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自分の中のコア

中学時代の友人にここ最近は会う頻度が増えました。
FBという神サービスのおかげで僕が望んでいた世界が本当に実現をして、昔の友だちとの再会が安易に実現をするようになりました。

実名で、身元や経歴を公開した上で一定の責任ある発言をする必要があるFBでは、その発言や発信に一定以上の信頼が置かれます。
結局mixiが自分の中でブレイクアウトした感覚を持てないのは、取ってるリスクの違いなのかなーって思います。
仲間内で軽い雑談を楽しむにはいいけれど、強いコミット意識で何かを進めるエネルギーはあそこでは生まれにくいように感じます。
ビジネスライクなパートナーをmixiで募った時もありますが、一緒に働きたいと思える人はなかなか見つからず、引き抜いてきても思想的な側面であんま長期で付き合えそうにないなぁって人が多かった。
一方でもう少し深めの趣向を晒し出す場所で仲間を募るとそれなりの逸材が寄ってきていました。

当時はそういうのって偶然なのかな?と思っていたけど、必然的なのかなと今は思います。
それはつまるところ、創業家の経営者と雇われ社長の違いみたいな。
両者は同じような仕事をしているけれど、取ってきたリスクが違うからリターンも違う。
全てのことはトレードオフで、自らの夢見た願望の大きさや、起こしてきた行動の延長線に存在をし続ける。

FBで再開する友達は、数十年ぶりの再会とかが普通の相手ですが、すごく自然体で飾らない自分でいられて、相手の成功や奇跡を偽りの無い心で賞賛できる自分がいる。
これをきっかけにロングタームで付き合っていたいなと思える相手がほとんどです。(今の所)

僕は若い時はいつも誰かに嫉妬していて、自分は本当はすごく価値のある人間なのに周りがそれを認めてくれないと思っていた。(今でも自分に敬意が払われないとすごく嫌な気分になります。なので他人にも敬意を払っていつも接していたいと思っています。)
そしてそれが実現されないのは周りが悪いのだと思っていて、世界や周りを憎んで、怒りのエネルギーで毎日生きてました。

でも本当は僕はとても弱い存在だし、優れていると自分では思っていても本気で取り組んだ経験や、卓越した能力を証明できるわけでもない。
ただ少しだけ他の人が見を向けない所に可能性を見出して行動できる傾向がある人で、それが自分の中の少ないながらも強みなんだと思ってます。

子供の頃付き合っていた友達の中には、良い意味でも悪い意味でも変わってしまった人がいて、久しぶりに会うとそのギャップが楽しかったりする。
変わっていくものがある中で、自身の中で中心的な位置を占めているモノ、コアになっている部分というのは変わっていないと感じることが多いです。
それは彼らの長所でも短所でもあり、それがその人特有のユニークさになっていたりして、長所だからいい、短所だからダメとかそういう短絡的な捉え方のもっと先にある概念に見えます。

飾ったり、演じたり、虚勢を張って得る立ち位置に今はあまり価値を感じません。
自然体で輝いている瞬間を自分や他人の中に見出すときに魅力を感じます。
それはもしかしてコインランドリーで洗濯槽に服を入れる瞬間に見出すのかもしれないし、車の運転をしていてふと着想を得る瞬間かもしれない。

ここ1ヶ月僕は思う所があって、苦しんだりもしているけれど、自分なりにもがいて原点を見つめ直せていると思う。
昔の友だちと会うことで彼らのコアになっている所も見えるし、自分自身のコアになっている所もちょっとだけ感じることができている。
きっときっとこの流れはすごくエキサイティングで良い感じのことだと思うので、ちょっと意識して続けていきたい。

たった一つのメッセージや、たった一つのフォンコールで未来なんていくらでも変わるんだと思います。
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ルームシェアをしたい

そろそろ独立をしなければいけないので、部屋調べを始めました。
一人でアパートを契約ても8万、9万円で契約はできそうですが、二人ないし三人以上で20万円ぐらいの物件を契約してシェアしたほうが効率がいいのでは?と自分は考えています。

理由
1,バックグランドの異なる人と生活をすることで多様性に触れ、対人能力やコミュニケーション能力が強化される。

2,結婚をしたりある程度の年令になると、利害関係やしがらみが増えてこういったことが出来なくなる。また金銭的余裕が若い時よりも出来てくるのでルームシェアの必要性を感じにくくなる。若く金銭的に余裕がそれほどない時に、ルームシェアをすることで金銭的負担を減らしながら自己成長も得られる。

若く結婚もしていない今だからこそこういったことに挑戦ができる最後のチャンスだと思った。

3,理由の2にも関連して、本来であれば家賃8万円前後の部屋というのは学生向けだったり、単身者向けという条件向けで設計されているものが多い。

ルームシェアをすることで家賃15万20万の部屋に住むことができる。
そしてそういった部屋は単身者向けの部屋と比べると設備面や機能面に優れているので、一人暮らしとほとんど同等の負担で生活レベルを高めることが出来る。

4,そもそも一人暮らしって非効率過ぎると思うから。


理由1については、家族と生活をするのと他人と生活をするのではかなり異なった環境になるという話です。
生まれた場所や価値観が異なる人と生活をするのだから、何かしらの衝突が当然あると思うし、そういった事を乗り越えながらお互い他人を尊重しながら自分も大事にすることができるようになっていくと思います。

俺自身はこのあたりの能力に不足を感じるのでルームシェアをして強化したいと思った。

理由2については、ルームシェアを募集している人たちを見ていて感じた事です。
20代後半ぐらいから30代半ばぐらいの人が多く、18歳から20代なかばぐらいの一番ルームシェアする必要がありそうな人たちがほとんど見当たらなかった。
これは意外で、ルームシェアの事をそもそも知らないのか、若くして金銭的に満たされているのか理由は不明だが、多分認知度の問題なんだろう。
日本じゃルームシェアって考え方はまだマイノリティなのだ。

理由3について。

家賃8万円とかの物件は構造が軽量鉄筋コンクリートや木造建築だったりして、耐震性に疑問があるのはもちろんのこと、音漏れ、音の伝達にも敏感な構造のため、パーティションを切った構造物に住んでいるのと大差無いような環境に近い。

家は寝るための場所で、基本仕事(学校)と往復するだけという生活の人はこれで問題ないと思う。
しかし私は仕事場として、生活の場所として使うため、どうしても生活する上である程度の音が発生するし、夜遅くに活動をしなければいけない時もあるので、単身者向けのアパートだと周りに住む人に迷惑をかけてしまう側面が多い気がする。(夜中のシャワー、洗濯など)

家賃15万、20万の物件となると、家族を持っている人が腰を据えて住むような物件になってくると思います。
そういった物件はある程度しっかりとした構造設計(RC構造など)も確保されるし、部屋の設備(空調、水まわり、乾燥設備、駐車場、駐輪場、セキュリティ)を手に入れることができる。

家族が生活をする拠点とするような部屋だから音も出せるような構造になっているだろうし、時間的な制約をそれほど深刻に考えなくても活動ができると思う。

理由4についてはいつも感じていることです。

一人で洗濯機や炊飯器、冷蔵庫を独占して、テーブルやら椅子やらも一人で使って、それらは引越したり生活環境が変動した場合は処分をしなければなりません。

例えば一人暮らしで上記一式揃っている人が、誰かと結婚したり、実家に戻るという場合、すでに持っているモノを全部持っていくことができないので処分をしなければならないと思います。
そういった事を何度も繰り返すと、毎度毎度いろんなモノを買い足したり、捨てたりしながら金銭的な負担も大きいと思うし、それ以前にすごく効率が悪いと思う。

24時間使わないものなら誰かと共有したほうが効率いいよね。
仮に自分がルームシェアの環境外に出ることになっても、残ったモノは残った人たちが引き続いて共有していけば資源も無駄にならないよね。

ルームシェアをしたい、する理由に共通するのは、金銭的、活動的な効率を高めながら、自活する事ができるという事だと思います。

最近読んだ本



この著者の本は以前も読んだと思うけれどすごい安心感がある。
なぜ掃除をしないといけないのか、なぜ身だしなみを整えなければいけないのか、なぜ心を整えなければいけないのかが理解できる。



掃除が苦手な人は掃除する部分を決めてセット単位で取り組んでいくといいのではと提案がある。
私も同感。今日はキッチンだけを掃除して、次の日は洗面台などと分けてやっていくことで1週間もすれば片付いていくと思う。
捨てることに抵抗がある人は本は古本屋さんに持っていけばいいと思うし、状態の良い衣類に関しては古着屋さんに持っていけば捨てることなく処分ができる。
値段が付けば誰かの役に立つ可能性もあるわけで、自分にとっても誰かにとってもいい流れだ。





以前、感想を書いたか忘れたので貼っておく。
おそらく本として完成させるためにはまだ取材が必要な段階であったと思われる。
故人となってしまった加藤さんを忘れないために出版に踏み切ったのであろう。

時々思うんだけど、個々人が人生に置いて与えられている課題をこなしきってしまうと人は生きる理由を失ってしまうのかな。
いい人ほど短い人生で終わっていたり、理想的な夫婦が子供に恵まれなかったり、偶然にしては頻繁にそういった事例を見かける。
これらに共通するのは、もう学ぶことがないぐらいに人間として完成の域に達してしまっているから
、新たな課題が彼らには与えられない状態になっているのではないか?
そんな風に最近は思う。
課題が与えられている間はまだまだ何かを学ぶ余地が僕らにはきっとあるのだと。

10years

両国まで歩いていったついでに、高校時代に通っていた予備校の建物を見てきた。
狭い土地に4階建ての建物。屋上もあり、雨の日は雨漏りがする建物。

その建物はそのまま残っていた。
古びた建物だ。
当時も古かったけれど、築年数にして30年は超えているのではないだろうか。

予備校は事業を整理してすでに廃業しているので建物内は空っぽ。
テナント募集の看板が外に貼ってあった。

あれから10年が経ったことになる。
普通の高校に通って、普通の生活をすれば楽しいんじゃないかって思って中高一貫の進学権を破棄して別の高校に進学をした。
あの時そのまま中高一貫の学校に残っていたらどうなったのか?と考えることがある。

なぜ進学しなかったのか理由を述べようと思えばたくさんの理由が見つかる。
当時の俺は孤立感を強く感じていた。
部屋に一人でいても何かをするわけでもなく、自分を上手に表現できるわけでもなく、誰かとの距離を器用に調整できるわけでもなく、悩んでいた。

あの時の悩みが、ぎこちなさが今の自分を形成し、自分の強みにもなっている。

予備校では誰とでも違和感なく付き合うことができた。
自分を受け入れてくれる場所に対する強い安堵感。強い仲間意識。ずっと付き合い続けたい、付き合い続けれると思える存在がそこにあった。

いつの間にか彼らとも音信不通になってしまい、予備校時代にお世話になった先生とも連絡が途切れている。
どうしてもっと彼らとの関係を大事にしなかったのだろうと最近になって思う。
そうしなかったことを自分自身で選んだのだからその結果は受け入れないといけないって頭じゃわかってる。

あの頃は本当に何でもできると思っていて、自分に根拠なき自信のようなものも兼ね備えていた。
いつから自分に何もできないと思い始め、自分に自信が持てなくなったのだろう。

働くようになって行動範囲の広さや裁量権とそれに付随する責任の重さに一定の満足感を得たけれど、学生の頃には学生の頃なりの楽しさがあった。
それを有効に使いこなせたかはわからないけれど、自分なりにその瞬間をもがいてきた。

今は年をとってしまったという事実の重たさ、方向性を定義しているようでしきれていないような妙な違和感。
ふわふわと地に足がついていないような、ぎこちなさを感じている。

努力する機会を破棄してきたわけだから、今の自分が自分であることを拒絶するつもりはない。
もっと何かに夢中に取り組んでいたらと思うこともあるが、その対象を見いだせない事情が自分にはあったのだから。

俺は俺でいいのだと思える瞬間が来ることを信じて明日からも生きてゆく。

休日らしい過ごし方ってナンダ

英会話のクラスで毎週毎週、週末何すんのって聞かれるんで、何かしないといけないのかなっていつも思ってた。

週末って別に特別なことしてなくて、いつもより長く寝ていたり、本を読んでいたり、映画を読んでいたり、ジョギングしてたりと、平日の延長的なプラスアルファ程度の要素しか自分は含めてない。

そんな単調な生活をちょっとだけ変えようかなと思って、今日は休日らしく外出してきた。

国際ロボット展というのに行ってきた。
入場料千円で好きなブースを見て回れる。
基本商用路線で商談を進めることが狙いの作りになっているが、家族連れや、理系に進もうと考えている高校生、就職前の大学生なんかもいた。

ゆっくり見て回っても2時間もかからないと思う。
最新の技術で人間のやっていることがオートメーション化されていっているのをリアルに感じた。

先進国に生きている人間はただでさ付加価値を産まない仕事に従事できない事情があるのに、ロボットによって人間の入り込む余地が低付加価値の仕事にはさらになくなっていくなと思った。
工場に派遣されて単調な主分け作業だとか、目視による品質管理とか、部品の組立作業とかは今や完全に機械にとって変わられる命運にある。

工学系の理系大学に進学をしてそのまま卒業をすればこういった世界で活躍することになっていたのかなとちょっとした憧れも抱きつつ、そこに辿り着く前に挫折をした自分の脆さ、アカデミックな世界でうまくやれなかった屈辱感、それでも理系の世界っていいなーと素直に思える気持ち、これらが複雑に交差をした。

自分は理系の世界が好きなんだなーとよく思う。
サークルの仲間なんかと会っても、彼ら彼女らには理系の分野では全く勝てないが、魅力的だなーと思う。
ちょっとした偏りも彼らには感じるけれど、自分も相当に偏っている人間なわけであり、そういった偏りを許容しながら強みで勝負をしていく理系の世界が自分は好き。

このイベントの開催場所は東京ビックサイトで、行きは電車で行ったんだけど、思った以上にアクセス効率が良くないんで、帰りは歩いて帰ってきた。
もともとこのあたりって都市博用に確保していた土地が、都市博の中止によって解放された場所なんだよね。
空き地がたくさんあって、東京のど真ん中にこんなに土地に余裕がある場所がまだあるのかと驚きます。

自分の好きな豊洲や東雲は再開発によって恩恵を受け始めた最初の地域なんだろうね。
これからその流れが進んでいって、新宿や丸の内のような日本を代表するとコアな街になっていくのだろう。

そんな東京の未来のことも考えたり、自分はこれからどこに何をしようとしているのか、何がしたいのかとか考えたり、家の中にいる時よりも外にいるときのほうが思考が動くような気がする。

今やっているEコマースの仕事や、直近で立ち上げ中のウェブ制作の仕事も、心の底からやりたいのか?って聞かれると、楽しいけれどずっと専業でやりたい仕事ではないかなって答えが出てくる。

30とか40になっても延々と、多少の違いはあれど基本的な枠組みが同じ仕事をずっと続けていたいとは思わない。
変化があり、忙しさにも波があり、基本的には高い自由度があるけれど、アグレッシブに思い切り仕事が出来るような生活を望んでいる。

結婚もしたいと思うし、自分の可能性を存分に追求できる東京という場所に骨を埋めたいからある程度のお金を稼ぐ力も欲しい。

ここ数週間ちょっと思ったのは、非常勤の特定の部門の責任者みたいな、あるいは顧問みたいな感じで、色々な組織や活動に関わっていくワークスタイルです。
生活にも変化を持たせたいので、ライフスタイルと言ってもいいかもしれない。

とにかく他人と同じ事や同じ事を繰り返し続けるような生活は長期的に続けたくない。
短期的ならいいんだけど、長期では嫌だ。

今はそんなちょこっとだけ先の未来を充実させるための充電期間なんだと思う。
自分の可能性を最大化し続けるために、今までやらなかったことにも少しずつ挑戦していきたい。

最近読んだ本



物語性を持たせながらコトラーのエッセンスを伝えようとしているんだけど、あまり深い理解には繋がらなかった。
ドラッガー本でも同様の本が出て読んだけれど、中高生向けの本と言うか、本質には迫り切れていないように感じた。
手に取りやすい本としては評価できると思う。




図書館で発見。
ある程度話題のある本でも発行されて2年とか経過すると図書館でも難なく発見できるようになります。

これは堀江さんの本なんだけど、堀江さんは非効率なことが嫌いなんだなーと思った。
俺も非効率なことはあんま好きじゃない。

非効率さは遊びや趣味の中に見出せばいいのであって、少なくとも仕事をやるなら生産性をマキシマイズしたい。
本の中に出てくる、都心に住むことの優位性や、家を借金してまで購入する非効率さ、東大に行く価値などは同じような事を俺も感じていて違和感なく読み進めることができた。

著者も指摘しているように、こういった内容のことは多分世間の人達には受け入れがたい側面だと思う。
だけど起業家であったり設立したばかりのベンチャー、規模がそれほど大きくない組織でプレイしている人たちには自然なこと。
そういう意味で素人向けの本ではないと思うけど、堀江さんの考え方に興味がある人は読んでみるとおもしろいと思う。





孫さんと柳井さんが推薦しているってことですごい本なのかと思ったら、全然特筆に値することは書いてなかった。
対談集と終わりの方にあるまとめみたいのだけ読めばいいと思う。

多分孫さんや柳井さんは20年ぐらい前にこの本に出会っているから衝撃を受けたのだと思うけど、今となってはこういった考え方は日本でも普通に大事なこととして認識をされていると思うので、そのあたりが自分に真新しさや驚きを提供しなかった要因なのかと思った。




悪循環にハマっていることへの自覚と、そこから抜け出すための考え方を示している本。
””自分が何を望んでいるかを知るためには、自分が何を望んでいないかを知らなければいけない”という考え方にも通じる所があった。
あとは自分の弱さや良くない所を認めてあげることで先に進むことができますよとか、あんま説教っぽくない所が読みやすくていいと思った。
薄くてすぐに読み終わるんで読書初心者にもいいと思う。

ちょっとした心境の変化

最近自分の中で意識をした結果、変わったかな?と思うことがあるんでちょっと書いてみる。

今までは自分と他人を強く比較して、自分が誰かに比べて劣っている側面があると過剰にそれに反応をして苦しんでいた。

自分はきっかけさえあればいかようにも成長できるという思いがあり、それが実現されないのは環境やその環境を見出すための行動力が不足していると信じていた。

環境さえ整って、しかるべきポテンシャルさえあれば秀でた人間になれるのではないか。きっとなれるのだと。

今思うのは、どれだけ環境が良くても、どれだけ周りに恵まれていようとも、やる奴はやるし、やらない奴はやらないということ。
環境が全てじゃない。きっかけとして多少の影響はあるかもしれないが全てじゃない。

今、他人に対する嫉妬の感情が、自分もそうなりたい、なるために彼らの良い所を真似してみようという前向きな心境に変わりつつあるように感じる。

今までだと他人に良いところよりも良くない所を無理やり見つけて、彼または彼女を否定することで自分を正当化する傾向が自分にはあった。

だけど友達や先輩、仲間に対して今は嫉妬の感情でなく、尊敬を素直に表現できるようになった気がする。
彼ら彼女らの成功を願えるし、何かが実現すれば曇りのない気持ちで喜ぶことができる。

皆が住み分けって考え方で接し合えば閉塞感やわだかまりなんて感じないで生活が出来ると思う。
それで秩序をどう守るの?って聞かれると答えられないんだけど、理想論として多様性から生まれる無限の可能性やシナジーを信じていたい。

そのために個々の才能と能力が存分に発揮され、それを賞賛できる歪みのない心、素直さで友人や先輩とこれからは接していきたい。

誰かに貢献できる喜び、誰かに理解される喜び、そして誰かに受け入れられること。
経済的成功も大事だけど、お金だけ持っててても心は病んでましたって人間にはなりたくないんだ。
それが今の僕の理想。
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