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年の終わりに

今年の夏から年末に至るまでかな。
小さな挑戦をしながらも色々と失敗をしたり、思いがけないことが起きたりして結構きつかったんです。

自分がどこに向かおうとしているのか、何を求めているのかを見失ってしまったんです。

でも今日ね、車の運転してて、年末ということもあって空いてていて開放的な気分だったんです。
それで、オーディオブックを聞きながら学生時代に当初思っていたこと、以前も書いたけど生活拠点を複数持ちたいと思うことについて考えなおしてました。

そうしたら気がついた。
何も変わってないし、目指す方向性に向かって順調に自分は踏み出せているって。

学生時代に思い描いた夢がどんどんと現実味を増して実現してる。
仲間に助けてもらいながらも一人でここまで来ることができた。
そのことに対する若干の自信。そして誰とやってもうまくいかないという挫折感も当然ながらある。

多分あと数年もしない間に、来年から仕込みも開始して海の外に出ていくことが増えると思ってます。
少し寂しいけれどやっぱりこの国に自分の居場所はないと思うのと、自分自身が望んでいる世界を実現するためには生活拠点を移さなければいけないという結論に至りました。

学生時代は英語圏で白人が住んでいるような場所で考えていたんですけど、蓋を開けてみればアジアの国になりそうです。
日本からもそれほど遠くなく、米国やイギリスに行く時間の半分以下でアクセスができる国々です。

自分はアジアの国々に長期的には生活拠点を複数持ちたいと思っています。
非在住者として日本国籍を持ちながらも海外で生活をしていきたいと今思ってます。

アジアの国の中にもキリスト教の影響が強い国々があり、自分が最初に生活拠点を移す国はそういった国になりそうです。
これは自分にはとてもやりやすい環境となりそうです。
米国に居た時もキリスト教の影響を受けている人にとても親切にしてもらったし、違和感なく受け入れてもらえたし、自分自身も彼らに貢献をしたいと偽りの無い気持ちで接することができた成功体験があるからです。

あの時を境に虚栄心を捨てることができたと思います。
上辺だけの世界から、本質に目を向け自分が何を望んでいるのかを考えるようになりました。

住み慣れた国、住み慣れた環境を手放すのはそれなりのしんどさもやっぱりあります。
恐怖心も当然ながらある。

日本みたいに真夜中に出歩けるのかな?とか、間違って治安の悪い場所に入ってしまったらどうしようとか、品質の悪い製品ばっかりで日本が恋しくなったらどうしようとか、そもそも日本以上に人付き合いが減って孤独に耐えられなくなったらでどうしよう、とか数えればキリがない。

でも結果的に起業家になったのと同じように、そうせざるを得ない事情で海の外に自分は出ていくのです。
それには若干の寂しさ、挫折感、屈辱感、敗北感といった要素も伴うでしょう。

日本で就職出来なかったから仕方なく起業した。
日本でダメだったから海外に来た。

結果、思ってもいなかった世界に出会って楽しめている。
そういう未来になったらいいなと思ってます。

そのためには仲間がやっぱり必要で、来年からどれぐらいかかるかわからないけれど、仲間探しに真剣に取り組んでいきます。
年の終わりに自分が向かう方向性は当初から何ら外れることなく、ただ足元を見失っていたということに気がつけたことがただただ嬉しいです。

このままの自分でいい。
ただ未来のために若干の行動が今までよりも必要になるだけ。
今ちょっとだけ気が楽になり、心地よいプレッシャーと開放感に包まれています。

2012年も楽しみです。


おまえの欲しがる救いや希望はスピラのどこにもありはしない
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2011 振り返り

2010年だったかその前だったかに、仕事の先輩に「自分の心のなかで勝手に作り上げている、仮想的な恐怖や敵に打ち勝ちたい。それを今年の目標にしたいです。」と言ったのを覚えている。

今でも自分の理想に現実が追いつかないことに苦しんだり、悩んだりすることが多く、見えない牢獄に囚われているような状況から脱しきれていない。
どうすればこの牢獄から解放されるのか?色々と試行錯誤しているんだけど、自分を棄てきらない限り無理なのかなとも思う。

自分はこういう人間で、しかるべき対応がされるべきである!みたいな高貴な理想を持ち続けている限りこの牢獄からは自由になれない。。。そんな風に思います。

なかなか自分の理想、こうでありたい、こうあるべきだ、という姿に現実が追いつかず、追いついたら追いついたでこのままでいいのだろうか?という新しい恐怖が襲ってきたりして、難しいなーという印象。

俺って変わってるなーとか、俺って嫌われているんだろうなーとか、諦めにも近い現実の受け入れは、コンプレックスでもあり推進力でもある。
世間を見返してやりたいという原動力。それだけが自分を奮い立たせてくれるモチベーションになってきました。

望んだ対応や反応、結果が得られないことも今は原動力に変えて前に進んでいるけれど、ゆっくりしたいと思うことも多く、走り続けることだけ考えられたら楽なのにと思います。

最近は、こいつは俺のことを嫌っているんだ、俺の敵なんだ、という被害妄想的な考えにはそれほど苦しまなくなりました。

じゃあ何が苦しいのかというと、同じ目線で話を出来る人がいないということです。
これは奢った言い方でもあるんだけど、一人で何かに取り組むという孤独、経営サイド特有のものだと思うんですけど、これを話せる相手がいない。

来年は新規事業ってことで本腰を入れて取り組みたいと思っていることがあるんですけど、その分野で誰かしら同じような感覚で話ができる人との出会いがあればいいなぁと思います。

少なくとも今の仕事に関して言えば、やりたいと思っていたことは全部やって、その上で理想も追求して、最後に残ったのが”一人でやっていく”という結論だったので、今の仕事の分野に関してはこれ以上の発展は求めません。

来年はノウハウの共有というか、売却も視野にいれてやりますが、その過程で利害関係者は増えると見ています。
利害関係者には貢献を意識して接するけれど、自分の孤独や悩みは話せないと思う。
話せば彼らを不安にさせるし、彼らを顧客として扱えないと思う。

今唯一自分の立場や孤独、苦しみを近い立場で理解してくれそうな人が一人だけいます。
彼とパートーナー契約をして来年は利害関係者を取り囲んで少しだけ今よりも社会との接点を広げます。

その横で並列して2つほどの、ヤリタイコトを進めていきます。
2011は今までの活動の延長でしかなかったけど、2012は今までと結構違う一年になると思う。

来年こそ、2012こそ、この牢獄から僕は本当に脱したい。


DreamTheater - The Glass Prison 投稿者 JudasFireBLADE

FF13の世界観はFF10のそれよりも深いように感じる



わかりにくい用語や抽象的な表現が多いFF13なんですけど、自分的には本当に良くできているゲームだと思っています。
このシーンは人の一生は生まれた時に神によって定められていて、我々一人一人は生まれてきた理由を成就することで安らかな終わりを迎えられるという考え方を表現しています。
運命に従って生きるのか、決められた使命に逆らって自己を確立するのか、同じような悩みを持っている人も多いのでは?(生まれながらに家業を継ぐことを期待されている、生まれた時からエリートとしての道が決定されているなど)

時に我々人間は生まれてきた理由や生きる理由がわからずに苦しみ、暴走をすることもあり、発狂をしてしまう事があります。
発狂することをFF13の世界ではシ骸になると表現しています。

善人ほど早く世を去り、悪人は長生きしていたりするのも使命を全うしたか、していないかという解釈で捉えることも出来るかと思います。

このゲームはわかりやすいゲームではないけれど、森羅万象と宗教チックな世界観を交えて考察するととても深く、構成が出来ていると感じます。
自分の中では、ナギ節を作って、そのナギ節が破壊されるループにハマっている悪循環を表現していたFF10を超えるのでは?という印象を持っています。

ベンチマーク 他人に苦痛を与えて奪っていた人はその後どうなったか

具体的に誰がとかじゃなくて、自分自身も含めた10数年という期間でベンチマークを知ってる人の範囲内で設定して見てるんだけど、出た結論は”奪ったら自分もいずれ奪われる”ということでした。

因果応報ってやつでしょうか。
自分自身も今まで心を開かないで他人を拒絶したり、人を虐めたり、逆に自分が虐められた経験を持っています。
なのでそういった歪みに対するリターン(報復のようなもの)も確実に受け取ってきたという自負があります。

自分の成長と組織(国家やコミュニティ、大学など)の成長どちらに重きを置いて考える人が真の成長を得るか?という問いかけがあるのですが、自分はずっと自己成長を最大化することだけを考えてきました。
今は組織への貢献が真の自己成長に繋がると思うようになりました。

これは経営者サイドに都合のいい思想なんじゃないか?って思う人もいるかもしれないけれど、かなり本質だと思っています。
組織への貢献というのは必ずしも評価だけではなくて、短期的には批判をされる行動かもしれない。
だけどいずれ大衆が既存の歪みに気がついた時に、彼または彼女のおこした行動が結果として大きな貢献に繋がっていたりして、そういう人が真の成長を得て強くなっていくのだと思ってます。

他人から評価されることー大学で良い成績取るとか、難しめの資格取得したとかもそれはそれですごいと思うが、それ以上に大事なのはそれを使って誰にどれだけ貢献できるか?ということではないかという話です。

学生の頃はこういった視点はなかなか持てませんでした。
なので現実的な主体性を持って取り組める対象を見いだせなかったんですね。

仕事をするようになって急成長できたと感じられる時は、自分への貢献もあったかもしれないけれど、コミュニティへの貢献が無意識に実行できていたように感じます。
今一度それを取り戻しに行きたいと思うし、並列して新しいことにも挑戦していきます。

もう他人に苦痛を与えたり、奪ったりする経験はしたくない。
それを止めるためにまずは自分から変わらないといけない。

ラフプラン2

複合的な事象の交差とそれをマネジメントしている自分の姿というのがあって、それが軌道に乗っている時に自分は大きなsatisfactionを得ます。
なのでそれを現実に落としこんでいくために、起業をするという選択をしたわけだが、後悔もあるし、満足もある。

後悔ってのはキャリアを積んで着実ながらも世の中に対して需要のある分野で確実に貢献していくという可能性を失ったこと。
この国じゃ新卒で就職をしなければそこからのリカバーはとても難しい。
そういった枠組みに戻りたいかそういうことではなくて、その可能性の中に生きていたらどうなったのかな?とたまに考えます。

満足というのは、人生におけるフリーシナリオは厳しさもあるがやっぱり楽しいということです。
どこに行って何をするのかを決めるのは会社ではなく自分。
その裁量の中にリターンもあれば苦痛もあり、未知との出会いの中で今までだったらできなかったことができるようになっていき非常にエキサイティングです。
これはやっぱり他人に雇われて他人の価値観の中に生きていたらなかなか得られないsatisfactionだと思うので良かったと思う。

学生時代に実現したかったことは大きく分けて多分2つあったように思う。

1.テクノロジーを現実世界に対してどうやって役立て人々の生活を良い方向に導くか?
2.英語という言語をアカデミックな世界ではなく実用的な道具として使い、仕事ないし生活に直結させるにはどうすればいいか?

1は現時点ではなんとか達成。
今の仕事もFBもTwitterも全部そうですね。
それを作る側に回りたいという思いもあるけど、どちらかというとそれを使って何をするか、それを活用していかに生産性を高めるか?に対してより大きな興味があります。

2をこれからシリアスにやっていきたいと思っています。
そのきっかけは実はすでに得ている。
頭ではわかっているけれど理由をつけて取り組んで来なかったことです。お金がないからとか、時間が確保できそうにないからとか、外国人に騙されるのが怖いからとか。

今頭の中でぼんやりと描いているプランは、簡単に説明すると

収益構造1に収益構造2を加えて、収益構造3の中から生み出される一定期の収益を、収益構造4に移して、ROAを強化するということです。

収益構造1は今の仕事、収益構造2はこれから創り上げる予定のこと、収益構造3は今既に取り組んでいて見通しがボチボチ立ち始めたことです。
そして収益構造4が英語を使う仕事ないし生活全般になるのかな。

生活拠点を複数持ちたいと思っているんだけどそれって東京と大阪とか、横浜と名古屋とか日本国内だけの話だけじゃない。
もっとマクロで理想を持っています。
具体的にはアジアだと思っています。
21世紀はアジアの時代だと思っていて、そこに賭けるのが自分のこれからの生き残り戦略なのかなーと。

日本の利点を最大限に活かしながら、そこで得た利をアジアに回す。
そうすることで既存の日本の人たちの生活も良くなりながら、自社のROAを高めることが出来るのではないか。

前回書いたラフプラン1ではウェブ制作の話を考察していたと思うんだけど、今はもう少し具体性が増していて、ウェブ制作というのは仕事というよりも自分の目的を実行するためのツールではないか?という所に落ち着いています。

そのためにワードプレスという技術を学ぶ必要があるし、サーバーの契約やらインストールやらやって実際に動かしながら学んでいく必要がある。
なので直近でやることはそれの準備と実行。

技術が高くないと成功ってできないのか?優秀じゃないと成功ってできないのか?
多分既存の大衆的な価値観はこの質問に対してYESと答えるだろう。
僕はこれらを必ずしもYESだとは思ってなくて、そうでなくてもいけるよってのを証明したいと少なからず思ってる。

大都市を徒歩で効率よく移動する方法

最近街中を徒歩で歩いていて効率の良い移動の仕方が見えてきたような気がするので共有。

1、マクロの方向を定義する
2、信号待ちの時間を並列移動に費やす
3、前方予測で信号の変化のタイミングを読み取る

少し難しめの言葉になってしまったが、3つの考え方の実行で効率よく移動できる。
これは大都会で碁盤目のような区画整理がされている街並みでのみ実行できる。
新宿とか渋谷や大きな街だけど区画整理はされてないのでこの考え方はあんま通用しないので注意。

1から解説。
まず出発地点から目的地までの方向、北に向かうのか東に向かうのかという全体的な方向性を感覚として意識するということです。
これにより混雑している道をヘッジして脇道を使ったりしても、全体的な方向感を失わずに移動が続けられます。

2は徒歩で最も時間を浪費するのが信号待ちなのでその時間を短くしましょうという話です。
例えば現時点から目的地まで北西にマクロの方向で移動しなければいけないとしましょう。
途中で2ブロック直進するつもりで歩いているが、1ブロック右に移動して、1ブロック直進をしてもマクロでの方向性にぶれがでないということがあると思うんです。
そして直進方向の信号がちょうど赤になってしまうような時、何も考えないで青になるまで信号付近で待機するのではなく、進路を直進方向から右方向に変えて、右方向に1ブロック移動。
その間に直進方向の信号が青になるので、青になりそうな所で、直進方向の横断歩道で待機。
待ち時間を減らした上で目的地までの移動距離を削減します。

ちょっと難しいかな。まあ実践すれば感覚ベースですぐにわかると思う。

3は信号の変化するまでの時間を感覚で覚えて、全体的な方向感覚も何度か試行錯誤することで掴んでおくのがコツです。

迷ってしまったら携帯のGPSを使って、現在地から目的地までのナビを実行して方向を修正します。
時間に余裕がある時にこういった訓練をすることで、徒歩の移動時間をどんどん削減できます。
1回あたりの信号待ち時間は微々たるものですが、これが3つ、4つと積み重なると削減可能時間がどんどん増えていき、それが週単位や月単位、年単位で換算すると莫大な時間削減に繋がります。

時間を確保できれば別の活動にそれを割り当てることが出来るわけで、これらの蓄積=中長期的な生産性の増加に繋がります。

区画整理がされている大都市や、再開発をして区画がきれいに整備されている街でこの方法は効果を発揮すると思います。
一方通行や行き止まりが多い場所(住宅地など)だとこの方法で移動すると逆に非効率になるので注意。
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