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何をやるか よりも 誰とやるか

twitterとFBで実名登録で発信をしているので、このブログも実名発信に統一しようと考え、プロフィール欄をちょっと更新。
いつまでも起業家だの投資家だの響きだけはかっこ良さそうな表現を使っているのもどうかと思ったので、個人的な組織の代表という肩書きで今後は自分の身分を表現することにしました。

実名登録にすることで誰が何を書いているのかがより明確になるので、俺のことを知っている人はより親近感を持って俺の書いたことに接することができると同時に、俺個人を特定とした誹謗中傷が発生するという問題と今後は対峙していかなければならない。

匿名の自由度と実名の責任感を天秤に掛けた上で実名でやっていくことに決めました。
なのでこのことによって何が起きてもそれを受け入れていくつもりだし、そうしなければいけないと考えています。

大学を卒業して働くようになって感じるようになったのは、今の日本では何をやるかということについては制限は何らかかっていないということです。
俺たちは、少なくとも法に反しない限り何をやってもいい。
何かをやらなければいけないなんて誰からも制されていない。

就職をすることがどことなくゴールに見えますが、就職って別にしなくてもいいわけです。
無論、就職をすることで経験が積める、実務を学びやすい、着実にステップアップができるなどのメリットもあるので安易に就職を放棄するのはオススメしません。
だけど俺が言いたいのは万人にとって就職だけが唯一絶対のゴールではないということ。

面接などでなぜ弊社なのか?という質問は表現は変われど何度も何度も聞かれると思いますが、あの質問に共通する真意というのは、選択肢が無数にある中でなぜ弊社を選んだのか、なぜ我々と働こうと考えたのかという点なんだと思うんです。

この国では政治を批判したり、権力者を批判する言論の自由が与えられています。
そんなの当たり前じゃん?と思う人もいますが、隣の国の中国では発言や発信を誤ると逮捕されてしまいます。

何をやるか、何を言うかという点に関して自由が与えられている国に生まれたこと、そこに住む権利を与えられていること、まずここを自覚する。
その上で自分はなぜ何かをやろうとするのか、それを誰とやろうとするのか、ここに着目するのが大切なのかなと最近より強く思いました。

例えばゲームをやるにしても、今は好きなゲームを自分のお金で買う自由が自分にはあるけれども、一人でゲームやってもあまりおもしろくないなーと感じるんです。

それは昔のゲームのほうが良く出来ていたという一言では片付けられない気がしていて、昔ゲームをやってなぜ楽しかったのかって、気の許せる友達が側にいて、彼ら彼女らと一緒になって遊んだから楽しかったのだと思う。

外で遊ぶにしてもサッカーをやりましょうって話になって、学校の体育の授業でやるサッカーと、仲のよい友人とやるサッカーって楽しさの種類が違うと思う。
上手にやらなければ、とか、成績として評価されるために振舞わなければ、といった前提条件なしにサッカーに向き合えるのと、友達と自分たちの好きなようにやるという所が相乗してすごく楽しい!と感じるのだと思う。

仕事の話をするにしても、赤の他人にそれって儲かるんですかって聞かれるとすごく不愉快だけど、信頼している友人に聞かれると全然嫌味に感じなくて自然体に仕事の話ができる。
これも何を聞かれるか、話すかということよりも、誰にそれを聞かれるか、誰に向かってそれを話すかという点が本質だからと思うんです。

慈善事業を死ぬまでやっても、虚業を死ぬまでやっても、誰もそれを咎めたりしない。
家の前の道路を毎日掃除することで一生が終わる、極端な例だけどそんなのもありだということです。

着目すべきことは家の前の道路の掃除をずっとやるとしても、それを誰とやるのか?ということ。
一人でやるというのももちろんありだと思うんです。
家族とやる、近所の人とやる、学校の先生とやる、地域の政治家とやる、誰とやってもいい。
その中でなぜ彼らなのか、彼女なのか?ということです。

実はここ数年、優秀な人以外とは付き合いたくないと思ってました。
ダメな人と付き合うと自分のレベルも引き下げられるので、レベルが低い人は意図的に避けようと。
だけど何を持ってダメというかなんて極端に主観的な事でしかないし、誰にも得意なこと、苦手なことってあって、誰かが上手にできる何かに魅力を見出すことっていくらでもできる。
捉え方、感じ方の問題なんだなと思った。

人を肩書きだとか上辺だけで判断してはいけないと言われますが、それを理想論として扱うのではなくて、少しだけ真剣にその通りだよねって思えるようになってきた。
大学出たらとか、有名な企業に勤めていたらとか、部下がたくさんいるとか、、それらは一面であって全てじゃない。

今俺が他人を見る上で、例えばツイッターならその人が何を考えて、どういった発信をしているのかを見ています。
どこどこの会社でマーケティングやって、大学ではトップ10%に入っててみたいのはすごいとは思うけどあんま見ていない。
多分そこにフォーカスが当たっていた時期ってのは、肩書きの高い人、実績のある人と付き合えば自分も何か高められるような、ありがたい存在になれるような根拠なき錯覚を起こしていたのだと思う。

ここ3年ぐらいは本当に肩書きというか、優秀な人とだけ付き合いたいという思いが全面に出てきて、わかりやすい成果や実績が伴わない人、行動を起こせない人はダメな人と傲慢に定義をして選りすぐりしてきました。
で、やってて思うのは心に穴が空くというか、確かに実績のある人や行動力のある人と付き合うとダイナミズムは感じられるんだけど、どことなく虚しいというか、そんなにあくせくやってどうするんだみたいな思いが横から出てくるし、仕事だけが唯一絶対の存在って時代じゃないよってひがんでみたり、純粋さや素直さみたいなものがどんどん欠如していくような感覚がいつもありました。

選りすぐりできることはそれなりの力があればこそのものかもしれません。
しかしそこで勘違いしていはいけないのは誰も自分の力だけで今の地位にまで辿りついているのではないということ。
誰かの善意や助けに支えられて今の自分に至っている。
誰かの犠牲があるから今の自分や世の中が在る。

長くなってしまったけど言いたいことは超シンプル。
何をやるかってのは極論的にはあんま重要じゃない。大事なことはそれを誰とやるかということ。

俺は誰と何をやりたいかという点について多少なりとも定義できるようになってきた。
仕事に関しては今のところ一人でやっていくつもり。
だけどそれ以外の活動に関しては、誰かとやりたいと思うことがいくつかある。
そこにこれからはフォーカスを当てていきたいんだ。
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死を意識すれば生き方は変わるのか

人は死ぬという定めを意識しないでいた頃、今の一瞬は永続的に続き、毎日がこれからも繰り返されていくのだと思っていた。

自分が何を望んでいて、自分の理想と現実の間に乖離がどれだけあって、それを埋めるために何をしなければいけないのかをずっと考えることを避けてきた。
そうしなければ理想に近づけないことさえ知らないでいた。

今少しだけ昔の自分の理想に近づいたけれど、僕が成し遂げたことは世界のほんの小さな隙間を開くことに貢献をしたのかもしれないけれど、僕一人がいた事でどれだけ誰かに価値を与えることができたのか?と考えてしまうことがある。

そうやって答え無き答えを探しだすと何か、ひどく自分が無価値な人間に思えてきて、気持ちが落ち込んでしまう。
これではいけない。

どこに自分が向かっているのかを常に定義し続けなければ前に進み出せない。
進みだすためのエネルギーはその問いかけからきっと生まれる。

憂鬱な気持ちに塞がれてどうにも重たい気分に支配されている時、ふとしたきっかけで光が差してくることがある。
そうだ俺にはまだ挑戦したいと思っていてやっていないことがあったんだ。
そしてそれを実現するために何をしなければいけないのかを俺は知っている。
だのになぜそれをやらない。

時間は限られている。
人はいつか必ず死ぬ。
今日死ぬのか、明日死ぬのか、10年後なのか、30年後なのかはわからない。
だけどその時は必ずやってくる。

死を迎える時に俺の人生これで良かったと思いながら死んでいきたい。
あの時こうしていれば、、、って思い残しながら死んでいきたくない。

死の存在を意識することで生活がすぐに一転するわけではないけれど、後悔をしないように、挑戦できることには挑戦できる範囲で取り組んでいきたい。
まだまだもがくよ。。。

強くなるための経験

このブログは俺が自分の為に書き続けてきたのだが、最近になって俺の友達にもちょくちょくと存在がバレてしまった。
あまりにも過激な内容は書きにくくなったと思うと同時に、それでも書きたいことを書いて嫌われることを恐れないで突き進みたいという思いが交差している。

自分の友人たちを見ていていつも思うのは、皆とても優れた人たちだなということ。
これはお世辞ではなくて本当にそう思っているのだが、こんな人達と同じ土台で戦っていてはとてもではないが勝機がないなと思う。

それは大学時代に特に感じたことで、大学で言えば理系の人たちは実験であるとか、講義の準備のために他の学部の人よりも長い時間を拘束され、評価基準もとても厳しく油断をすればすぐに単位を落とされるような過酷な環境に4年ないしそれ以上在籍をしている。

俺はそういったものから逃れたくて、ただなんとなく大卒の肩書きが欲しくて、ただなんとなくレールから外れるのが怖くてズルズルと問題を先延ばしにしてしまった。

結果として彼らにはもはや太刀打ち出来ないほどの実力の差を感じるし、それらはコンプレックスとして俺の中に今も根付いている。

楽をすると人間はダメになるとよく言われるが、いつの時代にも関係なく逆境を経験していない人、挫折を経験していない人、安易な選択をしてきた人はリスク耐性能力が総じて低くなると思う。
それをダメになるとここでは定義すると、ダメにならないために、適切なプレッシャーと成長要因が与えられる経験を積んでいる人が将来的に強く生きていける人になりうる要素を高められるのではないか。

例えばスポーツに一貫して打ち込み実績を上げる人がいる。
夏休みも部活動に打ち込み、なんとなく家でゲームをしてましたみたいな人間とは一線を越える経験を若くして積む。
その瞬間には彼または彼女は自由な時間が自分にも欲しいと考えるかもしれない。
だけど大人になって彼らが感じるであろうことは、そういった経験が財産そのものなのだということではないか。

確かに自由な時間が部活動をやってない人と比べると少なかったが、それは決して退屈なものではなかった。
情熱を持って一つのことに打ち込み成果をあげる。
それは現実世界でも必要とされる能力だし、プレッシャーや逆境の中でも成果を出さなければ生き残れない昨今の時代には特に躊躇なはずだ。

大学に行かなくてもなんとなく卒業出来る人がいる。その横で朝から晩まで大学で実験やら研究に拘束される生活を送る人がいる。
その時は大学に入ったのだから自由に遊べる時間がもっと欲しいと思うかもしれない。
だけど就職をするにしろ、それ以外の選択肢をするにしろ、そういった研究や勉強を通じて身につけた仮説検証の姿勢が必ず生きてくる。
そしてそういった経験や労力を怠ってきた人と比べて大きく差がつくことに実社会に出た時に彼らは気がつくであろう。

楽をすること事態は悪いことだとは俺は思わない。
なぜならば楽をすること、より効率性を高めるために生産フローを見直すことにゴールを設置して時代は進化をしてきたからだ。

携帯電話はかつては普及をしていなかった。
友人との待ち合わせは事前に家の電話で決めておいた。
あるいは公衆電話というものを使ってポケットベルにメッセージを送ることで連絡を取り合ってきた。
今それを見るととても非効率な連絡手段であるが、それはかつて実際に機能していた方法なのである。
そしてより便利に、外にいても直接友人がいる場所に電話を掛けることができたら便利だよねという思いから携帯電話が生まれ、電話をするほどの要件ではないけれどポケベルにメッセージを送るように短い用件を伝える方法が安価に実現できればいいよねという思いからSMSが生まれた。

僕らは今それらを当たり前のように使い、生活や仕事のフローはそれに伴って変化をした。
便利なテクノロジーを活用することで高まった生産性によって今までよりも短い時間で多くのことができるようになった。
それは端的に言えば楽になったと表現ができるのかもしれない。

でもその先の結果として、よりスピーディーに仕事や連絡ができるようになり、時間が生み出された。
その新しく生み出された時間で僕らは別の事にリソースを割くことができる。

多分新しいテクノロジーがこれからもたくさん生まれて僕らの生産性は高まるだろう。
そのために今よりも楽をするにはどうすればいいかを考えていたい。
楽をするための先行投資から全てはきっと始まっている。
そしてその過程で発生するであろう障害を乗り越えていくことで僕らは強くなっていくのだと今は思ってる。
そのための労力を拒むようになったら成長が止まり緩やかな死への下落曲線が描かれるようになってしまうだろう。

理想と現実の乖離を埋めるために

こうでありたいと思う憧れや理想があって、現実がそこから乖離しているとする。
その状況に甘んじるも良し、変えていくために行動を起こしてみるも良し。

当然うまくいかないことも多いだろう。そこで挫折すると決めるのもありだ。
区切りのいいところまで継続するという考えは響きはいいが、往生際が悪いとも表現できる。
それよりも損切りという考え方が俺は好きだ。

情熱を打ち込めなくてかつ、成果を出す見通しが自分の中で立たないものに関しては撤退をして、別のことにチャレンジをしていったほうがいいのではないかと思うのだ。
限りある時間の中で成果をあげるためには挑戦をするために行動を起こすことがどうしても必要。
でもその一つ一つの行動に固執をしていたら他の可能性を逃してしまうこともある。

何を選び、何を捨てるかという選択をしなければならない。
そして自分の中でその精度を高めなければいけない。

俺は今、自分が何を望んでいて何を望んでいないか理解している。
誰と付き合い、誰と付き合いたくないか、どういった生活をして、どういった生活をしたくないか理解している。

もちろんそれらは理想のままで現実にまで落とし込めていないものもたくさんある。
だけどある程度の経験、見たものや聞いたこと、経験したことが積み重なっていくにつれ、これらのことって精度が高まっていくと思ってる。

一度した失敗を二度と繰り返さないというのは良く言われるが、なぜうまくいかなかったのか、自分の行動の何がいけなかったのかがわからないと同じ過ちを繰り返してしまうのかなと思う。
学習能力が高ければこれらをうまくこなせるのだろうが、器用にそれをこなせない人だっている。
俺も失敗への学習能力はどちらかというと苦手なほう。

俺の現時点の理想をメモしておこうと思う。

生活全般
大都会に住むこと、住んでいること
田舎には住まない、住むとしても期間を区切って極めて限定的に留める

多様性のあるコミュニティに属す FB twitterなど ネットじゃなくて現実世界でもそういうのを見つける、作って
もいい

変化のある生活 いつの時代も変化はあるから、それを拒むのではなくて順応してしまう

特定の場所や国家に固執しない 明日どこか別の国で自分の脳力と才能が最大化できるならすぐにそこに飛び込む勇気を持っていたい

余裕が無いこと リスク耐性を可能なかぎり高めなければいけない 持続不能な状態が続いてはいけない

家族編
家族であっても距離をおくことを理解して欲しい 孤独な時間は誰にも必要と考えている

対等な関係を求めると同時に自分も対等に扱う努力をする

持続不能なことはやらない 持続可能なことが最優先事項

お金が原因で何かを妥協をすることを家族に強いない そのための強さを手に入れたいし、手に入れてそれを維持できる強い精神力を持っていたい

DVに走らないようにアンガーマネジメントを身につける 怒ってもあんま意味ない。問題を解決して前に進むためにそのエネルギーを費やしたほうが生産的。パワハラ、セクハラも同義。

対人関係編
自分と考えが異なる人はOKだが、偏りすぎている人はNG 他人の考えを聞くことの出来る人がいいし、自分も他人の意見を聞けるスタンスでいたい

信用しすぎず信用しなさ過ぎない 何事もバランス 最後に信じられるのは自分だが、家族や友人にも一定の信頼を置きたい そのために自分のバリューを彼らに一定量以上示し続けなければいけないのかなと思う

成長曲線を右肩上がりで描ける人と付き合う 停滞期があってもいいが上を目指すというマクロな方向は持ち続けたい

年齢や肩書きで人を判断しない 一番やってはいけないことと思ってる。自分より若くても優秀な人たくさんいる。逆に自分より年配でもダメな人もいる。見ているのはどうやってその人が考えるのかという所。

都会的マインドを持っている人と付き合う。生活全般で書いたことと矛盾しているように見えるがちょっと違う。田舎に住んでいても都会的な考えを持っている人はいる。いろんな地域や生活を知った上で田舎を選んでいる人もいるわけで、そういう人は都会的な側面への理解があるし、話も進めやすいように思う。一つの場所しか知らない人は良くも悪くも偏りすぎるし成長曲線も滞りやすいと思う。

思想編
自分と他人を比較しない 不幸の根源

他者と自分が違うことを恐れない そもそも他人と自分が異なることって当たり前

待つ 自分の強みだと思ってる。意志の弱い人は待つことができないそうです。自分は納得できれば待つことができる

仕事や金儲けはゴールではない 勘違いしやすいけれどゴールは可能性を最大化する事。リスク耐性を高める事

寛容することと拒否することの定義を持つ 変えることと変えられないことがある。方向性が異なる人と一緒にいてもお互い楽しめない

まず稼げ。そこから理想を語れ。 公明正大に理想を語るならそれなりに実績を上げてからにせよ。しょぼい人間が大衆に物事を訴えても響かない。まずはわかりやすい指標として仕事で成功をする。そうすれば少なくとも仕事においては一目を置いてもらえるので仕事の分野では理想を語れるようになるだろう。

以前もっとたくさん理想を書いてまとめておいたんだがそのメモを紛失してしまった。
目標や理想はたくさん持っていたほうがいいと思うのでこれからもどんどん書いていこう。

最近の読書、映画、ドラマ鑑賞 まとめて紹介



タイトルから内容は概ねクラウドITを活用して現代のライフスタイルに適用しましょうって事が書かれているのはわかっていた。
んで実際その通りの内容なんだが、気に入ったのは考え方として現代のライフスタイルがどのように変化していて、特にワーキングスタイルがどう変化していて我々はそれに対応していくためにどのように考えなければいけないのかが書かれているのがいい。

俺が目指しているライフスタイルでありワークスタイルってのはまさに、クラウドITを基調に生活の拠点を大都市圏に置くこと。そして国家や特定の組織や権力からの干渉を一切受けない状態になることである。



あんまおもしろくなくて途中で挫折した。
上流階級同士でくっついてますよみたいな内容。
学者が書いた本みたいで読ませるという視点では書かれていない印象を受けた。




映画です。この作品は隠れた名作だと思ってる。
独立心や自立心を持っている人はかなり共感できる内容なのでは。
エンターテインメントとしても秀逸な仕上がり。
役者陣とてもいい。




原作山崎豊子作品。大地の子を子供の時にNHKで見て衝撃を受けたのを覚えている。
映画の良し悪しは演出も大事だけれど脚本がダメだとやっぱりそこから先を面白く持っていくのは難しいと思う。
その点山崎豊子さんの作品は地に足が付いてるというか、安定感抜群の展開で最後までだれることなく見ることが出来る。

内容はシベリア抑留から帰還した男が民間の商社に入社をして第二の人生を送っていく話です。
高度経済成長期の日本をリアルに感じることが出来、今の日本の豊かさは彼らの犠牲あってのものなんだなと思いました。
全部で19話あり、DVD版はテレビ放送でカットされてしまったシーンが追加されているそうです。
夏休みってことで時間を確保しやすい季節だと思うので興味ある人は見てみるといいと思います。

孤独の賭け http://www.tbs.co.jp/kodoku-kake/

視聴率が取れなかったのと、出演者のスキャンダルでDVDも出せなくなったという作品。
友人からの紹介でどうしても見たかったのでインチキして最後まで見ました。
内容としては不動産開発事業を軸にドロドロした人間関係が描かれています。
経営者の孤独や組織に搾取されてきた人間の痛みが描かれているのだが、こういうのをエンターテインメントとして演出しようとしても共感力は得られにくいように思う。
俺は良くできている作品だと思うが一般人向けではない。




再び山崎豊子さんの作品。
リアルタイムで放送されていた時は、出演者が豪華すぎて毛嫌いしていました。
そういった先入観を捨てて見てみたらとてもおもしろい。

こちらは全10話で短めでさくっと見終わります。
政略結婚をしなければいけないような家庭の内情が垣間見えると同時に、そういった上流階級の中にも志を持っている人間が悩みや葛藤を抱えながら生きていることがよくわかる。

俺はこのドラマに出てくるような上流階級というよりはエセ成金になれればいいかなーと思ってる。
エセ成金になった時に社会的意義とか社会的貢献をもっとマクロかつ長期思考で考えればいいのであって、貧乏人の間は汚い言い方だがお金のことだけ考えて生き残るためにもがいていればいいと俺は思ってる。




渡辺謙さんが出演されています。
知らないでみてあれこの人知ってるなーと思ったら渡辺謙さんでした。

この作品はおもしろさやわかりやすさといった要素をあえて排除して、原作に忠実に無情な世界を描ききっているように感じます。
そのため見ておもしろいという作品ではないが、組織について考えさせられたり、家族をどのような位置づけに置くか最高を促される気持ちになる。

俺としては山崎豊子作品全般に出てくるような組織には属していたくないし、属すこともできない。
そういったところで成り上がっていくのもエクスタシーに満ちていることとは思うが、単にずるがしこい人間が既得権益にすがって生き残っただけにしか俺には見えない。

持たざるものが成り上がるには既得権益を創りだす側に回るか、すでに存在している優位性のある集合に融合するかの2つがあると思うが、俺は既得権益というよりはかっこよく勝てればいいんじゃないかと思ってる。

ツイッターでもよく書くんだけど、俺のこだわりとしてあくせくやりたくないという思いが俺は強い。
年収が上がろうが、やりがいがあろうが、拘束時間が長すぎる仕事はやりたくない。
外的要因に振り回されることもやりたくない。
常に自分でそれらをマネージしていたい。調子が悪い時は躊躇することなく立ち止まって休める選択肢を常に持っていたい。

家を出なければいけなくなるかもしれません

東京に家族で引っ越してきてもうすぐ7年になります。
ようやく東京の生活にも慣れ、大都会の良さを思い切り満喫できるようになりました。

今の仕事が出来るのも大都会の多様性や可能性あってのものといっても過言ではなく、東京に引越して人生一転したようなものです。

そんな大好きなとても快適な生活だけど、もしかしたらこれを手放さなければならないのかなと。
正直すごく怖いです。手放したくない。もう田舎になんて住みたくない。

でも現実が容赦なく襲ってきて決断をしなければいけないのかなと感じています。
今までも薄々そんな日が来るのかなぐらいには思っていたんです。
でも実際問題気楽で自由な生活が続いて、最近では一人でこの家に住んでいて、最悪一人でこのままずーっとこの生活が続くのもそれはそれでありかなと考えていました。

俺は今まで今の生活は高望みさえ極端にしなければずっと持続可能で安泰なものだと思っていました。
そういった段階まで色々な人にお世話になりながら辿りついたことを自信にしてきました。
でも今思うのは、それは儚いもので吹けば飛んでしまうような脆さだったんだなーということです。

正直ちょっと悔しい。
自分が軽んじられているようにも思います。
俺は誰からも大切に扱われていないのかと。

そんなことはないと頭ではわかっています。
だけど最も心の拠り所としていたものが崩れていくような気がして、夜もしっかり眠れないし、食欲もあまりありません。
かなりキツイです。

この現状を解決する方法はただ一つ。
今よりも強くなること。
自分で自分の家を手に入れ、そこを拠点にさらに金を稼ぎ、もはや誰からの支配も干渉も受けない強さを手に入れること。
これに尽きると思っています。

そのために俺は今以上に、今までの何倍も稼がなければいけない。
そしてそれをさらに増やして圧倒的なスピードで俺の定義する強さに辿り着かなければならない。
そうしなけば俺は壊れてしまう。

最初にも書いたけれど今、すごく怖いです。
数少ない心の拠り所さえも俺には与えられないのかと。
孤独に対する耐性はそれなりに高めてきましたが、それでもここは超えないで欲しいという一線がありました。

その一線が今破られようとしています。
こんな日が来るなんて。できれば夢であって欲しいと思う。現実だと可能であれば認めたくない。
でもこれがまぎれもなく今眼の前に広がる現実。

これと対峙するのか、それとも諦めて生きながら死ぬのか、決めるのは自分。
俺は対峙していきたいと思ってる。
すごく怖いけどね。でもやってやれないことはなんじゃないのかなとも思うんだ。

新しい目標設定を考えてみる

自分はどこに向かおうとしているのか?という問いかけをいつも自分に投げかけています。
その問に対して今までは、

「コンプレックスをバネに周りを見返してやりたい」であるとか、「非常識なレベルで経済的に豊かになり、模範解答的な行動に妥協していった人たちがたどり着けない境地に辿り着きたい」といった、とにかく今まで自分は惨めで負けてきたのだが、逆転して見返したいという思いが全面にありました。

今、かつて自分がどうしても受け入れたくないと思っていたこと、こんなふうになればいいのになと思っていたことはほとんど全て満足できる形で実現できたと思っています。
だけどそれでも何か寂しさがあるというか、満たされない気持ちがありました。

嫌いな人と付き合いをしなくてすむような生活を望みそれを手に入れた。
しかし誰かに共感をしたり、一緒に泣いたり笑ったりしたいと思う自分がいる。

誰にも雇われずに自分のやり方で試行錯誤する生活を望みそれを手に入れた。
その横でチームで何かを成し遂げるような経験をしてみたいとも思う自分がいる。

結婚はかなり遠くの未来に意識をしていて、自分から積極的に交友関係をつくろうとはしなかった。
それを望んでいて実際にそのとおりになっている。
しかし今一緒に夢をみることの出来る人、安らぎを得られる関係を求め始めている自分がいる。

世の中との接点を今よりほんの少しでいいので広げたいと考えているのだと思います。
そのための布石を打ち始めました。

交友関係を広げるために英会話スクールに通おうと思っています。
俺が望んでいる交友関係はお金儲けのための利害目的の関係じゃなくて、友達に近い仲間、理想的には友達ができればいいと思っています。
でもどこの誰でもいいわけでなくてある程度価値観というか、居心地のいい空気でやりたい。
なので理系畑の人やメーカーなどに就職した先輩と一緒に勉強できる可能性が高い、大学から紹介されたスクールについて今調べています。

普通の英会話スクールとあんま変わらないようならこの案はボツにしようと思っています。
理想論は教室はかつての大学キャンパス内にあって、受講生は卒業生や一部の在校生。
若い人から年配の方までバランスよく分散されていて、同じ理系ではあるけれど多様的な空気や価値観があるスクールがいい。
それで若い人と今の人達の考え方や、僕の考えも聞かれれば表現したいし、先輩の仕事の話やそれ以外のことも話してみたい。
んで勉強に関しては英語という共通の目標を持って一緒に切磋琢磨する。
まあ俺の場合はTOEICで900取りたいとかそういう目標がないんで、現状維持ないし、今よりも現実レベルで英語を使いこなせるようになるというのが目標になるのかな。
これがまず一つ。

もう一つはまだ未実行だが、極めて限定的に月に1回ないし2回程度他人に雇われてチームプレイを経験してみるのはどうか?と考えています。
なぜか俺の特に出身中学なんかがそうなんだけど、やたら起業家が多い。
んで今の時代は情報を外部にバンバン発信するのが当たり前で、当然のように彼らはFBにいる。
たくさん情報発信しているので読んでておもしろい → そこから少しづつ絡んでいって迷惑にならない範囲で手伝えることない?って感じで繋がられたらいいなーと思ってる。
頻度は冗談ではなくて月に1回か2回程度で全然オッケー。
お金をもらうのはゴールじゃない。最低限の経費と、軽く仕事したな程度貰えればいい。

こういった行動に付随して実は異性との付き合いにも広げていきたいなとちょっと思ってる。
俺は草食系ってやつで別にSEXしたいとかそんな思わないし、価値観合わない人や好きになれない人なら関係を絶ち切ってさっさと次にいけばいいとずっと思ってきました。
なんで別にそんな恥ずかしいと思わないから書いてしまうけど、女性経験もあんまないし、付き合った異性も他人がどれぐらい付き合ってきたか知らんけどおそらく俺のほうが少ないと思う。

今もそういう思いがあるんで相手が肉食すぎる人は俺とは幸せになれないだろうなと思う。
なので相手も草食で、できれば同じ理系畑の人がいいのかなーなんて漠然と思ってる。
感情が全面に出てきて、あるべき姿を追求するためにある程度は論理的に議論できないとキツイので。。

こんな事言えたガラじゃないってわかってるけど、知的レベル、教養もあったほうがいいなと。
俺は難しい漢字読めないし、世間の知ってないとヤバい常識に挑戦的な立ち位置を取る人なんでそのあたりを上手にあやせるような人がいい。
もちろん俺も足りない所は学んでいくし、その覚悟は書くのは簡単だけどちゃんと持ってるつもり。

今まで付き合ってきた人ので同性も含めるという条件で書きますが、やっぱ大学は中退でもいいんだけど行ってる人と行ってない人の間には超えられない壁があるように思います。
これぐらい世の中生きて行く上で知ってないとまずいよね。物事の管理をする上でこんな感じでやっていかないとやばいよねってのが感覚ベースで大学に行ってない人にはなかなか伝わらない。
なんで付き合っていく人はやっぱり大卒の方が色々と気楽でやりやすいというのが正直な感想です。

つまるところ付き合う人は同性でも異性でも向上心がないとキツイ。
一緒に成長していきたい。もちろんあくせくやるんじゃなくて休みながらも長い目で見たときに確実に右肩上がりで成長していたって状況が理想。

容姿は特段高いものを今は求めていない。
ガキの頃はアイドルみたいのが唯一絶対と思っていたけれど、今は一緒にいて自然体でいられるとか、安心できるとか、そういった共感みたいなものを見るようになっているので最初の入り口は広めになっていると思う。
自分自身もそんな偉そうなこと言えるほどの面構えではないしねw

異性についてこれだけ具体的に欲していることを表現したのは初めてじゃないかな。
これだけ具体的に自分の中で具現化できていることにもちょっとびっくり。

経済的な追求から、精神的な追求、心の豊かさを求める方向にシフトしてきている。
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