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昨日のお礼

今の自分の環境というのは他ならぬ自分が望んでそうなっている。
この意味わかりますかね?

設計図があって、それを基に構築が始まる。
設計図がダメなら構築されるものもダメということです。

プログラミングをやる人なんかはしっくり来るかも知れません。
コードを書いて、コンパイルして、出力結果を見る。

間違ったところがあると、コンパイルしてもエラーが出ますよね。
あれと同じような感じです。

間違ったコードを探して、修正して、またコンパイルをする。
これを繰り返して正しく動くプログラムは完成をします。

人生も同じだと思ってます。

すなわち個人のプログラム部分である思想。
ここがダメだと出力される結果、つまり生き様もダメになるということです。

タバコを吸えば肺がんになるし、酒を沢山飲み過ぎると肝臓に負担がかかる。
それでいざ病気になって文句をいう人が結構います。

これはちゃんちゃらおかしな事です。
だって自分でそうなるように自分自身を設計して実行したのに、出力された結果を見て否定しているんだから。

俺は10年以上、孤独であることを望み、他人には心を一切開かずに生きてきました。
俺のことを理解できる人間なんていないという、中二病全開な思想で生きてきたんですね。

だから誕生日を迎えても、誰も祝ってくれないし、プレゼントも貰えない。
子供の頃は友達はまあまあ多かったほうだけど、中学ぐらいからどんどん孤立するようになって、多分その頃から誰かに誕生日を祝福された記憶が俺にはない。

それで斜めに構えて生きてはみたものの、やっぱり寂しいわけです。
誕生日は誰かに祝福されたい。
自然な気持ちではないでしょうか。

そう思ったのでツイッターでお願いをしたら、何ら問題なく祝福してくれる人が続出しました。
メッセージくれた人どうもありがとうございます。
とても嬉しかったです。

それで気がついたんだ。

今までの俺は祝福されないようにコードを書いてきたんだって。
祝福されるようにコードを修正したら、その通りの結果が出力された。

試しにFBでは祝福して下さいってお願いしなかったから、Twitterほどには祝福してくれる人は現れなかった。
来年はFBでも祝福をお願いしようと思う。

それでもFBでも3人の人が俺を祝福してくれて、一人はTwitter経由で友達になった方、一人はネットの友達、もう一人は中学の時の数少ない友人です。
昨年無理して時間を作ってもらって、再会して、また仲良くなりました。

これだってその時はすげービビって、何十年も交流が途絶えているから、無理かな?と思いながら、恐る恐るお願いしたわけです。
友達に俺は受け入れられないと書かれていたコードを、受け入れてくれる友達が現れるように書きなおした。
そうしたら何ら問題なく友達と楽しい時間を共有できるようになった。
10年以上会ってなかったのに、何ら違和感なくね。

小さな成功体験を積み重ねることが、やがて訪れる飛躍への伏線です。
いきなり大きなことは誰だってできない。

だからできることからちょっとずつちょっとずつ積み重ねていくんです。

Twitterも同じ。
最初はどんなに頑張ってもツイートへの反応が限定的だった。

でもある日を境に、僕の発言に目を留めてくれる人が、一人、また一人と現れるようになって、フォローしてくれる人も日に日に増えてきて、今に至ってる。

最初にリツイートされたり、お気に入り登録されたその瞬間が小さな成功体験だったわけです。
そこから積み重ねて、もっとやろう、アプローチを変えてみよう、もっとわかりやすく書こうと、派生させることができました。

シンプルなんだって思います。
現状に不満を持つことから、全ては始まっていると昨日書きました。

不満を持てるということはすごいことです。

だって他の人が疑問に感じないことに気がついているわけだから。
時代を先取りしているわけです。
最先端にポジションを取ってるわけです。

だけど時代がまだ自分に追いつていないから、孤独感や孤立感を感じてしまうのです。

それで諦めちゃったり、文句言っておしまいって人が多い。
俺もずっとそうだったから。

ここからさらに一歩踏み込んで、自分の思想を書き換える事で、出力される結果がすぐに修正されます。
そうなれば不満は満足へと変わります。

これを繰り返せばいい。

つまり、

不満を感じる → 本来の理想を定義する → それを実現するために必要なことを考える → 実行する → 実行結果を検証する → 最初に戻る

シンプルですな。

なんかやれる気がしてきた。
これ読んだ人もいけるって思わない?どう?

思ってる以上に複雑じゃないのかもよ。
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29歳、最後の覚悟

本日、2012年4月15日付で29歳になりました。

とうとう20代最後の時が俺にもやってきた。
もうあと1年しか時間がないのかという思いと、ここまで追い詰められたからこそもうやるしかないという2つの気持ちでこの時を迎えました。

私はこの1年がラストチャンスだと思ってます。

敵を作りそうな表現をしょっぱなからしますが、人間一度30歳になってしまうと、もはや20代の頃のような爆発的な成長力、正しいことに耳を傾ける真摯な態度、ミニマイズされた利害関係、これらを全て失うと思ってます。

真に望む人生を手に入れたいならば、10代や20代から徹底的にもがいて、失敗もたくさんやって、損切りもたくさんやって、何度も何度も倒れて、潰されて、底辺まで落とされてどん底を経験して、それでも立ち上がる。
それを経験した人間だけがジワタネホに辿り着けると思ってます。

逆に超リスク高いのが、学校もまあまあ、サークルもまあまあ、会社でもまあまあ、結婚もできて、まああまの家借金して買って、まあまあ子供にも恵まれた、

だけど、

失敗経験や挫折、どん底を見た経験は皆無で、周りからはちやほやされて、放っておいても満たされてきた、リア充の象徴みたいな人です。

これは嫉妬と思いたいならそれでもいいけど、満たされ続けてきた人は現場に疑問を持ったり、不満を感じたりすることなんてないでしょう。

不満を持たなくなれば、今の自分を否定して新しいことになんて挑戦しないでしょう。

会社でもまあまあうまくいってるんだから、転職なんて考えないし、独立して自分のビジネスをやろうなんてまず考えないでしょう。

そうですよね?
だってすでに満たされちゃっているんだから。

それに対して非リア充。負け組は現状に不満を持っています。

こんなのは本当の自分じゃない。

毎日が悪夢。

不幸な学校生活。
不幸な結婚生活。
不幸な会社生活。
不幸な家庭生活。

乏しい交友範囲。
働いても働いても豊かさを感じられないラットレースみたいな生活。
もしかしたら異性からも相手をされないかもしれません。

あまりネガティブな言葉を乱用したくないけど、こういう現状があると思います。

なんでそんなことが言えるの?と申しますと、他ならぬ私が上記を象徴するような存在だからです。

まあ結婚とかはしてないなら一部は当てはまらないけどね。。。

私は現状にめっちゃ不満を持ってます。
29年も生きてきて、なんで特筆に値する結果が残せてないんだろうと思ってます。

なんで未だに労働に従事していて、いつでも引退できるぐらいの余裕がないんだろうと思います。
どうして中途半端な実績ばかりで自分を胸はって誇れないんだろうと思います。

どうして努力する機会を与えられながら、これほどまでにそれを破棄し続けてしまうのだろうと思います。

同時に、めっちゃ良かったなと思います。
こんなに不満を感じることが出来る自分が大好きなわけです。

矛盾してんのかこいつ?と思うかもですがマジです。

なぜならば、不満を感じるからこそ、何かの対策を取らなければいけないと思うし、対策を取るから失敗かもしれないけど結果が出るし、結果が出るからこそ学習ができるのです。

そして実体験から学習できる人間は成長をするはずです。

中途半端な人は、特別な意識をしなくても、まあまあ何事も通って、まあまあ満たされて、それでおしまいです。
そこから発展の余地がないと思います。
だってすでに出来上がっちゃってるんだから。

それはそれで羨ましいと思いますが、打たれる経験が得られないのは儚いなって思います。

ある日、周りの人から見たらそれほど大きな失敗じゃないけど、失敗経験がないがゆえに、ひどく打ち砕かれて、そこで終わりみたいな人がエリートには多いと聞きます。

そりゃそうだよなって思う。
今まで満たされて、リア充で、自分のやってきたことが通ってきた人に、失敗なんて概念は無縁でしょう。

疎外感、挫折感、喪失感、虚無感は全部未経験なんだから、初めてそれを経験したら戸惑うなんてレベルじゃないと思います。

だからこそリスクが高いと思うのです。

今、現状に強い不満を持っている人。
一緒にもがきましょう。

私で良ければ話聞きますよ。

就活やって苦しい人は、ES通るように指導するし、面接練習も受けてます。
OB訪問する人がいないぐらい孤独なら私がOB訪問の相手になりましょう。

同世代の人は、会社辞めたいとか、家族の悩みとか、あれば話してください。

私は母親を失い、友人が自殺をして、家族が崩壊し、心の拠り所とするものは全てを失いました。

正直、生きててもしょうがないかなって思ってた時期もあります。

でも今は生きたいなって思います。

必死に死ぬか、必死に生きるか。
俺は必死に生きていたい。



他人の人生を生きて、大衆の価値観に右往左往して、気がついたら歳だけ取って、何もできなくなってましたみたいのは嫌だ。

俺に1ミクロンでも共感してついてくる人がいるなら、その人達に何かを発信し、全てをさらけ出し、彼ら、彼女らが可能性をマキシマイズできるように一緒にもがこうと思う。

そしてその人達の人生に貢献をし、共に苦難喜びを共有し、俺達なりのジワタネホを目指していたい。

さらにそんな素敵な状態がずっと持続的に続いていればいいなと思う。

こんな私でも今年になって得た成功体験が一つだけある。
Twitterだ。

今私をフォローしてくれている人が安定4000人以上います。
Twitterで飾らない自分をさらけ出して、良くないところも全部見せて、それでもついてきてくれている4000人の人たちです。

その1割が私のTwitterを読んでいると仮定しても、400人を超える濃い人達と繋がれたことになる。

この人達は、誰かに強制されて私をフォローしたのではありません。
私のツイートやプロフィールを見て、自らの意思でフォローをしたのです。

これってすごいことだって思います。

だって俺は今まで、学校でもサークルでも、組織でもろくに相手をされて来なかった存在だから。

どこにいってもはみ出して、中途半端で、自分に自信を持てなくて、誰にも何も与えることができない人間だったわけです。

その自分が、今は影響力を発揮しているんです。

私がツイートしようものなら、リツイートがかなりの頻度でされます。
読んでいる人がいなければリツイートなんてありえないから、最初はビビりました。

もしかして俺、いけんのかと?
それで調子に乗って、自分をもう少し表現すると、やっぱりリツイートされたりお気に入りに登録をされます。

コメントはまだ少ないけど、読んでくれている人はそれなりにいるんだなーって思います。

この奇跡的な活動をもっと精力的にやりたい。

フォローしてくれる人を増やして、その人達に新しい世界を見せて、それが信じられるようにfactも見せていく。

factとは私ですね。
私という存在が大きく、美しく成功し、結果を出すことでそれが証明できると思います。

そうすれば私をフォローしてくれている人たちも夢が持てるはずです。
ああ、スティーブ・ジョブズが言ってたことは、アメリカの話だけではなくて、日本でも通じることなんだって信じられるようになるでしょう。



それがこの1年だと思うわけです。
29歳という最後のチャンスだと考えるわけです。

非リア充とは悲しいことでもなんでもない。
居場所がないのも悲しいことじゃない。
他人に認められないことも悲しいことじゃない。

今はまだ世界にそういう価値観がないだけ。
それを作れば、究極的に自分にとって持続可能な世界を創造できるはずです。
永遠のナギ節を作り出すことができるはずです。



何もないことこそが、最も可能性に満ちていて、ワクワク感があることではないかと思ってます。
全てがあればそこでおしまい。

別にこれはお金の問題だけじゃないです。
自分がどう感じるか?
これに尽きると思ってます。

キャリアも同じですよね?
内定が出なくて苦しい。
そうかもしれません。

でもなぜ就職するのかを考えたことはありますか?
別に就職をしなくてもいいわけです。
そういう選択もあります。

私は就職せずに起業をするという選択を選びました。

就職したほうが良かったかな?と思うこともありますが、自分にはできないことだし、何よりも持続可能じゃないことは絶対にやりたくないので、何度シュミレートしても、自分にはそれができない事情があったという結論に至ります。

まあ人間は過去の自分を色々と理由をつけて肯定したがるものだから、これは話半分ぐらいに聞いておいてくれていいです。
これから結果を見せて、証明すれば信じてもらえるはずですから。

結果出せんのか?って話ですが、私にもわかりません。

いけるんじゃないか?という仮説は持ってますが、それは検証してみないとわからないことです。

このブログやTwitterからも多くのことが派生していく可能性を感じるしね。

そのためにも、もっといい表現ができるように、文章力を高めないとダメですね。
文章力を高めるために、センスのいい文章にいっぱい触れます。
読書ですね。

本を沢山読めば読むほど、これが実現できる。
そう思ってます。

で、せっかく読んでそのまま、みたいなことが今までは多かったけど、これからはレビューってことで、感想文をブログにアップしていこうと思います。

レビューを書くためにはやっぱり考えるし、考えるってことは頭使うから、良い訓練になるかなーって思ってます。

そしてそれと並行して、本業も力を入れてやっていきます。

やりたいことや実現したいことは定義出てきているから、あとは実装化するだけです。
ここをもがきます。

ここまで書いてきて、結果がついてきてくれるといいなって思ってます。
旧態依然とした古い価値観の世界に生きているような人たちが文句言えない結果ですね。

ここまで書いちゃって何も結果が出せなかったら正直恥ずかしいから、良い意味でも追い込まれると思ってる。

結構、楽観的に今を見てたりします。
いけるんじゃないのーぐらいのノリだったりします。

一年後に、この記事を見る自分が何を感じるか。
どんな状態でその日を迎えるのか。
30歳の日を。
楽しみです。

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自信を見失いそうです

厳しい経験や辛い環境から逃れて一時的な安楽を手に入れる生活をずっと続けてきてしまった代償を今痛感しています。
生存力を高めるために取り組むチャンスは今まで何十万回とあった。
だけど俺はそれを全て破棄してしまった。

もはやその積もり重なった偏りを正すことはできないけれど、偏りの中から生まれる強みを生かして生存する方法を模索するしかない。

”人生は何度でもやり直せる”という言葉がある。
今が本当に最後の最後のチャンスと思いもがいていきたい。

今俺個人がちょっとだけ後悔していることをいくつか紹介。

1,学問の世界で興味の持てることを見つけられなかったこと。あるいは見つけてもそれにチャレンジしなかったこと。

高校の時に進路を決める時に、まあ文系の学部に行っても良かったんですけど、なんとなく名前が通っている大学でかつ入学難易度がそれほど高くない夜学がいいんじゃないかと思いました。
実社会との関わりとアカデミックな世界のバランスが取れている分野がいいと思い、経営工学なんていいんじゃないかと考えました。
そしてそれを担任の先生に話したら、夜学なんてダメだの一言でかたされて、そこでどうしても行きたい意思を親にも先生にも表明すれば良かったのにしなかった。

結果、付属の大学で自分が入学を許可された所に行きたくもないのに入学をしてだらだら過ごして半年卒業延期。卒業はできたものの、この時点で大学で学ぶモチベーションみたいのはかなり欠如してしまっていた。
高校で物理学を学ばなかったことや、数学に真剣に取り組まなかったことからシリアスな理系の世界は自分には厳しいと自覚し始める。

当時は人間工学に興味がありそれを学べてかつ短大から編入学出来る大学ってことで探していたんだけれど、本当に真剣に探したわけではなく、コンピュータが好きであることと入学難易度がそれほど高くないという条件で情報系の学部を選択。
試験を受けたら入学難易度は高くない大学だから合格してしまう。

結果論だが編入先の大学に行ったことは自分にはとても良い経験。
学問への情熱はそれほど高めることが出来なかったが、この大学のおかげでアメリカにも行けたし、語学だけは反応値を少しだけあげることができた。
それを実務の世界でも使いたいと思って就職活動をしたけれども、結果は自分の思った通りには運ばず、今に至ってる。

もう一度やり直せるなら高校ぐらいまで戻って、少なくとも一つの教科だけは真剣に取り組んで結果を出したいと思う。それは数学でも英語でも国語でも何でもいいのだが、1つだけでも秀でるような経験を持つことが出来ればそれを自分の中で自信に昇華していくことができると思うのだ。

今の自分は自分に自信を持てない人間になっている。
これでも少しは昔に比べるとマシにはなってきているのだが、挑戦をしなさすぎたこと、楽をしすぎたことがアダになって響いてきている。

働くようになってからはそれなりに挑戦をして自分を高めたいと思ってやってきたが、気がつけば今の生活がこれからも続いていけばいいのかな、生活には困らない範囲で身の丈にあったことをやっていこうなどと保守的な考えに戻って同じようなことを繰り返している自分がいる。


2,恋愛に積極的でなかったこと

結婚なんてしなくてもいいや、見合いがあるしぐらいに思っていました。
素晴らしい人達は何十人、何百人といたはずだが彼女らに自らアプローチをする努力を全て破棄してしまった。
恋愛経験が少ないことを自分は草食系だからと正当化することができないと思う。
少なくとも結婚をするためには女性と付き合わなければいけないのであり、恋愛をしたくなくても結婚をしたいと思うのなら女性との付き合いは何かしらの形で必要というものだ。

身も蓋もない書き方をしてしまうと、人もモノもサービスも良いものから売れていくわけであり、結婚をしたいと思っているのに結婚できていないということは何かしらの品質的なところに問題があるわけである。
俺はまあ客観的に見ても素人向けではない、自虐的に見ても玄人向けの人間だと思うので、まあ売れ残りやすい男なんだろう。
それで売残ってしまった人間同士を強制的に接点を作って結婚させようとする試みが見合いなわけなんだけど、これは嫌がる理由がわかる気がする。

無論見合いで幸せになれるケースも多々あると思うが、入り口の所でこの人ちょっとなぁみたいな者どうし、少なくとも男性に限って言えば自分で女の人を見つけられない人間が出てくるわけだから抵抗感を持つのは自然な反応だろう。

俺もこのままだらだら歳だけ取って見合いをすれば結婚できるのかもしれないけれど、今のままじゃ相手がかわいそうだ。
金も稼げない自立してないおっさんと誰が結婚したがるだろうか。

3,本当の意味で友人をあまり大事に扱ってこなかったこと

友人というのは放っておいても自分の相手をしてくれる存在という勘違いが幼少時代に築かれていました。
幼少期に育った地域は本当にいい奴らばかりで陰湿ないじめの話も聞いた覚えがない。
皆仲が良く、過ちや苦手なことがあってもそれに理解を示した助けあうような風土が自然にあった。
それが当たり前だと勘違いをしてしまった。

そういった素晴らしい環境があったのは彼女、彼らが慈しみの心で他者と接してくれていたからであり、それは自分の人間性だとか実力によってもたらされたものではない。

それを知らずに中学に進学をして、他人との付き合いで苦しみ、逃げるように高校受験をして高校に進学をしたけれど友達はそれほどできなかった。
それを周りのせいにしてしまい、自分が彼らに歩み寄り理解されるための努力をしなければいけないという当たり前すぎるステップを破棄してしまった。

その代償は今孤独という形で払っている。
もちろんこんな状況になっても理解をしてくれる人や友人はいるのだが、それでも交友関係は極めて限定的と言わざるを得ない。

4,自分を好きになれる努力、愛すための経験、自信をもつためのプロセスを避けたこと

上記3点に共通することは、こうありたいという姿があってそれに対してアクションを起こす機会は何度もあったということです。
しかし俺はそれらを全て破棄してしまった。
結果として今の自分がある。それを誰かのせいにすることはできない。自分でこうなることを選んだのだから。

これから俺は少なからず なりたい自分になるためにどうすればいいのだろうか。
少なくともまだ俺は自分を諦めてはいない。
ひどく落ち込んで入るが人生を破棄したわけじゃない。
まだ何かできることがあるはずだ。まだもがけるはずだ。ドアを叩いて中に入れてもらうことが出来るはずだ。
そう信じてる。

引越し準備

引っ越すことになりそうです。
最初は実家の近くにしようと思ったんだが、東京都内でなくてもいいかなと思い、仕事と生活のバランスが関東エリアでは一番いいと個人的に思っている神奈川に目を向けました。

条件としては、

-都会的な側面を持ち、効率性の高い生活が出来る
-人口が多すぎず、少なすぎず変化もそれなりにある街
-東京湾横断道路や高速道路へのアクセスが良い
-大きめのホームセンターが近くにあること
-駐車場があること
-治安が良いこと

仕事は住む場所にそれほど影響をされないので田舎に住んでもいいんだが、田舎は家賃は安いけど生活効率が悪く物価も高いので思ったほど安上がりには住めないと思ってます。
また、”のどかな雰囲気”といった表現だけ見ると響きよく見えるが、実態は変化に乏しく同じような価値観の人が集まり異質を排除するといった陰湿なカルチャーが少なからずあると思っています。
そういった価値観に同化出来れば生活を楽しめるのでしょうが自分の場合はどうしてもそういった要素よりも、様々なバックグラウンドを持った人が集まって色々なことに取り組んでいる都会的な側面に今は価値を見出してしまいます。
なので現時点では自分は都会派です。

神奈川はほぼ全域行ったと思うが、鎌倉や平塚のような別荘地から新横浜やみなとみらい周辺のような活気がある場所まで多少なりとも見て、その中間辺りに位置する場所がいいのかなと思っています。

効率性だけ考えれば横浜中心やみなとみらい周辺に部屋を借りて、車を持たない生活をするのがいいと思うのだが、仕事の性格上どうしても車が必要なためこういったライフスタイルは諦めねばなりませんでした。
そうすると車を持つ事前提の生活という観点で駅から多少離れていても良い → 徒歩15分から20分程度の場所でも生活できる事になり選択肢が広がります。

当初考えていたのは戸塚区のあたりです。
高校時代から何度も行っていて土地勘があること、住みやすくて家賃もそれほど高くないことが気に入っていました。
しかし賃貸物件は思ったほど多くない、あっても中心地から離れた場所で車があっても少し不便という条件のものが多かった。
あの辺りは高低差が大きく2WDの車だと運転効率もイマイチかなーと思いました。
なので今回は候補からは外しました。

東京へのアクセスの良さで見ると、町田や川崎周辺が良いのだが、このあたりは建物や道路の密集度が高く車を持つにはあまり向いてないように自分には思えたこと、どちらかというと電車中心のライフスタイルのほうが適しているように感じたことから候補外となりました。

それ以外に緑区や青葉区、海老名市、綾瀬市なども考えましたが、最終的にいいと思ったのは都筑区です。

このあたりも山を切り崩したような地形なのですが、再開発がいい感じに完了した後で、生活効率が良くなっていること。ここがとても気に入りました。
また街の中も田舎の繁華街のように人が密集しすぎて移動効率が悪いということもなく、適度な混雑具合といった印象です。
ただこれまで平日しか行ったことがないので、休日は混雑するのかも?

高速道路へのアクセスも悪くないです。
今住んでいる場所に比べると劣ってはしまいますが、千葉方面、東京方面、静岡方面なら効率よく移動できそう。
茨城や栃木、埼玉、群馬、長野、山梨などは逆に今よりもアクセスが悪くなります。
これは神奈川という土地柄仕方がないと思っています。
移動時間が長くなってしまう分は何かしらの工夫をして乗り越えようと考えています。

街の中心にはスーパーはもちろんのこと、ホームセンター、ショッピングモールなど生活していく上で必要な商業施設が網羅されています。
街の中心に出れば必要なものはだいたい揃う感じ。

公共施設も調べた範囲ではちゃんと揃っているので、これから現地視察でスポーツ施設や図書館の雰囲気がどんな感じか見てこようと思います。

賃貸物件を調べていて、条件検索のところに駐車場ありというのを入れると一気に検索結果が減ってしまいます。
東京でもそうだけど、完全に車なしで生活できる場所ってかなり限られると思うんだが、どうやって生活しているんだろうと思いました。
近隣の月極駐車場を契約しているのかな。

都筑区の治安を調べた限りでは県内18区中16位だったので問題ないと思ってます。
治安というのは駐輪場に自転車置いていたらいつの間にか盗まれていたり、車に変ないたずらをされたりとかそういったものを想定しています。
田舎だとこういう治安の悪さというのが少なからずあり、見えない経費となってかさんできます。

本質的な所では田舎も都会も変わらないのだが、生活効率という観点では都会がどうしても勝ってしまいます。
もちろん個々人のライフスタイル次第ではあるのだが、生産性を高めるという価値観で見るならば都会がいいのかなと思います。
近所付き合いの薄さや都会特有の孤独に対しては、ボランティアに参加するなどいくらでも対処方法はあると思っています。

今は孤独耐性だけは無駄に高まっているので一人暮らしそのものに大してそれほど不安はない。
だが、定期的に発生する家賃を中心とした維持費に耐えられるのか、そこが不安です。

ざっと試算して見ましたが、月ベースでも最低15万円ぐらいはかかりそうな感じ。
もっと田舎に住めばこれを12万ぐらいまで落とせるが、3万円上乗せして自分の場合は効率性を選びます。
なのでその分、仕事を頑張って見るなり、浮かせた時間でスポーやって見るなりして、生産性の高い生活をしないといけないなと思います。

とりあえず今週末、現地調査も兼ねて視察をして問題なければ契約してこようと思います。
長い間実家ぐらしで本当に快適だったが、親からも指摘されたがこのままだと確かにダメになってしまうし、結婚もできそうにない。
なので正直しんどいが一人暮らしに挑戦して、本当の意味での自立を目指します。

何をやるか よりも 誰とやるか

twitterとFBで実名登録で発信をしているので、このブログも実名発信に統一しようと考え、プロフィール欄をちょっと更新。
いつまでも起業家だの投資家だの響きだけはかっこ良さそうな表現を使っているのもどうかと思ったので、個人的な組織の代表という肩書きで今後は自分の身分を表現することにしました。

実名登録にすることで誰が何を書いているのかがより明確になるので、俺のことを知っている人はより親近感を持って俺の書いたことに接することができると同時に、俺個人を特定とした誹謗中傷が発生するという問題と今後は対峙していかなければならない。

匿名の自由度と実名の責任感を天秤に掛けた上で実名でやっていくことに決めました。
なのでこのことによって何が起きてもそれを受け入れていくつもりだし、そうしなければいけないと考えています。

大学を卒業して働くようになって感じるようになったのは、今の日本では何をやるかということについては制限は何らかかっていないということです。
俺たちは、少なくとも法に反しない限り何をやってもいい。
何かをやらなければいけないなんて誰からも制されていない。

就職をすることがどことなくゴールに見えますが、就職って別にしなくてもいいわけです。
無論、就職をすることで経験が積める、実務を学びやすい、着実にステップアップができるなどのメリットもあるので安易に就職を放棄するのはオススメしません。
だけど俺が言いたいのは万人にとって就職だけが唯一絶対のゴールではないということ。

面接などでなぜ弊社なのか?という質問は表現は変われど何度も何度も聞かれると思いますが、あの質問に共通する真意というのは、選択肢が無数にある中でなぜ弊社を選んだのか、なぜ我々と働こうと考えたのかという点なんだと思うんです。

この国では政治を批判したり、権力者を批判する言論の自由が与えられています。
そんなの当たり前じゃん?と思う人もいますが、隣の国の中国では発言や発信を誤ると逮捕されてしまいます。

何をやるか、何を言うかという点に関して自由が与えられている国に生まれたこと、そこに住む権利を与えられていること、まずここを自覚する。
その上で自分はなぜ何かをやろうとするのか、それを誰とやろうとするのか、ここに着目するのが大切なのかなと最近より強く思いました。

例えばゲームをやるにしても、今は好きなゲームを自分のお金で買う自由が自分にはあるけれども、一人でゲームやってもあまりおもしろくないなーと感じるんです。

それは昔のゲームのほうが良く出来ていたという一言では片付けられない気がしていて、昔ゲームをやってなぜ楽しかったのかって、気の許せる友達が側にいて、彼ら彼女らと一緒になって遊んだから楽しかったのだと思う。

外で遊ぶにしてもサッカーをやりましょうって話になって、学校の体育の授業でやるサッカーと、仲のよい友人とやるサッカーって楽しさの種類が違うと思う。
上手にやらなければ、とか、成績として評価されるために振舞わなければ、といった前提条件なしにサッカーに向き合えるのと、友達と自分たちの好きなようにやるという所が相乗してすごく楽しい!と感じるのだと思う。

仕事の話をするにしても、赤の他人にそれって儲かるんですかって聞かれるとすごく不愉快だけど、信頼している友人に聞かれると全然嫌味に感じなくて自然体に仕事の話ができる。
これも何を聞かれるか、話すかということよりも、誰にそれを聞かれるか、誰に向かってそれを話すかという点が本質だからと思うんです。

慈善事業を死ぬまでやっても、虚業を死ぬまでやっても、誰もそれを咎めたりしない。
家の前の道路を毎日掃除することで一生が終わる、極端な例だけどそんなのもありだということです。

着目すべきことは家の前の道路の掃除をずっとやるとしても、それを誰とやるのか?ということ。
一人でやるというのももちろんありだと思うんです。
家族とやる、近所の人とやる、学校の先生とやる、地域の政治家とやる、誰とやってもいい。
その中でなぜ彼らなのか、彼女なのか?ということです。

実はここ数年、優秀な人以外とは付き合いたくないと思ってました。
ダメな人と付き合うと自分のレベルも引き下げられるので、レベルが低い人は意図的に避けようと。
だけど何を持ってダメというかなんて極端に主観的な事でしかないし、誰にも得意なこと、苦手なことってあって、誰かが上手にできる何かに魅力を見出すことっていくらでもできる。
捉え方、感じ方の問題なんだなと思った。

人を肩書きだとか上辺だけで判断してはいけないと言われますが、それを理想論として扱うのではなくて、少しだけ真剣にその通りだよねって思えるようになってきた。
大学出たらとか、有名な企業に勤めていたらとか、部下がたくさんいるとか、、それらは一面であって全てじゃない。

今俺が他人を見る上で、例えばツイッターならその人が何を考えて、どういった発信をしているのかを見ています。
どこどこの会社でマーケティングやって、大学ではトップ10%に入っててみたいのはすごいとは思うけどあんま見ていない。
多分そこにフォーカスが当たっていた時期ってのは、肩書きの高い人、実績のある人と付き合えば自分も何か高められるような、ありがたい存在になれるような根拠なき錯覚を起こしていたのだと思う。

ここ3年ぐらいは本当に肩書きというか、優秀な人とだけ付き合いたいという思いが全面に出てきて、わかりやすい成果や実績が伴わない人、行動を起こせない人はダメな人と傲慢に定義をして選りすぐりしてきました。
で、やってて思うのは心に穴が空くというか、確かに実績のある人や行動力のある人と付き合うとダイナミズムは感じられるんだけど、どことなく虚しいというか、そんなにあくせくやってどうするんだみたいな思いが横から出てくるし、仕事だけが唯一絶対の存在って時代じゃないよってひがんでみたり、純粋さや素直さみたいなものがどんどん欠如していくような感覚がいつもありました。

選りすぐりできることはそれなりの力があればこそのものかもしれません。
しかしそこで勘違いしていはいけないのは誰も自分の力だけで今の地位にまで辿りついているのではないということ。
誰かの善意や助けに支えられて今の自分に至っている。
誰かの犠牲があるから今の自分や世の中が在る。

長くなってしまったけど言いたいことは超シンプル。
何をやるかってのは極論的にはあんま重要じゃない。大事なことはそれを誰とやるかということ。

俺は誰と何をやりたいかという点について多少なりとも定義できるようになってきた。
仕事に関しては今のところ一人でやっていくつもり。
だけどそれ以外の活動に関しては、誰かとやりたいと思うことがいくつかある。
そこにこれからはフォーカスを当てていきたいんだ。

大学の語学スクールに通うと考えています

新しいことに挑戦しようと思っていて、でも新しいことって何だろう?って考え時に仕事上にそれが存在することを前提条件にしていたこと気がついた。

自分の可能性を最大化して、マイノリティとして自分を表現することが自分のGOALなわけであり、それイコールお金儲けである必要ってない。

自分の可能性を最大化出来て、新しい刺激に満ちていて、自己成長や学びに繋がることって何だろうって思ったときに、生涯学習というものが浮かびました。

そして自分の卒業大学は生涯学習を受けいれていて、卒業後に英語の勉強をすることができる。
東京電機大学に勤務している英語の先生から習うことが出来る制度があるのを思い出し、大学に電話。
制度そのものは若干の変更はあるもののまだやっているようだ。
これに参加してみようと思う。

開講場所は神田で、かつて自分がサークルと単位稼ぎのために頻繁に通っていたため土地勘もある。
出身大学の神田キャンパスはローケーションとしてはかなり良くて、ビジネスの中心地でありながら渋谷であるとか新宿にあるような新興企業特有のチャライ雰囲気がないのがすごく好きです。
質実剛健というか地に足がついた雰囲気が街にはあるように思います。
そういった場所で自分が学びたいことにフォーカスをして学べるのってすごくエキサイティングなんじゃないかって思った。

卒業して3年という節目にキャンパスに戻るのも何か感慨深いものがあるし、学生時代と違って学びたいこと、必要なことに特化して集中学習できるのがいいと思ってる。

学校という実社会や利害と切り離された空間に行くことってのは、新しい人との出会いの場としても魅力で、利害関係を抜きにしたおもしろい出会いもあるのではないかなーと思ってます。
参加者もおそらく少ないであろうと思うので大手英会話スクールよりも密な指導が期待でき、かなりパフォーマンスはいいのではないか?と思ってます。

参加頻度は月曜日から金曜日まで好きなときに参加できるので、週に2回か3回は参加できると思ってる。
自分でビジネスをやっているとこのあたりの自由度、調整が細かく出来るのが本当にいい。

授業料も格安で、卒業生は割引で受けられた記憶がある。
今は自分の稼ぎでこういったものを支払うことが出来るのもちょっと嬉しい。

10年間こんな日が来るのを待ち続けてきました

一昔前までは引越しをしたり学校や職場を変えると物理的な距離の発生からお互いの存在が遠ざかることに甘んじなければなりませんでした。
俺はこれがとても不満でした。

様々な事情があって環境を変えたり、物理的な移動をしたのだけれども、全てを破棄したくてそうしていたわけではない。
例えば学校で何か屈辱的な経験をしてどうしてもその場に居続けられなくなって転校をするという選択をせざるを得ない環境でもいつも誰かは自分を理解してくれているし、支持してくれている。
完全に孤立という状況はないと思っています。

過去の選択がその時はベストと思って実行をしていても実はそれほど良い選択ではないこともあろうかと思います。
前の学校には前の学校の良さがあったなとか、前の職場にはそれなりの良さが、前の同僚や上司にもいいところがあったなどなど。
そういった数少なくも自分と共感できる存在との繋がりを維持したいとずっと思っていました。

今インターネットの世界で別々の道を歩んでいる人達とも再会をすることができるようになった。
10年以上交流が途絶えていた人と再会をして、懐かしいから会って話でもしようよってそういう展開にさえなってきています。
こういった事が起きることをずっと夢見て、インターネットの無限の可能性にこの10年俺は賭けてきました。

俺は高校に入学した辺からずっと孤立をした生活をしてきました。
誰も信じられなかったし、誰も自分に共感を示さないように感じていました。
親しかった友人が自分から遠ざかっていくのを感じたし、自分がひどく無価値な人間のように思えて、毎日がとても重たいもので、囚人のように暮らしていました。

高校3年ぐらいになって東京の予備校に通うようになって予備校の友達との間に安心出来る信頼感のような絆を見いだせるようになりましたが、高校2年ぐらいからの共通の話題やら趣味を見いだせる相手がいない環境はかなり苦痛だった。
それといって自分なりに何かを追求するようなモチベーションが生まれるわけでもなく、自分が何を望んでいて、逆に何を望んでいないのかもわかっていなかった。

10年間信じてきたインターネットの可能性が実現し始めた今、俺は疑い無く未来を肯定的に捉えられると思う。
この破壊的技術が自分の可能性を今後も最大化してくれることを。
そしてこのブログを、日記を書き続けている究極の目的”自分と同じような趣向や価値観を持つ人達と繋がること”が現実になっていくことを。
自分が心のそこから望んでいることにフォーカスし続ける日々を。

2011年。俺の夢は現実化し、その可能性もまた加速し始める。
どこまでいけるんだろう?という起業当初のワクワク感に似た思いが今は溢れている。
本当にこれからの未来が楽しみで今は仕方がない感じだ。

引き続き募集 遊びに来ませんか?

週に1回か2週間に1回ぐらいでいいので自分の仕事関連以外の人と会って、様々な刺激を受けて明日に向かうエネルギーを得たいと最近思うようになりました。

正直頻繁に色んな人と会うというのは自分の場合管理ができそうにないので、週に1回ぐらいが限界かなと今は勝手に思ってますw

一緒に食事をするにしても、自炊すれば3千円ぐらいあれば飲食店で注文する7千円分ぐらいの質は確保できると最近は思うようになりました。
無理して外食しなくてもいいかな?と思ってます。どうでしょうか。

お互いの自炊スキルも料理を一緒にやれば高まると思うんで自炊をやってみるってのも良い経験になると思うんだよね。
自炊めんどいってなら俺が適当に何か作ります。

ということで遊びに来たい人を引き続き募集します。

私とリアルでお会いしたことのある方へ お茶しに来ませんか?

リアルで会ったことある人限定の記事です。
私は今月の頭から6月の半ばぐらいまで一人で生活を続けていきます。

その間、時間がある方、お暇な方がいらっしゃればぜひ遊びに来て欲しいと思います。

私の平常時の大まかな日程は以下の通り。

月曜日 夕方までは動けないことがほとんど
火曜日 事前連絡くれれば対応可能
水曜日 同上
木曜日 同上
金曜日 夕方以降なら対応可能
土曜日 フリー
日曜日 概ねフリー

来る場合はメールでも電話でもいいんですが、事前連絡をお願いします。
今日もあったんですが、東京に今いるんだけどみたいな突然の連絡ではこちらも対応が難しいです。
事前に連絡をくれればこちらも準備をして備えることが出来ます。

以上、個人的な連絡となりますが検討してもらえればと思います。
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