます。
帰国後は、長く伸ばしていた髪をバッサリ切りました。
服装もブランドものばかりを着ていましたが全て無印良品やユニクロに変えて、ブランドものは全て売り払いました。

日本だと自分の事をべらべらと話すとバカだと思われますが、米国では自分の事を話す事はむしろ歓迎で、何も話さないと逆にバカだと思われます。
米国にももちろん良くない事はたくさんあるのですが(差別など)、米国人の懐の深さをに感銘を受け、その後もう一度渡米。

同じく大学研修だったのですが、今度はアイオワという場所に行きました。
そこで現在でも交流が続いている友人と出会います。
ここでの生活は辛いものでした。
大学の寮に入るのですが、ルームメイトの言っている事はわからないし、田舎町なので遊ぶ場所もありません。
しかも-20度というとんでもない寒さの環境でうかつに外に長時間出ると死にますw

部屋で勉強をするか、食事に行くか、寮の中にあるジムで運動をする事ぐらいしかやることがありませんでしたw
ただそういう厳しい環境で生活したせいか、相手が話している事が飛躍的にこの時にわかるようになりました。

よく英語本にも書いてありますが、ブレイクスルーするためにたくさん恥をかかないといけないんだと思います。
米国人が何を話しているかあまりにもわからないので、彼らの口元に耳を近づけてみたり、紙に書いてもらったり、逆にこっちが紙に書いたりと苦労をしましたが、その経験がとてもよかったらしく早口で話されたり、相手が話している事がわからなくても焦る事がなくなりました。

そんな時はただ、I don't understand what you are talking about. と言えばいいだけです。
わかるまで彼らは詳しく説明してくれますw

帰国後は英語を使う事をとにかく意識。
OSを英語版にしたり、キーボードを英語モデルにしてみたりとミーハーぶりを発揮しましたw

おかげで他言語環境に置いてもとまどいなくコンピューターが今は使えます。

英語のスキルは伸びたけれど、本業の情報技術はちっとも成長しない。
そんなことをやっている間に就職活動の時期がやってきてしまいました。

よくわからないので有名な企業をたくさん受けますが、とにかくよく落ちるw
ようやく内定を一社貰いますが、内定を貰った直後にインターンをその会社でしてみたらただのブラック企業であったことが判明。
母の病態悪化、他界と人生の転機が訪れます。
と同時に卒業延期が決定して、内定は辞退。

もう一度就職活動をするわけですが、活動をすればするほど、働くコトが何なのか、そもそも自分が生きている意味がわからなくなりました。
母の死が自分に与えた影響が多く、お金に不自由はなかったけれど果たしてこれでよかったのかと自問自答を何度もしました。

どうせ大半の仕事に意味はないのだから、単純に給与が良くてキャリア的にも可能性が多い業界を受けようと就職活動をしますが、相変わらず面接に落ちますw

ようやく4月に内定のようなものをもらいますが、ここでインターンをしてみたらやはり何か違う。
既存の組織で働くのは自分に向いてないのでは?と勘違いをし、友人からの誘いもあり、起業を決意。

大学は無事に9月に卒業。
卒業式の日に仕事をしていて参加し損ねる。
現在に至ります。

今でも自分の選択が正しかったかはわかりません。
起業をしたはいえ、これでよかったのか?こんなものなのか?と感じる事はしょっちゅうです。

ただ思う事は、死ぬ時にわかるであろう人生に対する答えに後悔の念をこめるのか、満足しながら死んでいくのかを基準に何でも決めていこうということです。

大学に進学してよかったかって?
それはわかりませんが、もう一度昔に戻るならば、高校になんて進学しないし、大学も日本の大学には進学しない。(サイバー大学に通いながら事業を起こすか、香港などの英語圏の大学に進学をしたい)
それだけは確かです。

世の中のばかげた基準、勝ち組や負け組という物差しで何かを決めてきた人たちが今何をやっているのかを知れば、そうした基準など最初から無視する事が賢明だと気がつきました。(勘違いする事に成功しました)

エリートちゃんたちは派閥を作って傷を舐め合ってますし、あるいは付属の学校に進学してヘッジをした気になった人は大学に入ってから苦労をして、卒業は出来ても何のために生きているのかわからない生活をしています。

もし自分に子供ができるならば、こういった事実を伝えてその上で彼らに決断をさせたいと思います。
私の学生生活はこういった世の中の、種明かしというか、舞台裏を見る事だったのかもしれません。

とかなり辛口で書いてきましたが、成果を出せている人にはきっと学校という場所は意味があるんだと思います。
何よりも自分の優秀さを証明できますし、就職をするにしても良い大学にいれば有利です。
私のような中途半端な人間だと、就職説明会さえ参加させてもらえないこともあるし、学歴が学歴として評価される事はありません。(後輩諸君がこれを読んでいたら酷かもしれないが事実だから仕方がない。とはいえ研究室に入れば推薦が得やすくなるからそれをコテに研究職に就くことは可能だよ)
つまりやるなら徹底的にやれという事。
中途半端なのはダメですw
そうなるぐらいならやらないほうがいいと私は思います。

なんとなく留年をしたり、休学をしたりだらだらと大学に居座ってしまう人もいると思うけれど、辞めてしまった所でたいして不便になる事はない。
実際、中退という学歴で企業のボードメンバーになっている人は日本にもいます。
もちろん起業したっていい。
チャンスは無数にありますが、それを見て行動を起こす人はわずかです。
なぜなら大半の人に取って既存の組織を抜け出す事はリスクとしか考えられないからです。
でも成功している人はきっとそれが逆にチャンスだと思って行動をしています。

引きこもりになったり、ニートだからって後ろめたい事を感じる必要性はありません。
働いているから偉いのか?偉くありませんw
意味のない仕事をしている人が世の中にはたくさんいるのです。
そして「忙しい、忙しい」と言って、自分に酔っています。

時々それが人生なんだよって思う事があります。
何もしないでいる事から何かをする事で生きる理由を無理矢理作ること。
「人は何もしないでいると鬱になる」というのは、取引先から言われた事ですが、結構正しいと思います。

何もしないで鬱にならずに楽しく生活できるならばそれは才能です。
そうすることができて、引きこもったり、ニートになれているなら私はそういう人こそ勝ち組だと思います。

と辛口で書きまくってしまいました。
こういうことを書くとバッシングされるのだろうか。
それはそれで今は楽しいと思えるかもしれない。
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