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最近読んだ本

先日、食料を買いにいったついでに寄った本屋で3冊ほど購入。
読み終えた。




自分的にはイマイチだった。翻訳はまあまあ読みやすいが、大きな組織にいる人に向けたメッセージを感じました。
要はフォーカスする点を見誤っていないか?という問題定義なわけで、仕事をするのに豪華な家具やら大人数の会議は必要ないなどそういう話が延々と続く。
大企業に勤めた事のない自分にとっては響かない内容だし、当然ながら危機感を感じる内容はなかった。
機敏性のある組織やチームを作りたい人向けの本という印象です。




この本もイマイチだった。現時点(2010年)の今では当たり前すぎて斬新さがない。5年ぐらい前にこれを読んでいたのならより良い発見があっただろう。
フラット化する世界もそうだが、たくさん売れた本は誰かが要約を必ずまとめてアップするのでそれを読めば充分という気がします。
要約を読んで気になったり、より深く研究してみたいと思ってから購入するという選択もあるしね。

ロングテールって何?って方は、wikipediaの記事がよくまとまっていて読みやすいのでチェックしてみて下さい。

上記2冊を読んでいて漠然と、俺これもう知ってるよ。。みたいに感じる事が多くてなんでかなと思ったら、梅田さんがすでにウェブ進化論で2006年時点でこれらの考えを発表されていたからなんだよな。。
この本を概ねリアルタイムで読んで深い感銘を受けて何度も読み返した自分にとってこれらの概念は空気のようなものであり、それらを実生活とも結びつけている今では新たにその定義や考え方の中に真新しさを見つける事はそれほどないのだろう。

梅田さんの書かれた本はほとんど全て読んだが、ウェブ進化論の考え方から派生しているものが基本で、やはり根底をたどるとウェブ進化論に回帰をしている。
それぐらい必読の本だと思うし、僕自身が影響を受けた本。

そして次の本も梅田さんがウェブ進化論の中ですでに考え方そのものは公表されているもので、それを現在のテクノロジーと組み合わせていかに活用するかにフォーカスして落とし込んだ作品と言えるだろう。



今回読んだ3冊の中では一番まとも、かつ役に立ちそうな印象を受けた本。
ただテクニック的な所の紹介が全面に出てるのと、自信のアクションを収益化すること=ゴールと定義されてしまっているような印象も受けてそこだけは残念だった。

確かにお金はあることにこしたことはないが、それが全てではない。
自分を表現するためだけに写真を撮り続ける人もいるだろうし、それをコストのかからない方法でネットで後悔して自分の写真展とすることで夢を実現して満足する人もいると思う。

ネットで情報を発信する上で心がけたほうがいい事として、情報の出し惜しみはしない、自信の信頼を高めるために真摯に行動をするという考え方が紹介されていて、これは僕も同意。

検索していても、例えば商品を紹介しているページがあったとして、それの購入後の感想を探している人がそのページを訪れてそこに書かれた記事を読めばすぐにわかることがある。
その人が本当に商品を買って書いた内容なのか、それとも買ってもいないのに自分の推測で書いたのか、コピーしただけかのか、読むとわかるんだよね。不思議と。
当然自分で買ってもいないもの紹介しているのは真摯さに欠けるので、ブラウザーの戻るボタンを押されて、ユーザーは二度と戻ってこない。信頼を失い糸冬。
こういうパターンは自分自身も検索していて結構多い。

それからこの本では最近になって注目を集めてるクラウドの考え方も紹介している。
ムーアの法則から派生した過去に高価すぎて導入が難しかった技術が現在では安価になった事。より深くには人脈や経験も必須ではなくなってきたという。
リアルタイムでそういった進化を感じている身としては当たり前すぎてその大きさを感じないのだけれど実際そうだと思う。

昔の友人に再会するためのエネルギーも今じゃ数クリックに取って代わった。
大容量のメールボックス、強力なスパムフィルター、ウイルス対策ソフト、そしてOSでさえもかつてほど高価ではなくなってきている。
それ以外にも電話、ビデオ、生放送、音楽制作、映像制作、文章表現、出版などなど、昔は敷居が高かったり、コストが高かったことはどんどん安価に簡単になってきている。

それをどう使うかを考えるのが現代人の仕事なんだろうね。
使い方次第では良い方向にも悪い方向にも物事を導いてしまうこれらのテクノロジー。それらを活用すれば旧世界のような常識に捕われる事なく個が活躍できると締めくくっている。

以上、読んだ本の紹介。

次はNLP(神経言語プログラミング)に興味があるのでその分野の本と、それに付随してメンタルマネジメントに関する本を読みたいと思ってる。
読んだらまた感想を書きます。
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あの時を境にどんどん物事が良い方向に向かっている その事に率直に僕は感謝をしたい

ずっと自分が好きになれなかった。
自分に自信を持てなかった。

僕が信念と思っていた事は虚栄だった。
僕が強さだと思っていた事は幻想だった。

自分だけが不幸な人間だと思っていた。
他人に嫉妬をして、夢に向かって突き進む人をバカにしていた。

今の世界は、自分は、全て過去の自分の決断の延長にあると本で読んだ。
それはそれ以上でもそれ以下でもない結果の集積であると。

人間には乗り越えなければならない苦しみがいくつかあると仏教の世界では言われているらしい。
少なくとも僕はその中の一つか二つは乗り越えたと思っている。
現実には乗り越えてはいないのかもしれないが少なくともそれと対峙をして受け入れる事ができた。
そしてその時で底を打ったように僕の人生はドラマティックにそして力強いものになった。

もう他人のせいばかりにして何もしないことを正当化する自分はいない。
虚栄心に支配をされて周りに対する懐疑心で自分を見失ってしまいそうになる事もなくなった。
僕は僕のままでいいんだって。

いつも書くけど、他人と自分を比較すると不幸になってしまうんだと僕は思う。
僕はずっと他人と自分を比較しすぎたよ。
その事には若干の後悔が残るが、今の自分があるのもその時に感じた経験あってのものでもある。

今だからこそあの屈辱的な経験も、過去の好きになれなかった自分も愛せる。
そして過去の僕を知っている人、今の僕を知っている人全てに感謝をしたい。

僕を理解し、支え、僕が必要とするものを惜しみなく提供し続けてくれた、魂の家族とも呼ぶべき人達。
それは日本だけじゃなくて地球の反対側にもいて、今も彼らが幸せに暮らしていることを僕は願っている。

これからも僕は持続可能な未来を目指して旅を続けたいと思う。
でもたまには弱い所を、自分の良くないもしかしたら醜いかもしれない所も見せていくつもり。
それも含めて僕らは人間なんじゃないかって思ってる。

もしこれを読んでいる人の中で自分を見失ってしまいそうになっている人や、諦めてしまいそうになっている人がいるなら伝えたい。

選択して集中すべき事と、時には手放したり諦めないといけないことが生きていればある。
それを知るには自分自身を理解するしかない。
他人の価値観じゃなくて自分がどう思うか。それこそが大事なんだ。

どうかみんなの人生が輝きますように。

あんま期待してないけどシストレに挑戦するつもり

自己紹介のページに、これから挑戦していきたい事を書いたんだけど、その中にシステムトレーディングっていうのを書いていて、半年ぐらい前から結構真剣に調べてました。

EAというトレーディングツールのカスタマイズ設定を海外から購入してみたんだが、設定が面倒だったり、EAそのものを分散しなければならないのが嫌だった事、VPSの費用などをすぐにペイできる自信が持てなかった事もあってその時は撤退した。

でもなんか最初にいくらか支払えばあとは自分の投資金額以外は取られないっていうシステムトレーディングの商材があったので購入してこれからやってみるつもり。

過度に期待すると裏切られた時ショックなので、期待はしないのと、あとマイクロアカウント的な、FXやる人から見たら超少額取引からの開始になるんで、この手の情報をシリアルに追っかけてる人的にはおもしろい話は書けないかもね。

それといつも書くけど、短期のパフォーマンスはあんま気にしてなくて、数十年単位での成績を見ることのできる長期投資以外は興味ないんで、今日明日損しました、儲かりましたみたいな話が大好きな人にもおもしろい話は書けないと思う。

購入した商材を紹介する事もできるけど、良いのか悪いのかまだわからんので当面の間申し訳ないが紹介はしないつもり。

現時点での目論み的には、
FX中心だが、中長期的には指数(225など)や商品取引のシストレにも取り組んでいければいいなぁと思ってる。
当然FX以外でも短気パフォーマンス”だけ”に特化しシステムは全く求めてないのでこの辺もじっくりと時間をかけて自分が納得できるものが出てくるまで待つつもりです。

12/7追記 別途に運用記録的なブログを作ろうってことでできました。ちょっとアフィリエイト臭がプンプンする感じに仕上がってしまっているので、見たい人だけでどうぞ。

ひっそりと自己紹介のページを紹介

このblogには実は自己紹介ページなるものが存在していたのだが、それを更新してみました。

インターネット時代に生きる人間として最低限必要なインフラは整えておかないといけないと思った。
もともと新しい技術やサービスには興味があるほうなので、誰かに言われる事もなくこれらを自然と登録して使ってきたわけだが。

blogと金利の考え方を4年ぐらい前にすでに提唱していた梅田さんのウェブ進化論 、それから最近になって読んだなんともうさんくさいタイトルのユーマネーという本を読んで改めてその考え方は大事だと思った。

んで現在の職業をコンサルタントにしておきましたのでよろしくw (半分ギャグみたいな感じだ。しかし嘘ではない)

角伸s日

角伸s日  sび  sびぎんこう と タイプされました。

住信sbi銀行へのリンクはこちら

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住信SBIネット銀行

青空文庫 on ipad 完全無料でやろうと思ったら敷居が高いのでやり方自分で調べて転送してみました

青空文庫で公開されている文章をPDFにしてipadに変換して転送した。
普通に読める。拡大も出来るから老眼の人にも優しそうな感じ。
ただやり方紹介してるページが少なくて結構わかりずらかった。
有料のリーダーの紹介ばっかで、無料で読めるからやりたいと思ってるのに敷居高くね?て思った。。

やり方です。(Windowsの場合です。Macだともっと簡単なのだろうか。それにしても敷居が高い。。7ステップもかかる。。)

1.itunesでibooks(無料)というアプリケーションをダウンロードする
2.青Pというソフトをダウンロードする
3.ipadをPCに接続する
4.青空文庫のウェブサイトにアクセスして読みたい本をテキスト形式でダウンロードする
5.青Pを立ち上げてダウンロードしたテキスファイルをドラッグしてPDFに変換する
6.変換したPDFファイルをitunesにドラッグする
7.ibooksを立ち上げると転送したPDFファイルが読めるようになっている

もっと簡単にアプリ買わないとダメとかそういう騙しなしでできる方法があればいいんですけどね。
このやり方だと毎回読みたい作品を自分で探してダウンロードして変換しないと行けないので面倒。
ストアがあって直でそこからダウンロードしてすぐに読めるって仕組みになんでなってないのだろう?と思った。

ibooksにアクセスしてストアで”太宰治”って検索しても何も引っかからないんで、日本語の書籍は配信されてないのか、金にならんからやってないのか知らんけど。

ipad買っても使わない人が結構いるみたいだけど、この辺の聞いていた話と実際の所の乖離が原因なのではないのかなーと思った。

罪と音楽 読了



なんで今まで読んでなかったのかよくわからんが、そういえばこの本があったよなーと思い出して読んだ。
1時間ぐらいですーっと読めた。

読み終えて思うのは人は自分が管理できるキャパを超えて生きる事は難しいって事だ。

何十億ものお金を稼いで、長者番付にも載って、別荘やらクルーザーやら買って、やってるうちに感覚が麻痺してしまったと書いてある。
その一方で常にメッセージや時代の一歩先を行く提案を実行し、実際に結果を出していた。
その好循環があったからこそいくらお金を使っても採算が取れる仕事ができていた。

でも段々とCDが売れなくなっていて、その流れにも勢いが無くなる。

一度豪勢な生活に慣れてしまうと生活基準を落とすのは難しいから、浪費癖があるとわかっていても簡単にはそれを直す事はできない。
これはホントそうだと思う。豪勢な生活をしていない人でも浪費癖がある人、買い物中毒になってる人、物質的な豊かさで精神的な充足を得ている人の価値観を変えていくのは難しい。

今、彼は有罪判決を受けて執行猶予期間なわけだけど、生活のレベルがどう変動したのかというのはあまり伝わってこない。

中学の頃、人はなぜ働くのか?をディスカッションした覚えがある。
お金のために働いているって答える人が多くて僕もどちらかというとお金のために人は働いている部分が多いと考えていた。

じゃあ一生食うに困らぬお金をすでに稼ぎだした小室さんのような音楽家がいるわけだけど、彼はなぜまだ働いているのか?と問われて、なんで働くのか?と深く考える。

音楽を作るのが楽しいからというのが当時の結論だったのだが、その答えは半分正しく半分は必ずしも的確ではない。

一生食うに困らない身分にある人達、例えば会社作って売却して数十億単位の資産を手に入れて引退した人が数年もしないでビジネスにまた戻ってくる。
遊んで暮らせる気楽な生活を手に入れているはずなのになんでだろう。

僕の考えとしては人は何かに打ち込んでいないとおかしくなってしまうからというものだ。
仕事の楽しさというのはもちろん存在すると思うが、言葉で書く以上にしんどい面も仕事には多々ある。
クリエイティブな仕事ならなおさらだ。

それでもまた現場に戻ってくる等のは、自分が何かに取り組んでいて、それが誰かの役に立ち、必要とされているという充足感を人が求めているからだと思う。

単純にお金があればいいという考えの人も世の中にはいるが、見ていても何か寂しそうというか、どこまで行ってもお金、お金の追求だけで、他には?何もないの?と感じてしまう。
どれだけ稼いでも墓場にお金を持っていく事はできないし、残した遺産も相続させようものなら税金がかかる。

自分が生きた軌跡を、何か見える形でもそうでない形でも残したいのだと思う。

やべ、何言いたいのかわからなくなってきた。
まあ思うのは、俺の両親見ててもそう思うんだけど、自分が何者で、どこに向かおうとしていて、どんなことにsatisfactionを見いだすのか(幸せを見いだすのか)を定義して、それを実現するためにどうすればいいかを考えるといいんじゃないかって事だ。

それで失敗したって本気で生きたいならアルバイト掛け持ちすればまたすぐに資金は貯められるわけだし。(アルバイト掛け持ち20時間/日で2ヶ月で100万円貯まる
日本はとっても豊かな国だからなー。
まあこの辺の説明は俺がするよりも、他人の記事読んでもらったほうがわかりいいんで紹介して糸冬。

近況報告的な

最近のall about me的な近況報告です。

2007年にヒーヒーいいながらようやく大学卒業。んで起業して失敗。就職?というかスタートアップ起こすも方向性の不一致でこれも失敗(その組織は順調に事業展開中)。んで今は基本一人で仕事している感じです。

どんな仕事なんですか?って聞かれると数年前だとネットで古本屋さんやってるんですって答えてたんだけど、今はあんま本売ってないし、古本屋さんでしょ?って言われると何か違和感ある。

小売りの仕事ですって答えると、具体的に何を売ってるのか聞かれて面倒なので最近はコンサルタントですって投げやりな答えでいいかなと思ったりもするw
ITコンサルwって言っておけば、とりあえずへーって言われて終わるかなみたいな。。

なんか自分の良くない癖だと思うんだけど、結局の所俺は人と本気でぶつかるのがこわい。対人恐怖症というか、自分の完全なオリジナルじゃ勝負できない人で隙間を見つけてヒーヒーいいながらなんとか生きていくのが精一杯な人。
俺がよく書いてる評論もどきみたいな言葉も誰かのコピーだったり、俺のオリジナルじゃないよなーってよく思う。それで俺は誰だ?って同道巡りみたいな感じになって気分が滅入る。

だから体裁よく包んで、自分を可能な限り当たり障りのない存在として表現していたいのかもしれない。
このblogも学生の頃は超本音で書いていたのに、今は書いてもこれ公開したら炎上すんじゃね?みたいなこと書いて公開しなかったりすることが結構ある。

昨日見てたテレビの討論番組でも言われててそうだよなーって思ったんだけど、自分に適正ない事はガンガン切っちゃっていいと俺は思ってる。
自分に向いてない事無理して続けるよりも、自分が向いている事、続けられる事に特化したほうがいいと思ってる。
それが何かを探すのは簡単じゃないし、単純でないから今でさえ時々これが本当に俺がやりたいことなのかって考えることがある。

これは自己正当化的な無理矢理なロジックでもあるんだが、俺は結果が出ない事に対して努力を続けるのがすごく苦手。反応がない事に対しては仮に自分にポテンシャルがあってもモチベーションが保てない。打てば響く、投げれば返ってくる。
そういうのをすごく求めてる。

子供だねって言われるかもしれない。でも俺はそういう状況が続いてないとすごい苦痛って言うか、つらくなっちゃう。
どんな場所にいても、どんな事をやってても、誰と一緒でも自分がそこに居てもカラーが出せないと虚無感みたいなものをものすごく感じてしまう。

2011年(来年)には一人暮らしになる予定。つっても流動的なものだが。住む場所は変わりません。。念のため。

ずっと誰と付き合っても何をやってもうまくいかないから、ネットでの相手との距離を自由自在に調整できる関係に甘んじてきた。
でもそれが心地よくて自分に合っていると思うと同時にやはりどこか寂しさがあるのも事実だ。

時々、10年後も今の生活が続いていて、それは経済的には問題ないのかもしれんけど、自分が軽蔑してる金儲けと寝た女の話しかできない奴らと本質的にあんま変わらねーなと思ったりもする。

結婚をして家族を持ちたいと思う。その横で例えば田舎暮らしみたいのはもうできなくなってしまっている。田舎にもいい所はあるんだが、今の所俺には都会暮らしがとても快適で楽しいっていうのがあって、もう昔のライフスタイルにはちょっと戻れないよなぁと思ってしまってる。

俺どうなるんだろう。正直一人で暮らすと発狂してしまうんでないかってちょっと怖くなる。仕事に没頭しても、プライベートに割く時間を増やしても、一人という現状は変わらない。それが頭ではわかってるから怖いのか。

まあ作った組織を抜けた時もすごく怖くて、発狂するかと思ったけどしなかったので多分大丈夫だとは思うんだがw

なんかまとまりのない文章だ。。
mixiのほうでこの人知ってる人の予感大って人が二人ほどいる。
声かけようかなー、でも嫌われてて放置されたら嫌だなーと思って数ヶ月になる。

俺見栄っ張りだな。何を怖がってるんだろう。俺、チキン野郎だなー。

高校の時に友達と自分がどうやって死んでいきたいかを話した事がある。
明確にどんな部屋で誰に囲まれて何をしながら死んでいくのかをその時に定義した。
今でもそれは変わっちゃいないのに、年を取れば取るほど、しがらみみたいなものが何かとてもしんどいものに感じられて、意志の弱い俺は楽なほうへ楽なほうへ逃げ回る。

そうしないと自分を保てないような気がする。

自分の扱われ方は自分が他人に教えていると本で読んだ。
俺にはこうありたいと思ってるvisionのようなものがある。強くそう願って、それを手に入れた。

だけど周りの人との関係や、その人達との付き合いに関しては定義できずにずっといる。
一人がいいのか、大人数がいいのか、それとも別の何かなのか。
わからない、俺にはわからないよ。

この週末に見てた動画など 90年代JPOPはやっぱりいいと思う

この週末は90年代の中期の作品をyoutubeで見てました。
俺は個人的に小室さんの音楽が好きで今も車の中でglobeのCDを良く聞いているんだけど、自分が昔他にも小室さんの曲聞いてたよなーって思って、検索してみたらでるわでるわ。。

昔はネットなんてなかったからプロモーションビデオ見るのも一苦労で、音楽専門ショップだとかケーブルテレビだとか、有線放送で流れているのをたまに見られるとラッキーって思って足を止めてみていたものだ。

今じゃ検索すればちょっと昔の曲のPVも見ることができる。
便利な時代だなぁと思う反面、選択肢がいい意味でも悪い意味でも増えすぎて選べなくなる人もいるんじゃないかな?とふと思ったり。

前置きはこれぐらいにして、いくつか紹介していきましょう。



LOVE IS ALL MUSIC

発売当時はただの流行歌として聞いていただけだったが、今聞くと良く出来ているなぁとしみじみと感じる。
PVのほうははりつけ禁止になってたんでPV見たい人は検索して見て下さい。
この放送リアルタイムで見ていたのを覚えています。
最後に一音だけわざと残しておいてそれを弾かせる演出がかっこよすぎて、憧れたのを覚えてる。



CRAZY GONNA CRAZY

発売当時は小学生だった。んでネットがなかったもんでプロモーションビデオを見たのはこれがはじめて。(本当)
単純に音楽というか、カッコイイ曲だなと思って当時は聞いてました。今聞いてもかっこいいし、すごくいいなぁと思ったのはメンバーの人達が楽しそうにライブやってて、メンバー間の仲がいいのかなーと思えた事。
youyube にライブ演奏の動画もあるんで気になった人は検索して見て下さい。PVだとあまりフォーカスが当たらないダンスがリアルに見られてそのレベルの高さに脱帽しますよ。



WOW WAR TONIGHT

これも発売当時より今のほうが共感できるかな。
働くようになってから聞く90年代JPOPはすごく共感できる事が全般的に多い。
当時最前線で活躍していた人達が歌っていた詩だから当たり前と言えば当たり前だが、時代や自分の状況で感じる事がずいぶんと変わるんだな、俺も年を取ったんだなと改めて感じる。

自分で動き出さなきゃ 何も変わらない夜に 何かを叫んで自分を壊せ




旧態依然へのささやかな抵抗

”普遍的なもの”という表現はいい面で使われる事もあるが、悪い側面もあると思う。
変える必要があった事があるのと同時に、変化の必要性を拒絶しているシーンもあると考えるからだ。

僕は個人的に型にはめたがるヒエラルキーや多様性のないコミュニティを心の底から憎んでいる。
年輩の自分が生まれ育った地域しか知らないような良くも悪くも古い人達から何万回と同じような質問をされるのに疲れてしまった。

最初は彼らがたまたまそういう話題に興味があるからそうしているのかと思って、僕の考え方に共感を示してくれる人も中にはいるのだろうとずっと思っていたのだが、最近はそういった期待は一切捨てる事にした。
多分彼らとは死ぬまで平行線だと思うし、理解しあえた先にお互いの幸せが存在するとも思えないから。

僕はこのまま口を閉じて、彼らから異端者扱いされる身分に甘んじていこうと思う。
そしてそんな旧態依然へのささやかな僕の抵抗を限られたリソースを使って表現できればいいと思ってる。

僕の人生のテーマはナギ節を作る事なのかなと最近思ってる。
それもできれば永遠のナギ節を作りたいと思ってる。

ナギ節っていうのは、ゲームの中に存在する概念なので詳しくは説明を省くが、真の平安みたいな感じかな。

貧困の時代から現代に至るまでに繰り返されてきた事。
子供をたくさん作る。戦争や餓死が当たり前で、成人するまでに生き残れるか不確実だったから一人や二人ではだめだった。
大人達にとって子供は労働力だった。子供が大きくなり働きまた同じように子供を作る。
人口が増えて労働力が安定をして、国は繁栄をする。
ずっとそうやってきた。結果とても豊かな国が出来た。

かつては職業の選択はできなかった。
産まれた時から身分も将来の仕事も決まっていた。
だからある意味、多様性という概念がなくても平気だった。
ただ将来の労働力を確保すればいい。そのためには子供が必要だ。
途中で戦争に行って死んでしまうかもしれないし、病気や犯罪に巻き込まれるかもしれない。
だから複数人の子供を持つ事がリスクヘッジだった。

時代は変わって、豊かになりすぎた僕らの国はかつての成功体験のような経済成長を再び経験するのが難しくなった。
職業の選択は自由になり、身分制もすでにない。インターネットも普及をした。

この大きな変化を感じているのと同時に、なんとも息苦しさを感じてしまう、昔の価値観を現代に適用しようと考える人達。

僕はよくこんな質問をされてその度にどうやって彼らに理解してもらうかを考えて悩む。

その質問とは「なんで結婚しないの?」とか「一人で寂しくないの?」とかまあその手の質問。

なんで結婚しないの?って逆になぜ結婚しなければいけないのですか?と聞きたいし、一人で寂しくないの?って聞かれれば人付き合いがとても苦手なんですって苦笑をしながら答える。

そうするとゲイなんじゃないのか?とか、どこかおかしいみたいな、異端者扱いをすぐにされる。
なんでも型にはめたがるのが好きな人が多くてとても困惑する。

僕は価値観が一致する人とでないと酒を飲んでいようが、長い時間を共有しようが違和感や苦痛しか感じない。
僕の幸福感は人との付き合いや出会いからはあまり生まれない。もちろん好きな人には好きって言うし、時間を共有したい人がいれば電話もする。

そもそも結婚をしている人達に話を聞いても、たまたま学校が一緒だったとか、職場で出会ってとか、小さな世界での偶然性でそのままなんとなく結婚した感じの人が多い。
んで、彼らは俺の目にはあまり幸せに見えない。残念だけどそう感じています。

なぜ彼らが幸福に見えないのかを考える時にいつも最終結論として見いだすのが、方向性と幸福感の定義が曖昧なまま惰性で一緒になってしまったからというもの。

他人と付き合って、その人と結婚をするってことは、超ハイリスクハイリターン(場合によってはハイリスクローリターンだったりする)な投資に等しくて、じゃあ本当に納得できるまで精査して、完全に納得できてからでいいじゃないって思うんだけど、現実的にはなかなか厳しいんだよな。(でも俺はこれを徹底的に腑に落ちるまで取り組みたいと思ってます。)

今まで考えてきた対策としては、

婚前前契約を結ぶ → 日本には契約遵守みたいな考えはあまりなくて、なあなあ的な曖昧さが横行しているので風土的に定着しにくい

3年ぐらい一緒に生活をして納得したら籍を入れればいい → 同居している間に子供が出来ちゃってそのまま仕方がなく結婚みたいなケースが多い

就職活動の考え方を結婚に適用する → いわゆる結活なんだけど、これも金鉱掘りみたいな人が出てきちゃって、理想的なマッチングは難しい

と考えては、現実的に適用が難しかったり、そんなことやったら女は逃げるみたいなこと言われて、でも無理して結婚したくないし、価値観の合わない人と無理して一緒になっても不幸になるだけだよなぁといつもそういう考え方に至ります。

そうすると、「理想が高すぎる」とか「妥協できないのはダメだ」とか言われるんだけど、別にモデルみたいな人と結婚したいって言ってるわけじゃないし、妥協はすればするほど不幸になると思ってるので嫌だと言ってるだけなんだけどなぁ。

フットインザドアテクニック的な、Aという要求を通す → 断られる → Bというアプローチで妥協をさせる → やむを得ず受け入れる みたいなことをやると、どんどんエスカレートしていって、じゃあこれもいいでしょ、これも受け入れてくれるよねって主導権が完全に相手に取られて対等な関係を維持する事は困難になると思うんだよね。

パートーナーは厳しい人間のほうがいいだとか、パートーナーが怖いから外で頑張って褒めてもらえるようにひーひーやってるみたいな話を聞くけど、それってなんか本末転倒なんじゃない?って感じる。
本人達がそれが自分の幸せなんです!って断言できるならいいけど、俺にはそれは幸せに感じないなぁ。

だから今の所そういった価値観を受け入れて生きていくつもりはありませんよって、それが俺の主張なんだけど、わかってくれる人ほぼ皆無w
わかってくれる事を今までどこかで期待していたんだけど、もうそういうのもやめようと思う。

いいじゃんわかってくれなくても。
俺の考え方と彼らの考え方がただ違うだけって、言い方は悪いけど割り切る事にした。
それで俺が一生独身で死んでいくのを笑いたければ笑えばいいさ。
でも逆に俺がイメージしている、実現させたいと心の片隅においているようなライフスタイルを手に入れた時は逆に笑わせてもらいますw

就職活動で出会った会社の中には、理想を持って、何度も何度も挫折や失敗をしながら、最終的にビジョナリーカンパニーのような存在になった会社があった。
その人達のウェブサイトやブログを定期的に読んで、自分も妥協をしなければ、自分が本当に望んでいる事、実現させたい世界を作る事ができるって再認識をするようにしています。

周りから、そんな事はあり得ない、できっこない、宗教だとか言われてもいい。
自分が望み、それを実現させた、そして理想を手に入れ、心の底から満ち足りた生活を送る。
それはオリジナルであっていいと思ってます。
人と同じじゃなくていいし、時代の変化とともに変えていってもいいし、自由なものであっていい。
古い世界の人達が定義している幸福の中に僕の居場所はない。

僕は僕の定義した理想を実現させるために自分の一生を費やして生きていきたい。
そんな風に思ってる。

自分の考えを発信して、理解してもらおうって考えはやめたw
わかってくれなくてもいいじゃん。ちょっとだけ息苦しくてしんどいだけのことさ。

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