エアコンの買い替え
冷房をすると室内機から水が落ちてくるのと、冬になると加湿機能がおかしくなり異音が出てしまうようになったので見てもらったら部品交換が必要との事。
んでいくらぐらいするのかなーと思えば、3万円ぐらいする。
10年ぐらい使ったエアコンなので、細かな機能に不満もあるし、省エネの観点でもさすがに省エネ製品とは言いがたい部類である。
なので今時のエアコンってどんなものよって思って、電気屋に2つほど行って、自分が良いと思ったのがあったので買ってしまった。
購入価格は7万円ほど+エコポイント。
高いかなぁと思ったが、昔は10万円前後でも安いと母が自分の部屋用に買っていたような気がしたので、6万円だとか、7万円でエアコンが買える時代というのはやっぱり安くなってきたと言えるのではないだろうか。
今時のエアコンの良いと思った点。まだ納品はされてないのでカタログスペック上での話だが、
1、メンテナンスが簡単になっている。
前のエアコンも簡単な部類だったが、カビが発生しにくい構造になっていたり、高いやつは気流管理、完全にメンテナンスフリーなんてのもある。
2、寝ながら使うためのモードあり
自分の場合これが決め手になった。特に夏にそうなんだが、パソコンを入れると部屋の中はサウナ状態ですw そんな状況で寝られるはずもなく。。エアコンを入れるんだが、入れると寒い。切ると暑い。パソコンの電源を切ってもそれなりに暑い。ってことでエアコン入れっぱなしでも体に悪影響が出ないモードが用意されているのはいいと思った。
3、サイズがコンパクト
サイズも小さくなってきた。エアコンつーと昔はばかでかかった。んで音もうるさいw 今使ってるのはそれでも静かな部類だが、これよりも静かになるのかなぁと思うと(ならなかったりして)楽しみである。
室内機だけでなく、室外機も今はサイズが小さくなってきている。日本の家庭事情にマッチングしてきているのだろう。
上に上げたような特徴に見ていて気がついた。
私はヤマダ電機でエアコンを今回買ったんだけど、来店時フロアに客が誰もいなかった。営業しているのかここはと不安になったが、値段的にもまあ納得できる買い物ができたので結果としてはオッケーかな。
価格研究をしていると謳っているがあながち嘘ではなく、その前に来店した電気店よりも確かに安めに設定されている。だが、いわゆる型落ち中心で、最新の製品はあまり扱っていないようにも見えた。私の買ったエアコンも1年前の型落ち製品。定価14万ぐらいのが半額ならまあいいかなぁという印象である。
エコポイントというのを今回始めてもらったが、商品をもらうよりも、その場で現金で値引いてもらった方が自分は良かった。ポイントを交換するためのステップを用意するとどうしてもそこでマージンが発生するので、あまり還元されたなという気分になれない。そういう意味では地域振興券のほうがどんなものにもその地域でなら使えて良かったように感じる。
エコポイントの交換品は申し込んでから3ヶ月届くまでに時間がかかるそう。かかりすぎだと思う。
んでいくらぐらいするのかなーと思えば、3万円ぐらいする。
10年ぐらい使ったエアコンなので、細かな機能に不満もあるし、省エネの観点でもさすがに省エネ製品とは言いがたい部類である。
なので今時のエアコンってどんなものよって思って、電気屋に2つほど行って、自分が良いと思ったのがあったので買ってしまった。
購入価格は7万円ほど+エコポイント。
高いかなぁと思ったが、昔は10万円前後でも安いと母が自分の部屋用に買っていたような気がしたので、6万円だとか、7万円でエアコンが買える時代というのはやっぱり安くなってきたと言えるのではないだろうか。
今時のエアコンの良いと思った点。まだ納品はされてないのでカタログスペック上での話だが、
1、メンテナンスが簡単になっている。
前のエアコンも簡単な部類だったが、カビが発生しにくい構造になっていたり、高いやつは気流管理、完全にメンテナンスフリーなんてのもある。
2、寝ながら使うためのモードあり
自分の場合これが決め手になった。特に夏にそうなんだが、パソコンを入れると部屋の中はサウナ状態ですw そんな状況で寝られるはずもなく。。エアコンを入れるんだが、入れると寒い。切ると暑い。パソコンの電源を切ってもそれなりに暑い。ってことでエアコン入れっぱなしでも体に悪影響が出ないモードが用意されているのはいいと思った。
3、サイズがコンパクト
サイズも小さくなってきた。エアコンつーと昔はばかでかかった。んで音もうるさいw 今使ってるのはそれでも静かな部類だが、これよりも静かになるのかなぁと思うと(ならなかったりして)楽しみである。
室内機だけでなく、室外機も今はサイズが小さくなってきている。日本の家庭事情にマッチングしてきているのだろう。
上に上げたような特徴に見ていて気がついた。
私はヤマダ電機でエアコンを今回買ったんだけど、来店時フロアに客が誰もいなかった。営業しているのかここはと不安になったが、値段的にもまあ納得できる買い物ができたので結果としてはオッケーかな。
価格研究をしていると謳っているがあながち嘘ではなく、その前に来店した電気店よりも確かに安めに設定されている。だが、いわゆる型落ち中心で、最新の製品はあまり扱っていないようにも見えた。私の買ったエアコンも1年前の型落ち製品。定価14万ぐらいのが半額ならまあいいかなぁという印象である。
エコポイントというのを今回始めてもらったが、商品をもらうよりも、その場で現金で値引いてもらった方が自分は良かった。ポイントを交換するためのステップを用意するとどうしてもそこでマージンが発生するので、あまり還元されたなという気分になれない。そういう意味では地域振興券のほうがどんなものにもその地域でなら使えて良かったように感じる。
エコポイントの交換品は申し込んでから3ヶ月届くまでに時間がかかるそう。かかりすぎだと思う。
Mac周り(コンピュータ周り)
テクノロジー系のニュースを見ると今でもわくわくしたり、それがどのように活用されるのか(できるのか)を自分なりに考えたりしてニヤニヤしています。
そんな自分だが、自分の使っているコンピュータ周りはもう行き着く所まで行き着いてしまったという所で、今はすごい保守的な運用になってる。
最後に自分のMacをアップグレードしたのは多分一年ぐらい前、メモリを追加して合計で6GBにしたのが最後だ。
その当時はVMにWindowsを入れて並列で使っていたのでメモリがたくさん必要だった。
今は使うソフトはブラウザーとim管理ソフトのadium、それからフォトショップがあれば事はほとんど足りる。
これにitunesやらlive stationが立ち上がっている時もあるが、それでもこんなにメモリはいらないなーという感覚である。
それでCPUはXEONの8コアなので、まあそれなりに速い。というか処理が重たくなる事を感じない。
なのでアップグレードする理由らしい理由がなく、当分このままでいいや。。。と思ってしまい現在に至ってる。
そんな自分だが、トリプルディスプレイにしようかなーと思っては、それほど効果なさそうだなと考え直して辞めている。
自分の机はサイズの制限的に今のデュアルディスプレイでもスペース的には限界。
これ以上増やすなら、机を増やすか、アームを使って空間をうまく使う方法でしか増やせない。
そしてこれがMacの良くない所なんだが、グラフィックボードが高い。
3万円ぐらいグラフィックボードだけでする。。。Windowsのやつなら一番良いクラスのボードが買えてしまう値段である。
それにアームのお金と、液晶を新規で買うお金を考えると軽く5万円以上はかかる。。。
デュアルディスプレイまではたいしてお金もかからずに、増設が可能だったが、トリプルとなったとたんに一気にコストがあがるのである。
それでも液晶の価格がこれだけ安い事を考えると、結局ペイしちゃうかな?と思うんだが、なかなか踏み切れない。
トリプルにする事で生産性が上がるという明確な裏付けがあれば、それが背中を押してくれるんだが、どうも良い記事も見当たらず。
結局こっちも現状維持(デュアルディスプレイ)かなーと戻ってしまう。
お金を使うのが嫌というわけではないんだが、本当に必要なのか?と自問自答するとNOになってしまうモノが自分が欲しいと思うものには多い。
でも使った事で確実に生産性が上がって良かったなーと思えた買い物も少なからずあるにはある。
その使って良かったなーという精度を高めたいと思って考えるんだが、買って使ってみるまではどれだけ調べてみてもわからないというのが今の実感だ。
お金を稼ぐのも、使うのも共に難しい問題である。
そんな自分だが、自分の使っているコンピュータ周りはもう行き着く所まで行き着いてしまったという所で、今はすごい保守的な運用になってる。
最後に自分のMacをアップグレードしたのは多分一年ぐらい前、メモリを追加して合計で6GBにしたのが最後だ。
その当時はVMにWindowsを入れて並列で使っていたのでメモリがたくさん必要だった。
今は使うソフトはブラウザーとim管理ソフトのadium、それからフォトショップがあれば事はほとんど足りる。
これにitunesやらlive stationが立ち上がっている時もあるが、それでもこんなにメモリはいらないなーという感覚である。
それでCPUはXEONの8コアなので、まあそれなりに速い。というか処理が重たくなる事を感じない。
なのでアップグレードする理由らしい理由がなく、当分このままでいいや。。。と思ってしまい現在に至ってる。
そんな自分だが、トリプルディスプレイにしようかなーと思っては、それほど効果なさそうだなと考え直して辞めている。
自分の机はサイズの制限的に今のデュアルディスプレイでもスペース的には限界。
これ以上増やすなら、机を増やすか、アームを使って空間をうまく使う方法でしか増やせない。
そしてこれがMacの良くない所なんだが、グラフィックボードが高い。
3万円ぐらいグラフィックボードだけでする。。。Windowsのやつなら一番良いクラスのボードが買えてしまう値段である。
それにアームのお金と、液晶を新規で買うお金を考えると軽く5万円以上はかかる。。。
デュアルディスプレイまではたいしてお金もかからずに、増設が可能だったが、トリプルとなったとたんに一気にコストがあがるのである。
それでも液晶の価格がこれだけ安い事を考えると、結局ペイしちゃうかな?と思うんだが、なかなか踏み切れない。
トリプルにする事で生産性が上がるという明確な裏付けがあれば、それが背中を押してくれるんだが、どうも良い記事も見当たらず。
結局こっちも現状維持(デュアルディスプレイ)かなーと戻ってしまう。
お金を使うのが嫌というわけではないんだが、本当に必要なのか?と自問自答するとNOになってしまうモノが自分が欲しいと思うものには多い。
でも使った事で確実に生産性が上がって良かったなーと思えた買い物も少なからずあるにはある。
その使って良かったなーという精度を高めたいと思って考えるんだが、買って使ってみるまではどれだけ調べてみてもわからないというのが今の実感だ。
お金を稼ぐのも、使うのも共に難しい問題である。
成功の副作用
自分で仕事をやっていくと決めた時に願ったのはすでに社会で活躍をしている同世代の人たちに負けたくないという事だった。そのために競合が追いつけない何かや、差別化のためのなにか、様々な仮説を立てわからないなりに検証をしてきた。
その結果わかったこと。
現時点では僕は他人と何かを成し遂げたり協調してうまくやったりするのは苦手で、そうでないやり方を考える時に創造的になれてリラックスできるということだ。
で優秀な人、自分と気の合う人とだけ付き合っていればいいのかと言うと、どうもそうでもないようだというのが最近わかってきた。
組織の中に置いても、どれだけ優れた人を集めても、数パーセントかは仕事を怠けるというのは本などで読んだ人もいるだろう、あるいは気の合う仲間で作ったサークルが小さな事がきっかけで解散してしまう、音楽バンドのメンバー感の対立などなど、同じ趣向で同じ目的で集まった人たちがうまくいかなくなるケースは今この瞬間にもたくさん起きている。
その最たるものは離婚だったり、縁切りと呼ばれるものだろう。
悲しい事に親子でも相性が悪く、距離を置かなければいけない家庭があるのも今まで見てきた。
僕は当初こう考えていた。
自分がその時点で良いと思っていた会社は自分を受け入れてくれなかった、あるいは自分が良いと思った会社もインターンを少ししたらそこにいる未来の自分が見いだせなかった。
仕事の中身についても同様で、エンジニアとしてなんとなく理系の大学を出たからやっていくのと思い、理系の特徴である論理思考やテクノロジーについての考察を追求できる仕事をその時点で調べアプローチをした。
手応えがなかったわけではない。面接や選考が進んだり、採用担当の人から気に入られて個別にメールを頂いたり、傲慢で世間知らずな自分について部分的にでも共感してくれる人がいたのはとても嬉しいし、自分が多少なりとも受け入れられのかなと思えばありがたかった。
しかし就職活動にしても、その後の起業にしても、最初こそ盛り上がるが、持続させる事が自分には出来なかった。未来を見据える事ができなかった。なぜだろう?
理由としていくつか考えられることはある。自分は何かを継続させたり、見通しが立たないこと、自分には出来ないと思ってしまうと割とすぐに諦める傾向にある事。(粘りが弱い)
チームワークというのがものすごく苦手で、サークルの飲みでさえ億劫に感じる事があった。でもサークルの人が嫌いなのかというとそんなことはない。彼らの事は好き。でも共通の話題、共通の経験を通じて喜びを見いだす瞬間を見つける事が難しかった。
価値観の違いという言葉で表現する事もできるだろう。価値観の一致はとても大事だと今でも思っている。
こういった多くのもやっとした違和感に対する答えを提供してくれたのが次の本である。
鏡の法則だとか、何となく聞いた事はあったが、潜在意識だとか、ずーっとなんとなくもしかして?と思っていた事への答えがこの本で明確に示された。
ああ、あの時の苦さはなるべくしてなっていたのかと今では思える。そしてそれに対する対処も今は前よりもうまくできるのではないかと思っている。
何度か読み直して、意識する事なくこの本に書かれている事をしっかりと認識できるレベルにこれからもっていきたい。
読み終えて、潜在意識にいくつかお願いをした。
今までも潜在意識へのアプローチは試みているが、驚異的なほど実現をするので今回もきっとうまくいくと思う。
僕は選択肢を得たいと思っている。選択をするためには相手よりも良い立場にいなければいけない。
例えば1万円で選択して買えるものと、2万円で選択をして買えるものは違う。
iPodなら容量が2倍になったりするだろう。
1万円持っている人は少ない容量に甘んじなければならないが、2万円があればより大きな容量を選んで選択をすることができる。
この時2万円を持っている人は、1万円を持っている人よりも立場的に有利だと思う。
1万円のものを2つ買ってもいいし、容量の大きなものを1つ買ってもいいし、あるいはそれらを買わずに別のものにその2万円を使う事も出来る。
僕にとって経済的な余裕を得るというのは、選択肢を得るということである。
一点の曇りなく愛せる人が現れて、経済的な余裕がないがためにその人に幸福な思いをさせられないとすればそれは悲しい。それが理由で結婚が出来なかったり、付き合わせてもらえなかったりするのも悲しい。
経済的な余裕が人間的な秀逸さの定義とは必ずしも思わないが、僕が考える無益な干渉を経済的な余裕によって多少なりとも解決ができるケースも多いのではないかと思う。
だから僕は経済的な余裕を求めて仕事をする。活動の最終目的は収益を上げる事である。
もちろん理念といったものはないことはないんだが、最終ゴールは収益を上げるというポイントに設定をされる。
こういう認識になれて、気が楽になった。
金を稼ぐ事への罪悪感や虚無感を時々感じていたので、なぜ自分は働き、経済的な動機を働かせるのかというのを再定義できたのが良かったと思う。
こういった本を30歳になる前で読めた僕は好運だと思う。30歳ともなればそれまで積み重ねてきた事への延長で先が予測できてしまう生活になっていると僕は思っている。(違っていたらすいません)
それで40歳ともなれば完全に守りに入るというか、新しいことへの挑戦や模索よりも、確実性を重視した行動パターンに入ると思っています。(これも違ったらすいません)
もっと書くと僕は現時点で26歳なのだが、これでも遅いと思ってる。
起業、自分で何かをやっていく生き方を選択するなら10代の頃からこの本に書かれている事が当たり前の事と認識できるぐらいの器の形成を目指した生き方をしていたほうがずっといいと思う。
それで、世の中の事を自ら選択できる立場になったらはじめて奇麗な事を考えて実現をする人になればいいと僕は思う。
その時に年齢であるとか、守るものがありすぎる人、要するに既得権益に縛られる身分になっていたらとても嫌だなぁと思うのである。
僕はそうなる前に踏み出せる気がする。気の合う仲間も、心を許せる友人も本当に数えるほどしかいないが、それでよかった。
僕が孤独であるがために得た強み。それをこれからの人生で立証をしていきたいと思う。
これからはマイノリティだってこの国でも生きていけるのだと示したい。そしてもし同じような悩みやコンプレックスを持っている人が自分のそういった姿を見て、自分にも出来るのではないかと思って、挑戦できるような気持ちになれたらいいと思う。
僕には覚悟が出来ている。成功の副作用を知った上でもなお成功を定義して成功を渇望したい。
その結果わかったこと。
現時点では僕は他人と何かを成し遂げたり協調してうまくやったりするのは苦手で、そうでないやり方を考える時に創造的になれてリラックスできるということだ。
で優秀な人、自分と気の合う人とだけ付き合っていればいいのかと言うと、どうもそうでもないようだというのが最近わかってきた。
組織の中に置いても、どれだけ優れた人を集めても、数パーセントかは仕事を怠けるというのは本などで読んだ人もいるだろう、あるいは気の合う仲間で作ったサークルが小さな事がきっかけで解散してしまう、音楽バンドのメンバー感の対立などなど、同じ趣向で同じ目的で集まった人たちがうまくいかなくなるケースは今この瞬間にもたくさん起きている。
その最たるものは離婚だったり、縁切りと呼ばれるものだろう。
悲しい事に親子でも相性が悪く、距離を置かなければいけない家庭があるのも今まで見てきた。
僕は当初こう考えていた。
自分がその時点で良いと思っていた会社は自分を受け入れてくれなかった、あるいは自分が良いと思った会社もインターンを少ししたらそこにいる未来の自分が見いだせなかった。
仕事の中身についても同様で、エンジニアとしてなんとなく理系の大学を出たからやっていくのと思い、理系の特徴である論理思考やテクノロジーについての考察を追求できる仕事をその時点で調べアプローチをした。
手応えがなかったわけではない。面接や選考が進んだり、採用担当の人から気に入られて個別にメールを頂いたり、傲慢で世間知らずな自分について部分的にでも共感してくれる人がいたのはとても嬉しいし、自分が多少なりとも受け入れられのかなと思えばありがたかった。
しかし就職活動にしても、その後の起業にしても、最初こそ盛り上がるが、持続させる事が自分には出来なかった。未来を見据える事ができなかった。なぜだろう?
理由としていくつか考えられることはある。自分は何かを継続させたり、見通しが立たないこと、自分には出来ないと思ってしまうと割とすぐに諦める傾向にある事。(粘りが弱い)
チームワークというのがものすごく苦手で、サークルの飲みでさえ億劫に感じる事があった。でもサークルの人が嫌いなのかというとそんなことはない。彼らの事は好き。でも共通の話題、共通の経験を通じて喜びを見いだす瞬間を見つける事が難しかった。
価値観の違いという言葉で表現する事もできるだろう。価値観の一致はとても大事だと今でも思っている。
こういった多くのもやっとした違和感に対する答えを提供してくれたのが次の本である。
鏡の法則だとか、何となく聞いた事はあったが、潜在意識だとか、ずーっとなんとなくもしかして?と思っていた事への答えがこの本で明確に示された。
ああ、あの時の苦さはなるべくしてなっていたのかと今では思える。そしてそれに対する対処も今は前よりもうまくできるのではないかと思っている。
何度か読み直して、意識する事なくこの本に書かれている事をしっかりと認識できるレベルにこれからもっていきたい。
読み終えて、潜在意識にいくつかお願いをした。
今までも潜在意識へのアプローチは試みているが、驚異的なほど実現をするので今回もきっとうまくいくと思う。
僕は選択肢を得たいと思っている。選択をするためには相手よりも良い立場にいなければいけない。
例えば1万円で選択して買えるものと、2万円で選択をして買えるものは違う。
iPodなら容量が2倍になったりするだろう。
1万円持っている人は少ない容量に甘んじなければならないが、2万円があればより大きな容量を選んで選択をすることができる。
この時2万円を持っている人は、1万円を持っている人よりも立場的に有利だと思う。
1万円のものを2つ買ってもいいし、容量の大きなものを1つ買ってもいいし、あるいはそれらを買わずに別のものにその2万円を使う事も出来る。
僕にとって経済的な余裕を得るというのは、選択肢を得るということである。
一点の曇りなく愛せる人が現れて、経済的な余裕がないがためにその人に幸福な思いをさせられないとすればそれは悲しい。それが理由で結婚が出来なかったり、付き合わせてもらえなかったりするのも悲しい。
経済的な余裕が人間的な秀逸さの定義とは必ずしも思わないが、僕が考える無益な干渉を経済的な余裕によって多少なりとも解決ができるケースも多いのではないかと思う。
だから僕は経済的な余裕を求めて仕事をする。活動の最終目的は収益を上げる事である。
もちろん理念といったものはないことはないんだが、最終ゴールは収益を上げるというポイントに設定をされる。
こういう認識になれて、気が楽になった。
金を稼ぐ事への罪悪感や虚無感を時々感じていたので、なぜ自分は働き、経済的な動機を働かせるのかというのを再定義できたのが良かったと思う。
こういった本を30歳になる前で読めた僕は好運だと思う。30歳ともなればそれまで積み重ねてきた事への延長で先が予測できてしまう生活になっていると僕は思っている。(違っていたらすいません)
それで40歳ともなれば完全に守りに入るというか、新しいことへの挑戦や模索よりも、確実性を重視した行動パターンに入ると思っています。(これも違ったらすいません)
もっと書くと僕は現時点で26歳なのだが、これでも遅いと思ってる。
起業、自分で何かをやっていく生き方を選択するなら10代の頃からこの本に書かれている事が当たり前の事と認識できるぐらいの器の形成を目指した生き方をしていたほうがずっといいと思う。
それで、世の中の事を自ら選択できる立場になったらはじめて奇麗な事を考えて実現をする人になればいいと僕は思う。
その時に年齢であるとか、守るものがありすぎる人、要するに既得権益に縛られる身分になっていたらとても嫌だなぁと思うのである。
僕はそうなる前に踏み出せる気がする。気の合う仲間も、心を許せる友人も本当に数えるほどしかいないが、それでよかった。
僕が孤独であるがために得た強み。それをこれからの人生で立証をしていきたいと思う。
これからはマイノリティだってこの国でも生きていけるのだと示したい。そしてもし同じような悩みやコンプレックスを持っている人が自分のそういった姿を見て、自分にも出来るのではないかと思って、挑戦できるような気持ちになれたらいいと思う。
僕には覚悟が出来ている。成功の副作用を知った上でもなお成功を定義して成功を渇望したい。
窓の手の設定が好調です
WindowsXPを使っているマシンを少しでも快適にしようと、段階を追ってアップグレードをしてきた。
初期は搭載メモリが1GBだったのが2GBに、今では3GBを搭載している。
使っていないアプリケーションや自動で起動するアプリケーションも管理して、これ以上弄る所ないなぁって所まで設定した。
んでそれでもまだ何かやることあるかな?とGoogleで検索したら、気になる記事が見つかる。
http://dospara.net/freesoft/winhand_02.html
ドスパラのページ。ドスパラは秋葉原でも老舗で特に中古パーツはかなり安いお店。何度もお世話になってます。
中古を扱っているお店はじゃんぱらという名前で、家電なんかも最近は売っている。
このドスパラの紹介している設定、窓の手を使う設定を試した所、体感ベースで速くなったかなという印象を受けている。
ただし、この設定やるならXPなら1GB以上、ビスタなら2GB以上はないとあんま意味ないと思う。
逆に言えばそれ以上メモリがあるなら、メモリの消費量を多少増やしてもパフォーマンスを上げる事が可能になる。
それにしてもこうやって弄ってるとXPってつくづく快適なOSだなぁと思う。。。Windows7もそれなりにいいみたいだが、ここまで快適だとまだまだ当分我が家では現役のOSかなと感じてしまう。
往生際悪く、ハードディスクをSSDにしたり、メモリを上限の3.5GBまで増設したりと、まだまだ弄ろうと思えばパフォーマンスを上げる事は可能だし。。
我が家のWindowsマシンはAthlon 64 x2 の4400+。一応デュアルコアCPUなのでWindows7も動かせなくはないと思う。
次買う時は、前回DELLでシュミレートした、クアッドコアのAMDのマシンを買うつもり。
初期は搭載メモリが1GBだったのが2GBに、今では3GBを搭載している。
使っていないアプリケーションや自動で起動するアプリケーションも管理して、これ以上弄る所ないなぁって所まで設定した。
んでそれでもまだ何かやることあるかな?とGoogleで検索したら、気になる記事が見つかる。
http://dospara.net/freesoft/winhand_02.html
ドスパラのページ。ドスパラは秋葉原でも老舗で特に中古パーツはかなり安いお店。何度もお世話になってます。
中古を扱っているお店はじゃんぱらという名前で、家電なんかも最近は売っている。
このドスパラの紹介している設定、窓の手を使う設定を試した所、体感ベースで速くなったかなという印象を受けている。
ただし、この設定やるならXPなら1GB以上、ビスタなら2GB以上はないとあんま意味ないと思う。
逆に言えばそれ以上メモリがあるなら、メモリの消費量を多少増やしてもパフォーマンスを上げる事が可能になる。
それにしてもこうやって弄ってるとXPってつくづく快適なOSだなぁと思う。。。Windows7もそれなりにいいみたいだが、ここまで快適だとまだまだ当分我が家では現役のOSかなと感じてしまう。
往生際悪く、ハードディスクをSSDにしたり、メモリを上限の3.5GBまで増設したりと、まだまだ弄ろうと思えばパフォーマンスを上げる事は可能だし。。
我が家のWindowsマシンはAthlon 64 x2 の4400+。一応デュアルコアCPUなのでWindows7も動かせなくはないと思う。
次買う時は、前回DELLでシュミレートした、クアッドコアのAMDのマシンを買うつもり。
実現可能か、そうでないかは別にして今やり直すなら自分ならこうやる
もっかい学校生活をやり直せるならって話。
実際に可能な範囲ってことでやっぱりなんとなく考えていた通りにやり直せると思う。
すなわち日本の高校は行かない。(仮にどうしても行くなら工業高校か商業高校に行きます)
中学は公立でも私立でもどっちでもいいと思う。中途半端に私立行くとそのままぬるま湯でエスカレータ式に進学してしまうだろうから、絶対に受験か就職かそれ以外かという選択をしなければならない公立の方が今はいいのかなとさえ思う。ただ公立は公立で問題児がいても隔離できない、退学させられない等問題もある。私立でも問題児がうまく生き残っているケースもあるがw
んで、中学卒業後、自分なら香港かオーストラリアかニュージーランドか米国かイギリスかスイスの中でシリアスに優秀でなくても受け入れてくれる大学付属の語学学校を探すだろう。で、そこに進学して1年半かけて、ホームステイか寮で生活しながら本当の英語を学びます。これは相当にキツイ経験になるだろうが、10代の自我が発展途上の時ならきっと乗り越えられる。これが30、40とかになって守りに入りだすと難しいと思う。家族なんかいたりしたら相当に実現は厳しそう。。。。
目論みが成功すれば1年半で語学の勉強は完成をすると思うので、それらと併用して大学進学に必要な資格取得を目指す。。多少遠回りでも確実なら、現地の高校進学でもいいと思うし、必要なら日本帰国。。。
この辺はまだしっかり考えていないが、要するに日本で普通に高校に進学して、多分に浪費する3年間を使って、きちんと何かをやった、得たという3年間に変えてしまえという考えである。
それでここでも目論み通り大学進学のためのパスを得ることができたなら、大学に行く。
今まで様々な人に会ったがやっぱり大学には行った方がいいと考えている。もちろんそこで何をするのかが重要なわけだが、理系なのか文系なのかってのは自分なら文系に入り直すと思うが、ここでは大事ではない。
大学で習った事が実社会であんま直接役に立たないのは知っている。でも教養レベルというか、総合的な思考の深さという観点で見ると大学に行くとそれなりの底上げはできるように感じる。
もちろん大学に行かなくても自分で本を読んだり、自分なりにテーマを作って考えていく事で思考の深さを高める事は可能だろう。
自分は人から習った方がてっとり速い事とそうでないことが世の中に存在すると思う。
パソコンの使い方は自分でやったほうがおそらく吸収は速いが、プログラミングの考え方は習わないとどうも自分はできなさそうだなど人によってそれは違う。そして大学では自分で何を学ぶか選ぶ事ができる。ならば選択をして学んでいくというスタイルには格好の場所ではないか、と思うのである。
就職か起業かあるいはニートなのかという選択を見ても、それぞれに関係なく大学行く事で得られる恩恵はとても大きいと思っている。真っ当に人付き合いもしてりゃ生涯の友もできるだろうし、高校ぐらいから海外サバイバルしてりゃそれこそ戦友と呼べる存在ができるだろう。そしてそういった人たちこそが真の意味で友と呼べる存在になり得ると考えている。
前も書いたが、特定のテーマでのみ話が出来る人は全て”仲間”というジャンルに分類される、だが”友達”というジャンルに入る人は特定の話題である必要はない。仮にゲームの話をしていて、その直後にキャリアの話に切り替わっても違和感なく本音で話し合える関係。それが友達と呼べる存在である。仲間はゲームの話題では盛り上がれるが、他の話題ではお茶を濁すような感じになってしまう。別に仲間という存在が悪いわけではない、ただ両者の根本的な位置づけが異なっているというだけだ。
友がいればどのような選択を取ろうとも、自分の選択に覚悟を持ち、相談を出来る相手として生きていく事が可能になる。広く浅く仲間を作っている人は以外とこうはいかないのではないか。真剣な悩みを話せる相手がきっと少ない。それなりに周りからうまく世渡りが出来る存在として認識をされるが実は孤独なのかもしれない。
僕は友と呼べる人がなんとか数人いる。ここ数年会ってない人もその中に入るが、明日街で会ってもすぐに打ち解けられる仲だ。だからどれぐらいの頻度で会ってないとか、話してないとかそんな期間は問題じゃない。
そういう存在を獲得できたのは、例外なく厳しい環境に身を置いた時だった。ぬるま湯につかった時自分は堕落をしていった。ものすごい勢いで志を失い、堕ちていった。
もう一度やり直せるなら、良い刺激や学びを得られる場所にどうせ学校に行かなければいけないなら、行くという選択をするなら納得して選択をしたいと考えるのである。
実際に可能な範囲ってことでやっぱりなんとなく考えていた通りにやり直せると思う。
すなわち日本の高校は行かない。(仮にどうしても行くなら工業高校か商業高校に行きます)
中学は公立でも私立でもどっちでもいいと思う。中途半端に私立行くとそのままぬるま湯でエスカレータ式に進学してしまうだろうから、絶対に受験か就職かそれ以外かという選択をしなければならない公立の方が今はいいのかなとさえ思う。ただ公立は公立で問題児がいても隔離できない、退学させられない等問題もある。私立でも問題児がうまく生き残っているケースもあるがw
んで、中学卒業後、自分なら香港かオーストラリアかニュージーランドか米国かイギリスかスイスの中でシリアスに優秀でなくても受け入れてくれる大学付属の語学学校を探すだろう。で、そこに進学して1年半かけて、ホームステイか寮で生活しながら本当の英語を学びます。これは相当にキツイ経験になるだろうが、10代の自我が発展途上の時ならきっと乗り越えられる。これが30、40とかになって守りに入りだすと難しいと思う。家族なんかいたりしたら相当に実現は厳しそう。。。。
目論みが成功すれば1年半で語学の勉強は完成をすると思うので、それらと併用して大学進学に必要な資格取得を目指す。。多少遠回りでも確実なら、現地の高校進学でもいいと思うし、必要なら日本帰国。。。
この辺はまだしっかり考えていないが、要するに日本で普通に高校に進学して、多分に浪費する3年間を使って、きちんと何かをやった、得たという3年間に変えてしまえという考えである。
それでここでも目論み通り大学進学のためのパスを得ることができたなら、大学に行く。
今まで様々な人に会ったがやっぱり大学には行った方がいいと考えている。もちろんそこで何をするのかが重要なわけだが、理系なのか文系なのかってのは自分なら文系に入り直すと思うが、ここでは大事ではない。
大学で習った事が実社会であんま直接役に立たないのは知っている。でも教養レベルというか、総合的な思考の深さという観点で見ると大学に行くとそれなりの底上げはできるように感じる。
もちろん大学に行かなくても自分で本を読んだり、自分なりにテーマを作って考えていく事で思考の深さを高める事は可能だろう。
自分は人から習った方がてっとり速い事とそうでないことが世の中に存在すると思う。
パソコンの使い方は自分でやったほうがおそらく吸収は速いが、プログラミングの考え方は習わないとどうも自分はできなさそうだなど人によってそれは違う。そして大学では自分で何を学ぶか選ぶ事ができる。ならば選択をして学んでいくというスタイルには格好の場所ではないか、と思うのである。
就職か起業かあるいはニートなのかという選択を見ても、それぞれに関係なく大学行く事で得られる恩恵はとても大きいと思っている。真っ当に人付き合いもしてりゃ生涯の友もできるだろうし、高校ぐらいから海外サバイバルしてりゃそれこそ戦友と呼べる存在ができるだろう。そしてそういった人たちこそが真の意味で友と呼べる存在になり得ると考えている。
前も書いたが、特定のテーマでのみ話が出来る人は全て”仲間”というジャンルに分類される、だが”友達”というジャンルに入る人は特定の話題である必要はない。仮にゲームの話をしていて、その直後にキャリアの話に切り替わっても違和感なく本音で話し合える関係。それが友達と呼べる存在である。仲間はゲームの話題では盛り上がれるが、他の話題ではお茶を濁すような感じになってしまう。別に仲間という存在が悪いわけではない、ただ両者の根本的な位置づけが異なっているというだけだ。
友がいればどのような選択を取ろうとも、自分の選択に覚悟を持ち、相談を出来る相手として生きていく事が可能になる。広く浅く仲間を作っている人は以外とこうはいかないのではないか。真剣な悩みを話せる相手がきっと少ない。それなりに周りからうまく世渡りが出来る存在として認識をされるが実は孤独なのかもしれない。
僕は友と呼べる人がなんとか数人いる。ここ数年会ってない人もその中に入るが、明日街で会ってもすぐに打ち解けられる仲だ。だからどれぐらいの頻度で会ってないとか、話してないとかそんな期間は問題じゃない。
そういう存在を獲得できたのは、例外なく厳しい環境に身を置いた時だった。ぬるま湯につかった時自分は堕落をしていった。ものすごい勢いで志を失い、堕ちていった。
もう一度やり直せるなら、良い刺激や学びを得られる場所にどうせ学校に行かなければいけないなら、行くという選択をするなら納得して選択をしたいと考えるのである。