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ウィーンはいいなー

BSでやってたウィーンの旅番組みて、いいなぁと率直に思った。
無理してスタイルを保持するんじゃなくて自然体でそれがそこにあるという状況。
こういうのがあるといいなぁという憧れ、例えば自然と触れたいと思ったり、芸術と触れたいと思った時に、自分が住んでいる場所からはどこに行けばそれを見ることができるのかなと調べなければならない。
それがウィーンだと外に出ればすぐに手に入るというか、無理しなくても自然体でそれが手に入るっていうのが特に羨ましいと感じた。
同じようなものを見て、同じようなことばかりを感じているとバランスが崩れるので新しい何かを求めていかねばと感じた。
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この矛盾をどう説明するか 自己愛と他人からの理解のバランス

例えば僕がそろそろ結婚をしたいと思うとする。
相手が必要だから、その前にきっかけを作って出会いを求めないといけない。
僕は今のライフスタイルがまあまあ気に入って、気ままに生活できるのがいいと思っている。

干渉されるのは好きではない。何でも自分でできることは自分でやりたい。
価値観曲げてまで無理して人と付き合いたくない。
この考えは頑固に守って、時々妥協をしては大きく後悔をして、やっぱり原則を守らねばと考え直している。

自己愛に偏ったマスターベーション野郎と指摘をされればきっと僕はそういう人間なんだろう。
でもその横で他人への興味も持っている。
それもできれば、プライドであるとか見栄の比べ物をする同性同士ではなくて、安心感を得られるような異性の存在が最近特に必要なのではないかと思う。
別にセックスがしたいとかそういう意味じゃない。それも多少あるかもしれないが、求めているのは魂レベルでの繋がりを感じられる何か。。。それは同性でもたまにある。。。

利害関係さえなければ、仕事上で出会う客でもいいなぁと思う人は何人も見てきた。
その度に感じたのは自分とはバランスが合わない。社会的に見れば異端者の自分を理解してくれるかという不安。そして拒絶される事へのあまりにも大きな恐怖。

理解をされたいのだと思う。。。部分的にでもいい、ができれば、コアになっている自分の考え方となる価値観を共有できる存在が必要だと感じる。
それなしには生き続けられない。宗教の話じゃない。
何か信じ続けられる、確信を持ってこれだ!と感じられる何か。

人間関係にも人生にもそういうものが必要だと思う。
今は何か、生きるために働いて、生きるために生きる意味を探して、、なんかしんどい感じがある。
そして違和感がすごい大きい。これが本当に自分がやりたかったことなのかっていう疑問。

自由が欲しいってのは本当だろうか。自由時間の使い方もわからないのに。
こういった矛盾に最近気がつく。

心の底ではきっと気がついているんだろう。こんな生活がいつまでも続くわけがないって。
孤独と虚無感を埋めるためには、忙しさと、虚栄心を使うしかない。。。

今はそうせざるをえないから、そうしている。26年間も生きて、僕は自分がやりたいことが何かわからないんだ。。。

mixiの成果

現時点ではなしです。誰からもコンタクトはなかった。
誰か知っている人がいればこっちからもコンタクトする気だったが、mixiはニックネームみたいのを使う人がほとんどで、誰が誰だかわからん。。。

その証拠?に実名登録が基本のfacebookやmyspaceではアメリカ人の友達が自分を見つけてコンタクトくれたり、逆に自分からコンタクトができたりしています。

匿名性が一定以上あったほうがいいのは確かだから難しい。
このブログだって本当は実名で書いた方がいいに決まっているが、自分のプライバシー的な所を守りたいと思って、それは控えている。

というのも今感じている悩みだとか、欲望のそのままの姿を結構に率直に書いているからだ。
それを見て、この人やっぱやばいんだなーと思われるのは表面上でも避けておきたいと思う。。。

もっと深い内容も書きたいと思っているので現状維持。。。

何かを得ようとしているのにこういう守りっぽい姿勢が邪魔をして得られるものまで逃しているんだろうか。でも実名で書くのは抵抗あるんだよなぁ。

つくづく友達ができない今日この頃

社会人になってから友達はできないって言われた話は前にしたと思うけど、本当に出来ない。
友達の定義って難しい。。

共通の趣味を持っている事、意識する事なく会話が自然に生まれる事、共通の経験を一定ベースで持っている事。。。
どれも的確な捉え方をしているようで、その通りかと思えば何か違うようにも見える。。。

多分、一緒にいる事に疲れを感じない関係。それが友達だと思う。そして相手も一定以上の価値を自分に見いだし求めてくれる事。。

そういう関係が今は皆無になってしまった。求めるもののレベルが高すぎるのかもしれない。
でも妥協してまで付き合いたくない人と無理して付き合いたくはないと僕は思う。

今思うと学校がたまたま一緒だったとか、クラブで一緒になったとかはきっかけに過ぎない。そこからどれだけ時間を共有して、お互いのことを知り、評価できるかって所に集約できるんだと思う。

ある時期から自分は誰も求めず、誰からも求められなくなったように思う。
今も定期的に会う人は何人かいるが、それらは全て利害関係があっての事。

敬意は払うがやっぱり彼らと会っても、話しても、価値観がぜんぜん違うなぁと思うのと。
なんかしんどい思いをして自分の価値観を説明するのも、すごく違和感を感じる。。。
それを正統化しようと必死になっている自分が何か切ない。別にわかってもらえなくても、彼らと自分は住んでいる環境も、見てきたものもの違うのかだから考えが異なるのは当たり前。
わかっちゃいるが、理解し合えるのかもしれないといつも期待をしては裏切られる。

思い出の中に救いはあるだろうか。
かつては仲良かった友人達。街であっても何を話す?
共通の話題は今ではほとんどないように感じる。

あのゲームが楽しかったよねとかそういうのはネット上でも別のゲーマーと語り合える事。
仲間は特定の話題では盛り上がる事ができるが、友達とはやっぱり違うと強く感じる。
僕には仲間はいるが、友達がいない。そういうことなんだと思う。

でもそれって自分が望んで得たもの。
価値観が合わないひととは付き合わない。しんどい交友関係は嫌。全部、全部自分で選んで得てきたもの。

友達が欲しいって思うのは僕の本心だろうか。本当はそれに付随するしんどさに辟易してるんじゃないかと自分の醜い部分が嫌になる。
ネットを通じて1%の確率でも自分と価値観が一致して、お互いを高め続けられる関係の人が出来ればいいなと思っていた。
でも言ってる事と、やってることが矛盾しているのかなと、今少し感じている。。

自分の自慢話ばっかして、共感だとか、提案見たいのは今はちっともしてない。
前はもっといろんなテーマでいろんな話題を提案していたように思う。

今すごく偏っている。。。いかにお金を得るのかってそこに集約しすぎている。もちろんそれが全てなんかじゃないし、そういう自分を見て欲しくて書いたわけじゃない。書いたはずじゃない。

この違和感はなんだろう。僕が欲しているものは本当は何なのか。
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