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少しずつマイノリティがその存在を確認できる時代になってきている

わさびやからしが嫌いな人、出世願望が希薄な人。
これらの表面的な所を見て、馬鹿にしたりする人がほとんどだが、その背景を知っている自分は心の底から彼らに共感をし、僕自身もその存在の一部だと認めることができる。

努力に対する僕自身の考え、特にここ一年で感じてきていることも、同じように捉えている人がいて少し嬉しい。

地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方

「努力」に価値を置く危険性――「ウツ」を生み出す精神的母体
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真実は何も考えていなかった

高校の二年生ぐらいの夏から大学のオープンキャンパス(学校見学会)に参加をしていた、当時は生物系の学部か、薬学部か、歯学部がいいのかなぁと思っていたので、入れるかは別にしてどんなものか見たくて何校か回った。

それで当時、予備校にも通っていたのだが、オープンキャンパスに参加する事はその学校の事をどれだけ真剣に調べていて、将来と繋げようとする自分の意志なのであるとか偉そうな事を先生に言ったら、「君みたいにしっかりと考えてくれているならいいが、あまり考えずに大学に進学する人も多い」と言われたのを思い出した。

真実は真逆である。僕が何も考えていなかった。
世間帯と大卒という肩書きに囚われ、本質的な所を見失っていた。それでもちゃんと卒業は最後にはできたし、それなりに得たものはあったと思っているが、いつも書くようにもっと有意義に過ごすことができたと思う。

オリンピック等を見ていても思うが、俺はこれだけは徹底的にやったぞというものを持てると生活は充実をすると思う。それが持てないうちは色々と経験してみたりして、もがくのが大事なのかと今では思う
僕はもがかなかった、ものすごく保守的な考えで、なんとなく生きて、なんとなく流されていた。

何も考えちゃいなかった。でも今は自分で考えることができている。僕は変わることができた。
苦い経験だったのかもしれないが、何も考えていなかった経験がその後の自分に繋がったならそれはそれで評価して上げたい。

ここに一つの賢明な助言がある。
「自分で自分を騙してはいけない」
僕もそう思う。僕は今、自分を騙していないだろうか。
日常のひとときでそんなこともふと考えるだけの余裕は持っていたい。

終演したモデル群の考察

パソコンを売るというモデル以外にはどんな終焉があるだろうか。
考えてみた。
同じIT繋がりだと、Googleの登場が大きい。
例えば、

•大容量のメール(Gメール)
•様々なデバイスと同期が簡単なスケジューラ(Googleカレンダー)
•IMEやATOKに変わるもの(Google日本語入力)
•動画共有 それまでは動画掲示板等を用いていて、重たく、品質も悪かった (You Tube)
•本当に使える地図 グーグルアースは研究者でも使っている人が多い(グーグルマップ、アース、ヤフー地図)
•テレビ電話(Skype)

ほとんどGoogleがこれらを無料で公開したことがきっかけというのが多い。(そしてその当時はweb2.0などといってもてはやされた)
実際とても便利になったし、これらの機能をフル活用できるようなデバイスも多く登場をした。(ブラックベリーやiphoneなど)

「どの業界の、どんな仕事も無料(フリー)という流れから逃れる事はできない」とは有名なベストセラービジネス書の帯に書かれている事だが、本当にそう思う。
それが良い事にせよ、悪い事にせよ、長期的に見たら淘汰されてしまう事をやっていてもダメな時代になった。

昔は、良く言えば利益を出しやすい仕組みが多かったように思う。
そこで知っている事と知らない事の差が多く生まれたが、今はその辺もフラット化されてある意味フェアになった。
今、買い物をする時に値段のチェックをしないで買う人はほとんどいないのではないだろうか。
特に高額な買い物は下調べをすると、かなり購入価格に差が生まれるのを知っている人も増えてきているだろう。

それで僕がかつてこれはひどいと思ったビジネスモデル郡に従事している人たちは今どうなったのかと考えると、多分淘汰に確実に向かっていて、収益もかつてほどは上がってないと思う。
それは学校との癒着を軸にしたモデルである。

学校の制服だとか、指定グッズというのは本当に粗悪なものが多い。
普通に使っていても壊れたり、破れたりするのが多く、ずっと不満に思っていた。
大学に入ってもそういったものは少なからず存在したが、高校あたりまでの癒着が本当にひどかった。


•通気性の悪い体育着
より快適に運動ができる服がスーパーで千円ぐらいで購入できるが、なぜか指定されたものを着用しないと成績の上で減点された。

•本当は必要ないのだけれどなぜか購入していた多くの学校指定グッズ。
指定された鞄。靴、靴下、シャツ。
どれも粗悪でお話にならなかった。デザイン面で悩まずにすむというのはあるのだが、基本となるブレザーやらは別として、ネクタイ、シャツ、靴、鞄は一定のルールを設ければ指定品である必要性は全くないし、経済的にも合理性が見いだせた。だが、なぜか指定したものを身につけないと”乱れている”と判断をされた。

•学校指定の辞書、参考書
辞書まで指定をしている科目もあった。まあ今は電子辞書使う人がほとんとだと思うので自分のいた学校でもこれはもうないと思うが。。。
卒業後にブックオフに持っていったら10円も値段がつかなかったのを覚えている。
参考書に至っては、数ページしか使わないものも珍しくなかった。そしてそこで学んだ事は大して役に立ってない。

歴史を学びたいなら、漫画やドキュメンタリーで楽しみながら記憶する事を前提でない学びが誰でも出来る。

英語を学びたいなら基本的な文法も含めて、その国の言語で、競争社会で勝負している人から教わった方が遥かに効率が良い。

数学を学びたいなら、考え方にこそ焦点を当たるべきで、簡略化できる細かな計算は、今は計算機を使う事がほとんどなのだから、本当に基礎的な四則演算以外は訓練する必要性が見いだせない。

社会について学びたいなら、アルバイトやインターンをした方がダイレクトに世の中との関連性を学ぶことができる。

理科について学びたいなら、暗記や答えありきの学びよりも、メーカーで研究開発している人から習ったり、そういった人と話した方が有意義な学びが得られる。(特に理論が現場でどのように役立つのか。なぜそれを学ぶ、知らなければいけないのかを明確にする事ができる)

その他、高卒という肩書きを手に入れるための代償。教育機関としての認定を受けるためにやむを得ず学ばされた多くの科目。
家庭科、古典、漢文、音楽、美術。
学びたい人に選択肢として提供するなら問題ないが、卒業するために学ぶのなら時間の無駄以外の何者でもなかった。古典やら漢文やらは原書で読む理由が見当たらない。今の表現で訳された本を図書館で読むのではダメなのだろうか。漢文も同様。
音楽や美術は個人の感性による所が多く、それを他人がああだこうだと批評するのは理解できなかった。

今まではこういった不満があっても既存の仕組みに甘んじなければなかなかった。
今は違う。ネットの世界で独学が理論上無限に可能になった。
それで物足りないなら、研究者に連絡を取ったり、大学の公開講座に参加をしたりと、工夫次第でなんとでもできる。
そういう意味ではもう大卒という肩書きは大きな意味を持たなくなったと思う。
大卒でも教養のない人間は私をはじめとしているし、大学を出ていなくても知識人と思わせる人は存在する。

長期的に(すでに)淘汰されると最も思っている事。それは今の教育ではないかと書いていて思えてきた。
塾も、予備校も、本来必要のない存在で、それでも続くのは、過去の一定の実績に基づく、特定の大学を卒業すれば幸福になれるという幻想を人々が追い求めるからにならない。そうなる人ももちろんいるが、そうならない人もきっとたくさんいるのに。

使い古された表現だが、教育ほど効果の見えない投資はないと思う。
プロに任せる事が前提ではなく、家族がそれを示せばいいのにと思う。
生きる事、学ぶ事、全て家庭でも提供する事が可能だと思う。

いつからthink padはこんなに安くなったのだろう PCを売るというビジネスモデルの終焉か

前述の黒という色に関連して。
パソコンも黒いマシンが好きです。
Think padというかつてibmが販売していたラップトップはよかった。
トラックポイントと人間工学ベースのタイプしやすいキーボードの融合。
真のモバイルユーザービリティをそのマシンは提供していた。
値段も他社よりも2割か3割高かったが、それに見合った価値があった。

それで今のthinkpadっていくらぐらいで売ってるのかなーと思ったら、ずいぶん安くなってます。

http://www.lenovo.com/jp/ja/

デスクトップからラップトップまで、哲学を持ったモデル群はかつてのような高級品をイメージする設定になっていない。
DELLと同等かそれ以下に設定をされている。
ここまで安いと逆に不安にさえなるが、それぐらいPCを売るというビジネスモデルは終焉を迎えているという事なのだろう。
他の小売業と同じく大量生産をして、薄利多売で回していかなければならない。
今は一人1台は当たり前だし、僕のように一人で複数台のコンピュータを持つ人も珍しくない。
ちょっと前まではテレビと同じように一家に一台みたいな感じだったのだが。

今の販売元のlenovoのx100eといいうモデルが個人的には昔使っていたx40の延長にあるようで気になります。(ラップトップ)
このスペックで6万以下でスタートというのは脅威だな。。。ネットブックの健闘もあってこれでも売れないのだろうか。良いものを作ってきたブランドなだけに少し寂しい気もする。

Who I am

Mr.Childrenの「深海」と言うアルバムがある。
僕が中学生の頃に発売されたアルバムで、Mr.Childrenの作品の中でも僕が最も好きなアルバムである。
そのアルバムはコンセプトアルバムであり、JPOP特有の聞きやすさも持ち合わせながら、深い歌詞(特に当時の桜井産の心境が反映されている点)によくわからないながらも強く引きつけられるものを感じた。
何十回、何百回と灯の消えた部屋で僕はこのアルバムを何度も再生をした。




灯の消えた部屋- 闇は二つの側面を僕に提供した。
現実という重すぎる世界と未来への希望である。

現実は自分に自身を喪失させ、人との付き合いを恐れ、それでいて他人には自分を大きく見せたいという虚栄心を僕に植え付けた。
未来への希望はそんな状況を踏まえつつも自分の知らない世界に旅立たてる日が来るという根拠なき見通しを僕の心に生み出した。

あれから10年が経って、今このアルバムに収録されている曲を聴いても感じられる何かがある。
時代に取り残されて、世の中からは隔離をされたような生活をしているが希望を失ったわけではない。

連れて行ってくれないか 連れ戻してくれないか 僕を 僕も 僕も




気がつけば、闇の底から浮かび上がってくるような怒りを力に変えて生きている自分に気がついた。
僕は闇-黒という色を、要素を愛し始めた。
それで今になってこの色と自分の趣向がとても共通しているのではないかと感じ始めた。
それはこんなページをある時、偶然に見つけたから。

http://ueno.cool.ne.jp/nikon/shinri/kuro.shtml

よく自分を表現していると思う。僕の幸福、安らぎは人との付き合いを少なくする事で生まれる。その通りだと思う。僕は多くの人と付き合いたくないし、付き合えない。だからこうしてネットの片隅でうずくまってる。

『But I believe the day when you understand yourself and live together would come.』
(しかし、私は信じています。あなた達が自ら理解し…お互いが共存できる日が来ることを)


エアコンの買い替え

冷房をすると室内機から水が落ちてくるのと、冬になると加湿機能がおかしくなり異音が出てしまうようになったので見てもらったら部品交換が必要との事。
んでいくらぐらいするのかなーと思えば、3万円ぐらいする。

10年ぐらい使ったエアコンなので、細かな機能に不満もあるし、省エネの観点でもさすがに省エネ製品とは言いがたい部類である。
なので今時のエアコンってどんなものよって思って、電気屋に2つほど行って、自分が良いと思ったのがあったので買ってしまった。

購入価格は7万円ほど+エコポイント。
高いかなぁと思ったが、昔は10万円前後でも安いと母が自分の部屋用に買っていたような気がしたので、6万円だとか、7万円でエアコンが買える時代というのはやっぱり安くなってきたと言えるのではないだろうか。

今時のエアコンの良いと思った点。まだ納品はされてないのでカタログスペック上での話だが、

1、メンテナンスが簡単になっている。
前のエアコンも簡単な部類だったが、カビが発生しにくい構造になっていたり、高いやつは気流管理、完全にメンテナンスフリーなんてのもある。

2、寝ながら使うためのモードあり
自分の場合これが決め手になった。特に夏にそうなんだが、パソコンを入れると部屋の中はサウナ状態ですw そんな状況で寝られるはずもなく。。エアコンを入れるんだが、入れると寒い。切ると暑い。パソコンの電源を切ってもそれなりに暑い。ってことでエアコン入れっぱなしでも体に悪影響が出ないモードが用意されているのはいいと思った。

3、サイズがコンパクト
サイズも小さくなってきた。エアコンつーと昔はばかでかかった。んで音もうるさいw 今使ってるのはそれでも静かな部類だが、これよりも静かになるのかなぁと思うと(ならなかったりして)楽しみである。
室内機だけでなく、室外機も今はサイズが小さくなってきている。日本の家庭事情にマッチングしてきているのだろう。


上に上げたような特徴に見ていて気がついた。

私はヤマダ電機でエアコンを今回買ったんだけど、来店時フロアに客が誰もいなかった。営業しているのかここはと不安になったが、値段的にもまあ納得できる買い物ができたので結果としてはオッケーかな。

価格研究をしていると謳っているがあながち嘘ではなく、その前に来店した電気店よりも確かに安めに設定されている。だが、いわゆる型落ち中心で、最新の製品はあまり扱っていないようにも見えた。私の買ったエアコンも1年前の型落ち製品。定価14万ぐらいのが半額ならまあいいかなぁという印象である。

エコポイントというのを今回始めてもらったが、商品をもらうよりも、その場で現金で値引いてもらった方が自分は良かった。ポイントを交換するためのステップを用意するとどうしてもそこでマージンが発生するので、あまり還元されたなという気分になれない。そういう意味では地域振興券のほうがどんなものにもその地域でなら使えて良かったように感じる。
エコポイントの交換品は申し込んでから3ヶ月届くまでに時間がかかるそう。かかりすぎだと思う。

Mac周り(コンピュータ周り)

テクノロジー系のニュースを見ると今でもわくわくしたり、それがどのように活用されるのか(できるのか)を自分なりに考えたりしてニヤニヤしています。
そんな自分だが、自分の使っているコンピュータ周りはもう行き着く所まで行き着いてしまったという所で、今はすごい保守的な運用になってる。

最後に自分のMacをアップグレードしたのは多分一年ぐらい前、メモリを追加して合計で6GBにしたのが最後だ。
その当時はVMにWindowsを入れて並列で使っていたのでメモリがたくさん必要だった。

今は使うソフトはブラウザーとim管理ソフトのadium、それからフォトショップがあれば事はほとんど足りる。
これにitunesやらlive stationが立ち上がっている時もあるが、それでもこんなにメモリはいらないなーという感覚である。

それでCPUはXEONの8コアなので、まあそれなりに速い。というか処理が重たくなる事を感じない。
なのでアップグレードする理由らしい理由がなく、当分このままでいいや。。。と思ってしまい現在に至ってる。

そんな自分だが、トリプルディスプレイにしようかなーと思っては、それほど効果なさそうだなと考え直して辞めている。

自分の机はサイズの制限的に今のデュアルディスプレイでもスペース的には限界。
これ以上増やすなら、机を増やすか、アームを使って空間をうまく使う方法でしか増やせない。
そしてこれがMacの良くない所なんだが、グラフィックボードが高い。
3万円ぐらいグラフィックボードだけでする。。。Windowsのやつなら一番良いクラスのボードが買えてしまう値段である。
それにアームのお金と、液晶を新規で買うお金を考えると軽く5万円以上はかかる。。。

デュアルディスプレイまではたいしてお金もかからずに、増設が可能だったが、トリプルとなったとたんに一気にコストがあがるのである。
それでも液晶の価格がこれだけ安い事を考えると、結局ペイしちゃうかな?と思うんだが、なかなか踏み切れない。

トリプルにする事で生産性が上がるという明確な裏付けがあれば、それが背中を押してくれるんだが、どうも良い記事も見当たらず。
結局こっちも現状維持(デュアルディスプレイ)かなーと戻ってしまう。

お金を使うのが嫌というわけではないんだが、本当に必要なのか?と自問自答するとNOになってしまうモノが自分が欲しいと思うものには多い。

でも使った事で確実に生産性が上がって良かったなーと思えた買い物も少なからずあるにはある。
その使って良かったなーという精度を高めたいと思って考えるんだが、買って使ってみるまではどれだけ調べてみてもわからないというのが今の実感だ。

お金を稼ぐのも、使うのも共に難しい問題である。

成功の副作用

自分で仕事をやっていくと決めた時に願ったのはすでに社会で活躍をしている同世代の人たちに負けたくないという事だった。そのために競合が追いつけない何かや、差別化のためのなにか、様々な仮説を立てわからないなりに検証をしてきた。

その結果わかったこと。
現時点では僕は他人と何かを成し遂げたり協調してうまくやったりするのは苦手で、そうでないやり方を考える時に創造的になれてリラックスできるということだ。
で優秀な人、自分と気の合う人とだけ付き合っていればいいのかと言うと、どうもそうでもないようだというのが最近わかってきた。

組織の中に置いても、どれだけ優れた人を集めても、数パーセントかは仕事を怠けるというのは本などで読んだ人もいるだろう、あるいは気の合う仲間で作ったサークルが小さな事がきっかけで解散してしまう、音楽バンドのメンバー感の対立などなど、同じ趣向で同じ目的で集まった人たちがうまくいかなくなるケースは今この瞬間にもたくさん起きている。
その最たるものは離婚だったり、縁切りと呼ばれるものだろう。
悲しい事に親子でも相性が悪く、距離を置かなければいけない家庭があるのも今まで見てきた。

僕は当初こう考えていた。
自分がその時点で良いと思っていた会社は自分を受け入れてくれなかった、あるいは自分が良いと思った会社もインターンを少ししたらそこにいる未来の自分が見いだせなかった。
仕事の中身についても同様で、エンジニアとしてなんとなく理系の大学を出たからやっていくのと思い、理系の特徴である論理思考やテクノロジーについての考察を追求できる仕事をその時点で調べアプローチをした。

手応えがなかったわけではない。面接や選考が進んだり、採用担当の人から気に入られて個別にメールを頂いたり、傲慢で世間知らずな自分について部分的にでも共感してくれる人がいたのはとても嬉しいし、自分が多少なりとも受け入れられのかなと思えばありがたかった。

しかし就職活動にしても、その後の起業にしても、最初こそ盛り上がるが、持続させる事が自分には出来なかった。未来を見据える事ができなかった。なぜだろう?

理由としていくつか考えられることはある。自分は何かを継続させたり、見通しが立たないこと、自分には出来ないと思ってしまうと割とすぐに諦める傾向にある事。(粘りが弱い)
チームワークというのがものすごく苦手で、サークルの飲みでさえ億劫に感じる事があった。でもサークルの人が嫌いなのかというとそんなことはない。彼らの事は好き。でも共通の話題、共通の経験を通じて喜びを見いだす瞬間を見つける事が難しかった。

価値観の違いという言葉で表現する事もできるだろう。価値観の一致はとても大事だと今でも思っている。

こういった多くのもやっとした違和感に対する答えを提供してくれたのが次の本である。



鏡の法則だとか、何となく聞いた事はあったが、潜在意識だとか、ずーっとなんとなくもしかして?と思っていた事への答えがこの本で明確に示された。
ああ、あの時の苦さはなるべくしてなっていたのかと今では思える。そしてそれに対する対処も今は前よりもうまくできるのではないかと思っている。
何度か読み直して、意識する事なくこの本に書かれている事をしっかりと認識できるレベルにこれからもっていきたい。

読み終えて、潜在意識にいくつかお願いをした。
今までも潜在意識へのアプローチは試みているが、驚異的なほど実現をするので今回もきっとうまくいくと思う。

僕は選択肢を得たいと思っている。選択をするためには相手よりも良い立場にいなければいけない。
例えば1万円で選択して買えるものと、2万円で選択をして買えるものは違う。
iPodなら容量が2倍になったりするだろう。
1万円持っている人は少ない容量に甘んじなければならないが、2万円があればより大きな容量を選んで選択をすることができる。
この時2万円を持っている人は、1万円を持っている人よりも立場的に有利だと思う。
1万円のものを2つ買ってもいいし、容量の大きなものを1つ買ってもいいし、あるいはそれらを買わずに別のものにその2万円を使う事も出来る。

僕にとって経済的な余裕を得るというのは、選択肢を得るということである。
一点の曇りなく愛せる人が現れて、経済的な余裕がないがためにその人に幸福な思いをさせられないとすればそれは悲しい。それが理由で結婚が出来なかったり、付き合わせてもらえなかったりするのも悲しい。
経済的な余裕が人間的な秀逸さの定義とは必ずしも思わないが、僕が考える無益な干渉を経済的な余裕によって多少なりとも解決ができるケースも多いのではないかと思う。

だから僕は経済的な余裕を求めて仕事をする。活動の最終目的は収益を上げる事である。
もちろん理念といったものはないことはないんだが、最終ゴールは収益を上げるというポイントに設定をされる。
こういう認識になれて、気が楽になった。
金を稼ぐ事への罪悪感や虚無感を時々感じていたので、なぜ自分は働き、経済的な動機を働かせるのかというのを再定義できたのが良かったと思う。

こういった本を30歳になる前で読めた僕は好運だと思う。30歳ともなればそれまで積み重ねてきた事への延長で先が予測できてしまう生活になっていると僕は思っている。(違っていたらすいません)
それで40歳ともなれば完全に守りに入るというか、新しいことへの挑戦や模索よりも、確実性を重視した行動パターンに入ると思っています。(これも違ったらすいません)
もっと書くと僕は現時点で26歳なのだが、これでも遅いと思ってる。

起業、自分で何かをやっていく生き方を選択するなら10代の頃からこの本に書かれている事が当たり前の事と認識できるぐらいの器の形成を目指した生き方をしていたほうがずっといいと思う。
それで、世の中の事を自ら選択できる立場になったらはじめて奇麗な事を考えて実現をする人になればいいと僕は思う。

その時に年齢であるとか、守るものがありすぎる人、要するに既得権益に縛られる身分になっていたらとても嫌だなぁと思うのである。
僕はそうなる前に踏み出せる気がする。気の合う仲間も、心を許せる友人も本当に数えるほどしかいないが、それでよかった。

僕が孤独であるがために得た強み。それをこれからの人生で立証をしていきたいと思う。

これからはマイノリティだってこの国でも生きていけるのだと示したい。そしてもし同じような悩みやコンプレックスを持っている人が自分のそういった姿を見て、自分にも出来るのではないかと思って、挑戦できるような気持ちになれたらいいと思う。

僕には覚悟が出来ている。成功の副作用を知った上でもなお成功を定義して成功を渇望したい。

窓の手の設定が好調です

WindowsXPを使っているマシンを少しでも快適にしようと、段階を追ってアップグレードをしてきた。
初期は搭載メモリが1GBだったのが2GBに、今では3GBを搭載している。
使っていないアプリケーションや自動で起動するアプリケーションも管理して、これ以上弄る所ないなぁって所まで設定した。

んでそれでもまだ何かやることあるかな?とGoogleで検索したら、気になる記事が見つかる。

http://dospara.net/freesoft/winhand_02.html

ドスパラのページ。ドスパラは秋葉原でも老舗で特に中古パーツはかなり安いお店。何度もお世話になってます。
中古を扱っているお店はじゃんぱらという名前で、家電なんかも最近は売っている。

このドスパラの紹介している設定、窓の手を使う設定を試した所、体感ベースで速くなったかなという印象を受けている。
ただし、この設定やるならXPなら1GB以上、ビスタなら2GB以上はないとあんま意味ないと思う。
逆に言えばそれ以上メモリがあるなら、メモリの消費量を多少増やしてもパフォーマンスを上げる事が可能になる。

それにしてもこうやって弄ってるとXPってつくづく快適なOSだなぁと思う。。。Windows7もそれなりにいいみたいだが、ここまで快適だとまだまだ当分我が家では現役のOSかなと感じてしまう。
往生際悪く、ハードディスクをSSDにしたり、メモリを上限の3.5GBまで増設したりと、まだまだ弄ろうと思えばパフォーマンスを上げる事は可能だし。。

我が家のWindowsマシンはAthlon 64 x2 の4400+。一応デュアルコアCPUなのでWindows7も動かせなくはないと思う。
次買う時は、前回DELLでシュミレートした、クアッドコアのAMDのマシンを買うつもり。

実現可能か、そうでないかは別にして今やり直すなら自分ならこうやる

もっかい学校生活をやり直せるならって話。
実際に可能な範囲ってことでやっぱりなんとなく考えていた通りにやり直せると思う。

すなわち日本の高校は行かない。(仮にどうしても行くなら工業高校か商業高校に行きます)
中学は公立でも私立でもどっちでもいいと思う。中途半端に私立行くとそのままぬるま湯でエスカレータ式に進学してしまうだろうから、絶対に受験か就職かそれ以外かという選択をしなければならない公立の方が今はいいのかなとさえ思う。ただ公立は公立で問題児がいても隔離できない、退学させられない等問題もある。私立でも問題児がうまく生き残っているケースもあるがw

んで、中学卒業後、自分なら香港かオーストラリアかニュージーランドか米国かイギリスかスイスの中でシリアスに優秀でなくても受け入れてくれる大学付属の語学学校を探すだろう。で、そこに進学して1年半かけて、ホームステイか寮で生活しながら本当の英語を学びます。これは相当にキツイ経験になるだろうが、10代の自我が発展途上の時ならきっと乗り越えられる。これが30、40とかになって守りに入りだすと難しいと思う。家族なんかいたりしたら相当に実現は厳しそう。。。。

目論みが成功すれば1年半で語学の勉強は完成をすると思うので、それらと併用して大学進学に必要な資格取得を目指す。。多少遠回りでも確実なら、現地の高校進学でもいいと思うし、必要なら日本帰国。。。
この辺はまだしっかり考えていないが、要するに日本で普通に高校に進学して、多分に浪費する3年間を使って、きちんと何かをやった、得たという3年間に変えてしまえという考えである。

それでここでも目論み通り大学進学のためのパスを得ることができたなら、大学に行く。
今まで様々な人に会ったがやっぱり大学には行った方がいいと考えている。もちろんそこで何をするのかが重要なわけだが、理系なのか文系なのかってのは自分なら文系に入り直すと思うが、ここでは大事ではない。

大学で習った事が実社会であんま直接役に立たないのは知っている。でも教養レベルというか、総合的な思考の深さという観点で見ると大学に行くとそれなりの底上げはできるように感じる。
もちろん大学に行かなくても自分で本を読んだり、自分なりにテーマを作って考えていく事で思考の深さを高める事は可能だろう。

自分は人から習った方がてっとり速い事とそうでないことが世の中に存在すると思う。
パソコンの使い方は自分でやったほうがおそらく吸収は速いが、プログラミングの考え方は習わないとどうも自分はできなさそうだなど人によってそれは違う。そして大学では自分で何を学ぶか選ぶ事ができる。ならば選択をして学んでいくというスタイルには格好の場所ではないか、と思うのである。

就職か起業かあるいはニートなのかという選択を見ても、それぞれに関係なく大学行く事で得られる恩恵はとても大きいと思っている。真っ当に人付き合いもしてりゃ生涯の友もできるだろうし、高校ぐらいから海外サバイバルしてりゃそれこそ戦友と呼べる存在ができるだろう。そしてそういった人たちこそが真の意味で友と呼べる存在になり得ると考えている。

前も書いたが、特定のテーマでのみ話が出来る人は全て”仲間”というジャンルに分類される、だが”友達”というジャンルに入る人は特定の話題である必要はない。仮にゲームの話をしていて、その直後にキャリアの話に切り替わっても違和感なく本音で話し合える関係。それが友達と呼べる存在である。仲間はゲームの話題では盛り上がれるが、他の話題ではお茶を濁すような感じになってしまう。別に仲間という存在が悪いわけではない、ただ両者の根本的な位置づけが異なっているというだけだ。

友がいればどのような選択を取ろうとも、自分の選択に覚悟を持ち、相談を出来る相手として生きていく事が可能になる。広く浅く仲間を作っている人は以外とこうはいかないのではないか。真剣な悩みを話せる相手がきっと少ない。それなりに周りからうまく世渡りが出来る存在として認識をされるが実は孤独なのかもしれない。

僕は友と呼べる人がなんとか数人いる。ここ数年会ってない人もその中に入るが、明日街で会ってもすぐに打ち解けられる仲だ。だからどれぐらいの頻度で会ってないとか、話してないとかそんな期間は問題じゃない。
そういう存在を獲得できたのは、例外なく厳しい環境に身を置いた時だった。ぬるま湯につかった時自分は堕落をしていった。ものすごい勢いで志を失い、堕ちていった。

もう一度やり直せるなら、良い刺激や学びを得られる場所にどうせ学校に行かなければいけないなら、行くという選択をするなら納得して選択をしたいと考えるのである。
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