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連休前に考えていたこと

今日も重めのテーマです。
読みたい方だけお付き合い下さいませ。
俺の中での危機感や価値観というのが相乗をしてここ数年はこういったことばっかり考えている。

小手先のテクニック的なことはグーグルの検索で今はもう概ね解決をされている。
俺達の世代が強いられた、あるいは甘んじて受け入れてきた詰め込み型の記憶偏重の知識には今はあまり価値はないと思っています。

他人が築きあげてきたもので解決されている分野があるならば俺はその枠組の外を考察しよう。俺が最近書いていることはもっぱらそんな感じのコンセプトです。

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どんな事があっても乗り越えていこう

最近youtubeで発見して何気なく聞いていたanyという曲がかなりツボにはまっております。
最近のMr Childrenの曲は前向きすぎて敬遠していたのですが、この曲は自分の中でtomorrow never knows を超えたかも知れない。



幼い頃憧れ、描いていた大人になった時の自分像と、今実際に大人になった自分の姿は一緒ではない。
でも断片的に夢描いていた側面はかなりの精度で現実になっている。

例えば子供の頃やった会社ごっこみたいので俺は社長役だったんだけど、今は組織じゃないけれど肩書きは一応経営者になっている。
それからこれもおかしいぐらい同じように一致しているんだけど、自分がいいと思っていた部下だとか仲間が去っていくというのも子供の頃会社ごっこで経験済なんだよね。
当時、会社ごっこで同僚役だった彼は今何をしているだろうか。

競争社会の疑似体験でもある受験というハードルは既存の価値観への適正を判断する指標になるのではないのかと思っている。
学校でうまくやれる人は既存の組織や大きい会社に向いているのではないか?という仮説だ。

俺はずっと学校でうまくやれた記憶ってのが一度もない。
教授陣やら教師陣と相性が良かった記憶もあんまない。
なのに大学まで進学してしまった。
中学の半ばあたりでどうもこれは自分が取り組むべきことでないと薄々気がついていたのにね。

そして周りの価値観と自分の価値観みたいのがどうも一致していないように感じ始めたのも15から17歳の辺だった気がする。
そこで方向転換をすることもできたはずだけど何か既存の価値観にしがみついてしまった。

そうやって遠回りをしたけれど最終的にはそれに付随する痛みも知りながら自分の望む自分に最終的になることができた。

就職できなかったことも、母が他界したことも、その時点ではなぜこんな事になってしまったのかと嘆きたくなったが、今思えば物事は全て最善のタイミングで自分の身に起きていた。
死を知ったことで生きることをきちんと考えるようになったし、既存のルールから弾きだされたからこそ、それ以外の場所で生きていく術を必死になって定義しようと走ってきた。

そんな俺を今は昔ほど嫌いな存在だと自分では思っていない。

昔は自分が嫌だった。何もかもが思い通りにならないと思っていた。

真実は真逆である。
思い通りにならない事を当時の自分は望んでいたのである。
既存のルールの中でパフォーマンスなんて出したくないことを自分は真に望んでいたのだ。

それに気がつくことができた時から俺の明暗は反転をしたように思う。
あの時が底で、ここから先は上げ調子でしか伸びていかないんじゃないか?ってなぜか思えたんだ。

どん底を知って痛みを知ったからこそそう思えたんだと思う。

挫折や屈辱は悪いことではないと思う。
それを経験するから飛躍ができるのだと今は思っている。

これから先もいろんな事があると思うんだけど、俺は乗り越えていけるんだと思う。
いや乗り越えていこう。そう思う。

作詞・作曲:桜井和寿
編曲:小林武史 & Mr.Children


上辺ばかりを撫で回されて
急にすべてに嫌気がさした僕は
僕の中に潜んだ暗闇を
無理やりほじくり出してもがいてたようだ

真実からは嘘を
嘘からは真実を
夢中で探してきたけど

今 僕のいる場所が 探してたのと違っても
間違いじゃない きっと答えは一つじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像に ほら
また12色の心で 好きな背景を描きたして行く

いろんなことを犠牲にして 巻き添いにして
悦に浸って走った自分を時代のせいにしたんだ
「もっといいことはないか?」って言いながら
卓上の空論を振り回してばっか

そして僕は知ってしまった
小手先でやりくりしたって
何一つ変えられはしない

今 僕のいる場所が 望んだものと違っても
悪くはない きっと答えは一つじゃない
「愛してる」と君が言う 口先だけだとしても
たまらなく嬉しくなるから それもまた僕にとって真実

交差点 信号機 排気ガスの匂い
クラクション 壁の落書き 破られたポスター

今 僕のいる場所が 探してたのと違っても
間違いじゃない いつも答えは一つじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像に ほら
また12色の心で 好きな背景を描きたして行く
また描きたして行く

そのすべて真実

恐怖 → 至福 → 虚無感 → 希望 → 恐怖

ここ半年ほどの自分のメンタルの変化について。
タイトルのようなループを繰り返している。

今の仕事が続けられなくなる恐怖。
今の仕事が続けられる喜び、自身の顧客に感謝される喜び。
自分の取り組んでいる仕事は虚業なのではないか?という虚無感。
未来に光を見出し前向きに次の行動に繋げたいと見出す希望。
そしてその希望さえも月日の経過と共にいつか失ってしまうのではないかという恐怖。(そして最初に回帰する)

なぜ働くのか?と聞かれたときに、経済的な側面を理由にする人も多いだろうが、俺の場合は自分の居場所や価値、存在を失う恐怖から逃れるためではないかと思っている。

自分で勝手に仕事を創って、勝手に人の役に立ちたいと渇望して、勝手に持続可能な仕組みに仕立て上げてきた。
全て望み通りになった。
今やそれを失う恐怖しか俺を先に動かすエネルギーはないのかもしれない。

俺は世の中の人々が感じる仕事に対するネガティブな側面とは無縁の毎日を送っている。
満員電車の通勤だとか、理不尽な拘束時間だとか、職場の雰囲気が良くないとか、人間関係だとか、そういうのとほぼ無縁。

それだけじゃない。生活の基盤も他人が築いた首都圏ではおそらく最高峰のものを使わせてもらってる。
これだけ満たされた環境でこれ以上何を望めばいいんだって思う。

生活の水準が自分の器に反して高すぎるなと思うよ。
そしてここまで水準が上がってしまうとなかなかこれ以下に下げるのはキツイ。
結婚だとか恋愛に後ろ向きなのもこの辺りの側面がかなり大きい気がする。
なんで快適な生活を手放して他人と付き合って生活のレベルを落とさなければならないんだ?という疑問。

前も書いたけど今の生活水準を続けていく限り不便が発生することはまずない。
ただし結婚をしたいだとか、女遊びがしたいとか、家を買いたいとなると話は別。
それは今は無理だ。やりたいとも思わないけれど。

すでに手を打ってはいるけれど、今注力している分野とは別に個人信託になりえそうな別の分野を作っていく必要性をここ数カ月で感じるようになってきました。
毎月年金と同額程度の収入が別個にあると本業が傾いた時も生活を維持することができますから。。

何かを手に入れるというのは、何も手にしていない立場からみると素晴らしい位置に見える。
しかし金メダルを取ったアスリートがその地位を失う恐怖とそこから先は付き合い続けるように、全ての成功の側面には失敗への転落という恐怖が付いて回る。

贅沢な悩みなんだろう。
贅沢な立場なんだろう。
しかし本人は真剣にこれに悩んでいるのだ。

10年後の俺は何をしているのだろう?


Mr.Children ANY 投稿者 hanateen

引き続き募集 遊びに来ませんか?

週に1回か2週間に1回ぐらいでいいので自分の仕事関連以外の人と会って、様々な刺激を受けて明日に向かうエネルギーを得たいと最近思うようになりました。

正直頻繁に色んな人と会うというのは自分の場合管理ができそうにないので、週に1回ぐらいが限界かなと今は勝手に思ってますw

一緒に食事をするにしても、自炊すれば3千円ぐらいあれば飲食店で注文する7千円分ぐらいの質は確保できると最近は思うようになりました。
無理して外食しなくてもいいかな?と思ってます。どうでしょうか。

お互いの自炊スキルも料理を一緒にやれば高まると思うんで自炊をやってみるってのも良い経験になると思うんだよね。
自炊めんどいってなら俺が適当に何か作ります。

ということで遊びに来たい人を引き続き募集します。

最近の最優先事項 持続可能であること

ここ数週間で会った人には伝えたんだが、最近一番大事だと個人的に思うのは、続けられることではないのかと思う。

結局趣味も仕事も友人関連も異性も全て、続けられるからその関係や仕事に関わることが出来ている。

そしてそれを取捨選択と書き方は良くないが、残すものと手放すものを決めることでその精度と満足度を高めることが出来るのではないか?というのが今の仮説です。

何かを手放したり諦めたりするためには、ネガティブかもしれんがそれなりの痛みを伴う経験が必要なのではないか?と感じています。
よくエリートでそれまでの人生で大きな挫折や失敗知らずで来ている人ほど打たれ弱いと言われたりしますが、最近それって結構理にかなっているんじゃないかと思います。

今日も重ためのテーマの考察なんで読みたい人だけ読んでくれればいいです。

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今日の一曲

この曲はbank bandのカバーアルバムで知ったんだ。
初めて聞いたときは頭をガツンとやられた感じ。

田舎で生活した経験がある人はかなり共感できるんじゃないだろうか。
田舎っていうかベットタウン的な歴史の浅い街で育った人。

俺の青春時代はまさにこんな感じだった。
こんな感じの怒りを感じていた。
この曲と黒夢の少年って曲はティーンの男の子の感情を上手に表現できている曲だと思う。

オリジナルを今回はじめてきいたけどかっこいいね。




こっちはbankbandのやつ。櫻井さんは歌がうまいな。

子供の頃なりたくないと思っていた大人像、若い時になりたくないと思っている中年像

子供の頃のことを昨日のことのように覚えている。
目を覚ましたら今の自分じゃなくて当時の自分が目覚めて、友達がいて、仲間がいて、そんな日常に回帰するのではないかという感覚。

あの時感じていた痛みを、あの時感じていた怒りが今の原動力になっている。
怒りは悪いことじゃないと思う。
自分の子どもには同じ思いをさせたくないという怒りから日本は戦争をしない国になった。
自分の子どもには食べ物の不自由を感じさせたくないと願い、日本は経済大国になった。

気がついたときには経済大国どころが成熟国家に生きていた俺。
俺の願い、怒り、それは時代からの乖離ではないかと最近思う。

研究が進んで一つの学問になったとき、それは現実社会から乖離をして使えなくなっている。
自分の経験した成功体験が子供の代には不幸体験になっている。

時代は進化している、なのに人は同じことを繰り返している。
同じことを繰り返して何か悪循環にハマってしまってる。
俺は悪循環にハマりたくない。非効率なことをしていたくない。

話を聞いて欲しいと少年時代に思っていた。
「こんな学校には行きたくないんだ。」「こんな大学には行きたくないんだ」「別に行きたい大学があるんだ」そう思っても聞き入れてもらうことができなかった。
断固たる行動力と説得力を発揮して大人を動かすことが出来なかった。

だけど感じていたんだ。「どうして俺の言うことを聞いてくれない?俺の人生なんだから好きにさせてくれ。」って。
大人は言う。「あなたのためだから」
そんなCMを最近見かけたが、あれは深いと思う。
自分のことは自分が一番理解している。少なとも今は何を望んでいないのかを俺は知っている。

大学を卒業してから何を望んでいないのかをひたすら考え続けてきた。
自分の心の声に従い、続けられることを追求し続けた。
なぜかうまくいくことが増えた。

俺は干渉されるのが大嫌いだった。昔から本当にそれが嫌だったんだ。
文句をいうならどうやって改善すべきなのかを伝えて欲しかった。だけどそれは考えろって言われた。
そいで文句を言ってくる大人は子供である自分たちに押し付けるルールを平気で破っていた。

俺は彼らを軽蔑した。そしてこんな大人には絶対なりたくない!と強く思ったんだ。
でも気がついたら俺もほかならぬ、自分は守れないルールを他人にも押し付けているしょうもない大人のひとりになっていた。
最近それに気がついてなんとか補正中。もう性格を治せるのも残り僅かな時間しか俺には残ってない。

今俺はこんな中年にはなりたくないという怒りにも似た思いを抱くようになってきた。
でも気がついたらきっと同じような中年に自分もなっているのだろう。
その時俺は30代、40代になっていてもう性格も治らなくて、人生の守りに入っていたりするのだろうか。
守りになんて入りたくない。そんな事をしても守れるどころか失う可能性のほうが増すだけって俺は知っている。

しんどくても挑戦をしなければならない。
挑戦することが無くなって無気力になってしまうのはまるで牢獄に入れられた囚人のようだ。
現代は囚人で溢れている。

このブログは学生の人も読んでくれているから、大事なことをもう一度言うよ。
ブラック企業という特定の組織が存在するんじゃない、日本という国そのものがブラックなのだと。
でも日本はいい国だよ。それも同時に言っておく。

どんな時でも感じ方というのは一面があればもう一面がある。
ブラックという側面に甘んじて生きていくのか、ブラックという世界の隙間に自分の居場所を必死になって探すのか、決めるのは自分だよ。他人じゃない。

なんだか最近はこういう重ためのテーマばかり書いているね。
誰が何でどれだけ儲けたか、どの女と寝たとかは俺にはどうでもいい話なんだ。
信じられないかもしれないけれど本当にそう思ってる。

自分の趣向と適正を個々人が追求すべきであって、他人がどうこうやっているってのは本当にどうでもいい。
田舎だとそれが許されないから生地獄(ブラック)なんだけど、都会だと他人と自分を明確に切り離せる。
俺はそれがすごく気に入っているんだ。
田舎を知っているから都会の良さも悪さも余計に理解できるしね。

よい飲食店とそうでない飲食店 本当の”よさ”ってそもそもなんだっけ

働くようになって外食の頻度が増えた。
色々な価格帯の飲食店に今まで行ったけれど、飲食店に限らずほんとうに良いお店が経営を続けられずに、ここってどうなの?みたいなお店が意外と続いてたりする。
なぜなのだろう?と頻繁に思うので考察。

良いお店の定義
-学生でも入れる価格設定
-注文してから出てくるまでの速度が遅くない
-スタッフさんの対応が丁寧、コミュニケーションが上手

上記のようなお店はまた行きたいと思う店だと感じています。
しかし上記の条件がパーフェクトすぎても利益が出ないとお店は潰れてしまいます。
実はそういうお店を結構たくさん見てきました。

ここっておいしいけど安すぎるよな。。。アルコールもたくさん飲んだのに会計が8000円も行かないってのは商売になるのだろうか。
みたいなお店も現在進行形で通っていたりします。
正直、誰もが知っている超有名老舗よりも安くておいしいので潰れて欲しくない。
庶民派のお店なのでタバコ吸ってる客がたまにいてそれと隣り合わせると最悪だけど、それ以外の時はとてもおいしい料理を安く堪能できるお店なんです。

自分が把握している範囲でこういうお店が3つか4つ、大切な客人を招待するときに連れていきたいと思うお店です。

そして逆にもうこんなお店には申し訳ないけれど二度と行きたくないなってお店。
あくまでも自分のケースですが、以下のようなパターンが多い。

-内装にやたらお金がかかってる
-スタッフがよくも悪くも”若い”人が多い
-コミュニケーションがなんか違和感あり。客だから偉いとは言わないがあんま配慮されている印象を感じない
-味は値段の割においしくない。調味料で味を飛ばしておいしいと錯覚させる技術だけがやたら高い。素材はしょぼいものを使っている。(なので利益率はすごく良い)

MBA的な視点で見ればこういったお店が良いお店になるのでしょう。
利益は出ますのでスタッフさんの給料もたくさん払えます。
利益が出ていますので内装をさらにゴージャスにすることができます。

でも俺はこういう店には行きたくない。
女の子を誘うのにはいいお店なのかも知れませんが、普段自分が大切な友人(異性含める)を招待するときに、ここはぜひ他人に推薦したい!と自信を持って連れていくことの出来るお店ではないんです。
そしてたまに知らないで入ったらこういうパターンのお店だったりして、連れて行った人にも申し訳ないと思うし、自分もとても嫌な気分になります。お金と時間と大切な人の信頼までもを失ってしまい無気力になってしまいます。

俺の提案は、俺が行きたいと思ってるお店の単価をあと2割か3割ぐらい上げて欲しいってことなんです。
そうすると千円のメニューは1300円ぐらいになりますが、これぐらいなら許容範囲です。
5000円の支払いなら6500円。支払えなくはないんです。

それで余分に出た利益で新しいスタッフさん雇ったり、古くなってしまった調理機器や空調、エアコンの交換や清掃をして、豪華にするのではなくて清潔感や持続性のある店舗構築に投資をして欲しいんです。
というのは、前者のようなお店は古い建物で、立地も街の中心からちょっと離れたような場所にあることが多いんですね。

なのでお客さんは残念ながらあまり入りません。
そのお店のことをしっかりと理解している人がリピートで来てるようなケースが多い。
外から見るとちょっと入りにくかったりして、地元の人以外お断りなのかな?みたいな印象を受けたりするんです。

そして推測ですが、利益も俺が行きたくないと思うような店と比べると結構厳しめだと思うんですよね。
だからスタッフさんの数もギリギリで回して、店内装備も古くなってちょっと使うのが厳しめになっても無理して使い続けるみたいな感じになってるんです。
わかりやすい指摘をするとちょっと悪循環にハマってしまってる。
だから値上げをしないといけないんですが、それをやるとお客さんが離れていくのでは?という恐怖が経営者にはあるんだと思います。

この問いかけに対しては短期的にはお客さんは離れる可能性もあると俺は回答をします。
でも長期で見れば、もちろん出た利益でインターネットでもプロモーションするとか、平日の昼間に調理教室みたいなのを開いて認知度を上げるとか、泥臭い取り組みは必要ですが、諦めないで続ければ必ず長期では評価されて熱心な固定ファンがつくと考えます。

飲食店経営者の方で僕が好きなタイプのお店を経営されている方がこの文章を読まれていて、同じようなことを感じていらっしゃるなら値上げを検討して欲しいです。
人気メニューや、利益率と労働効率のバランスが良くないメニューだけとか限定的な範囲からでいいと思うんです。

そして他にも店の利益を高めるための泥臭い取り組みを並列してやり続ける。
利益を高めるってのは節約するって意味じゃないですよ。
(トイレットペーパーを安いやつにするとか、、、そういうのはむしろ逆効果だったりしますのでやめてください。)
その結果を定期的に集計をして、効果が高いものを残して低いものはアプローチを検討しなおす。
こんな感じでやれば本当に良い店が日本にはもっとたくさん増えると考えています。

今日の一曲

俺が中学時代から今にいたるまで一貫して大好きなLUNASEA。
特に初期のインディーズからメジャーデビュー直後あたりの作品は他のバンドにない世界観があってめっちゃかっこいい。

黒服限定でこの曲が演奏されたときに昔からのファンはかなり嬉しかったんじゃないだろうか。






発表当時の演奏。こっちもこっちでいい。はやい。



作曲:J
作詞:RYUICHI
今 痛みを知り倒れそうになる
もう見えない太陽さえ痛い
涙が止まらない枯れてしまう
罪を抱いた醜い身体(からだ)「E・D・E・N」

何が正しいのかもう解ら無い
白い幻覚(ユメ) 喉に刺さる
涙が止まらない枯れてしまう
罪を抱いた近代的楽園

誰も彼もが、冷たい壁の中狂いそうになる自分を圧さえる。"Blueに"
誰も彼もが、造り上げられてゆく後ろから目隠しをされたまま、知らずに。

時代が生んだ幻の華 毒を風に乗せて狂い咲く
機械仕掛けのアダムとイヴが 風と共に罪と踊る
未来さえ消すアダムとイヴが 今 手にする "震えながら"

「ミライノ イヴヨ、オレニ トケテユケ、カレテユケ。」

28歳になった

今日付け(15日)で28歳になりました。
30歳になるまでもう俺には時間がありません。
残された時間で劇的な成長を遂げ、成りたい自分、変えたい自分を克服しなければ一生ダメ人間として生きていくことになります。

俺の中での強迫観念として、

1,30になると性格はもう治らない。成長速度も20代と比べて著しく鈍化する
2,田舎で生活し続けると人としての成長速度が一定時期を堺に止まる

というのがあります。

なぜ?根拠は?って聞かれても、ありませんとしか答えられません。
極めて個人的な考えであり、断定的な範囲で感じている統計的な感覚です。

田舎というのは日本と置き換えるとわかりやすいのかもしれません。
日本はいい国なのですが、なぜいい国なのかを日本でしか生活した経験しかないと理解出来ないと思います。
もちろん本や人から聞いた話で日本がいかに素晴らしい国なのかというのを感じることはできるのですが、自分の目と体で体感した経験がないと心のそこから腑に落ちて、日本はいい国だと確信はできないと思うんです。

ここでもう一度、日本を田舎に置き換えてみます。
生まれ育った地域に愛着を持ち、そこで一生を過ごしたいと思う事。表面的に見れば何かとても素晴らしいことに思えます。
でもその地域のことしか知らなければ、その地域がどんなオリジナルの特性を持っていて、あるいはどんな強みがあって、弱いところはどこなのかを理解することが出来ないと思います。

それと成長にどのような相関があるのか?という話ですが、つまりこういうことです。

ひとつの場所や観点から物事を見ることができなくなる → よくも悪くも偏る、あるいは時代の流れや変化から乖離しやすくなる → 多様性に富んだ今の時代ではそれは逆ざやになりやすい → それを知らずに生活を続ける = 現状維持 は緩やかな衰退を意味する → 田舎で生活し続けると成長が鈍化、あるいは止まる

かなり無理やりなこじ付論なのはわかってる。

でも俺にはあれだけ優秀だった友達や先輩の活躍が聞こえてこないのが不思議でしょうがないんだ。
あんなに成績が良くて、スポーツも出来て、女の子にも人気があったのに、実社会に出た途端にかつての活躍や栄光が止まるのはなぜなんだろう?とずっと思ってきました。

人間30にもなればそろそろケジメをつけなければという思いから結婚をする人も増えてきます。
でも確かなビジョンも持たずに結婚に走り、離婚をする人もたくさんいるのは知っている人も多いと思います。
そして離婚には精神的苦痛だけではなく、金銭的な苦痛も伴います。
現実的すぎて申し訳ないのだが、結婚はハイリスク・ハイリターンなトレードだと思ってます。

それで現実に気がついたときにはガチガチに利害関係に固められていて身動きが取れなくなっていたなんてことになればシャレになりません。

どんな時でも自分の可能性を最大化していたいと俺は思っています。
日本で生まれたからと言って別に日本で働かなくてもいいと思うし、日本で死んでいかなくてもいいと思ってる。

誰もあなたに日本で生活してくれと頼んでいないですよね。誰もあなたに日本で働いてくれと頼んでいません。
でもこれを読んでいるあなたは日本で働いて生活をしている人が多いと思います。
当たり前すぎて考えたこともなかったかもしれませんが、一度なぜ日本なのか?なぜこの国で働くのか?というのを考えてみてもいいのかもしれません。

俺は明日自分の能力と可能性を最大化出来る場所が、外国の聞いたこともない場所にあると知ったなら飛び込んでいきたい。
日本が好きで、日本で今は働くことに喜びのようなものを見出していますが、それに固執をする必要はないと思ってるんです。

誰も俺に日本で働いてくれなんて頼んでいない。誰も俺に日本で生活してくれなんて頼んでいない。誰も俺に東京で暮らしてくれなんて頼んでいない。
でも俺はここにいる。なぜなんだろう?

この問いかけは4年前ぐらいから言葉は違えど表現し続けてきました。
手前味噌で恐縮ですがこの問いかけ、個人的に100万ドルの問いかけだと思っています、に30になる前に気がつけた自分は幸運だと思っています。

この100万ドルの問い掛けを自分に投げかけたときに思考はガチガチに固まり、パターン化とも言うべきルーチンに同化してしまったようなメンタル状況では手遅れです。
あるいはマイルストーンのような頭にガツンとくる経験があればまだ変化も可能かもしれませんが、利害が複雑にでもなっていようものならば、フットワークも錘をつけた象のようになってしまうでしょう。
俺はそういった状況になっていたくないと強く思っています。

生意気な書き方ですいません。
でも数年前からこういったことを表現し続けて蓋を空けてみたらかつての自分が成りたいと思っていた自分、ありたいと思っていた姿は全て現実化していました。
そして今俺は自分の可能性を最大化して、マキシマイズされたレバレッジをかけて有りたい未来を追求しています。

うさんくさい宗教みたいになってまいりましたw

少年の頃抱いていた怒り、子供の頃軽蔑をしていた大人。
そんな経験があなたにもあるのではないのでしょうか。

俺は周りを憎み、自分の境遇を憎み、全てを怒りの対象にすることでエネルギーをまき散らしてある時まで生きてきました。

それに伴う代償は現在進行形で払っていますが、ある日を境にこのパターンを辞めようと決めました。
周りを愛し、自分の境遇を受け入れ、全てのエネルギーを前進方向に向けることに決めました。

かつての自分が今の自分を見たときに何を感じるのかちょっとドキドキしながら考えたりします。
でも俺は軽蔑していた、他人にルールを強いるが自分はそのルールを破る人間ではないと思ってるし、舗装された道に善意の名の基で塗り固めた嘘も撒き散らしてもいない。

心のそこから実現したいと思った事、心のそこから成し遂げたいと思えたこと、他人が反対をしていても確信を持って貫き通せる覚悟が持てる信念は必ず現実化する。
誰も信じてくれなくたっていい。でも俺はこれを今、一瞬も迷うことなく信じられています。
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