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岡山すげー

淡水魚にしかすむ事のできない天然記念物にしていされた「あゆもどき」の番組がNHKでやっていたので見る。
ドキュメンタリーは好きだ。いつも何かを考えさせられる。

そのあゆもどきが住む川ではコンクリートで作られた運河ではなく、昔から使われている石が壁のようになって運河を守っている。で、地元に住む人は川で野菜を洗う。夏になると水草が大量に繁殖して川の流れが悪くなるから皆で、掃除する。あゆもどきのために運河を産卵のために開放する。すごく日本的だ。岡山いい!

僕が悲観的にしか日本を見れなくなったのは東京に住むようになったからなのかな。千葉県に住んでいたときは今ほどじゃななかった、というか日本以外を知らなかったというのもあるけれど。毎日何かにむかついていた気がする。けど、それをどう表現すればいいのかわからなかった。都会の生活はとても便利で必要なものがすぐに手に入るんだけど、乾いている。東京にいると、俺、俺、俺、お金、お金、お金、お金、そんな感じ。見せ掛けの欧米スタイルが氾濫している。

今はとにかく耐える時期だ、少し離れた場所からこの東京も含めた日本という国を見るために今は耐える。結果を出して証明する。英語が僕の世界を開く。英語が僕を守る唯一の防火壁だ。だから勉強する。他の科目はそこそこでいい。

心の中に平和を、平和という領域が常にあっていたい。そんなこと考えながら明日の試験の仕上げのために勉強に入る。

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留学生に指摘された、日本人の思考と米国人の思考の違い

文化の180度違うことも含めて、どうやら会話の進め方そのものが異なる。

少し気がついていたけど、指摘されて明確になった。だから書き留める。絶対に忘れないようにするために。同じことを感じている人と感情が共有できるようにするために。

僕が日本社会に対して息苦しさを感じているのは、ここを読んでいる人ならば知っていると思うが、その絶対的な原因が判明した。

それは日本語での会話には多くのタブーがあって、言いたいことが言えない仕組みになっているからだ。

つまり暗に本音で会話ができないようになっている。特別な信頼関係を持っている間でさえあの言葉が浮かぶのがわかるだろうか。

「親しき仲にも礼儀あり」

これはもちろん、いい意味で使われている。が、時々僕が感じるのは、友達の間でさえも相手を気遣っていいたいことが言えないのかなぁって。

アメリカ人には何でも話せる。アメリカ人に向かってアメリカの食事はまずい、あれは食べ物じゃないよって言えるし、それを言っても彼らは怒ったりなんかしない。ああ、こいつはこう考えてるのかで終わる。なんていうかすごい爽快だ。人間同士で交信している実感がある。

家族の間でさえも言いたいことが言えないことがあるのはあなたもわかるだろう。例えばあなたが結婚していて自分の妻と離婚をしたいと考えていても、子供がいるからとか、社会的立場があるからなどの原因で本音を切り出せない。ちょっとこれは極端すぎるけど、他にいい例が思い浮かばなかった。

他人同士ならなおさら、電車の中で化粧している化け物に向かって「何をしても無駄だし手遅れというか始まってすらいないからやめたら?」って言いたいけど言えないよね?一度でいいから言ってみたいなぁ!まあこれやるのは日本だけじゃないみたいだけどね。。。コロラドでもしている人見たし。

日本人のモラルの低下にしてもしかり、ぶつかっても何も言わない。友達には親切だけど他人は信頼できない存在。島国根性。

僕は日本の常識は世界の非常識だって常に考えている。
誰かにぶつかったら絶対に「ごめんなさい」って言うようにしている。だって失礼だもの。こんなこと言わなくたってこれを読むあなたはわかるよね?

最近は親しくない人とも付き合う努力をしているよ。といっても今は大学生だから、大学でその練習をしているといったほうが正しいのかな。なるべくコミュニケーションを取るために、前よりも口を開くようにしています。変なやつだって思われてもいい。だって卒業したら二度と会わない人達じゃないか。前の大学にいたときもそうだったろう。そして今知っているはずだ、あの人たちと会うことはないし、実際会ってないことを。だから失うものは何もないよ、安心して練習できるんだ。

自分を発信していたい。そうすることで自分と方向性が同じ人に会える気がするから。同じ方向性の人だけとつき合う訳じゃないけど、同じ方向性の人とは「友達」になれるから。

「友達」と「仲間」は違う。すごく違う。
長い年月を経て再会しても、打ち解けて会話ができるのが「友達」だ。仲間は頻繁につき合っていないとまた最初から関係がリセットされちゃう。

昔から僕はそうだったんだけど、友達は少ないけど深い仲でいることが多い。今はお互い別の道を歩いていて、会わないけれど再会したら話したいことが山のようにある。そんな友達がいる。彼とはもう3年近く連絡が切れているな。。。

結局のところ、日本の多くのタブーが友達という存在を作りにくくしている社会を作っていると思う。平均化された社会。なんでも万能であることがよしとされるよね日本は。自分の長所を伸ばして、苦手なことは無理してやらなくてもいいと思う。

何事も距離の取り方、適切な距離ってのがあるから人は才能や特技を自分の中に見いだすんだ。

僕は僕しかない長所を伸ばして、それを活かせる形で社会に還元したい。それがどこなのか、いつなのかはまだわからない。

貪欲でいたい  

欲を失いたくない。
欲や願望は管理することも重要だが、常に心の中に存在しているべきだ。

そうすることでモチベーションが保てるし、目標にもなる。
年を取るほど新しいことに挑戦できなくなる、しにくくなる、だから若いうちにいろいろやれ、若さは武器だ、なんていうけど僕に言わせればナンセンスな指摘だね。

それを年齢や自分の環境のせいにするのは明らかに逃げだ。そうすることで変わろうとしない自分への免罪符を作っている。

僕は常に変化し続ける媒体でありたい。常により良い環境、常にクリエイティブなことをしていたい。信頼できるのは自分だけだ。

家族に対しても常に要求を出していたい。もちろん完全な人間なんていない。僕も完全じゃないし、あなたも完全じゃない。わかるだろう。改善すべき点にできる範囲で対応していくべきなんだ。常に。

でもそれは頑張るって意味じゃない。頑張るってのは無能な教師が、自分の説得性のなさ、論理性のなさを棚に上げて全てを統括するときに使う言葉だ。

僕は頑張らない、絶対頑張らない。自分のできるペースで進む。頑張るのと努力するのは違うと思う。

頑張るっていうのはどちらかいうと使役な意味合いが強い気がする。僕は自発的な努力をする人間でいたい。

僕は変化を続けながら、クリエイティブなことを毎日して、愛すべき大切な仲間と自発的な努力をし続ける媒体でいたい。現状に満足して停滞する人にだけはなりたくない。これでいいやじゃなくて、こんなもんか、まだ上があるだろうって感じ続けていたい。

今日は最近になって自分がどこに行きたいのか考えるようになってきたので、今の考えをまとめてみた。以上。
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