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サークルOB会

サークルの制作物発表会とOBが集まる会に参加した。
卒業してから全く会っていなかった同期の面々とも再会を果たし、楽しい時間を過ごさせてもらった。

相変わらず若い人たちは超優秀で驚く。
今回はOBが合計で40人以上も集まったのだが、歴史のあるサークル、大学の底力を見せつけられた印象だ。

卒業してから30年を超えるような方や、すでに定年された方や定年直前の方などもいらっしゃり、技術職としてキャリアを積んで顧問になられた方、大学時代の専攻とは関係のない分野で活躍をされる方など、色々な方がいた。

同期の子たちも元気そうで、それほどアグレッシブさは感じないが転職や退職することなく就職した会社で頑張っている模様。

自分はといえば就職らしい就職もせずに起業をして今まで来たわけで、彼らとはちょっと違う世界を見ていたのだなと改めて感じた。

キャリアを積みながら、それこそ卒業後30年超えの先輩のような社会人人生を辿っていくような彼らに若干の憧れも抱きつつ、そういった世界で生きていくことができない自分は自分でできることを見つけて生存していかねばならぬのだという自覚を改めて持った。
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チャレンジング

そろそろ新しいことを始めたいなと思って、色々と水面下で進めています。
週末何してた?って英会話の先生から毎週週明けに聞かれるんだけど、毎回、仕事してただの、本を読んでいただの、映画を何本かチェックしただの、お決まりの会話すぎるかなーと思ってきた。

話題性に乏しいと他人と話していてもおもしろがってもらえないもんで、遊び目的ではないにしろ、何か”仕事以外”で新しいことやらんといかんかなと感じます。

今考えているのは次の2つ。

-料理教室
-ヨットスクール

料理教室は包丁の持ち方から教えてくれるスクールに通おうと思います。
ららぽーと豊洲の中にある料理教室に通おうと思ったら、女性限定みたいな感じなんで、銀座のベターホームのお料理教室に通おうと思う。
頻度は月1ぐらいなんで負担も少なそう。

ベターホーム ウェブサイト

ベターホームは男性限定の教室もあるみたいだが、自分としては嫁さん探しという目的も含まれるので一般の女の人がいるであろう教室に参加するつもり。


ヨットスクールは父親が教えてくれたものです。
都が所有する施設で初心者からヨットを学べるスクール。
ホームページ見た範囲では、中学生ぐらいから参加できるみたいなんで、こっちは家族連れが多いかも?

若洲海浜公園ヨット訓練所

グーグルマップでアクセス調べたら30分以上かかるって出るんだけど、そんなに離れているかなぁ?
自分の感覚だともっと近い印象を受けるが、位置的には葛西とかあっちのほうなんでたしかにそれぐらいかかってもおかしくないのかも。

9月から始めた母校の英会話スクールなんですが楽しんでやっています。
最近は大学まで片道1時間かけて歩いて通っています。
筋肉も付いてきたし、体重もちょっとずつ落ち始めているんで、これからも可能な限り歩いて通いたい。
雨の日と、体調がイマイチな日だけ車で通おうと考えています。

クラスの雰囲気は少人数制と理系の学校ってことで、慣れ親しんだ空気感ではあります。
あー卒業大学の学生だなーって感じの子が多い。
皆、遊びたい年頃だと思うのだが、熱心に英語の勉強を遊ぶ時間を削って参加しているわけで感心する。

本来学生ってのはそういう生活をするものなんだよって言われればその通りだし、そうやって自分を練磨し続けてきた若者や同期の子たちにはやっぱりちょっと敵わないかなと思います。
なので今後もやっぱり俺の方向としては、彼らが絶対にやらないであろうこと、逆張りに特化して生存を図っていくしかない。

明日はそんな母校の学祭で、自分が所属していたサークルの発表会があるので参加するつもり。
卒業してから学祭に参加するのは初めてで、かつキャンパスが移動する前の最後の神田での開催。
サークルのブログをさきほどチェックした所、OB40人以上参加とか。
神田での開催最後ってことで思い入れがある人も多いのだろう。

当日は同期の子とか先輩に会えるのが楽しみ。

会話の基本形

昔から長めの会話をするのってどうも苦手だなぁと思ってたんだけど、英会話のクラスで会話の基本形というのを学んで、自分にもできるかも?と思えるようになってきた。

英語の会話は、

add + ask question

というようになっていて、話題を提示して会話相手に質問を投げかけるという形を続けていく。

これって日本語でも同じようにできるよなと思った。

会話が続かないより続いたほうが楽しいし、相手に話題を作らせて負担をかけることも少なくなると思うので、(日本語の)日常会話でも意識していきたい。

愛が足りない?

沈んでいく気持ち、ネガティブな側面を最近は表現することが多かったけれど、それには自分の弱さを認めつつも助けが欲しいという思いがあったように感じます。

前向きな気持がなんたるかを知るために、後ろ向きな気持ちがあるとするならば、そういったプロセスさえも楽しめるのではないかと考えるようになりました。

過去の自分を変えることはできないし、ああしておけばよかったといった後悔の念、失敗、屈辱といったものは、誰にでもあるはずです。

そこから前に進むことが出来る人と、立ち止まって落ち込んでしまう人の違いって何なのかな?と思ってました。

今読んでいる本からその答えが得られそうな印象を受けています。

これからも俺という人間の弱さも表現しようと思うけれど、それはきっと素敵な未来の自分に近づくためのステップなんだと、今までもそう捉えようとしてきましたが、より強くそう意識して取り組んでいこうと思います。

過去の自分が、who I am なのではなくて、あくまでもwho I wasなのだと認識するようにします。

そして未来は必ず変えていくことが出来るんだと、そう信じる気持ちを持って何事にも臨んでいきたい。

あの魅力的な彼も、素敵な彼女も最初からあれだけ輝いていたわけではないはず。
なりたいと思う姿に向かって最初の一歩を踏み出しからきっと今の彼らがある。

いつもいつももうダメなのかな?と心が折れそうになってしまう時に、一筋の光が見えてきて、それは友達が一瞬だけでも自分のことを思ってくれて、メッセージをくれたり電話をしてくれたりしてすごく救われます。

色々と課題も多い俺だけど、俺のことを思ってくれる人がいる。
愛してくれる人がいるんだって思うと本当に救われる。

彼ら彼女らが俺に対してそうしてくれたように、俺も誰か苦しんだり、悩んでいる人たちに自分なりの愛を示そう。
そういう思いで世界の人たちが繋がっていけば、素晴らしい事になるよね。

まずは自分から変わろう。
誰かに愛して欲しいなら、まずは自分が誰かを愛さなければいけない。

敷居の高さ

人生経験が豊富な人から見れば何を言っているんだろうと思うのもしれないけれど自分が感じていることを今日は書きます。

この国では普通に生きることがとても敷居が高いのではないか?という問いかけを今日は書いてきます。

俺たちは生まれて普通に育てば中学までは義務教育ということで普通に生活をして学校に通っていればいいけれど、高校の進学あたりから受験をして他人と競うわなければいけない生活になる。
早い人はこれを小学校だとか中学校で受験をして競争社会に入っていく。

俺の場合は中学からそういった生活が続いていたんだけれど、この競争システムでは負けることが許されない。
負けてもチャレンジすればいいというのはあるんだが、それができるのは実質的に大学以降で、希望の中学や高校に進学出来なかった者は妥協を強いられ、不満を少なからず感じながら競争社会に身をおく身分に甘んじなければならない。

それでも普通に通って、最低限の勉強をしていれば高校ぐらいまでは卒業できなくはないと思います。
仮に出来なくても高卒と同等の資格というのがあるわけで、これを取得すればいい。

問題は大学以降。
無名の大学や有名な大学に進学をしても、学問への取り組みはもちろんの事、インターンだの、アルバイトだの、サークル活動だの、留学だのやって成果を上げなければいけない。

それでようやっと卒業も迫ってきたかなと思えば就職活動で超絶的な椅子取り合戦を強いられる。
これに敗れたものは劣悪な労働環境や劣悪な雇用関係、アルバイトや無職といった身分に甘んじなければならない。

無論そういった道を避けて起業をするという選択肢もある。
しかし起業をして長期的に成功して生き残っていける確率は1000分の1と極めて低い統計がある。

そしてこういった環境で敗れた者に社会の目線は冷たい。
負け犬、身の丈に合ってないことをした勘違い人間などと烙印を押し再起不能にする。

普通に真っ当な会社に就職するだけでも大変なのに、そこから溢れないための努力やら、就職した後もキャリアアップ、出世と心が休まる隙がない。

いったいいつになったら余裕を持って他人に優しさの一つも見せられるようになるんだろう?
そんな思いを感じている人が今は増えているんじゃないか?

人は余裕がなければピリピリしてしまい、他人に優しさや慈しみを振る舞えなくなってしまうと思う。
今の時代は誰も彼もが余裕がなくて苦しんでいる側面が増えているように見える。

それで仕事をするようになってキャリアも積んだ頃には、結婚しろだの、子供を作れだの周りからのプレッシャーがのしかかる。
悪いことにはこれは生物学的に見て一定年齢までに結婚をして子供を作らないとリスクが高まるという統計が出ているために反論しにくい圧力なのだ。

そこで家族はいつか築きたいと思う人ならば誰かと付き合って、結婚しようとも思うのだが、ここでも競争。
いい女から売れていって年齢が経過すればするほど、いい女の母数は減り、ますます結婚しにくくなる。
若い女の人を狙おうとも思えば少子化でこっちも母数が減る有様。
一体どうしろというのだ?

資本主義の本質が椅子取りゲームとするならば後出の者ほど不利になるという図式が成立をする。
そうだろう。
いい椅子からどんどんなくなっていくんだから、後から出てくる人程、優位性を強くしないとマシな椅子を奪えない。

でも誰も彼もが優秀で自己練磨に長けている人間ばかりじゃないだろう?
中にはもう少しゆっくりとしたペースで歩きたい人だっているよね?
他人と同じ時期に同じようなことを誰も彼もがするのが幸せと定義されたらたまったもんじゃないよ。

だけど現実がそれを許さない。
夢を持って前向きにチャレンジングをいつだってしていたいと思うが、時々この事を考えてなんともいえない閉塞感と言うか重たさを僕は感じる。

日本の仕組み事態はそれほど悪くないのに、そこで普通に生活をすることはやたら敷居が高い。
特定の地域に仕事が集中しすぎているし、家は狭くて車2台とか3台とかなかなか持てないし、プールなんてついてないし、庭もおまけ程度な広さだし、ガレージはないわで住居環境もイマイチだ。

失われた10年だか20年だか知らんがもううんざりだ。
政治のせいにも国のせいにもするつもりはないが、そろそろ誰もが希望を持って生きられる社会になってもいいんじゃないか?

尊厳を持って生きていたいんだ。

自信を見失いそうです

厳しい経験や辛い環境から逃れて一時的な安楽を手に入れる生活をずっと続けてきてしまった代償を今痛感しています。
生存力を高めるために取り組むチャンスは今まで何十万回とあった。
だけど俺はそれを全て破棄してしまった。

もはやその積もり重なった偏りを正すことはできないけれど、偏りの中から生まれる強みを生かして生存する方法を模索するしかない。

”人生は何度でもやり直せる”という言葉がある。
今が本当に最後の最後のチャンスと思いもがいていきたい。

今俺個人がちょっとだけ後悔していることをいくつか紹介。

1,学問の世界で興味の持てることを見つけられなかったこと。あるいは見つけてもそれにチャレンジしなかったこと。

高校の時に進路を決める時に、まあ文系の学部に行っても良かったんですけど、なんとなく名前が通っている大学でかつ入学難易度がそれほど高くない夜学がいいんじゃないかと思いました。
実社会との関わりとアカデミックな世界のバランスが取れている分野がいいと思い、経営工学なんていいんじゃないかと考えました。
そしてそれを担任の先生に話したら、夜学なんてダメだの一言でかたされて、そこでどうしても行きたい意思を親にも先生にも表明すれば良かったのにしなかった。

結果、付属の大学で自分が入学を許可された所に行きたくもないのに入学をしてだらだら過ごして半年卒業延期。卒業はできたものの、この時点で大学で学ぶモチベーションみたいのはかなり欠如してしまっていた。
高校で物理学を学ばなかったことや、数学に真剣に取り組まなかったことからシリアスな理系の世界は自分には厳しいと自覚し始める。

当時は人間工学に興味がありそれを学べてかつ短大から編入学出来る大学ってことで探していたんだけれど、本当に真剣に探したわけではなく、コンピュータが好きであることと入学難易度がそれほど高くないという条件で情報系の学部を選択。
試験を受けたら入学難易度は高くない大学だから合格してしまう。

結果論だが編入先の大学に行ったことは自分にはとても良い経験。
学問への情熱はそれほど高めることが出来なかったが、この大学のおかげでアメリカにも行けたし、語学だけは反応値を少しだけあげることができた。
それを実務の世界でも使いたいと思って就職活動をしたけれども、結果は自分の思った通りには運ばず、今に至ってる。

もう一度やり直せるなら高校ぐらいまで戻って、少なくとも一つの教科だけは真剣に取り組んで結果を出したいと思う。それは数学でも英語でも国語でも何でもいいのだが、1つだけでも秀でるような経験を持つことが出来ればそれを自分の中で自信に昇華していくことができると思うのだ。

今の自分は自分に自信を持てない人間になっている。
これでも少しは昔に比べるとマシにはなってきているのだが、挑戦をしなさすぎたこと、楽をしすぎたことがアダになって響いてきている。

働くようになってからはそれなりに挑戦をして自分を高めたいと思ってやってきたが、気がつけば今の生活がこれからも続いていけばいいのかな、生活には困らない範囲で身の丈にあったことをやっていこうなどと保守的な考えに戻って同じようなことを繰り返している自分がいる。


2,恋愛に積極的でなかったこと

結婚なんてしなくてもいいや、見合いがあるしぐらいに思っていました。
素晴らしい人達は何十人、何百人といたはずだが彼女らに自らアプローチをする努力を全て破棄してしまった。
恋愛経験が少ないことを自分は草食系だからと正当化することができないと思う。
少なくとも結婚をするためには女性と付き合わなければいけないのであり、恋愛をしたくなくても結婚をしたいと思うのなら女性との付き合いは何かしらの形で必要というものだ。

身も蓋もない書き方をしてしまうと、人もモノもサービスも良いものから売れていくわけであり、結婚をしたいと思っているのに結婚できていないということは何かしらの品質的なところに問題があるわけである。
俺はまあ客観的に見ても素人向けではない、自虐的に見ても玄人向けの人間だと思うので、まあ売れ残りやすい男なんだろう。
それで売残ってしまった人間同士を強制的に接点を作って結婚させようとする試みが見合いなわけなんだけど、これは嫌がる理由がわかる気がする。

無論見合いで幸せになれるケースも多々あると思うが、入り口の所でこの人ちょっとなぁみたいな者どうし、少なくとも男性に限って言えば自分で女の人を見つけられない人間が出てくるわけだから抵抗感を持つのは自然な反応だろう。

俺もこのままだらだら歳だけ取って見合いをすれば結婚できるのかもしれないけれど、今のままじゃ相手がかわいそうだ。
金も稼げない自立してないおっさんと誰が結婚したがるだろうか。

3,本当の意味で友人をあまり大事に扱ってこなかったこと

友人というのは放っておいても自分の相手をしてくれる存在という勘違いが幼少時代に築かれていました。
幼少期に育った地域は本当にいい奴らばかりで陰湿ないじめの話も聞いた覚えがない。
皆仲が良く、過ちや苦手なことがあってもそれに理解を示した助けあうような風土が自然にあった。
それが当たり前だと勘違いをしてしまった。

そういった素晴らしい環境があったのは彼女、彼らが慈しみの心で他者と接してくれていたからであり、それは自分の人間性だとか実力によってもたらされたものではない。

それを知らずに中学に進学をして、他人との付き合いで苦しみ、逃げるように高校受験をして高校に進学をしたけれど友達はそれほどできなかった。
それを周りのせいにしてしまい、自分が彼らに歩み寄り理解されるための努力をしなければいけないという当たり前すぎるステップを破棄してしまった。

その代償は今孤独という形で払っている。
もちろんこんな状況になっても理解をしてくれる人や友人はいるのだが、それでも交友関係は極めて限定的と言わざるを得ない。

4,自分を好きになれる努力、愛すための経験、自信をもつためのプロセスを避けたこと

上記3点に共通することは、こうありたいという姿があってそれに対してアクションを起こす機会は何度もあったということです。
しかし俺はそれらを全て破棄してしまった。
結果として今の自分がある。それを誰かのせいにすることはできない。自分でこうなることを選んだのだから。

これから俺は少なからず なりたい自分になるためにどうすればいいのだろうか。
少なくともまだ俺は自分を諦めてはいない。
ひどく落ち込んで入るが人生を破棄したわけじゃない。
まだ何かできることがあるはずだ。まだもがけるはずだ。ドアを叩いて中に入れてもらうことが出来るはずだ。
そう信じてる。

引越し準備

引っ越すことになりそうです。
最初は実家の近くにしようと思ったんだが、東京都内でなくてもいいかなと思い、仕事と生活のバランスが関東エリアでは一番いいと個人的に思っている神奈川に目を向けました。

条件としては、

-都会的な側面を持ち、効率性の高い生活が出来る
-人口が多すぎず、少なすぎず変化もそれなりにある街
-東京湾横断道路や高速道路へのアクセスが良い
-大きめのホームセンターが近くにあること
-駐車場があること
-治安が良いこと

仕事は住む場所にそれほど影響をされないので田舎に住んでもいいんだが、田舎は家賃は安いけど生活効率が悪く物価も高いので思ったほど安上がりには住めないと思ってます。
また、”のどかな雰囲気”といった表現だけ見ると響きよく見えるが、実態は変化に乏しく同じような価値観の人が集まり異質を排除するといった陰湿なカルチャーが少なからずあると思っています。
そういった価値観に同化出来れば生活を楽しめるのでしょうが自分の場合はどうしてもそういった要素よりも、様々なバックグラウンドを持った人が集まって色々なことに取り組んでいる都会的な側面に今は価値を見出してしまいます。
なので現時点では自分は都会派です。

神奈川はほぼ全域行ったと思うが、鎌倉や平塚のような別荘地から新横浜やみなとみらい周辺のような活気がある場所まで多少なりとも見て、その中間辺りに位置する場所がいいのかなと思っています。

効率性だけ考えれば横浜中心やみなとみらい周辺に部屋を借りて、車を持たない生活をするのがいいと思うのだが、仕事の性格上どうしても車が必要なためこういったライフスタイルは諦めねばなりませんでした。
そうすると車を持つ事前提の生活という観点で駅から多少離れていても良い → 徒歩15分から20分程度の場所でも生活できる事になり選択肢が広がります。

当初考えていたのは戸塚区のあたりです。
高校時代から何度も行っていて土地勘があること、住みやすくて家賃もそれほど高くないことが気に入っていました。
しかし賃貸物件は思ったほど多くない、あっても中心地から離れた場所で車があっても少し不便という条件のものが多かった。
あの辺りは高低差が大きく2WDの車だと運転効率もイマイチかなーと思いました。
なので今回は候補からは外しました。

東京へのアクセスの良さで見ると、町田や川崎周辺が良いのだが、このあたりは建物や道路の密集度が高く車を持つにはあまり向いてないように自分には思えたこと、どちらかというと電車中心のライフスタイルのほうが適しているように感じたことから候補外となりました。

それ以外に緑区や青葉区、海老名市、綾瀬市なども考えましたが、最終的にいいと思ったのは都筑区です。

このあたりも山を切り崩したような地形なのですが、再開発がいい感じに完了した後で、生活効率が良くなっていること。ここがとても気に入りました。
また街の中も田舎の繁華街のように人が密集しすぎて移動効率が悪いということもなく、適度な混雑具合といった印象です。
ただこれまで平日しか行ったことがないので、休日は混雑するのかも?

高速道路へのアクセスも悪くないです。
今住んでいる場所に比べると劣ってはしまいますが、千葉方面、東京方面、静岡方面なら効率よく移動できそう。
茨城や栃木、埼玉、群馬、長野、山梨などは逆に今よりもアクセスが悪くなります。
これは神奈川という土地柄仕方がないと思っています。
移動時間が長くなってしまう分は何かしらの工夫をして乗り越えようと考えています。

街の中心にはスーパーはもちろんのこと、ホームセンター、ショッピングモールなど生活していく上で必要な商業施設が網羅されています。
街の中心に出れば必要なものはだいたい揃う感じ。

公共施設も調べた範囲ではちゃんと揃っているので、これから現地視察でスポーツ施設や図書館の雰囲気がどんな感じか見てこようと思います。

賃貸物件を調べていて、条件検索のところに駐車場ありというのを入れると一気に検索結果が減ってしまいます。
東京でもそうだけど、完全に車なしで生活できる場所ってかなり限られると思うんだが、どうやって生活しているんだろうと思いました。
近隣の月極駐車場を契約しているのかな。

都筑区の治安を調べた限りでは県内18区中16位だったので問題ないと思ってます。
治安というのは駐輪場に自転車置いていたらいつの間にか盗まれていたり、車に変ないたずらをされたりとかそういったものを想定しています。
田舎だとこういう治安の悪さというのが少なからずあり、見えない経費となってかさんできます。

本質的な所では田舎も都会も変わらないのだが、生活効率という観点では都会がどうしても勝ってしまいます。
もちろん個々人のライフスタイル次第ではあるのだが、生産性を高めるという価値観で見るならば都会がいいのかなと思います。
近所付き合いの薄さや都会特有の孤独に対しては、ボランティアに参加するなどいくらでも対処方法はあると思っています。

今は孤独耐性だけは無駄に高まっているので一人暮らしそのものに大してそれほど不安はない。
だが、定期的に発生する家賃を中心とした維持費に耐えられるのか、そこが不安です。

ざっと試算して見ましたが、月ベースでも最低15万円ぐらいはかかりそうな感じ。
もっと田舎に住めばこれを12万ぐらいまで落とせるが、3万円上乗せして自分の場合は効率性を選びます。
なのでその分、仕事を頑張って見るなり、浮かせた時間でスポーやって見るなりして、生産性の高い生活をしないといけないなと思います。

とりあえず今週末、現地調査も兼ねて視察をして問題なければ契約してこようと思います。
長い間実家ぐらしで本当に快適だったが、親からも指摘されたがこのままだと確かにダメになってしまうし、結婚もできそうにない。
なので正直しんどいが一人暮らしに挑戦して、本当の意味での自立を目指します。

先週から今週読んだ本



対談集です。
この時期は本をものすごい勢いで出版されてた時期なのでAmazonの評価はイマイチみたいですね。
うまくいっている人のやり方を真似しろってのは有名な話で、私も今の仕事を始めた頃先輩の真似をするためにどうすればいいかを毎日考えていました。
真似をしながら自分なりのやり方に落としこんでオリジナルに昇華させていくというプロセスが大事なのではないかと思います。
真似だけでは当たり前だけど生き残れない。




前半は結構おもしろいんだけど、後半は勝間さんの価値観で書かれているんで、マイノリティの俺としてはあんま参考になりませんでした。
幸せの定義ってのは各々が決めればいいってのだけ共感。



旅館というか日本建築っていいなと最近思います。
落ち着くし、デザイン的に流行り廃れみたいのがなくて安定感があると思います。
西洋風のもてなしや演出がスポットが当たるけれど、その側面の良いところは学んでいって、旅館が持っているいい所をもっと伸ばしていくといいと思っています。

個人的には、
-何時に起きて、何時にご飯を食べるとか事前に決めさせるの辞めて欲しい
-料理の量を半分にして欲しい
-24時間温泉に入れるようにして欲しい
-チェックイン
深夜にもできるようにして欲しい

って要望があるかな。
子供の頃宿泊した旅館の記憶をベースに書いているんで今は変わっているかも。

実はこういった
要求はビジネスホテルでは標準になりつつある。
けどそれと引き換えに客は快適になるけど、従業員の人達は負担が大きくなるのかもしれないね。

日本の快適さってのは誰かの犠牲があって成立しているんだよってどこかで読んでそういう側面あるよなぁと思った。
外国じゃ土日になるとお店は閉まっていて、サービスレベルもあんま良くなくて、お金払ってもモノが届かないとか、サービスが提供されないってのが普通にある。(本当)
そこには誰かの犠牲はないけど、皆がそれなりにバランスを取れる世界がある。

どっちがいいのかはわからんけど、日本人の自殺率の高さとアジア以外の外国のそれを比較している範囲では、後者のほうが今のところバランス感覚という意味ではいいのかなと。

スポーツ観戦をする時に準備をしておくと良いと思うもの

-食料を確保せよ
球場の食事は値段が高くてあまりおいしくない。高速道路のPAみたいなイメージ。牛丼600円とか殺人的な価格設定あり。
事前に行きつけの弁当屋さんで買って行ったり、現地で購入できそうな時は買ってから球場に向かう。
飲み物も同様にペットボトルや水筒を準備する。
持ち込みの制限がありそうな大きめの施設の時は事前に持ち込みのルールを調べてから行く。

-座布団、オペラグラスなど必要に応じて小道具を持って行くべし
座席に長時間座っていると疲れます。混雑している球場だとなおさら。疲労を緩和する工夫をちょっとするだけで変わると思う。

-駐車場を調べてから外出せよ
電車で行く場合は調べなくてもいいけど、車でいく場合は調べてから言ったほうがいい。球場に駐車場があるのかないのか。値段はいくらなのか。満車だった時どこに停めるかまで調べていくと停めにくい駐車場や料金設定が高いハズレを引くことはなくなる。

-観戦後の帰宅ルートも調べよ
ナビ任せや電車任せでもいいんだけど、特定の箇所が極端に混雑している時のヘッジ方法も模索しておくとストレスなく帰宅できる。
実際にあった話をすると、ナビ任せで最寄りの高速入口は混雑して渋滞しているけど、1個先の高速入口だと渋滞なしで入れたことがありました。
またナビは細かな裏道や地元の人が使うような慣れている人向けの道を考慮してくれないことがあるので、ナビの提案するルートがいつも正しいとは限らない。
あくまであれは最大公約数的なもので、マクロで見ると概ね効率的に移動ができるが、100%ベストなものをいつも提示しているわけじゃない。

宿泊施設だとか不動産関連のウェブサイト こうするともっと良くなると思うこと

ウェブ制作の楽しさと言うか、夢中になれるきっかけはヤコブ・ニールセンという偉大なるユーザービリティの分野の第一人者の本を読んだことがきっかけだったと思う。

フラッシュはなるべく使わない、ユーザーが考えてしまうような表現は避ける、外部ウィンドウが開く時は事前に教えてあげる などなど、指摘されると当たり前だけど実践できてないサイトがとても多い事が整理されて紹介されていてこんな研究やってる人がいるのか!とすごく感動をしたのを覚えている。

その時はまだ学生でインターンやってて、埒が明かないもんで別のところに逃げたいと思ってた矢先だった。
それで友達が設立した会社のほうで技術面を支援すれば自分も役に立てるのではないかって参加したわけだけど、鳴かず飛ばずでドロップアウト。

次の会社でもウェブ担当になるけど結局声の大きな人にポジション持っていかれて、肉体的にも精神的にも金銭的にも認められない事をなぜ続けなければいけないだろう?という思いから退社。

ウェブに関わる仕事をしたいと思っては来たけれど、毎日のご飯を食べるためにまずは生き残らなければいけなかった。
そして好きなこと、モチベーションを維持できることを続けたいと強く思った。

それが今につながっている。
今俺は再びウェブを製作することを仕事にして、可能であればご飯を食べる手段にしていきたいと思ってる。
そのために俺はウェブに関する反応値、ウェブと言うかホームページをたくさん見て、いい所とそうでない所を把握できる量の統計を蓄積しなければならない。

そういった問題意識でウェブを眺めると色々と思うところが出てくる。
今の時代、アイディアには価値がなくて、実装にこそ価値があるとは堀江さんの言葉だけど、俺もこの考え方に超賛成なんで、アイディアや感じたことはガンガン放出していこうと思う。

とりあえず、旅館やホテル、不動産(マンション)の紹介サイトを見ていて感じること。

-フラッシュ使いすぎ
-重たい
-使いにくい

この3つをよく感じる。
宿泊施設のウェブサイトはシリアスにひどいと感じていて、これは客として依頼する宿泊施設側に問題があるとしか思えない偏りなのではないかと思う。
どのサイトもフラッシュ使いまくりで重たくて、サクサクっと予約なりシステムの概要を知りたいニーズには答えられないない。

フラッシュを使うことは問題ではないのだが、部分的にサイトに動きを持たせることを目的としてアクセサリー的な位置づけに留めるのがいいのではないかと思う。
これを全面的に押し出しているサイトが宿泊施設系は多いんだけど、これをやると何が問題かというとまず重たい。

光回線でアクセスして、スペックもそんなに悪くないマシンで表示させても、数秒からひどいのになると数十秒待たされる。
普段ブログであるとか、ニュースサイトでも情報を取りに行く時というのは積極的に動いているわけであり、もたもた表示に時間がかかるサイトならば飛ばして他から情報を得ようとする動機が働くユーザーは多いのではないか。

どうすればいいのか。
俺が思うにこういった一見きれいですごそうな、だけど使いにくくて重たいサイトはお金もそれなりにかけて作られていると思う。
だけどもっと安価に、持続可能で、プロを雇わんでも自分たちで運用していけると思うんだよね。

予約システムのような専門的な所は業者を使ってもいいかもしれんが、もっと普通のシステム概要やら写真やら映像を見せるってのはスタッフの工夫や取り組みでいかようにもできると思う。
若いスタッフを担当にして写真なり映像なりを何百枚、何時間も撮影させて、スタッフ全員でこんな風にみせようみたいにアイディアを出しあってサイト作ればすごく楽しくて、仕事としてもいい感じに物事が進むと思う。

なんかこの業界に限らず、ウェブ制作、ウェブ運用ってやたら敷居高いのを、本を数冊読むぐらいの負担でなんとかやっていけますよぐらいに持っていきたい。
中長期的な俺がウェブ分野で仕事をやっていくゴールって多分そのあたりに設定したい。

具体的にはここ数年、以前の職場でも使っていたbind。
加えて予約状況を見せるだけ!って条件なら、手動更新だけどグーグルのスプレッドシート機能をウェブ公開機能で見せてやれば解決だよね。
そこから予約!って機能を持たせることはこれだとできないけど、宿泊施設の予約なら電話でもいいし、期日も受けてメールでも受けるみたいに持っていくことはできると思う。
ただ予約してこないお客さんとかも出てくるだろうから、このあたりの面倒さを手っ取り早く解決するって意味で楽天トラベルがよく使われているのかなと思う。

自分も楽天トラベルでいつも宿を探すけど、行きつけの土地で、口コミベースで広がっていく宿なら、楽天トラベルである必要性はそういう宿泊施設にはない。
サイト見て電話番号確認して予約すればいい。

あるいはメールの横にスカイプを呼び出す機能を設置しても運用に耐えられると思うし、FBやツイッターでリアルタイムに質問を受けるのも反応がダイレクトってことでおもしろい。
ただこれはある程度慣れている人だから使いこなしていけるわけで、バックグラウンドがない運営側だと慣れてもらうために教育をしないといけない。
担当者が辞めようものならまた教育しなおし。
そうすると組織的に物事を見た時にそれってありかな?とちょっと疑問も感じる。

ゴールはお客さんに業者に依存しなくても概ね自分たちで運営していける状態になってもらうことなので、この最終的な所をどうやって詰めていくか?はこれからシリアスに考えなきゃいけない。
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