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長期的に付き合い続けられる人間関係とは何かを考えてみる

僕が今まで付き合ってきた人には2種類の人がいる。
短期的な関係の人と長期的に付き合える関係の人。

短期的な人というのは短いと数ヶ月、長くてもせいぜい3年とか5年ぐらいで交流が止まってしまう人達。
長期的な関係は、お互いの生活の中で交流がない時期があってもふとしたきっかけで声がかかれば(かければ)すぐに違和感なく付き合える人達。

僕自身の視点でこれを書いてきますが、僕は働くようになってから心底短期的にしか続かない人とは付き合いたくないなと思うようになりました。
至る所にそれが存在します。普段買い物をするスーパー、ガソリンスタンド、車の整備をお願いする店、コーヒーショップ、弁当を買いたいと思う弁当屋さん、行きつけにしたいと思える本屋さん、図書館。。。

続けられる事についてもう少ししつこく言及していくと、人との長期的な付き合いというのも、続けられる事に含まれますよね。

この人となら付き合っていける、そう思える何か。それは何なのでしょう。
今のところの僕の理解は”お互いの欠点を知った上で、それを許容し、お互いのない部分を補完して未来志向で付き合い続けたいと思える要素があること”です。

価値観の一致と表現する事も出来るのですが、価値観が合う人とだけ付き合うと多様性が損なわれて偏った人間になってしまう危惧があります。
例えば僕は民主党を今のところ支持しているのですが、友人の中には共産党を支持していたり、自民党を支持している人がいます。
政治についてどう思うかという価値観について彼らとは一致してない。だけど長期的に付き合えている。
部分的に一致しない価値観があっても、ベースとなるこれって大事だよね!と思う事が共有できているとうまくいくのかなーと思ってます。

なので本当に大事な事については僕は自分のパートナーになる人がいるとしても、相当に時間をかけて注意深く見ていつもりです。
もちろん価値観が途中で変わっていくという事もあるので、そういったことも含めて短期的に決断を下せないというのもあるのですが、何度もあって付き合いを続けるという事の醍醐味はまさにそこにあるんじゃないかと考えています。

価値観があまりにも乖離している人、距離を置きたい人とは時間と労力をかけてまで無理して付き合おうと思わないし、そうすることも実際できていない。

また自分自身が誰かに対して長期的に付き合う価値がある人間だと認めてもらうために、自分の振る舞いを改善し続けなければいけないと思ってます。
これはまだ苦手なジャンルなので時間をかけてじっくりと取り組んでいきたい。
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前回のエントリーがやや脱線気味だったので、働く事についての考察を独立させて書いてみる

今だから冷静にスラスラと書けるけど、結局働く上で求めていた事は以下のような事

1、(組織で働くなら)一緒に働きたいと思える人がいる事
僕が働きたいと思っても、彼らが働きたくないと判断したり、その逆が多かった。
あと実際に一緒に働くと、違和感maxで人と一緒に何かをやるのってなんて大変な事なんだろうと知った。

2、オフィスが奇麗な事
汚いとモチベーションが下がる。ここで汚いというのは建物が古いという事ではない。定期的に改修さえされていれば古くても清潔感のあるオフィスはある。あと就職活動してて思ったのは、どの会社もインテリアが安っぽかったり、しょぼいなーと思う事。
椅子に始まり、会社のロビーから、なんでこんなにちゃっちいんだろうと感じる事が多かった。
お金がかかるって事なんだろうけれど、外資みたいなオフィスが俺は好きですね。回った範囲の話ですが、やっぱ外資は受付から奇麗だし、働くスペース的にも余裕を持った設計になってる。
あと椅子もいいのが置いてあるw

3、バランスが取れる仕事、調整ができる仕事
仕事で毎日が全て燃焼するような生き方は嫌だった。そりゃ仕事に波があるのは知っているが、毎日夜の9時とか11時とかに帰宅ってのは続かないなと思った。
そういう生活をしている人を学生時代に見て知っていて、毎日のように鬱だ、死にたい、と彼らがリアルに言っているのを見ていたので。思えばあの時から、日本で働くのって何か敷居がとても高い事なのだろうか?という根拠なき違和感があったのかもしれない。

自分にとっての理想の働き方というのは、働くときは働く、そうでない時は適度に休憩も入れながら、あくせくやらないで続けられる事。これに集約される。続けられる事というのはかなり大事だと思ってます。
初任給がいくらで30歳になるといくら年収になってとか、短期的な視点で考えている人が周りには多かったけれど、年収そのものが低くてもずーっと老後も続けられるような仕事がもしあるなら、そのほうが実はリスクが低いのではないかなぁと思った。
贅沢をするのに必要なお金は、あればあるに越した事はないというのも事実なんだが、学生時代がそうであったように限られた条件の中でできる静かな贅沢?もあると思ってますw
そういう意味では今の仕事は続けられる、続けていけると思える仕事なので良かったなぁ。まあそれでも先の事はわからないんだけど。

4、適度な責任を伴う仕事
適度な責任は何かというと難しい概念なんだが、自分の選択によって起こりうる結果が想定でき、それらを可能な限りコントロールしていける仕事って感じかな。
組織の中で自分に何が出来るのかわからない。そもそも組織で自分のやれることって実はない。そんな風に最初に起業した時にすぐに思った。それでしまった就職すれば良かった!と一瞬思ったわけだけど、就職してこれをやれと言われた仕事を丁寧にこなしていく事でできる仕事が広がっていくという考え方も今は羨ましいと思います。

俺の場合はその段階に至るまでに続けられそうにないダメ人間なので、そういう生き方が羨ましくても実行できないわけですが、働きながら学ぶ、学びながら何かに貢献できる価値を持つ人間になれるというのは、ホント理想的っすよね。それで給料もそれなりに貰えるならなおおいしいと。

組織だと分業されていて、あなたはこの仕事のこれ!って責任の範囲も明確に定義されているから、取り組むべき事も明確だしね。
最初はあれもこれもやります!みたいなほうがいいのかなぁと思ったけど、選択肢が多すぎると逆に人は何も選べなくなるのかなと最近は思う。ある程度、別に自分の専門分野に固執しなくてもいいけど、これとこれとこれの中から選んで下さい!みたいなほうが今は俺はやりやすいかな。。。その中で発生していく責任についても同様で、全体的に発生する責任よりも、部分的に発生する責任を定義して、アウトソーシングできる所はアウトソーシングしちゃうっていう考え方が今は好きです。

適正って言葉があるけど、あれは深くて、適正のない事やってもホント不幸になるだけだと思うんで、適正のあることやるのがいいかなーと思います。

そして最近、ベンチャーでインターンをしていたのだが就職先は大企業という人が自分がアンテナを張っている範囲では多いように感じていて、なぜ?と思ってたんだけどある仮説が浮かんできた。

それは”バランス感覚のある生き方”を求めている人が増えてきたのではないだろうか。
特定の組織の中でしか通用しない能力ではなくて、真の実力を身につけることができる魅力があるベンチャーがあったとしても、超激務で友達や交際する人との時間も生み出せない、生み出せてもその時間があまりにも短すぎるような生活。そしてその割には生活するのも困難かもしれない待遇(給料や福利厚生)を現実的に見て、欠点を許容した上でベンチャースピリットがある大企業に入ろうと彼らは考えているのではないかと。

一般職という名の将来のお嫁さん候補がいたり、学びながら独立に備えるための人脈や力を身につけられる場といい、そういった場所に行く事ができる人で、仕事maxという考え方でない人なら、そういった場所のほうが魅力があるのかなーと。

これは僕が大事に考えている、続けていく事、続けられる事とも関係していて、結局いくら実力がつこうが生活できなきゃ意味がない、いくら成長できようがただの仕事人間じゃ人生おもしろくない、いくら会社に収益をもたらそうが仕事といくら稼いだかの話しか出来ないような人間は退屈、いくらビジネス上の人脈できようが結婚も出来ない生活は嫌、というように考えているのではないかと。

実は正直、自分も仕事を中心とした話しか今はできなくなってきて、外部の人間からしたら退屈なんだろうなと多少危機感を持っています。

それと雇用されていない身分なので、雇用する側の視点で物事を考えてしまっていて、一般の人との感覚の乖離も感じています。
学生時代なら迷わずやったよなぁと思う事も、最近だとやらなくなっています。それは何かというと特売狙いとか、いくつものお店を回って安く買い物をすることだったり(その安いというのも誤差の範囲でトータルで考えるとほとんど変わなかったりする。一つの全体的に割安に売っているお店で一式必要なものを買いそろえたほうが時間的にも、後でサポートが必要になった時にも便利だと考えています)、端的に言うと時間に対する感覚、コスト意識です。

様々な事に取り組む必要が出てくる、大学卒業後の生活で、それらをバランスよく管理しようともがいている。
バランスよく管理できるようにするためにどうすればいいか、今働いているベンチャーではそれを実現するのは難しいのでは?と実際に働いてみて感じる人が、卒業後に大企業に行こうと考えているのではないかと思った。
そしてそういった考え方も今の僕は共感できる。

バランスって大事。

映画 ハゲタカ を観ました

映画のほうのハゲタカを昨日観ました。
ドラマ版は何度か観てきましたが、映画はこれがはじめてです。




ワーキングプア、サブプライム、新興国といった近年の無視する事の出来ないテーマを盛り込んで映画としてパッケージされた作品でした。
こういうのってリアリティが欠如すると一気に安っぽくなってしまうのだが、役者さんの演技力が高いのが理由か、脚本的には?な箇所もあった割には最後まで楽しめました。

ドラマもそうだったのですが、若干というか全体的に日本びいきに描かれています。最後は日本が勝つみたいなw
そういう意味では日本人受けはいいと思う。
でも細かな所で違和感を自分は感じたので、その違和感を含めた感想を書いてみる。

ワーキングプアを生み出しているのは大企業という考え方

「なぜAKAMA自動車で働いているのか?」という問いに対して、派遣労働者の若者が「派遣会社が行けと言ったから」と答えるシーンがある。
なぜ人は働くのか?という重たいテーマにも直結するシーンだと思うのだが、受け身で働いている人に労働を提供してきた大企業にもそれなりの意義はあったのではないかと感じる。

仕事は与えられるものではなくて生み出すものだと俺は思います。自らゼロベースで仕事を生み出す事をある意味諦めて、誰かに雇ってもらったり、登録をすれば仕事が来る仕組みの派遣労働という生き方を選んだ自分の責任を見つめる事なく、ただその労働条件の劣悪さに不平不満を言うのは共感できない。
もちろん給料が安すぎて生活が出来ない、雇用者として権利が社員に比べて著しく劣るというのも知っているが、労働市場の流動性が派遣という考え方で提供をされるようになったのも事実で、良い所もあるのではないかなーと思ってます。

じゃあどうすればいいのかと言うと、自分の選択に責任を持つといいんじゃないかなーと思う。
正社員でも血を吐くような思いをしながら働いている人を知ってるし、正社員であるが故に様々なプレッシャーで精神を病んでしまう人もいるし、正社員だからといって待遇がいいかというと、少なくとも日本においてはそんなに良くないんじゃないかな?と思います。
サービス残業、パワーハラスメント、セクハラ、飲み会、ネガティブな側面を見ればキリがないぐらい組織にどっぷり浸かる社員と言う生き方の良くない所も見える。

それに対して、派遣、契約、短期労働というのは、収益をあげなくても、定められた範囲で限定的な責任で働くことができる。
言葉は適切ではないかもしれないが、絶対収益を追求しなければいけない社員という身分と比べれば、気楽なのではないかと思う。
業績が悪くなれば同等の条件で他の会社に派遣される事も出来るし、プライベートで忙しくなれば働く事を休む事もできる。
日本じゃ子供が生まれるときも休めないなんてのも珍しくないらしくて、それも組織に属していて重たい責任とプレッシャーを伴っているから、気軽に休めない状況になっているわけでしょ?(個人的にはここまで来ているのは相当にcrazyな労働環境だとは思う)

働く事ってどういう事なのか? 就職するってどういうこと? 誰かに雇われるってどういうこと? 資本主義とは? 自分にとっての幸せって何か?

そういうのをもう一度自分なりに定義し直して、その上で自分が選んだ選択に責任を持つという生き方はどうだろうか。
人の欠点を指摘したり、揚げ足取り、そのエネルギーを他の所に変換できたらいいのになぁと理想論かもしれんけど思う。
みんなが笑って生きられる社会。無理なのかな。

•バブル

バブルと知っていても人はバブルに走る事をやめられない。
そんな名言がありますが、目の前でバブルな事が発生していてもそこに何かチャンスがあるなら人は賭けてしまうのかな。
どんな事でもそうなのではないかと思っている事があって、ものすごい手法だとか、ショートカットって多分それほど存在しなくて、現実は本当に泥臭い作業の積み重ねだったり、失敗があってそこから学んだ事による飛躍の繰り返しだと思ってます。
サブプライムの前にも形は変えてもバブルは何度も起きて、その度に経済はまたやり直してきた。
そしてちょっと回復したかな?と思えてきて、余裕が出始めたかなと思えば、実はバブルでまた繰り返し。
歴史は繰り返され続けている。
仕事という仕組みも本質的にはバブルなのかもしれない。そのやり方で収益を上げられると考えるから組織があって、再現性がきちっと確保されているから社員が雇えて会社が回ってる。
でも時々その仕組みが回らなくなって倒産してしまったり、社員を解雇しないといけなくなってしまう。僕らはそんな高度に複雑化された仕組みの中で生きている。

•新興国のパワー

今までスポットライトが当たらなかった人達がどんどん活躍し始めている。
それで先進国の僕らの仕事が彼らに奪われてるという指摘もあって、彼らは脅威でもあり、世界から求められている新たなパワーでもある。
これからはグローバル!という考え方は俺が子供の頃からありましたが、大人になって思うのはグローバルに生きていかなければいけない時代が到来していても、今を生きる事にいっぱいいっぱいで世界に目を向ける余裕がない人が多いという事。

学生の頃はあんなに海外で働きたい働きたいと思っていた自分が、普通に日本国内で仕事をしている。
企業に就職をした人でも、海外にまで赴任されるのはごく一部の人間。
まだまだ世界に出て行く人は少ないのが実態だと思う。
出て行く仕組みみたいのも確保されてないから、最初の一歩が重たく感じるのではないかと思う。

自分が住んでいる環境、慣れ親しんでいるカルチャーを捨ててでも生きたくなる”何か”が定義できないと日本からでてまで海外でガチで働こうとは今は俺は思いません。

振り返ってみれば海外で働きたいと思った動機は、日本の労働環境が劣悪すぎるのでそうでない環境で働きたい!と思ったのがきっかけだった。
この労働環境ならまともかな?と思えるのは外資ぐらいで、でも外資は選考受けても進めなくて、ベンチャーは言うまでもなく超激務で薄給、歴史がある中規模な組織も超激務で薄給、大企業は大企業で様々な利害が複雑に絡んでいて居心地が悪そうだったので、これらに感じる問題点を解決する方法を消去法で考えた結果が今の自分だった。

映画の話に戻ろうか。

細かな所で、他に違和感があったのは、登場キャラクターでなぜ彼がいるのか?みたいな設定や、なぜ彼がこうなる演出が必要だったのか?といった所が随所にあること。
それは端的に言うとアマゾンのレビューにもあるように詰めが甘い作品ってことなんだけど、最初から通しで見て、かつエンターテインメントとしての位置づけるならば成功している作品だと思う。
ただニュース全く見ません!みたいな人は見ても内容が多分理解できないよ。
大学の教養科目レベルでいいので、多少はトピック的な事を知っていたほうが楽しめる。

twitterでも書いたけど、以下のような本を読んでおいたほうが楽しめる。


映画がおもしろかったので、原作のレッドゾーンも読んでみたいと思う。
ドラマのほうの原作は既に読了している。


twitterとblogの連携機能を有効にしました

FC2blogのほうで案内があったのでさっそく有効にしてみました。
私がtwitterで書いた事が一日分、ダイジェストという形でblogにまとめて投稿されるようです。

まだ動作していないのでどんな感じかわかりませんが、いちいちアンタのtwitter読むのだるいって人にもフレンドリーな(?)感じで読んでもらえれば幸いです。

このblogの読者の方なら基本的にフォローして頂ければ無条件でフォロー返します。
ただスパムっぽいのが今は多いのと、利害関係でガチガチに固まってそうな人からのフォローが多いので、そういう方には返していません。

様々な life style



世界を知る。そうすることで自国を知ることができるから。
そんな安っぽささえ感じる提言も以外とバカにできない良さを持っていたりします。

世の中に存在する様々なライフスタイル。そもそも他人がどうやって生きていて、どんなことに価値観を見いだしているのかを知ることで自分はどうなのか?を考える事が出来る。

そんな事しなくても出来るよって人もいるかもしれないが、知らない事が多い間は色々と知る事もそれなりに重要だと思ってます。

この作品はbsでずっと放送されていて、最近はアンコール放送もやっていますが、リアルタイムでずっと見ていた好きな作品です。

これの日本版?みたいなのはnhkだとか民放でも演出の仕方は異なるけれどあると思いますが、それの外国版みたいな感じで見ると楽しいです。

最近だと様々な職業を紹介する作品、テーマを決めてそのことに関して意見を出し合う番組もありますが、旅行系作品+ライフスタイルの紹介という演出もおもしろい。

この作品に出てくるのは観光で訪れる事はまずなさそうな、小さな街に生活する人々とその生活。
まだ持ってないのですが、映像もきれいなんでブルーレイで出して欲しい作品ですね。

これに近い作品としては、





全部bsで放送されている作品ですね。。。
最近地上波はほとんど見なくなりました。
bsは僕の好きなドキュメンタリー系や映画、それからこういった旅行系の作品が多く放送されるので好きです。

旅行系以外でもmtvの



といった見てるだけで楽しめる作品が多い。
車に興味がない人が見てもこれはおもしろいと思う。
しかもこの作品mtvでフル視聴できるという気前の良さ。
通信と放送の融合と言う観点では米国が進んでいるように感じますね。

雑記

最近書く事がなくなってきて更新が少なくなってきています。
前だとこんな本を読んだとか、こんな会社を見てきたとか、こんな映画がいいんだとか、色々書けたと思うのですが、映画も同じのを何度も見ていたり、本も気に入ったのを何度も読んでいたりして、なかなか新しい何かを見つけられていません。

もちろんきっかけを作ろうという事で映画も最新作を含めてチェックしているのですが、皆さんも気がついていると思いますが、いつの時代も新しい=良いではないですからね。
JPOPのヒットチャートだけ追っかけてりゃ幸せみたいな時期が僕にもありましたが、今は音楽なら何度も繰り返し聞けるような音楽、聞く度に発見がある音楽、聞いていて楽しい音楽、自分なりのエピソードがある音楽が好きです。

映画のほうはcg作品のアバターを見ましたが、開始30分ぐらいで見るのが苦痛になりました。なんと言うか、最近のファイナルファンタジーみたいな感じで、すごいcgとすごい役者を揃えれば売れるんだろうみたいな、中身が伴っていない印象を受けました。しっかりと何度も見れば良さがある作品なのかもしれませんが。。。

映画は別にアクションでなくても、コメディでもいいなぁと思う作品はありますし、ドキュメンタリー系やテーマ性のある作品はエンターテインメントという概念を超えて観たい!と思わせられるものがあります。

本は、漫画でもいいんですけど、置き場所の問題もあって多読は難しいのでテーマを決めて絞り込みをかけて読んでいます。それでも何度も読み返したいと思う本は100冊読んで1冊もあればいいほうでしょうか。
他人がおすすめしている本、他人の中でも自分がこの人は!と思うような方の推薦本を読むようにしているのですが、それでも自分的には知っている事だったり、あまり自分には参考にならなかったり、翻訳本で読むのが途中で苦痛になったり(このケースはとても多い)なかなか自分にとっての良い本が見つかりません。

これは別に悲観論ではなくて、個々人のフィーリングにマッチする何かって本来そういうものなんじゃないかなーと。
それで時間的制約がある人は別だけど、趣味としての読書なら時間がかかってもいいやって構える事ができるわけです。
自分にとってのこの本っていいなぁ、また読みたいなぁって本に出会えるまで色々 try and error をすればいいのではないでしょうか。
私はこの本!というのを見つけるために血眼になるつもりもないし、フォトリーディングを身につけて効率化をするつもりもあまりないし、多読!多読!ってインプットを重視する事も考えていません。
自分にとっての1冊というのを増やすために、図書館や書店に何度も足を運ぶ事は苦痛に感じない。
最近は書店でも米国みたいに座って読むスペースを確保してくれる書店さんが増えてきて僕のようなじっくりと中身を確認して納得をしてから買いたいと思う人間にはありがたい環境になってきました。

何度も何度も読みたいと思える本なら、掛け値なしに新品で買っていいと思うし、そういう作品が増えるように制作者や出版社の人に対価を払いたいと自分は考えていますよ。
これは本だけでなく音楽も映画も全ての create される作品に対する尊敬の意味合いです。

若い時(20歳よりも前)はシリアスにお金がなかったので友達から貸してもらったり、レンタルショップを多用しました。
今は制作者の人に敬意を払う余裕はなんとかありますし、そうすることで経済活動に寄与ができる=大人みたいな感じで考えています。
もちろん大人=偉いという意味ではもちろんありませんが、子供に出来ない何かが出来る存在が大人ではないでしょうか。もちろん逆に子供にしか出来ない何かがあることも事実です。

若いときはmdだとかカセットテープだとかcdrにコピーをする事で、自分が普通に生活していては手に入れる事の出来ない作品と好きなだけ触れ合うことができる喜びがありました。
制約も多かったが、その制約の中で joy を見つける 楽しさがあった。

今は選択と集中という感じで、今まで感じてきた事の延長線、あるいはそこから近い所にあるナニカに楽しさを見いだしています。
それは悪い意味で表現をすれば視野が狭くなってきていると表現する事も出来るのですが、何かをたくさん知る必要があった若いときと比べて、何かを知った今はショートカットがたくさんできるようになっていますので、こういったコト(モノ)は自分の感覚に fit しないなと感じるのが短い時間で判断ができるようになってます。

「無知は犯罪である」という言葉がありますが、無知だからこそ取れるリスク、時にそれを勇気と表現する事ができると思うのですが、もまたあると思います。
例えば若くして起業をする事。知らない事がたくさんあるから途中にどんな落とし穴があるかシュミレーションも出来ない。そもそもひらめきベースでアイディアやアクションがどんどん発展していくからシュミレーションという概念があまり存在しない。
でも知らないが故に結果としてうまくいくケースも多かったり、そもそも知らない=余計な前提条件がないためにうまくいくというケースもあるわけです。

知らない事を楽しめるかどうか。そもそも知らない状態から知る状態への過程を楽しめるか。
たくさん知れば知るほど、知らなかった事から知った事への過程で体験する興奮は少なくなってきます。
歳を取ると様々な事が効率的にこなせるようになり、知識もどんどん増えていきますが、その反面として知りすぎているがために平凡な日常が続きやすいケースに陥ってしまう risk が多くなるように感じています。

そうならいためには常に学習姿勢を keep しないといけない。
つまり、学びながら生きるという考え方を持ち続けられるか。
知るという事は、知っている立場になる=知らない人よりも上の立場にいると勘違いをしてしまいがちになり、自分も勘違いをしているケースがたまにありますが、それは部分的に知っているに過ぎない、上には上がどんな事でもあるものです。
一部を知って、まるで全てを知ったかのように奢り高ぶったり、知らない人を下の身分の人のように扱ってしまう人にならないようにしたいと思っています。

知らない人から学ぶというケースが、新しい学びを生むケースを今までも何度も経験してきたし、前提条件が中途半端に確立されて見えにくくなっている自分の視野を適度にリセットしてくれる要素を彼らは持っている。

このblogを書き続けているのは、以前書いたように自分と同じような価値観を持っている人や、自分に共感をしてくれるマイノリティと出会いたいと思っているからです。
そういった人が僕よりも博学なのか、高学歴なのか(私のほうが低学歴なケースが圧倒的に多いがw)は重要じゃない。
こういった雑記も積み重ねていけば長期的には大きな力となって何かおもしろい出会いのきっかけになると信じています。

数は多くなくてもいい、そういった出会い、気付きを増やしていきたいと最近考えています。

三木谷浩史・孫正義が語る「国民の・ITによる・日本復活」を見ました

ドキュメンタリーや討論番組はおもしろいっすね。
学校の授業を中途半端に朝から夕方まで聞いてるより、実際のビジネスに携わっている人の話を一つでもいいから聞いていたほうがよっぽど社会勉強になると思う。











孫さんも三木谷さんもそれから堀江さんに対してもずっと僕自身は嫉妬感情的なものや、揚げ足取り的なもので評価をしていた。
でも最近彼らの話や考え方を知るにつれて、21世紀の人なんだなぁと評価を改めるようになった。
もっと率直に書くと今まで僕はなんて表面的な、報道で適当に言われている事をベースに人を評価していたんだろうって気がついた。
そしてその事について心から悔やんでいる。

孫さんの光100%というのは、本当に長期的に考えて、クラウドだとか既存のテクノロジーのいい所と、個々人の可能性、多様性を相乗させて日本人一人一人を幸福にするためにやっていこうという提案だった。
別にスーツを着てなくても、東京にいなくてもできる仕事ってある。
今はその仕組みというか制度的な所がうまく整備されてないからそれが実現できる人が少ないけれど、光100%という考え方も含めて、ネットのいい所と既存のビジネスモデル、個々人の強みをうまく使っていけばきっと可能にできる。

経営視点から見ても、孫さんはadslの時もそうだったが、常に時代がどうあるべきかという姿を定義した上でそれに向かって進んでいる人。
今nttがやっているメタル回線という維持費もかかる原始的なやり方。
光ファイバーにすることによって生まれる維持費の削減、そして無限に広がる可能性。
医療、教育、人々のライフスタイル。
自分の能力と才能を最も発揮できるフィールドで個々が活躍できる事。
それはまさに僕が長い間求め続けているもの。

幸いな事に僕は今、この理想に近い事を仕事に関しては実現している。
クラウドの考え方とアウトソーシング、それから多様性によって恩恵を受けている。
だから孫さんの提案している事に心から共感できるし、この提案に対して揚げ足取りする人達がなんて短絡的で未来志向を兼ね備えていない人だろうとさえ思う。

できるかできないか、儲かるか儲からないかという次元の低い話ではない。
やるかやらないか、自分のためみんなのためという視点を持てるか。
そういうスケールのでかい話だと思う。

嫉妬、揚げ足取り、もうやめよう。褒めよう、いい所を探そう。価値観が合わない人とは無理して付き合い続けるのをやめよう。いつか変わるっていう根拠のない目論みもやめよう。何かを変えるなら今すぐ行動を起こさなければ行けない。今すぐ立ち上がり、実行をしなければならない。

俺は自分の能力と才能を最大限に発揮して、自分の価値観を理解してくれる人をたくさん見つけて、生産的な議論や批判をたくさんやって、自分を高め続けたい。
それで年をとったら、若い人を応援するような人間になりたい。絶対に老害にはなりたくない。若い人の邪魔をする年寄りにはなりたくない。生産的でいたい、未来志向でいたい。そして机上の論理を語る人ではなく、実際の現場でその理論を実行しながら補正できる人でありたい。

ホリエモン x ひろゆき の対談で印象に残った事

-メディアに作られた印象で人を勝手に評価する傾向
-世論は作られる、操作できる
-弁護士が金儲けしだした
-粉飾決算と脱税の違い
-タイのタクシン首相がなぜあのような状況になっているのか
-時間外取引は違法ではない
-時間外取引はフジテレビもやっていた
-ずるい事と悪い事は違う
-政治は金持ちがやったほうがうまくいったりする?(お金目的で仕事しないから)
-ダミー論
-bnpバリパ信託銀行=新東京銀行
-宗教法人の権利、金融帰還の権利が売りに出される
-俺の友達とホリエモンの話し方が似てる点w

ホリエモン x ひろゆき 対談

しょぼい大学の講義聞いてるよりよっぽど勉強になりましたw









2回目












GWに観た映画でっす ジブリ作品を4作品ほど観ました

ジブリの作品が大人でも楽しめていいなーと感じて、全作品見ようかなと思ってGW中に4作品ほど見た。


最後に観たのは中学生ぐらいの時?絵が少し古く感じるけれど、おもしろさ、シリアスさのバランスに優れた作品だと思う。


年代、価値観としては自分よりも10歳ぐらい上の人のものではないかと感じる。
作中に「もう若くないのよ。27にもなって結婚していないなんて」という台詞があるのだが、今の時代は27でも結婚しない人は僕も含めて普通にいるので、価値観として違和感がある。
それ以外にも主人公の考え方に共感よりもいら立ちを覚える事のほうが見ていて多く、あまり好きになれない作品だった。
それと兄弟姉妹という存在がいると、変に比較をして不幸になってしまうケースがあるのではないかと感じた。


子供向け、かな。中学生への教材ビデオ的な位置づけに思える。特に公立中学に通っていて、良くも悪くも多様性に富んだ環境にいる人、いた人は共感できると思う。
友達は将来の事を考えているの自分は、、、みたいな焦りは、自分もあったのかもしれないが、今となってはそんな焦り(比較)は全く無意味だと感じる。
自分の取りくむべきこと、幸福感が定義できていない時に、他人が定義した美徳を自分に取り入れようとしても不幸になるだけだと今は心の底から信じているから。


猫の恩返しのほうを観た。普通。癒し系という感じかな。

どの作品も絵や演出、音楽のレベルはとても高かったです。が、自分の中では魔女の宅急便や紅の豚には劣るという印象。
これ以外にも、もののけ姫、千と千尋の神隠し、崖の上のポニョをここ数年で観ているけれど、一番好きなのはやはり魔女の宅急便かな。。。

もののけ姫は結構重たいテーマを扱っているので、エンターテインメントと定義するのは制作者の人に対して失礼な気もして難しい。もののけ姫って楽しいよね!ってノリで語る事のできる作品ではない。

千と千尋の神隠しと、崖の上のポニョは環境問題を扱っているのでわかりやすい。それでいて子供受けも良い作品だと感じます。
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