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 都知事選

先日は我が地元でも都知事選挙があり、いつもは朝すぐに行くのだがだらだらと時間を過ごしてしまい夕方になりあわてて投票。

世論的には評判のイマイチ?な石原さんに俺は投票をした。
変化を好まない人が投票をしているとか、他の候補者に魅力がないとか色んな後付論はできるのかもしれんけど、俺は個人的に石原さんには不満はないんです。

銀行作ったのは確かに失敗だったかもしれんが、東京は他の県と比べてもインフラの充実に予算をたくさん割いているし、観光誘致も力を入れてそれなりのことはやっているからこれだけ活気があるのだと思ってます。
行政サービスも充実していて、住んでいて良かったなぁと感じる面も多いです。

俺は大学まで田舎で生活していたんで田舎の生活がどんなものかわかっているつもりだけど、地方が活気がないのはきちんと理由があって過疎っているのだと思ってます。
俺の両親が北柏という場所にマンションを買った時、不動産業者は20年後には栄えますよと言ったらしい。
その当時は日本経済が右肩上がりで、世界にもガンガン進出していた時期だったので自然にそう信じられた部分も多かったのだと思う。

しかし実際に20年住んでわかったのは、何も変わらなかったということ。
車がないと生活できないし、駅前も栄えるどころか店舗が撤退して、その後に別の店が入ってまた撤退みたいのがずーっと続いている。
田舎はどこもそうだけど、娯楽がとにかくないもんだから、外出の敷居が結構高い。

そうするとどうしても家の中にこもるみたいな生活が続いてしまって、そういったのが連鎖して活気がいつまで経っても出てこないのではないかと感じています。
活気がないというのは経済が回らないと同定義だと思うので、規模の経済みたいのを反映させにくくなる。

経済が回っていれば薄利多売が成立するので例えば地主は家賃を下げても土地にビルを立てて複数のテナントから家賃収入を得ることで薄利多売をしてもリスクヘッジができるようになる。
ビルにテナントが入ればコンシューマ向けのサービスなり法人向けのサービスなりが充実していき、その仕事に従事する人たちが周辺に住むようになり、行政の税収が安定をする。
そうすれば行政は住んでいる人たちの生活をより快適にするために道路を補修したり、公共の建物の修繕工事や改築工事に予算を回せるようになる。
結果としてそこで住んでいる人たちの満足感は増し、より長くそこに住み続けたいと思うようになる。

これが今の東京そのものだと思う。
ここには仕事があり、娯楽が充分にあり、しっかりやってくれているなと感じられる行政サービスがある。

大きな街の行政サービスは他県でも取り上げられて紹介されているのを見かけますが、行政サービスもどんどん競争すればいいんだと思う。
同じ条件なら行政サービスが充実している場所に住みたいと人は思うのではないだろうか。

政治家にリーダーシップがないと言われることがある。
だが俺は問いたい。リーダーシップを本当に発揮できる人を選挙権のあった大人たちは今まで本当に選んできたのだろうか?

異質を排除し、できるヤツの足を皆で引っ張り合ってきた側面もかなりあるんじゃないのか?
その度に出来る人達がどう思っていたのか考えたことありますか?

時代を社会を本当に変革していく人というのは誰もがそれはおかしいんじゃないか?と言うような事を確信を持って反対されながらでも実行することのできる人だと思っています。
もしまだ本当にまだこの国を変えたい、良くしたいと願っているならその変化に痛みも受け入れる覚悟を持ち合わせないといけないと思ってます。

そのためには短期的なパフォーマンスが思わしくないからと入ってすぐに批判したり、揚げ足取りみたいなことをやっていてはいけないのだと俺は思います。

それでどうにもこうにも未来に希望が持てないとか、日本はだめなんじゃないかとか、自分の住んでいる地域はだめなんじゃないかって思うなら、言い方は悪いが出ていけばいいだけの話。
会社も学校も自分で選んでそこに所属をしているのに、そのことを忘れて自分の属している組織や境遇を嘆く人がいます。
子供じゃないんだし、そんなことは通らないんだって気がついて欲しいと思います。

今回の選挙はその辺りのことが反映された結果なのではないでしょうか。
変化を求めていないのではなくて、石原さんの行動力に伴う変化をむしろ望んでいるのではないか、と個人的に思ってます。

そりゃ他の候補者も素晴らしい経歴なのは見りゃわかる。
石原さんが立候補しなければ俺は渡辺さんに投票しようと思っていたしね。
でも俺は今進めている石原路線の改革を支持しているので、彼に投票をしました。

築地はすぐ近くにあるけれど、車の運転をしていて明らかにキャパが限界だって思うし、設計思想も古いから今の街の変化と事情に対応しきれていないと毎回感じます。
だから移転をさせなければならないし、石原さんがテレビで移転の話を最初したときは?って思ったけど今は自分の体でそれを感じて支持をしています。

あれだけの伝統と規模がある市場を移転させるのだから当然短期的には痛みが伴う。
でも変化ってそういうものだと思ってるんです。

変わりたくない、このままが続けばいいと思う瞬間が俺にもあります。
でもそのままじゃ緩やかな右肩下がりの死が先に待ち受けているのを体が知っているので、また新しく挑戦をし続けなければならないんです。

どれだけしんどくても前に進まないといけない。
もちろん途中で休んだりすることは人間だから当然ある。
でも過去と未来をいつかは繋げなきゃいけない。

俺はこの年になってようやっと過去と今を繋げることが出来るようになってきました。
そしてこれから先も今とこれから先の未来をつなげ続けていきたい。
それも別の国でなくて、出来れば日本の東京でやっていきたいと思ってます。
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イノベーションのジレンマと秋葉原

ここ半年ぐらいかな。2ヶ月に1回ぐらいは秋葉原に行っています。

10年ぐらい前からあの街に通いつめるようになりましたが、自作PCの世界から離れてMacにシフトしてからは全く行かなくなった。
んで最近またPCの世界に戻ってきたので、行くようになった。

昔と今じゃ結構秋葉原も変わってて、わかりやすいノスタルジックネタを出すと、

-駅前のバスケコートが無くなった。

というのが直近7年ぐらい前のショッキングな出来事で、

今はさらに駅ビルもどきに駅前が商業化して、観光地にどんどん近づいていっています。

で、昔よりも人がたくさんいるように自分は感じるんだけど、自分が通っているようなパーツショップを見るとなんかすごい元気ないんですよ。

こんな珍しい商品入れてみました!
コンセプトPCの展示やってます!

みたいな独自性がほとんどなくなってしまってる。

これは推測なんだけど、

観光客が増える → 良くも悪くも軽い感じのライト層の客が増える → そういったニーズに応えようと店が変革を試みる → 誰でもできるような企画、誰でも扱えるような商材中心の店になっていく → マニアからみると退屈な構成に感じる

という、イノベーションのジレンマに今のパーツショップは陥ってるように感じた。

これは店側が悪いのではなくて、俺らマニアが彼らの独自性をしっかりと応援してこなかった責任もあると思う。

自作するよりメーカー製PC買ったほうが安いよねとか言って浮気してたり、今はパーツもネットで買う時代だよわざわざ秋葉原まで行くの大変じゃん!別に安くないし!とか言ってやってきたツケなんだと思う。

そいでライト層に合わせた店作りに彼らはシフトしてしまって、俺はLANカードを買いに行ったわけだけど、まずLANカードなんてうちはないよみたいな店が多かったり、あっても扱ってる商品が2つとかそういう感じなんですよ。

昔は中古パーツだろうが探せばすぐに見つかって、選び放題みたいな感じだったんだけど、中古ではLANカードそもそも買取らねぐらいの勢いなのではないかと感じた。。。

家に帰って調べたらソフマップで安く買えたとか、書き込み見つかったけど、そんな大手に行かないと見つからない時代なんだーと複雑な気分。

結局いつもの通り、アマゾンで注文して翌日受け取りました。
しかもアマゾンのほうが秋葉原のパーツショップより安かった。。。

ライト層に焦点を当てるってのはどの業界でもやってるけど、生き残れるのは巨大資本の組織だけでしょう。
ニッチな商品でマニア相手の商売やってるパーツショップがライト層狙ってどうすんのよ。

最近は携帯電話の買取とかもやり出してるみたいだが、スマートフォンにこれだけ多くの人がシフトしてる今、完全にあれは逆鞘になってるんじゃないですかね?

スマートフォン買いたい → ガラケーはいらないので売る → 相場暴落 → ちょっと前に買い取った品は原価割れで売らざるを得なくなる → 俺が見た範囲ではそれでも売れてない(需要が著しく低下してるから)

完全にドツボにはまってしまってる。

そんなことわかってるよ!って声が聞こえてきそうだ。

俺は秋葉原のパーツショップが好きだよ。

昔に戻れとは言えないけど、このままだと確実に共倒れするよ。
すでに多くの優良店が秋葉原から撤退していってる現状を見てもわかるように、あの街がただのショッピングモールになってしまった時に、秋葉原としての存在意義が薄れてしまうのは明白だろう。

時代の流れという一言だけでは片付けたくないissueだ。



友達の近況報告を聞いて

すげーびびった。
実質自分が勤めていた会社はもうなくなってしまうようで、当時の社長はサラリーマンになって、もう一人は大学留年だそうです。

おじちゃまからするとそれ見ろーという指摘が来そうですが、私は経験としては大半の人が得る事が出来ないものを学生の間に経験できたという点で意味があったと思ってます。

留年している方のメンバーはまた他のチャンスを狙って、別のビジネスをしたいと言っているし、楽しみだなー。

出資していたお金返してくれると、そういう連絡が来たんだけど、なんだか申し訳ないなぁ。
株を持つ事ってのは自分の責任で、それが返ってこなくても文句言えないんだけど、まあ戻ってくるという事で、少なくも多くもない、微妙な額だがよかった。

またなんかやるってあなたが言ったら、私は投資をしてしまうんだろうね。。。
今生活するには困らないレベルまでこれて、あーそうはいっても嫁さんもらったりとかはまだこのレベルだときついが、一人でやっていくのはそれほど不自由ない所まで来たわけです。

でも二人がそんな風に分解というか、サラリーマンの道を選んだって事はもう自分で何かをやるってのは諦めたって事だよね、現時点で。

ベンチャーから大企業ということになったわけだが、自分で選んだ選択なわけだし、まあ私が辞めるときも同じような視線を感じましたんで、気にせず邁進してくだされ。

時間が過ぎるのが本当にはやい。今月ももう終わりで5月になろうとしている。
来月もしっかり仕事して、前進できるように足場をしっかり固めていきたい。

公立中学校崩壊、私立至上論の違和感 多様性こそがもっと注目されるべきである

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大学の卒業が確定しているので、こういった偉そうな事もぼちぼち書いていきますが、先日上記の本に子供の教育に関して「公立は崩壊しているので、選択肢は私立しかない」といった記述がありとても違和感を感じました。

この本では「私立は問題児がいても退学にさせることができるから秩序が守られている。それに大して公立には退学がないから問題児がいても体罰でしか秩序を保つ事が出来ない。その秩序を保つための体罰も今では禁止されていて、守られる術はない。」と書いてあります。

しかしこれは半分嘘です。


なぜか?
実際に私がいた中学では、退学になる子もいる一方、いじめ(本人達はいじめているつもりがなくても、実質的ないじめ)は存在し続けていたからです。
高等部が中等部の目立つ人間を”しつけ”たり、逆に自分の学年が、後輩の目立つ人間を”しつけ”ていたりしました。
(結構ひどいやり方をしていたので具体的には書きません)

私はその私立に3年で見切りを付け外部受験をしましたが、それは正解だったようです。
友人経由で、その後自分たちの学年が高等部になってから暴力事件が大々的に起きて、新聞に載りそうになったと聞いているからです。
もし載っていたら今頃、自分の母校は誰も入学者が集まらずに潰れていたでしょう。

何がいいたいのかいうと「私立に幻想抱いても無駄」ということです。
もっと言うと退学というカードは切り札として作用はしません。
教師の質は幾分いいかもしれませんが、それもアイディア次第でなんともでなります。

何よりも重要なポイントは、私立に行こうが、公立に行こうが、勉強する人はしますし、そうでない人はしないという事です。
であるならば、公立の中でも上位高校への進学率が高い、高格付けな公立中学はあるのですから、引っ越しをしてでもそういった中学に子供を入れた方が期待利回りは高いのではないでしょうか?

どうしても私立に入れたいのであれば、ある程度高い学費が設定される学校に入れて、上流階級同士の付き合い(金持ちは金持ちとしか付き合わない)を子供に体験させるというメリットぐらいしか見いだせません。
実際そういったメリットの恩恵は得られると思います。
私の場合であれば、高校時代は医学部に行きたいと思っていた時期があったので、友人の父親に職業インタビューとして医学部、医者という職業について話をきかせてもらったことがあります。
その方は中学時代に出会ったとても大切な友人の父親で、年間の学費が大学の学費よりも高いような場所に入学したからこそ、友人経由で話を聞かせてもらえたのです。

昨今、塾のチラシやら、現役の中高生を持つ親の人と話して感じるのですが、大学付属中高一貫礼参という風潮があるような気がしてこれも大きく違和感を感じます。

有名私大の付属であろうが、付属上がりは大学入学後にアフォすぎてついていけないというリスクが現実にある以上、それはリスクヘッジでもなんでもありません。
6年間ないし12、15年間の間に問題を起こして退学になる可能性も大いにあります。

秩序を学校に求めるのならば、校則の厳しい私立に入れてもいいですが、そういった所に入れば、逆に反発したくなったり、失敗を恐れて限られた枠の中でしかパフォーマンスを発揮できない人間が生成されてしまうリスクが生まれます。

こんな現実があるにも関わらず、昨今の私立至上、大学付属礼参にはあきれます。

本気で子供の教育を考えるならば、日本の学校でなくたって別に良いではありませんか。
外国の学校だっていいのです。
ただ誤解しないで欲しいのですが、外国にもいじめはあります。
米国人の友人が実際に言っていたので間違いないと思いますが、少なくとも米国にはいじめはあります。(それも話を聞く限りでは日本よりも悪質かもしれません)

おとといの新聞で、不登校の中高生の数がまた増えたそうですが、これを皆さんはどう考えていますか?
不登校なんてけしからんと思った人は旧人類です。

僕に言わせれば不登校なんてなるべくしてなっている。
学校に行って付き合いたくもない友達とお茶を濁す生活をするならば、行かないで好きな事をやっていたほうが生産性が上がるではありませんか。
学校に行かなくたって、中高等学校程度の勉強であれば独学で十分。
近所の大学生を成果報酬型にして家庭教師として雇ってもいい。
(全国模試で順位が上がれば時給+500円で上限なし、青天井などと設定すればくらいついてくるでしょう)

中学は行かなくても卒業証書はもらえますし、高校だって高卒の資格を試験を受けて取ればいいんです。
15歳で中学を卒業して、1年で大検を取って、海外の大学を4年間で卒業すれば20歳で教育課程修了ですよ。

それで起業して10年後に30歳でリタイヤしたっていいじゃないですか。

僕はそう言った意味での多様性がこれからの教育に対する考え方に生まれてくればいいなぁと思ってます。

被害者は僕の大学にも一人 ご冥福を心よりお祈りしたい

確率的にはどれぐらいなの?って所だけれど、残念ながら僕の大学にあの秋葉原での通り魔事件の被害者が一人いたようです。

まだ若く、これからという時に命を奪われ、ご両親、ご友人を始め周りの方々は無念でならないでしょう。

ご冥福をお祈りするとともに、残された人間が恥ずかしくない生き方をしていく事を改めて意識していきたい。

本当はこれは動画で言った方がいいんだけれど、まだ考えがまとまらないので文章で書く。

だけどテレビも新聞も何もわかっちゃいない。
家庭に問題があったとか、卒業アルバムを引っ張ってくるとかそういうレベルの話じゃないんだ。

この国が抱えている問題、社会が見て見ぬ振りをしている問題。

仕事もそうだし、生きている事に夢を持てない事そういう現実がある事に目をそらしてはいけない、この事件は改めてそれを教えてくれている。

日本は銃を所持するのを禁止しているから、被害も少なくすむけれど、アメリカ合衆国では大学のキャンパスで銃を乱射して自らも自殺を最後にするという事件が実際に起きている。
その事件のときだって同じような問題が起因になっているんだ。

「長生きしてもしょうがない。俺はさっさと死にたい。だから煙草を吸う」わるつさんはこんなことを言って俺を悲しませるけれど、でもそういう風に思ってしまう現実があるんだ。

異性との関係についてもそう。
夢が持てない人がいる。
新聞によるとこの加害者は要旨についても悩んでいて「俺はどうせ60になっても、6畳一間のぼろアパート住まい。不細工な奴は相手にされない」といった事をもらしていたらしいけれど、まさにそうなんだ。

短期的な利益、短期的な印象が優先をされ、雑誌なども昨日書いたJJの記事にも含んだように、それを煽っている。

問題なのは、日本人は真面目だからそういう情報をまともに受けて、受けれ入れてしまう所があるんだ。

それは女の子だけじゃない。
俺たち男もそうだ。
スタイルが良くて、目が大きくて、話を聞いてくれて、すぐにfuckさせてくれる女がいい。
そう思っている奴が多いんじゃないか?

同じ男として、確かにそういう存在に注目をしたくなる事がわからないとは言わないが、だけど本当にそれだけなのか?

SEXのみが目的の関係、それは割り切ってそういう存在を持つことも今の時代はありなのかもしれないけれど、自分のパートーナーとなりうる人としてつき合うのが成人した後の恋愛だと僕は思っているんだけれどどうかな?
俺が世間知らずなだけ?
あるいは俺がピュアすぎるのか?

中身を評価する事、小手先のだけのテクニックに走らなくても認めてあげる人が周りに存在する事、存在できる事。
ストレスフルな世の中だけど、そういう風潮がないとこれ以上、この国は続いていかないぞ。
とても危機感を持って俺はそのことについて考えています。


若者がお酒を飲まないと言われている事について 我が家の事情

僕に限って言えば、ビールをおいしいと思えないし、店で出てくるワインも若者同士でいく居酒屋みたいな場所はしょぼいのしかなくて、そのくせ値段が高いのであほらしいから頼まない。

桜水産とかあからさまに水で薄め過ぎだからね。
酒を回すために2倍注文して勘定は結局いつもと同じって罠です。
気がつかないで安い安い言っている人は自分のフィナンシャルリテラシーをもっと磨きましょうw

ビールのおいしさがわからない。
発泡酒はまずすぎで二度と飲みたくない。

プレミアムモルツぐらいの味でようやく「ああこれね」って思えるぐらい。
舌がこえすぎですかね?

枝豆と一緒にたまに飲むぐらいなんで僕の年間ビール消費量って相当少ない予感。

母が他界した時は忙しくて、外食も結構父として一緒にアルコールも頼んでいましたが、今は土日も含めてほとんど自炊になってしまって、食事したらコーヒを飲むぐらいでお酒を入れる暇がありません。

ワインはいつもストックしてあるけれど、それは父の趣味で、父のお客さんがプレゼントしてくれる結構高そうなやつなんで勝手に開けられないんだよね。

じゃあ500円でカリフォルニアワイン買ってきたら幸せか?って言われると、一人であれは飲みきれないわけでw

もうワンランク上の千円のワインを買う気にもなれない。(バリューゾーンではあるが)

結局僕は食事と水、食後はコーヒーで終わらせてしまう事がほとんどです。

過労というけれど特定の業界ではこんな生温い現状ではない!

別に隠すほどの事ではないし、それは事実だから言うけれど、世の中に多々ある仕事のうちもっとも自殺率が高いのはSE(システムエンジニア)だ。

僕の知り合いベースでも月に150時間、180時間なんてのは当たり前のように聞くし、実際その仕事はかなり過酷だ。

財務諸表ベースで言えば、情報産業という業界の中の最も多い仕事、システムを作っておろす仕事(システムインテグレーションと言います)は儲からない。
(利益率を見ればすぐにわかります。)

なぜか?
同じ仕事をこなす競合は掃いて捨てるほどいるから。

結果としてどうなるか?
価格以外では差別化ができずプレゼンをさせて一番安価に、一番良い提案をしてくれる業者に注文がされ、利益を確保するのが極めて難しくなる。

あるいは思考を停止している担当者が大手に仕事を依頼すれば、そこはゼネコン体質で大手は下請けに仕事を丸投げ(自分たちは報酬の何割かを抜くだけ)して、その下請けがさらにその下請けに丸投げして、その先にはさらに下請けがいると。。。

こういうことをやっている業界です。
こういうことが当たり前の業界なので、そこで働く事はキツイし、スキルが身に付いてもそれはずっと使える物ではなく、新しい技術が出てきたら役に立たなくなります。

従って、情報産業で働くには超絶な長時間勤務に加え、常に新しい技術を学ばなければならず、それでいて給料が安いので全く持って割にあわない仕事と思われて特に新卒には人気のない業界になっております。

まあ無理もないよね。
こんなことやっている業界に好き好んで進むのは狂気の沙汰にしか見えない。
何かが手に入るわけでもなく、尊敬されるわけでもない。ただ使い捨てられるだけ。
金も名誉も地位も手に入らず、残ったのはストレスと虚無感だけかもしれないなんて!

さっきBSニュースで過労認定されている人の中には残業が120時間を超えている人もいましたって言っていたけれど、現状はそんな生温いものじゃない!

時々僕は、こんなことが続くならこの産業は淘汰されて欲しいと真剣に思う。
黒舟だろうがなんだろうがさっさと日本に上陸してきて、高品質なサービスを安価に提供して既存のヒエラルキーを叩きつぶして欲しい。

特定の組織が市場を牛耳って客の足下を見る。
その傾向が躊躇な国。
それが日本だと思ってます。

だからすぐに大手とパートナーシップを組んだり、下請けになろうとする新興企業が後を絶ちません。。。

短期的にはそれで利益が確定しやすくなるのだろうけれど、長期的にはそれは従業員が奴隷のように働いてく風潮を助長する事に気がつかないのだろうか。

投資家の皆さんはこういった安易な考えに走る会社に投資をするのはやめましょう。
実際、こういう志の低い会社の中には仕手株として弄ばれているような銘柄も存在します。
(僕の実際に投資をしている友人が自分の目で見ているので確かな情報です)

情報産業以外にももちろんゼネコン体質が染み付いた腐りきった業界はあるのでしょう。
そこで働く人たちは悪い事をしたのではありません。
僕も一年前は志を持って情報産業に就職をしたいと思っていたんだ。。。

でもちょっとインターンをしてみたらまさに業界の典型的なパターンを見てしまったというか、そこに10年後の自分を見いだせなかった。
仕事だとかスキル云々の前に精神を病むと思った。

なぜ働くのか?
それが生きるためであっても。少なくとも苦痛に耐えるためではないはず。

投機moneyが庶民の生活を破壊する

商品に投資をするファンドに投資するのはやめましょう。

これはmixiのヘッジファンドコミュニティに投稿されたメッセージだが全く持って共感。
商品への投機は、特に原油への投資はただのmoney gameであり短期的にも長期的にも自らの生活を圧迫するlose-lose-loseな関係を構築してしまっている。

原油が上がればガソリンの価格が上がる。そうなれば運輸の仕事に携わる人たちのコストが上昇する。すると運有を利用して販売をする製品にもそのダメージが反映され、価格に織り込まれ私たちが使う日用品は値上がりする。

結果、投機moneyで儲けるために投資をした人たちも投機で利益を上げたつもりが、自分たちが使う生活消費財や電気代の値上げによって不幸になってしまい、誰もがloseになる。

健全なる資本社会を応援する意味で、持続可能な組織を応援する意味で投資をするならば株式や債券に投資をした方がいいと思います。
企業は資本市場から調達した資金を元にそれを効率的に回転させて、収益を高めそれを株主や社会に対して還元をするからです。

自分だけが儲かればいいと思うのは人間の自然な考えでもあるのですが、場合によってはその目論見が自らの破滅をも誘導しうることがあるのを留意して下さい。

広告は必要悪なのか? せっけんを買いたい

久しぶりに企業訪問をする。
健康食品であるとかロハスな商品の卸業者なんだけど、来ている学生もそういった事に関心や意識が高い人が多くて刺激になった。

例えば大手メーカーの化粧品の原価は売られている価格の10分の1(5千円のファンデーションなら原価500円ってことです。大量生産をする事でさらにコスト削減をしているので厳密にはさらに原価は低いと思われる)でそれ以外の大半は広告費に当てられている、農薬や生産管理手法によって人工的に管理しようとした作物がミネラルを失い栄養分を失ったスカスカの食べ物になってしまうなど自分には知らない事が多かった。

だけど利益を追求するために、株主価値を上げるために企業は商品をPRしなければいけないから広告を出す、広告を出せば当然コストがかさみ製品の品質に割く割合は減ってしまう。
(もちろん彼らが生きていくために必要なお金を稼ぐためにも価格は一定の基準を設定せざるを得ない。)
結果としてモラルハザードが発生する。

今まで自分が”いい”と思っていた物は半分詐欺みたいな商品だったのかと思うと、またそういったものを作っているメーカーが学生(しかも高学歴の人たち)の憧れの就職先だったりすることを考えると世の中の不思議さ、矛盾さを感じずにはいられない。

とりあえず、シャンプーやボディソープを使うのをやめて全部せっけんにしようかと思う。
体臭防止だのさっぱりとした仕上がりだの謳っていても、中身は車の洗浄剤とあまり変わらないなんて知ってしまって使う気がうせてしまいました。
しかもそんなものに千円だとか払うのはそういった物を販売するメーカーをつけあがらせるだけであり、情報社会の歪みを生み出す助長になり得るのでよろしくないとも強く思います。

せっけんならどんなに高価な物を買ってもたかがしているし、持続的に使い続けることができるのならばこれを機会にswitchしてしまいたい。

ということでおすすめのせっけんがあればぜひ教えて頂きたいです。
できれば1個で体も頭も顔も全部洗えるのがいいのですが、別個に買った方がいいのであればそれを検討します。

使う人間は私を含め、父と2人、両方とも男なんで香りであるとか、デザインであるとか、ブランドは気にしません。
汚れを落とし、体臭(加齢集も含む)を消す事、肌のトラブル(ニキビ、フケ、など)を防ぐという目的を果たす商品を求めています。

道路特定財源に対する自民党の主張について思う所

僕の考察が浅いのかもしれないが、あなた達のいう”地方の経済効果のための公共工事にこの財源が必要”っていうのは資本主義のルールからはずれまくってないか?

公共工事という名の下に談合が行われているのは今や誰もが知っている事であり、その財源が税金であるならばそれは無駄使いじゃないか。

確かに民主党がその財源をなくしてそれに取って代わる物を用意できるのか?という質問に答えられないのも問題かもしれないけれど、貴方達がやろうとしている税金の無駄使いのほうがもっと問題でしょ。

地方の人には悪いけれど、経済的合理性が優先される資本主義の道を選んだ時に、遅かれ早かれ、こういうことはいつか起きてしまう可能性を含んでいたんだよ。

競争性のないサービスを提供する自治体は淘汰されるし、仕事のない場所から仕事のある場所に人は流動するし、魅力のない居住区ならば過疎してもそれは自業自得なんだ。

そんな生きる屍を国家の名の下に救済する価値がどこにある?
そりゃ僕だっておいしい米であるとか野菜であるとかをもっと食べたいし、そういったものを作ってくれている地方の農家の人には敬意と感謝を表する。

でも米も今や価格が上がっているとはいえ、日本の米は関税という障壁のおかげでドメスティックな市場が維持されている。
その証拠にオーストラリアで米10kgは千円で売られているそうじゃないか。

僕はこの間魚沼産のコシヒカリをスーパーで買ったけれど5kgで5500円したぞ。
でもその前に買った3千円ぐらいの無洗米と比べて1.5倍以上の味の差があるかと聞かれれば、申し訳ないけれどそこまでの違いはないと言わざるを得ない。
無論、コシヒカリはおいしいんだが、それにしても値段が高すぎるよね。

野菜も同様。言っちゃ悪いがギャグとしか思えない広さの土地でセコセコ作って収穫するのと、飛行機で農薬を撒いて日々の水やりも機械制御で徹底して合理化をしている手法、どちらが消費者に手を出しやすいか考えてくれよ。
味が違う、品質が違う。それは理解している。だけど消費者に選択をする余地を与えて欲しい。誰もが誰も最高品質の野菜を高い値段で買いたいと判断するとは思えない。

ちなみにこの解決策は悔しいけれど大前研一の主張を支持せざるをえない。つまり日本で農業を営んでいたプロフェッショナルをオーストラリアであるとかアメリカ合衆国に派遣して、彼らの手法で作物を作らせる。そしてそれを日本に輸出すれば自給率に対する影響は理論上は変わらない。(無論、プロセスの中で合理化できる部分は変える必要があるだろう。なんと言っても土地の広さが桁違いなのだから。)

国によるドメスティックな市場の形成。そこまでしてこの産業を守る価値があるの?
食料自給率の確保のため。
ある人はこういってそれを正当化するけれど、それならば国による米の貯蓄としてその事業をやればいいのであり、わざわざ国民という消費者にそれを売る媒体まで支配する必要はないんじゃないの?

民主党が完全だなんて言うつもりはないけれど、自民党に投票する人たちはそれで本当にこの国が良くなるって思っているの?
今まで貴方達が自民党に投票して何かよくなった事、改善された事がありましたか?

こんな低次元なレベルで議論をしている暇はないのに、世論を悪用する自民党のやり方は全く持ってナンセンスだと思います。(そして選挙を控えていることを利用して民主党がいつまでも固執するのにもストレスがたまります。)

僕としては、ガソリンを使うわけではないのでシリアスに生活に影響する問題ではないのだけれど、どうせ無駄使いに使われる財源ならばさっさと消費者に還元して、市場に流れを委ねるのがベストだと考えております。
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